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甲1号証

甲1号証(原告:松井氏提出書類)

本件訴訟は2007年3月に第一審判決が言い渡され、既に確定しています。このページは、ネット上の表現を巡る紛争の記録として、そのままの形で残しているものです。

 甲1号証として提出された、中西氏の雑感をテキストに起こしたもの。甲5号証の2で、メール中で引用されたものと同じだが、メールのものは改行位置が狂っていたり、ところどころ文字化けしていたりで、あまりに読みにくいのでこれを用意した。htmlの性質上、元の印刷物とはフォントやレイアウトが違っているため折り返し位置が異なるが、できるだけ原文に忠実に再現した。最初が、文章の途中から始まっているが、これは、甲号証副本がこの位置から始まっていたことによる。名誉毀損を問われているのは、まさにこの文書内の表現のはずだが……。


っきりさせることが、まず第1だと思う。

2)もう一つは、外洋の要因を考慮した上で、富栄養化対策である。富栄養化対策の一つとして、チッソやリンの排出規制がある。これも大事だが、急にはできないだろう。長期的な構えで、面的な対策と組み合わせることが必要だと思う。ここでも、何のために、どこまで環境を良くするかという議論が不可欠である。

3.水道水質基準に連動する環境基準値

当初、水道水質基準値=水環境基準値で出発した。しかも、これは「健康項目」全国一律基準となった。また、環境基準値の10倍が排水基準値とされた。これは、健康項目なので極めて厳しい基準値である。

その後、水道水質基準値の改正が進むたびに、自動的に健康項目が加えられ、排水基準が作られている。その中には、水道にとっては必要だが、水環境基準としては不必要、ましてや、排水基準など不必要で、自然起因の物質を規制しているだけというものもある。

しかし、規制される方の経済的な負担はひどい。その典型的な例がホウ素である。
何故?を考えない。ただ、自動的にやりたい、これが水環境行政の現状である。

4.亜鉛の環境基準値

これについても書きたかったが、どうにも時間が不足。又にします。新年早々すみません。


雑感286-2004.12.24「環境省のシンポジウムを終わって−リスクコミュニケーションにおける研究者の役割と責任−」

影響の大きさをできるだけ正確に伝えるのがまず第1に必要

(以下のやりとりは中西の記憶に頼っているので、間違いがあるかもしれない)

環境省主催「第7回 内分泌撹乱物質問題に関する国際シンポジウム」(12月15 〜17日、於:名古屋)の、第6セッション「リスクコミュニケーション」の座長とい う役を終わった。もっと、もめるかと思っていたが、特にもめるということもなかった。

私が、ここで強調したことは、環境ホルモン問題のリスクコミュニケーションの功罪 をきちんと整理すべき時に来ていること、環境省は是非、このことを1年以内にやっ て欲しいこと、第2に、リスクコミュニケーションにおける研究者(学者)のスタン スや責任をきちんと考えようということである。

しばしば、マスコミの責任が言われるし、当日、日垣隆さんは、もっぱらその話をし ていたが、学者(?)の関係しない報道は無いわけだから、また、常に、最初の情報 は学者から出ているので、学者は最も責任のある立場にあるとも言える。それを自覚 して欲しいし、わが国の環境ホルモン騒動でも学者の責任は大きい。

また、リスクコミュニケーションの議論では、学者は第三者みたいな立場で、研究し発表しているが、それが納得できない。自分で、危険を冒してリスク情報を出すべきではないか。自己の責任としてのリスクコミュニケーションについて、研究するという立場であってほしい。

環境ホルモンのような失敗を繰り返さないためには、環境学者は「危ない」と言うときに、その危なさは、大体どんな大きさなのか、その影響はいつ頃出てくると考えて いるかについて、まず、説明すべきだと思う。大まかでいいが、影響の大きさを推し 量りながら研究すべきで、こういう推測をする方法の科学は、研究者にとっては、共 通基礎科目みたいなものである。私は、冒頭このような問題提起をした。

誰が、影響の大きさを判断すべきか?

