0-3 宣伝文句やマスコミの主張のからくり

「大学・研究機関などで試験しました」「大学・研究機関などで使われています」

 大学や研究機関の権威を利用する典型的な方法である。最初からそこに所属する専門家に相談して共同研究を進めている場合は何の問題もないが、そうでない場合がある。浄水器や活水器の例だと、大学や研究機関に装置を持ち込む方法としては、研究者を通さずに事務の施設課を通すというのがある。一般に、建物の管理は施設課の仕事なので、メンテナンス用とか管理用の設備の設置には、施設課の了解が必要である。「無料にしておくから試してみてくれ」もあるだろうし、「効果があるので買ってほしい」と最初から売り込まれる場合もあるのだろう。ともかく、フレコミがどこまで正しいかという確認をしないで許可を出したり購入したりする施設課はそれなりにあるようで、研究者は全く知らない状態でいつの間にか装置が設置されてしまう。このときの宣伝文句は、「大学・研究機関で試験しています。使われています。」となる。確かに嘘ではない。ただ、試験しているのが当の業者で研究とは無関係だったり、使われているけど効果の確認が研究としてなされていなかったりする。何も知らずにこの文句だけ聞くと、いかにも大学や研究所で効果が認められお墨付きが出たかのように思ってしまうが、そんなことはないのだ。有名施設が採用しているからといって、信頼できるという理由にはならない。

 甚だしいのになると、試験的に設置して効果がなくて撤去されたにもかかわらず、宣伝文句では、その問題の効果があるかのような書きかたになっていたりする。大学の研究室に装置を持ち込んで試験を依頼してきたが、研究室で試験したら効果が全くなかったのでそのまま放置していたところ、「**大学**研究室で効果が確認された」という宣伝をされてしまったというケースもある。

 「試験を行っています」とあるのに、その研究機関が公表している受託研究・共同研究一覧を見ても、該当するものが見あたらないこともある。受託研究や共同研究の手続をとらず、施設課を口説いて設置した可能性を疑うべきだろう。

 もっと意図的な場合は、有名な研究所と非常に紛らわしい名前の会社を作ってそこで試験しておいて、いかにも本家の研究所で効果が確認されたかのような宣伝がなされることもある(最近、理化学研究所がこれを喰らったらしい)。有名な薬品会社と似たような名前の別会社で試験して・・・・というパターンもあった。

 この手の権威付けに利用されて逆に権威や評判を落としたくないのであれば、大学や研究機関の側で徹底的な情報公開をするのが有効である。つまり、本当に責任を持って試験をしているのはどのテーマか、ということを一般の誰にでもわかるようにしてしまうと、嘘がつけなくなるだろう。ついでに、試験を依頼されたが効果がなかった場合は、これこれの条件で試験した結果効果無し、とはっきり公表するべきだろう。広報にも、この手の名前の濫用から身を守るという視点が必要だ。こぎれいな大学案内・研究施設案内だけを宣伝しているのでは足りない状態になってきていると思う。

 いずれにしても、このような宣伝文句は要注意であり、必ず裏をとって、どういう状況で使われているのか、研究者がやっているのかどうかを確認する必要がある。また、直接研究者に裏をとるのは、勝手に名前を使われていた場合、早い段階で研究者がその事実を知ることができ、何らかの手を打てるので、研究者にとってもプラスになると思う。

「**研究室で効果を確認」「**教授監修」「研究機関の測定結果」

 上に述べたように、試験をして効果がないので放って置いたら、勝手に業者が「**研究室で効果を確認」と言い出した例がある。研究室の具体的な名前が出ているからまさか嘘ではないだろう、などと思っていると甘い。調べればわかる嘘でも、業者は平気でつくことがある。製品の購入を考えているのであれば、必ずその研究室に問いあわせて裏をとるべきだ。嘘であるとわかったなら、他の業者をあたった方がいい。勝手に大学の名前を利用するような業者はそもそも信用できないからだ。

 「効果を確認」の実験条件も、裏をとる必要がある。実験の細部まで研究者が責任を持って決めたのか?という点の確認である。あまり大声で主張したくないが、科学者を騙すのは簡単である。なぜなら、科学者の世界は「嘘をつかない」ということが前提で動いているからだ。ちょっとした手品の経験があれば、目の前でサンプルをすり替えて気付かれないということも可能だろう。それだけに、科学のコミュニティでは、偽造や捏造が発覚したときのペナルティは大きい。水関係で、「分析した結果違いがありました」という結果が出た場合は、元の試料のサンプリングの段階で研究者が責任を持ってやっていれば、それなりの信頼はあるだろう。業者がラベルを貼って持ち込んできた試料だと、由来がはっきりしないから、実験をやって結果が出たとしても、それ以上の意味を期待するのは危険である。ましてや、装置に効果があるという結論は出ないだろう。

