電子レンジで加熱できるわけ

 電子レンジの加熱の原理の説明では、「マイクロ波が分子を振動させるため、分子摩擦によって加熱される」といった説明があちこちでなされている。asahi.comの「ののちゃんのDo科学」でも、

マイクロ波には水分子を激(はげ)しくふるわせる性質(せいしつ)があり、水分を含(ふく)む食品に当てると食品中の分子どうしがぶつかってまさつ熱を出して熱くなるの。
<中略>
(2)氷だけを入れた湯飲みと氷と水を入れた湯飲みを電子レンジにかけてみよう。氷をつくる水の分子は振動(しんどう)しにくいことがわかるよ。

と書かれている。限られた行数で簡単に説明しようとすると、途中をうんと簡略にしてこのような説明になるのは仕方がないことかもしれない。ただ、ネット上で見かける加熱の説明も似たり寄ったりで、説明を読んで逆に混乱する人もいるようなので、もう少し詳しい説明をしておく。

 1個の水分子を考える。水分子は極性分子であり、酸素側がマイナス、水素側がプラスの電荷を持っている。これを、ちょっと専門的な用語で、水分子は電気双極子(あるいは、電気双極子モーメント)を持つ、という。

 外から電磁波を与えれば、時間的に変動する電場と水分子の電気双極子が直接相互作用するのでは、と考えたくなるかもしれないが、実はそう考えてしまうとわけがわからなくなる。

 振動について考えておく。

 電子レンジの加熱周波数は、日本では2.45 GHzである。水分子の分子内振動は、OH伸縮振動、逆対象伸縮振動、変角振動などがあるが、いずれも赤外線の周波数のところにあり、マイクロ波よりは3〜4桁ほど高い。水素結合を介した分子間振動はTHz領域にあるが、それでもマイクロ波より2桁高い周波数のところである。従って、電子レンジで使われている電磁波が水分子の分子内振動や分子間振動に直接エネルギーを与えることはない。

 液体では、水分子はお互いに水素結合している。水素結合は、10のマイナス12乗秒程度の短い時間でできたり壊れたりしているが、それぞれの水分子はそれなりに隣とつながっているので、そうそう自由に回転したり振動したりはできない(ここでいう回転は分子全体が回る運動、振動は分子全体がある場所を中心にして行ったり来たりするような運動のことで、分子内振動とは別のものである)。分子はお互い押し合いへし合いしながら場所を移り変わる、というイメージの方が近い。

 次に、電場をかけたらどうなるかを考える。

 時間的に変化しない電場(静電場)Eを与えると、その電場を打ち消す方向に水分子が何となく動きながらずれる。水分子は、片方がプラス、もう一方がマイナスの電荷を持っているので、Eを打ち消すように正負の電荷が動けばよいのだが、液体で分子自体が動き回っているので、きれいに整列することはない。動き回りながら、打ち消す方向を向く確率が増える、と考えてほしい。その結果、電気分極Pがあらわれる。電気分極Pは、多数の水分子が共同して出しているものだから、個々の水分子が揺らげば、大きさや方向が変わる。

 時間的に変化する電場をかけたらどうなるか。

 電場の変化が、分子達の動きに比べてうんと遅ければ、Pを作っている分子達の動きは、電場の変化に完全についていくことができる。このとき、分極Pは電場の変化に全く遅れずについていく。遅れない場合は、熱は発生しない。
 電場の変化が、分子達の動きに比べてずっと速ければ、分子達は電場の動きに全くついていくことができない。このとき、Pは電場の変化によって変わらないので、熱は発生しない。
 ほどよい速度で電場が変動する場合(これがマイクロ波に相当する)、電場の変動に少し遅れて分子達がついていくことができる。このとき、外場Eに対してPが遅れることになり、遅れた分だけエネルギーの散逸が起きて、最終的には熱になる。

 外から加えた力に対して変化が遅れるということは、何らかの抵抗力が働いているということでもある。このとき、エネルギーの散逸がおき、最終的には熱になる。分子摩擦というのは、このあたりから出てきた考え方なのだろう。

 マイクロ波の周期程度の時間スケールでは、個々の水分子の全体の運動は振動ではなくて、並進運動と回転運動をしているだけで、どちらの運動も拡散的である。つまり、復元力が働かないから振動にはならない。
  分子達が作る分極Pは、マイクロ波では、外場の変動に対して遅れてついて行く。マイクロ波の電場は振動しているので、Pは強制的に振動させられることになる。ここで注意しなければいけないことは、Pが振動しようとすることと、分子が振動しようとすることは別物だということである。分子の位置のずれや方向の変化でPが出てくるので、Pが振動しても分子が振動しているとは限らない。分子達の動きにそこそこの共同性は必要だが、例えば1回目にPが上に向くときの分子達のそれぞれの運動と、下に向いてもう一回上に向くときの分子達の運動は、別のものになる。1回目にある水分子が上を向いたからといって、2回目に同じ分子がまた上を向くとは限らない。2回目は全く違った組み合わせの分子が違う運動をしてうまく帳尻を合わせていたりする。それでも、Pの運動は同じになる。

 マイクロ波の電場と相互作用する直接の相手は、水分子が集団で作る分極Pであり、個々の水分子ではない。Pとの相互作用を通して、個々の水分子が影響を受ける、と思った方が理解しやすい。

 また、分子を揺さぶるとか分子摩擦で熱が発生する、といった書き方をしてしまうと、分子が揺さぶられた時点で既に温度が高くなっているのではないか?と考えたくなる。分子の運動が激しくなった時点で温度は高い、というのはその通りである。ここで、さらに細かく時間変化を追っていくと、エネルギーの散逸にも有限の時間がかかることが見えてくる。
  例えば、赤外線を使って本当に水分子の分子内振動を励起した場合、振動の量子準位がまず瞬間的に上がる(上がったものの割合が増える)が、そのときは、まだ分子全体の並進や回転運動に変化はない。振動準位が基底状態に落ちて、エネルギーを他の自由度に与えて……最終的には並進や回転にも分配され、全体として運動が激しくなり、温度上昇として検出される。
 マイクロ波の領域では、分極Pを作るような水分子の運動は、量子準位を考えられるような回転をしているわけではない。だから、このあたりの説明が古典論&連続体近似(分子1個で考えるのではなく、まとまりとしての分極Pを考え、個別の水分子は登場しない)になってしまう。分極Pの変化の遅れを通してエネルギー散逸が起きる場合、励起状態→基底状態→エネルギー散逸と分配、という順番を考えようにも、励起即散逸のようなことになっていそうで、各段階を区別すして考えるのは難しい。

 なお、氷が直接電子レンジで加熱できないのは、氷の結晶構造をとって動きにくくなった水分子達にとって、2.45 GHzで変化する電場は速すぎるからである。もっと低い周波数の電磁波、つまりゆっくりとした電場の変動であれば、氷を加熱することができる。ただし、加熱して0℃になると氷は融けて水になる。氷用の電磁波は水にとっては遅すぎるので、氷用電磁波でいくらがんばっても0℃以上には加熱できない。

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