第1章:研究の動機って一体?

 軽部研究室では、月に2回の研究報告会と、毎週1回の論文読みのゼミが行われていた。研究報告会では、自分の研究の現状とこれからの予定をA4の紙1枚にまとめて、教授やスタッフの前で発表し、議論をする。学生、院生、研究生などを半分に分けて、交互に発表するので、発表は月に1回ということになる。確か最初は土曜日の午前中にやっていたはずである。それでも、結構な人数が発表するので、発表とディスカッションを含めて一人当たりの時間は、平均すると10分から15分程度であった。これが唯一教授の前で仕事を報告する場所だった。私は、千葉大学で卒業研究をし、修士はお茶の水女子大で過ごしたが、いずれも先生が一人に学生が3人から5人という小さな研究室で、わざわざ改まって報告会などする必要もなかったので、規模が大きくなるとこういうことになるのかと驚いていた。

 すでに自分のテーマで走っている人たちは経過報告だが、私はすぐには動けないので、最初は、こんなことを調べましたとか、センサーの作り方をここまで習得しましたといった内容を発表した。

 私に与えられたテーマは、ラット小脳での長期抑圧と神経伝達物質であるグルタミン酸の放出量の関係を調べるというものであった。
 脳の中でpre-シナプス側を一発だけ電気刺激して、post-シナプス側で細胞膜電位を観測すると、ある一定の応答が得られる。次にpre-シナプス側を連続的に電気刺激する。このあと少し間を置いて、pre-シナプス側を一発だけ電気刺激して、post-シナプス側の電位を観測すると、応答が最初に比べて増加あるいは減少し、それが持続することが知られている。増加するのを長期増強、減少するのを長期抑圧といい、前者は海馬で、後者は小脳でみられる記憶現象である。シナプス間の信号伝達は、神経伝達物質で行われており、このような記憶が、pre-シナプス側がpost-シナプス側のどちら側の変化によるものかを調べることは、記憶のメカニズムの解明に重要である。そこで、針型の酵素センサーを使って、長期記憶の前後で放出されてくる伝達物質の量に違いがあるかどうかを調べることになった。
 このテーマは、私と入れ替わりに卒業した修士の学生が手がけていたもので、8ミクロン径のカーボンファイバーの先端に白金メッキをして、酵素膜を固定化したセンサーで、一応の結果が得られていた。小脳サンプルは、理研の思考ネットワーク研究グループで用意してもらい、センサーを小脳スライス上に置いて、高カリウムリンゲル液や電極による電気刺激などを加えて、刺激に応じたセンサー出力を得るところまで進んでいるという話だった。

 私に脳の研究を勧めた軽部教授は、
「ウチの研究室で唯一ノーベル賞をとれるテーマだ」
と盛んに強調していた。半ば本気、半ばは私を励ますために言ったのだろう。しかし、私は理学部で過ごしてきていて、研究とは好奇心でやるもので賞や名誉のためにやるのはむしろ邪道だと思っていたので、実は励ましになっていなかった。さらに、
「お前の仕事は、センサーを生きたラットの脳に埋め込んでテレメトリーで測定すればいいんだ」
とも言われた。これにはかなり抵抗を感じた。なぜなら、私は、博士課程の仕事はテーマを選ぶところから始まり、選び方にも進め方にもオリジナリティが必要だと考えていたからで、そこまで前任者の仕事でレールが引かれているなら、今更博士のテーマにする必要なんかないんじゃないかと思ったのだ。軽部教授自身も「研究には独創性が必要だ」と常々語っていた。確かに研究テーマそのものには独創性があるかもしれない。でも、それは、私のアイデアじゃない。テーマと実行する内容まで決められてしまっては、「私自身の独創性」は一体どこにあるというのだ?私は、自分自身の独創性を発揮する機会もないまま学位を取るのか?私だって、研究者として、自分の研究の進む道くらい自分で切り開くというプライドも覚悟も持っているつもりだ。

 そんなわけで、変なところに来てしまったと思いつつ、独創性についての矛盾を感じながら、ともかく実験を開始したのだった。

 この「自分のアイデアではない」という認識は、研究テーマが画期的だと励まされるたびに私自身が自分の仕事に対して疎外感を感じるという形で、その後もずっと悩みの種になったのだ。


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Y.Amo /
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