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「TOSSランド」(教育技術法則化運動)へのコメント(2003/02/03)

【注意】このページの内容は商品の説明ではありません。商品説明中に出てくる水の科学の話について、水・液体の研究者の立場から議論しているものです。製品説明は、議論の最後にある、販売会社のページを見てください。

 TOSSとは,教育技術法則化運動(Teacher's Organization of Skill Sharing)の略で,「全国の多くの教師が、授業%教育にすぐに役立つ教育技術・指導法を開発し、集め、互いに追試し,検討しあって、自らの授業の技術を高め、集められた教育技術・指導法自体もよりよいものに発展させようと努力しています。 」というものだそうだ。

 私は教師ではないし,こういう運動があることを最近まで知らなかったのだが,TOSSインターネットランドを見て,かなり問題がある内容が一部に含まれていることがわかったので,このままでは誤解が広まりかねないから,批判をしておくことにした。

 問題がある内容とは,具体的には以下のものである。トップページのカテゴリ「B.総合・教科外学習」の,「1.総合的学習」の「ライフスキル教育」より,

同じく,「2.教科外指導」の「道徳・生活指導」より,

である。TOSSランドを見た別の先生が追試と称して同じ内容の授業を行い,報告をアップしているらしいので,これからも増える可能性がある。

 共通しているのは,「水からの伝言」(江本勝著,波動教育社)の,水の結晶写真を題材にしている点である。

 実は,「水からの伝言」の内容には,科学的根拠がまったくない。写真はきれいなので,見るだけなら楽しめるが。本には,水をいれた瓶に「ばかやろう」「ありがとう」などと書いたラベルを貼って,その水を採りだして結晶を作ると,ばかやろうと書いた水の結晶は6角形樹枝状にならないが,ありがとうと書いた方はきれいな樹枝状結晶になる,といった話が出ている。たまたまそういうことが起きたとしても,再現性はないし,水が日本語を理解するはずがない。水が人間の気持ちを察するというのは,ただのオカルト話でしかない。

 TOSSランドに登録されたウェブページからわかる話の流れはこんな具合だ。まず,生徒に水の結晶写真を見せる。一方はきれいな樹枝状のもの,もう一方はそうではないものです。同じ水から凍らせたのに形が違うのだと説明して,何が違うのか生徒に訊いて議論させる。そのあと,きれいな結晶の方は「ありがとう」というラベルを貼って一晩おいたもので,汚い結晶の方は「ばかやろう」というラベルを貼ったものだという種明かしをする。その次に,人体の70%以上が水であることを説明し,言葉は水に影響を与えるものだから,当然人体にも影響を与える,という話に持っていく。最後に,「ありがとう」といった種類の,いい言葉を使いましょう,と締めくくる。

 水が言葉によって影響されるという話は,科学的にもデタラメだし,それだけではなく,この話をたとえとして使って道徳の教育をすることにも非常に問題がある。

 「水からの伝言」のコンセプトは,実体のない「波動」や,人間の言葉を水が記憶するというもである。水に対して「ありがとう」という気持ちを持とうという話でとどまっているのであれば,環境教育や道徳のお話として容認できる。しかし,結晶写真まで示して水が人間の言葉や気持ちを理解するという話をするのは,もはやたとえ話の域を超えていて,ただのインチキである。

 冷蔵庫で氷を作ると,一部が透明で一部が空気を含んで白っぽくなった固まりができるが,6角形の樹枝状の形にはならない。温度を下げて液体の水が固体(氷)になったものは,樹枝状にはならない。水蒸気が直接固体になるという過程を経て結晶成長すると,条件によっては6角形の樹枝状の形がでる。もとの水に何が溶けていたとしても,それが水蒸気と一緒に蒸発して空気中に存在できない限り,樹枝状結晶ができるときには影響を及ぼさない。また,水分子以外のものが水蒸気に混じっていたとしても,たいていのものは,水の樹枝状結晶の中に入れないことがわかっている。このような理由で,水蒸気から成長した6角形の樹枝状結晶は,もとの水とは無関係である。「水からの伝言」の結晶写真は,シャーレの中に入れた水が凍って,その氷の表面に水蒸気から成長してきた結晶の写真をとったものである。

 雪の結晶も同様に水蒸気からできる。中谷宇吉郎は,飽和水蒸気圧と温度によってできる結晶の形が違うということを発見したので,雪の結晶にいろんな形があるという話は決着がついている。