これに対して、パネリストの中からも異論が出た。吉川肇子さん(慶応大学)からは、それは定量的な数値として出せということか、という疑問が出された。

山形浩生さん(評論家・翻訳家)は、何らかの評価を出すことは必要だが、それは、 研究者本人では無理かもしれない、むしろ、経済学者などが判断するのでもいいではないかという意見を出した(例示あり)。数量で出すのか?という吉川さんの疑問に対し、山形さんは、結局最後は数字になっていると答えた。

フロアからも、そんなこと研究者が出来る筈がないという意見が幾人かから出された。これに対する私の考えはこうである(一部加える)。

吉川さんの質問については、山形さんの答えと同じで、最後は緊急度や重大さに応じて、研究費を配分し、または、施策にしていかねばならないので、最後は数字にな る。評価は定性的なものしか不可能と言ってみても、予算配分は数字になるのだから、その時点で定量的な重み付けが行われている。

研究者がその影響の大きさを分からないのであれば、研究者以外の人が重み付けをすることになるのだが、それでいいのだろうか?最後は議会とか他の専門家も入った委員会で決めるとしても、最初は、自分で重みを主張すべきではなかろうか?本当に、 研究者の意見も聞かず、第三者機関だけが判断するだけでいいのか、そこを考えるべきである。

もし、研究者自身が、どのくらい重要かの判断ができないのであれば、研究者がTVに出て"重大な問題です"ということは言うべきでない。新聞記者にも言うなと言いたい。自分は分からないのだから。

環境ホルモン問題では、企業も被害者と言っていい場面があった。その責任はとらなくていいのか?

一番明瞭なのは、カップラーメンのカップから環境ホルモンの一種スチレンダイマー とスチレントリマー(両者をスチレンと略す)が溶出するという問題であった。

この物質は、SPEED'98のリストに取りあげられ、そして、溶出するという報道で(こ の元は、横浜国大における中西の研究室に在籍していた助手による実験結果だが、本人は、そういう実験ではないと言っている)、不買運動まで起き、15%も売り上げが 落ちたという。多分、小さな企業ならつぶれていたであろう。最終的には、溶出もせ ず、ホルモン様活性もなく、SPEED'98のリストから外された。

水俣病のような事件で、企業の責任や国の責任を追及するのは当然である。それと同 じように、スチレンの場合は、このリストを作ることに荷担した学者や行政、不買運 動を呼びかけた市民運動などは、責任を感じて当然だろう。

金銭補償をするかどうかは別として、少なくとも悪かったと言う、なぜそうなったかを説明する、二度と同じ過ちを繰り返さないようにするにはどうすべきか考えるくらいは、当然だろう。なぜ、そう考えないのだろうか?

企業も被害者になる、被害者は国民で、加害者は企業というような固定した関係では ないと言ったら、会場の複数の女性達から、奇妙な声が発せられた。どうして自分た ちも間違うことがある、そして、迷惑かけたと考えられないのだろうか?

加害者と被害者の関係は、固定的なものではないということは、山形さんも述べていた。

如何に間違った情報が流されたか?

男性の精子数が、この50年間に半減しているというスキャケベク教授の報告は、大き な衝撃を与えたが、今ではこの論文のような結論は導き出せないことは、多くの人が 認めている。このことについては、日垣さんが大変丁寧な説明を行った。また、マダ イの雌化みたいな報道についても触れ、環境ホルモン問題でNHKが果たした役割(負の 役割)が大きかったことを述べた。

これについて、会場から「私たちの周囲には、子どもに異常があって、苦しんでいる 人が多い、みんな心配している、それなのに×××」という意見が出された。×××のところの言葉を、はっきりとは聞き取れなかったのだが、どうも、環境ホルモンの 影響がないというのか、というような意味だった様である。

私などは、こういう質問を聞くと、何を言っているのだろう、それが、環境ホルモン の影響でない可能性の方が大きいのに、と思うのだが、実は、質問者のような発想を する人が意外と多い。

私が、ダイオキシンのリスクは小さい、気長に少なくするしかないし、それで十分だ と言うと、「これほどキレる子がいるのにほっとくのですか?」とか、「最近障害を 持って生まれてくる子が多いのをどう思うのですか?」と聞かれる。

確か、日垣さんも言っていたが、もしキレるのがダイオキシンのせいなら、ダイオキ シンはどんどん減っているので、もう安心といえる。また、障害をもった子どもが多 くなっているという結果もない。なによりも、原因を決めつけることくらい対策から 遠い行為は無いのだが、どうして、こう決めつけるのだろうか?

