3.マイクロ波分光

 マイクロ波とは、電磁波のうちで波長が 1 m (300 MHz)から1 mm(30 GHz)のものをいう。高周波側に範囲を広げて、サブミリ波も含めてマイクロ波とよぶこともある。

 試料に周波数を変化させながらマイクロ波を入射すると、可視光や紫外線の場合と同様にある周波数で吸収が起きる。この吸収は、試料中の電気双極子の回転によって起こる。もし、試料中に電気双極子を持った分子や分子の一部が存在するなら、マイクロ波の吸収スペクトルを測定することでその分子の回転運動を調べることができる。マイクロ波の吸収スペクトルは、試料の複素誘電率のスペクトルの虚部になる。吸収のピークの大きさは電気双極子の大きさに対応し、吸収スペクトルの位置が回転運動の特徴的な時間に対応する。

 マイクロ波領域の分光は希薄な気相を数10 GHz以上の領域で測定するものと、溶液や固体を対象として数10 GHz以下で測定するものがある。

 希薄気体では、分子はほとんど自由に回転運動しており、その各回転のエネルギー準位に対応した鋭いピークが多数観測される。一方、液体や固体では、分子の作る双極子は周りの環境と強く相互作用しているので自由に回転運動することができない。双極子は加えられた電磁波の方向をそれなりに向こうとするが、すぐに熱運動で方向が変わってしまう。従って回転運動そのものだけでなく、回転運動のエネルギーが周囲に散逸していく過程も含めて見ていることになる。このときの吸収のピークはなだらかに拡がったものになる。

 マイクロ波・ミリ波領域の測定する周波数領域によって、装置やサンプルの取り付け方が全く異なる。10 GHzまでは、電磁場の解析が容易である理由からプローブに開放端同軸型のセルを用い、ネットワークアナライザを中心とした測定系が組まれることが多く、周波数を掃引することで試料の複素誘電率のスペクトル(誘電緩和スペクトル)を得る実験が行われている。TDR法の場合は、非常に立ち上がりの速いステップパルスを印加し、反射波形のフーリエ変換から試料の複素誘電率を計算する。数10 GHz以上では同軸ケーブルではなく導波管を用いる必要がある。誘電率の計算のためには、電磁波が試料に入射するときの境界条件をきちんと決めなければならず、波長が短くなるとその分だけ精密な加工が必要とされる。THz領域の測定では、損失が大きくなって導波管は使えないので、可視光と同様に自由空間を伝搬させて実験を行う。最近は時間領域のTHz分光法の研究が進んでいる。また、超伝導を利用して損失を減らしてTHz領域で高速動作するデバイスの開発も行われているが、電力が得られない上に常伝導の部分と接続するとそこで損失が生じるので、分光実験に使うのはちょっと難しそうである。

 マイクロ波の吸収スペクトルと、分子の回転運動は以下のような関係にある。分子の双極子モーメントをMとするとき、その自己相関関数Pは次のように書ける[2]。

eq1

自己相関関数は、このようなMを含む試料の複素誘電率と次の関係にある。

eq2

 ここで、ε*は複素誘電率、εは静的誘電率、Lはラプラス変換である。一方、試料にステップ的に変化する電圧を印加したときの電気変位の応答をfdとすると、ε*の実部ε'と虚部ε"に対して次が成り立つ。

eq3-4

分極の応答をfpとすると、これは次のようになる。

eq5

 従って、分子の持つ電気双極子をプローブとした測定を行うには試料に広い周波数にわたる電位を印加し、そのときの応答を測定し、複素誘電率のスペクトルを求めればよい。電気双極子は個々の分子が作っている場合もあるし、分子の集団が作っている場合もあるし、高分子の一部分の場合もある。

 構造情報が得られないのでマイクロ波分光の結果だけから、分子の形について推測することはできない。得られたデータを定性的に解釈するためには最低限対象となる分子の立体構造と変形の可能性がわかっていなければならない。定量的な評価は他の分光測定やシミュレーションの結果もふまえて行う必要がある。マイクロ波分光は分子の立体構造がX線やNMRで決定された後に行うべき測定である。

 特に1 MHz〜10 GHzでは、手軽に複素誘電率のスペクトルを得ることができるので、様々な測定がなされてきた。

 固体の測定については文献[3]にまとめられている。液体や溶液の測定では、オクタノールやヘプタン[4,5]、グリセロール[6]、塩化リチウム水溶液[7]、液晶の相転移[8,9,10]、エマルジョン[11,12]などがある。種々の液体についての比較もなされた[13]。水とアルコール類およびその混合物はよく調べられている[14]。このような比較的低分子量の極性物質に対して、分子の持つ電気双極子をプローブとした測定が可能である。もちろん水分子は大きな電気双極子を持つので測定が可能であるが、分子量が小さいので回転運動が速く、10 GHzまでの測定では吸収スペクトルの低周波数側の裾野が見えるだけである。しかし数百MHzにおいてタンパク質などに結合した水による吸収を測定できるという特徴がある。高分子の結合水は高分子に束縛されてその動きが遅くなっているので、自由水よりも低い周波数で吸収のピークを示す。

 マイクロ波分光が生体の測定に応用された例としては以下のようなものがある。電磁波の人体に及ぼす影響を評価するために、腕や足や胴体などの体の各部分がどのように電磁波を吸収するかが調べられた[15,16]。組織による誘電率の違いと電磁波の吸収の違いもまとめられていて[17]、組織中での水、タンパク質、膜と電磁波との相互作用も測定された[18]。血液と骨格筋に対する測定は電磁波の影響の評価以外に温熱療法を行うための基礎データを集めるという興味からも行われた[19,20,21,22]。また、犬の脳を直接測定し、誘電率の局所的な違いと死後の変化を2450 MHzで求めた例がある[23]。2450 MHzは電子レンジで用いられているマイクロ波の周波数である。

 生体関連物質の測定では次のようなものが行われている。構造を作る生体分子としては、リン脂質[24]、コラーゲン[25]の測定がなされている。DNAは室温での測定がまず行われ[26]、DNAの水和水の測定[27,28]、続いて水分量を変化させたときのDNAのA、B、Z、型のコンホメーション転移に伴う誘電スペクトルの変化の測定がなされた[29]。種々の球状タンパク質の測定を行いその分子量の違いによって誘電緩和スペクトルの成分を整理し、タンパク質1分子あたりに水和している水分子の数を推定するという興味深い研究もある[30]

 ヘモグロビンの場合、1 MHz〜10 MHzの範囲の測定では酸素が結合したときと二酸化炭素が結合したときで誘電緩和スペクトルに差がないことがわかった[31]。タンパク質およびその水和水の誘電緩和の温度依存性はヘモグロビン、カゼイン、コラーゲン、アルブミンで測定がなされている[32]

 水に関連した測定は、文献[33]によくまとめられている。高分子関係では、[34]が詳しい。最近のガラスに関連した測定は[35]に載っている。


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