第10章:軽部研の移転

 2002年3月末を持って、軽部教授が東大を退職し、東京工科大に移動したため、東大先端研の軽部研究室は解散した。東大が教官の定年延長を決めたときに、先端研の先生達は反対していた。軽部教授はその主張の通りに、定年になる前に率先して東大を辞めて私立大学に移動したとのことだった。

 2002年の3月の最初に、「軽部教授のご発展を祝う会」というのがあって、私のところにも案内が来たのだが、勤務先の阪大VBLの最重要な行事である研究発表会の前日で、準備に追われていて参加できなかった。

 さて、私はいろいろあった後、2年半ほど大阪大学で研究をすることになったのだが、阪大VBLの班員(運営に携わる教授)の一人である柳田教授のところの院生が、マイクロ波化学をテーマとした研究を進めていることがわかった。たまたま、助教授の和田先生から情報が伝えられて、いろいろ話をした結果、私が以前にやっていたTDR法による誘電緩和測定の応用分野になりそうだということになって、測定面で協力することになった。

 そうなると、測定装置を阪大で動かす方が都合がよい。軽部研には、私が学位を取るときに買ってもらったTDRの装置があるはずだし、おそらく誰も使っていないから、頼めば貸してもらえるのではないかと考えた。それで、柳田教授にその旨話をしたところ、軽部教授とは知り合いだということで、直接電話で軽部教授に頼んでもらってOKの返事をもらった。あとは現場で手配してくれ、ということになり、装置を探して置いてほしいという連絡をした。

 研究所内でも軽部研は度々引っ越している。人の入れ替わりも激しいから、装置やマニュアルなどの付属品は、どれとどれが対応しているのか、使っていた人がいなくなるとわからなくなってしまうことが多い。最初の引っ越しの直前に、私は、わざわざ軽部研まで行って使っていたTDRの装置関係を全部まとめてラベルを貼って、混乱しないようにしておいた。

 だから、多分すぐに装置が発見されるだろうと思ったのだが、「探して出てきたのはダンボール箱1つだけで、肝心の本体のオシロスコープが見つからない」という返事が返ってきた。それで、私が見ればどんな装置かわかるから、ということで、撤収作業の最中だったが見に行くことにした。

 行ってみたら、筑波に発送する分析器の荷造りが終わった直後だった。最近作った装置のリストがあるということで、「軽部研の現在の装置リスト」「昨年12月に返納した装置リスト」「今回筑波に運ぶ装置リスト」の3種類を見せてもらった。ところがどれを見ても、目当ての装置はない。所内数カ所にまたがって部屋があるので、一応全部確認したがそれもない。

 オシロスコープとはいっても高周波のデジタイジングオシロなので、普通のオシロの2回りほど大きいから、見失うサイズではない。

 最後に、まさかと思いつつも、先端研の事務に連絡を入れてもらい、過去の返納の書類ファイルを見せてもらった。事務の担当者には「どうしても必用な装置で、後継機種が出てはいるが、最初の機種が測定器としての安定性に優れているので探している。今のところ見あたらないが、阪大の先生も非常に期待している装置なので、どうなったのかどうしても確認したい」と頼んで見せてもらった。備品番号がわかればデータベースで検索できて詳細がわかるのだが、さすがにそんな番号を覚えていないので、先端研全体の返納の書類を順番に探した。

 そうしたら、1年以上前の返納の書類の中にそれらしいものがあった。手書きの書類に書かれた備品番号で、データベースを検索してもらい、メーカーと型番から、探していたデジタイジングオシロに間違いないことがわかった。つまり、1年以上前に返納され、回収業者に引き取られたということだ。あきらめきれずに回収業者に電話してみたが、とっくの昔にスクラップにされた後だった。

 購入したのは平成6年である。まだ10年も経っていない。償却期間も過ぎていないし、保存状態にもよるが、完璧に動作したはずだ。手書きの書類には、「古くなって修理ができない」といった意味のことが書いてあったが、とんでもない話である。買った当初のセットの値段が340万円、うちデジタイジングオシロ単体の値段が280万円ほどだったと記憶している。

 正直、非常にショックだった。まともな管理をしてくれることを期待して、引っ越し直前にわざわざ出かけていってラベルを貼って整理をしたのに、それが全く活かされなかった。しかも、捨てたということを、軽部教授も、装置探しを手伝ってくれた矢野さんも把握していなかった。一体誰が廃棄作業をやったのだろう。こんなことなら、どうせ誰も使いそうになかったわけだし、何か理由をつけてお茶大にでも借り出しておけばよかった。

 TDRの測定装置を買うための340万円は、普通の研究室ではなかなか都合がつかない。冨永研究室でも、同じ装置を買うための予算をもらうまでに何回か科研費の書類を出して落とされている。その間、装置がないと仕事が進まないから、民間企業が買った装置を貸してもらったりして、何とかしのいでいた。私の共同研究者の安中さん@千葉大も、同じ装置(但し後継機種)を買うために何度か予算を申請しては却下されている。また、同じ型の装置を研究室の主力の測定器として使って成果を出している研究室もある。こういう状態だから、捨てずに必用とするところに譲ってくれていれば、どれだけ研究が進んで喜ばれたことだろう。それにその方が税金で買ったものの有効利用になったはずだ。

 装置を引き取りに行ったときに、昔の知り合いの留学生の人に会ったのだが、軽部研の廃棄のやりかたを見て「非常にもったいない」と憤慨していた。「必用なものを研究室で見つけてたら自分のポケットに入れないと無くなって結局使えない」とも言っていた。「ポケットに入れる」はまあ冗談としても、利用可能で必用なものが正規の手続きを踏んで無くなることは事実だった。大学はどこも予算が無いのが普通だから、旧帝大などにある研究室が解散したり移動したりで大規模な返納があるときは、とりあえず近場や関連の研究室に必用なものがあったら取りに来るように連絡し、使えるものは使える場所で使ってもらうようにして、もう本当にどうしようもないものだけを実際に捨てることが多い。しかし軽部研は予算が潤沢にあって、そういう苦労をあまり実感していないのか、どこかに譲るという手間をかけずに本当にスクラップにしてしまうのが常らしい。

 ともかく、もうどうやっても手遅れなので、段ボール箱にまとめておいたサンプリングヘッドを、予備部品として引き取ってきた。さらに、LCRメータ(これは移管手続をした)と古いポテンショガルバノスタット(おそらく,返納手続をとった後のため備品番号がないので、捨ててあったのを拾ったことになる)を譲ってもらった。LCRメータについては、マニュアルや付属品を探し出してくれたので、完全なセットが手に入った。測定範囲は20Hzから1MHzなので、TDRの500kHzから10GHzと合わせると、広帯域測定が可能になるから、これまで対象としていなかった試料の測定もできるようになる。ポテンショガルバノスタットは、測定以外に簡単なメッキをするのにも使える。ありがたく使わせていただくことにする。ついでに、机の上に置く本棚も、研究室を引き払うので捨てるということだったので、いくつかもらってきて、現在冨永研の学生達が快適に利用している。阪大の柳田先生には、状況をありのまま報告した。

 いろいろ譲ってもらって言うのもなんだが、税金で買った物品の管理なんだから、もうちょっと考えて、有効に使うようにしてほしいものだ。管理できる人間の人数と能力を上回る物品がある、という面も確かにあったわけだけど。


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