最初の情報発信に気をつけよう

環境ホルモン問題では、最初に出された情報が皆の頭の中に染みつくと、そこから抜け出すことが如何に難しいかを教えてくれる。そして、この最初の情報は、学者が出 し、学者が増幅していることに注意を喚起したい。

今後は、ここに気をつけよう。

パネリストの一人として参加していた、京都大学工学系研究科教授の松井三郎さんが、新聞記事のスライドを見せて、「つぎはナノです」と言ったのには驚いた。要するに環境ホルモンは終わった、今度はナノ粒子の有害性を問題にしようという意味である。

スライドに出た記事が、何新聞の記事かは分からなかったし、見出しも、よく分から なかった(私の後ろにスクリーンがあり)ナノ粒子の有害性のような記事だったが、 詳しくは分からなかった(読みとれなかった)。

そのとき、私は最近外国で問題になっている、オーバーデルスターの論文の記事かと 思った。それは、ナノ粒子を含む水中にオオクチバスを入れると、48時間で脳の一部 と考えられている臭球に移行し、脳の脂質に酸化ストレスを与え、障害を引き起こす 可能性あり、また、このメカニズムはほ乳類にもあり、という論文が今年の3月に出て、問題になっている。

私は、たまたま二日ほど前に、その論文を読んだ。そして、注目すべきだが実験条件は整備されていないし、問題が多い論文だなと評価した。

その論文だと思ったのだが、帰宅して新聞記事検索をかけると、New York Timesなど には出てくるが、日本の一般紙には出ていない。したがって、別の論文の紹介のよう である。その内容がどういうものかは分からないのだが、いずれにしろ、こういう研 究結果を伝える時に、この原論文の問題点に触れてほしい。

学者が、他の人に伝える時、新聞の記事そのままではおかしい。新聞にこう書いてあ るが、自分はこう思うとか、新聞の通りだと思うとか、そういう情報発信こそすべき ではないか。情報の第一報は大きな影響を与える、専門家や学者は、その際、新聞や TVの記事ではなく、自分で読んで伝えてほしい。でなければ、専門家でない。

もう一つ気になることがある。それは、様々な大学が開いている市民講座、社会人講 座などでの講義の内容である。

講義の内容を時々目にするが、かなりの講師がその原論文を読んでいないことが分か る。つまり、新聞に出たり、××本に出たものを、そのまま持ってきて教材にしている。これは、どうみても専門家の責任を放棄しているとしか言いようがない。

学者は、その論文の内容を、教材に使う、講演の素材に使う、新聞やTVで使う、そ ういう時に、必ず論文を読むべきだ。非専門家に話す時には、必ずそうしてほしい。 それが、専門家として期待されていることだから。

その一歩を踏み間違えないこと、それがリスクコミュニケーションで最も重要なこと だと私は考える。

やや話題がずれるが、ナノテクについてのシンポジウムがあるのでお知らせする。私 も、少し話す。


情報:2月1日に、シンポジウム「ナノテクノロジーと社会」— 未来を切り拓くナノテクノロジーとその課題 —が開かれる。
http://www.aist.go.jp/aist_j/research/honkaku/symposium/nanotech_society/symposium.html


書評(18):渡辺宏「Webコンサルタントの森羅情報サービス」インターネット上の個人ページ

渡辺さんは、この文章の中で、私が日垣さんの文章に感謝しているのに対し、「天下のひねくれ者、日垣隆氏にほめられても素直に喜べるところがーーー」と書いています。日垣さんはひねくれ者ですかね?

それはともかく、素直で誠実そのものという感じの人は意外ともろいです。

私は、子どもの頃に、天国から地獄、地獄から天国みたいに浮沈の激しい生活をしたので、その激変に合わせて、人がどのように態度を変えるかを身をもって経験しました。それで、素直で誠実そうに見える人は、もろいものだと思うのです。

第二次世界大戦や日中戦争の過程で起きたことで、あれは権力者が悪い、庶民に責任なし、とかいう話がありますが、私はそういうことを信じないのです。庶民こそ問題と私は思うのです。弱い立場に立たされた者を最後に痛めつけるのは、そういう人ですから。

何も、する必要はないのですよ。それでも、石を投げたり、食べ物を取ったりする。政治家が悪いとよく人は言います。個々の政治家のことは知りませんが、実直に見える選挙民の方がどうみても悪い。そういう経験をしてきたということです。でも、私自身は、素直で実直そのものというタイプのような気がします。

http://www.kenji.ne.jp/2004/041212.html

書評(19):中澤港 群馬大学大学院医学系研究科社会環境医療学講座助教授

以前から、中澤さんは有能な人だなと思っていました。ここで、中澤さんが挙げている問題については、HPの中で折に触れ私の意見を書いていきたい。

http://phi.med.gunma-u.ac.jp/bookreview/kankyoriskgaku.html

書評一覧はこちらです。(http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/rashinban/)