 計算機実験で雪の樹枝状結晶を再現できるかというと,まだなかなか難しい。結晶になり始めのときの条件が偶然に左右されるし,ある程度結晶が大きくなってくると,水蒸気中の水分子がくっついて結晶に加わるときの速度と熱の移動や分布の違いによって,最終的にできる結晶の樹枝状の形が変わってくる。これについては,条件を変えて計算機で結晶の形を再現するという試みが行われていますが,なかなか解決していないらしい。結晶の形を決めるための小数のパラメータと規則を見つけだすというのは,今の科学でも大変そうだ。

 学校の先生が「水が人間の言葉や気持ちを理解して結晶の形を変える」などと生徒に向かって授業したら,中には,水が言葉や気持ちを理解すると本気で信じる生徒が出てきて,ゆくゆくは詐欺の被害者や加害者を増やす結果になる。実際,「水が情報を記憶する」という考え方が「水に健康な細胞の情報を記憶させることができる」に発展し,そのような波動を水にコピーするという装置を高額で売り付けるという悪徳商法が行われている。体調が悪かったり難病にかかっている人に対して怪しげな足裏診断をやって,「この装置で作った水を飲むと健康になれる」「難病に苦しんで、ワラをも束みたい人に、この商品を販売したい。健康な人には効果がない。」と言って商売をしている。この詐欺にあやうく騙されかかった方が私にメールで問いあわせてこられ,「水が情報を記憶することはない」とアドバイスして,どうにか解約・返品にこぎ着けたということもあった(その後,その方は,「悪徳商法被害の対処方法」というウェブサイトを作られた)。

 学校教育の目的の1つは,社会に出たときに,このような怪しい話を信じて騙されたり,人を騙したりすることを防ぐための基礎となる知識を身につけさせることではないのか。水が情報を記憶するといった誤った知識を生徒に植え付けることは,まともな科学知識を身につける上で害をもたらすだけだろう。原子・分子が新指導要領から抜かれてしまった現在では,生徒はさらに被害を受けるだろう。ただしい科学的知識を身につけるという点から,この内容を使って道徳教育をすることは適切ではない。たとえ,道徳と理科は別の科目であり,道徳では「たとえ話」が有効だとしても,限度というものがある。

 実際,「文字のもつエネルギー(プラス思考の授業) 」に掲載されている生徒の感想を見ると,

・結晶でさえ、プラス・マイナスがわかるのに、なんで世の中には、わからないで人を殺したりする人がいるのだろう。「やってみたかった」それだけの理由で、人を殺すのはよくないと思う。そういう人には絶対なりたくない。これからは、悪口に気をつけたい。
・結晶は、ちゃんといいことか?悪いことか?が判断できて、悪いことばかりしている人間よりすごく素晴らしい。つくづく悪いことはいけないと思う。悪い言葉の上でできた結晶はかわいそうだ。 一言、強く思ったこと。「結晶って素晴らしい!」
・バカとか言われるといやになるけど、字も悪口を書いたりしたら、汚い結晶ができたり、「ありがとう」などいいことを書くと、きれいな結晶などできて、水にもわかるのかな、と思った。
・今日の勉強で悪口が人の心をすごく傷つけていることや、良い言葉は人の心を明るく楽しくしていることがわかった。
・言葉だけではなく、字も悪いパワーがあるんだなと思う。水の結晶はすごくきれいだった。(すごくきたないのもあった) すごく不思議だった。
・言葉にも力があって、そういうので、水の結晶がきたなくなったり、きれいになったりするのは、すごいと思った。プラス思考は、すごいんだな一と思った。
・これからは、相手がうれしくなるような言葉を言いたいです。それと夏休みの自由研究で氷の結晶を作りたいです。
・今日、この授業をして、天使とかバカとかって書い た紙の上に水をたらして一晩凍らせたら、きたない結 晶とか、きれいな結晶ができたのでびっくりした。水とかにも、いいものと悪いものがわかるんだなあと思いました。

 と,本気で生徒が信じているようである。オカルトに走らせてどーするよ,おい!

 仮に,道徳教育の話に限定したとしても,「水からの伝言」の内容を使うのは不適切だ。道徳というのは,自分が他人や社会とかかわるときにうまくやっていくにはどうするか,というところから出てくるものだからだ。「ありがとう」という感謝の気持ちを持つというのも,現実の他人の存在を正面から認識してはじめてできることだ。ところが,「水からの伝言」の話で説明すると,他人に向かって「ありがとう」と言わなければならない理由はその言葉によって水の結晶がきれいになるからだ,ということになってしまう。他人とうまくやっていくためにはどういう気持ちでどういう言葉を使うのがよいかを考えるときに,水の結晶ができるかどうかを基準にするというのはおかしな話だ。本来,他人とうまくつき合うためには感謝の言葉を忘れずに,という気配りの話で閉じるべきものが,言葉が人体(の中の水)に影響を及ぼすから感謝の言葉を使わなければならない,という形で導入されてしまうと,そもそも道徳の教育になっていないのではないか。たとえ話を使って教えるにしても,もっと他の内容にした方がいい。

