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特に「まともな学者であれば云々」といったようなコメントがいくつか見られたりしたので、単純に激しく上から目線で不快に感じました。「まともな学者ではない」と言われるケースは大体次の2通り。
(1)大学や研究所に職を得ているが、自身が研究論文として積み重ねたものでもなく、他の誰かによって既に積み重ねられたものからも逸脱した内容を、啓蒙書を書いたりマスコミに登場するといった方法で、もっともらしく述べた場合。一応は職を得ているだけあって、別の分野ではまともな学者をしている場合もある。
(2)局地的(?)に「先生」と呼ばれ、場合によっては講演などをする立場ではあるが、学位が学位商法によるものであったり、著書(多くはインチキ健康本など)はあるが論文は無かったり、研究らしいことをしている実態が全く無い場合。
上から目線ではなく、端的に事実を指摘しただけである。
それでも議論の前提として、2つの観点から鑑みてちょっと科学的態度の正当性の主張が、大変失礼ながら傲慢に感じられてしまいました。 ・人間が技術的に実施しうる認知の限界に対する謙虚さ ・不完全性定理と不確定性原理の観点から導かれるべき謙虚さ検証済みでないことについて、「検証済みである」かのように装うのは、科学としてはニセであるし、そのようなことはまともな研究者ならしないのが普通だから。つまり、「まともな研究者」の定義の中には、「はっきりしない話を一般の人の前で宣伝したりしない」というものがあり、これがかなり共通の認識となっているから。
もちろんそれを皆さん踏まえていると思うのですが、そうであればどうしてある意味不遜にも「まともな研究者であれば」という言葉遣いで、科学的態度の正しさを主張できるのか、ちょっと不思議に感じてしまいます。
科学的態度とは、たぶん「正しい」ということを見つけ出すために推奨される方法論だと私は思っているのですが、そこの認識は間違ってないでしょうか?そうだとすると、一方で「正しい」ということが、生き物としての人間にどれだけの効用があるかということが、人間としての私にとって非常に興味があるところです。要するに、「科学的態度を訓練して身につけると、人間として幸せになれるの?」ってことは、科学的態度を広く啓蒙していく上で重要だと思うんですが、そのあたりについては最近はどういう議論になってるんでしょうか?例えば、ある魚を食べたら具合が悪くなったとしよう。科学的態度によらずにこのことから体験談的教訓を得るならば、「その魚は今後は食べない」という結論になる。科学的態度をとるならば、例えば、(1)魚に毒があるのか、(2)調理法が悪かったのか、(3)魚が古かったのか、(4)具合が悪くなったのはその魚とは無関係の原因なのか、を突き止めることになる。(1)であるならば、さらに原因を調べ、その魚のうち食べられる部分とそうでない部分を分けて、安全な食べ方を見つけることができるかもしれない。魚の毒が、魚がエサにしている別の何かに由来するとわかったら、同じものをエサにしている別の魚を食べる時は、その前に十分調べることになるだろう。これによって危険を避けることができる(2)であれば、十分火を通すといった対策で、安全に食べることができるだろう。(3)であるなら、古くなったものは食べない、という経験を積むことになる。また、古くなるのを遅らせて保存することを考えるようになるだろう。(4)であれば、今後もこれまで通りその魚を食べても良いことになる。
科学的態度をとった方が、より選択の幅が広がるし、食べて大丈夫なものを却下してしまう可能性も減る。人間として、どちらがより楽しいことになるかは、明らかではないか。
むしろ最近「ニセ科学」とはてなでは喝破されているような本が売れて=日本社会では効用が高くて、何らかの「人間的幸福」に事実として寄与しているように見えるのですが、そのあたりについてはいかがでしょうか?楽して痩せられるとか、音楽を聴かせるだけで簡単に作物や醸造製品の品質が良くなるといった言説のことだろうか。だとすると、「ステキに欺されている間は幸せ」としか言いようがない。マルチの被害者だって、欺されている間は、「この製品を売れば、社会にも貢献できる上、儲けもどんどん増える」というバラ色の未来を信じているものだ。自分がカモであり、負債しか残らないことに気付くまでの間は。 「人間的幸福」が持続するタイムスケールを考慮すべきだろう。まあ、一生欺されたままで幸せならいいという人には、かける言葉が見つからないが。
それに対して、ニセ科学批判は「科学的正しさ」こそが真・善・美であるっ!と主張しているのはわかるのですが、「だからそれで幸せになれるの?」ってところが見えないのがなんかちょっと、という違和感があるのです。科学的正しさを、「真・善・美」と結びつけている人を見かけたことはない。また、「真」「善」「美」は全く別の概念であり、価値判断の基準であるので、ひとくくりにするのは間違いだろう。科学的正しさが結びつくとしたら「真」だけで、道徳的な意味での「善」も、芸術的な意味での「美」も無関係である。また、「善」と「美」が無関係だからこそ、道徳では、「人を見かけで判断するな」と教えている。
posted at 2008/08/07 19:28:27
lastupdate at 2008/08/07 19:30:53
>江本勝氏こそ、「真・善・美」をひとくくりにして、かつ科学的に正しいといっているような気がします。
私のイメージだと、真・善・美はそれぞれ、x、y、z軸なんですよねぇ。直交座標系の。
それぞれ独立の基準というかモノサシだから、一緒にまとめてはまずいというか。
真・善・美はどれもおっしゃるとおり「価値判断の基準」ですよね。だからとりあえずその価値判断がどこによって立つのか示さないと(おれの価値観だ、程度でも)意味がない。
で、科学的価値観で見て科学的正しさが価値判断の基準になるのは当たり前で、それ以上の意味合いでの「真・善・美」なんてそもそも計れるわけがなくて。bontaさんのおっしゃるとおりそこで「計れる」と云ってしまえば、それはまさしくニセ科学ですよねぇ。















身近でわかりやすい例をあげていただき、実感できます。
仮に過去の人類が皆「科学的態度を訓練して身につける」ということを一切してこなかったとしたら今のわれわれの生活はどうなっていたのでしょうかね。 いや人類はいま居なかったりして。
どうもあちらサイドの方(例えば、水伝の人 怪しげな代替医療の人、その他)は、過去からの非常に多くの科学の成果物の上に載っていま自分が生きていられる、ということを
すっかりお忘れのようで。
>科学的正しさを、「真・善・美」と結びつけている人を見かけたことはない。
科学的態度を身につけている人で、いやそうでなくても、普通の常識がある人でそのようなことを主張する人は見たことないですね。
江本勝氏こそ、「真・善・美」をひとくくりにして、かつ科学的に正しいといっているような気がします。