 ところで,道徳の授業では,普通,「人を見かけで判断するな」と教えているんじゃなかったっけ?氷の結晶がきれいであることと道徳が関係する,すなわち美しいものは善である,という価値観で道徳を語るなら,「美人=善」が自然に導き出されてしまう。道徳の内容として重大問題ではないのか。

 さらに,水の結晶写真を理由として,「ありがとうと言おう」「いい言葉を使おう」という話をするのは,国語の教育という点からも問題がある。日本語にはいろんな言葉があるが,それを「いい言葉」「悪い言葉」に単純に分類するのは無理である。「水からの伝言」でやっていることは,水を入れた瓶に簡単な単語を書いたラベルを貼り付けるだけだが,こんな形で単語だけ取り出しても,その言葉の持つ意味や価値が決まるはずがない。言葉は文脈によっていろんな意味を持ち,生きてくるものである。使われ方によっては,辞書に載っている意味とは正反対の内容を持つことすらある。言葉の持つ意味の曖昧さや多様性を利用して文学的表現をすることもあるし,言葉の持つ意味を限定して正確に情報伝達をする論説や説明書などの実用的な文章をつくることもある。薄っぺらな主観で決めた「いい言葉」だけで意志疎通ができるはずがない。言葉に対してそういうレッテルを貼るというやり方は,日本語を殺してしまうものでしかない。言葉は,コミュニケーションをする相手のことを想像しながら選んで使うものであって,水の結晶の様子を見ながら使うものではない。

 以上の理由により,理科教育・道徳教育・国語教育の面から,「水からの伝言」の内容は学校で教えてはならないものである。

追記:
 TOSSランドの説明を見ると,

 

7. TOSSインターネットランドのコンテンツとしてのホームページには、審査が必要です。
(略)
8. それ以外でホームページをつくりたい方は、すべてTOSS中央事務局の審査が必要です。審査の条件は、次です。
I . 法則化またはTOSSについて理解し、支持されている方
II.多くの教師の授業にすぐに役に立つ内容

 

となっている。

 このTOSSランドに登録するにはTOSS中央事務局の審査が必要だ。ということは,TOSS中央事務局は,当ページでとりあげた,オカルトもどきの内容であっても審査を通す方針だということになる。まあ,内容にまで踏み込まずに形式的なところしかチェックしないことにしているために,内容そのものに問題があっても審査を通ってしまうのかもしれないが・・・・・。膨大な量なので,審査の手間が大変だろうとは思うが,審査基準を考えてはどうか。教える相手はまだ判断力が十分ではない小学生や中学生なのだから。

 TOSSランドの他のコンテンツには,現場の教師の工夫がいきているなあ,と思えるものがたくさんある。活動には敬意を表するが,それでもやはり「水からの伝言」をネタに授業をするのはいただけない。「多くの教師が授業ですぐに役立て」てくれたらもうたまりません,実際のところ。

【2005/08/04】
 追加の情報提供がありました。

先日、TOSS子どもデーというものに参加し
それなりに評価してますが
受けた授業に少々不満もあり
子どもの通っている小学校の教諭であり事務局もしておられる方に
メールを送ったところ、
水商売に紹介されている部分については

 関連ページの登録が削除、
 それ以降、登録に関しては厳重にチェックされている

とのことです。

 

【2006/01/09】
 その後、TOSSのページからは「水からの伝言」の内容は消えていないという情報があった。
 さらに、2005/12/15日号のAERAで「水からの伝言」が取り上げられた(当サイトでも情報を紹介)。
 さらに、阪大の菊地さんのblogへのコメントによると、mikoさんという方の次のような書き込みがあった:

 tossの道徳実践授業「水からの伝言」が今日一斉に消されています。昨日まではサイトにあったのですが。tossの事務局の方で何か通達があったとしか思われません。11時現在4つだけ残っていますが後は全部削除されています。tossの内部でも問題になったようです。やはり朝日新聞の力が大きかったようです。

 

 つまり、TOSSは「関連ページの登録を削除、それ以降登録については厳重にチェック」と言っておきながら関連ページを放置し、AERAや朝日新聞で批判的に取り上げられると、今度はこっそり消して無かったことにする、という態度をとっているということである。今のところ、削除理由について公式の説明は見あたらない。今後、TOSSから、「なぜ削除したのか」「これまで削除しなかった理由」「今後の実践例登録の審査基準」について、どういう説明があるのか、それとも知らんぷりをするのか、見守っていきたい。

いずれにしても、学校教育にオカルトを持ち込んだのがTOSSであるということは、覚えておくべきだろう。