 「証明」が、事実をねじ曲げていた例もある。活性水素の例だが、この場合は論文が出ていた。宣伝中で論文を引用し「存在が証明されました」とあったので、本当かと思って論文をとりよせて読んでみたら、活性水素は作業仮説として書かれていて、存在証明とはほど遠かった。これだけインターネットが発達して、いろんな方法で情報交換をして裏をとれる状況なのに、平気で論文の中身を曲げて宣伝に使っていた。本当のことがばれないとでも思っていたのか、まったくもって謎である。

 実際に私が遭遇してあきれた例は、宣伝中で「**教授監修」とあって、本人に連絡をとってみたら「監修した覚えはない。勝手に名前を使われて不愉快。厳重に抗議する。」という返事をもらったときだ。電気化学の反応式の一般的な部分に「**教授監修」と出ていたので、善意に解釈してその教科書的な部分だけでも監修したのかと思ったのだが、事実はそうでもなかったようだ。おそらく、この変形パターンとして、教科書的な部分だけ教わって「**教授監修」と書いて、残りの部分は業者が主張するトンデモ理論、というのがあり得る。やはり、直接裏をとるのが良いだろう。なお、本当に監修したのなら、監修した側が、どこどこの宣伝のこの部分は監修した、とウェブででも公表しておくとよい。それ以外の部分に責任を負うことはないし、勝手に名前を使われることも防げるだろう。

 「研究機関の測定結果」だが、水の分析でよくあるのは、NMRの線幅の測定をするというものである。宣伝内では、「**研究機関の測定結果」というタイトル付きでデータが出され、「水クラスターが小さくなった証拠」などと記載される。持ち込まれた研究機関の方は、特に相談されない限り「NMRの線幅と水クラスターは無関係」などと指摘しない。測定結果を何に使うかまでは詮索しないことが多いのではないだろうか。オーダーされた測定を実行して結果を返し、費用を払ってもらうだけだろう。測定場所にも測定した事実にも結果にも嘘はないが、実は測定内容と主張の間が無関係で、研究機関はそこまで面倒は見ていない、という例である。研究機関の名前に引きずられて、「この評価にはこの測定法が適切に違いない」などと思いこんではだめである。

「**に効いた」

 おなじみの体験談である。水や健康食品の体験談は、すべて無視しても差し支えない。体験談に書かれていることが事実であったとしても、効果があることの証拠にはならないからだ。病気や体の具合というのは、治療をして薬をのんでいるうちに良くなることもあるし、放って置いても自然治癒で良くなることもあるし、健康のことを気にしていろいろ気を付けるようになった結果良くなる場合もあるだろう。体の具合を気にしているときなら、健康にいいと言われることを、水でも健康法でもやってみることは多いだろう。そして、たまたま良くなる頃に「ナントカ水」「ナントカ健康法」をやっていれば、めでたく体験談のできあがりである。

 実際には、本当は何の効果で良くなったのかを確定させるのは難しいのだ。薬剤の場合だと、同じような患者を集めて投与する臨床試験を行って、効果を確認している。この場合は、片方の患者群に新薬、もう一方の患者群には効果のない偽薬あるいはこれまで使われてた薬を与えて、治療成績を判定する。患者の主観や医者の主観を排除するために、患者と医者の双方に誰がどの薬を使っているかわからないようにして試験をする、二重盲検という方法がとられることも多い。病は気から、の逆のプラセボ効果というのがあって、効果がないはずの薬でもその気でのむと良くなる場合があるので、主観を排除するのは大事なことなのだ。ここまでやって、統計的有意差がでて初めて、薬に効果があることがいえる。

 体験談がいっぱいある場合は、「では臨床試験をしてみようか」という理由にはなっても「効果がある」という根拠にはならない。人間の主観は容易にバイアスがかかったりしてひずむものだ。

「**は有害である」「**に害はない」「**が体にいい」

 発ガン性の試験などで出てくることが多いが、これも「リスクはどの程度か?」ということを考える必要がある。TVの健康番組がこの手の情報を流しているのだが、鵜呑みにするのは考え物である。動物実験で有害であることがわかったとしても、その結果が直ちにヒトに適用できるかというと、必ずしもそうではない。マウスやラットとヒトの体重の違いを考えると、同じ結果を出すには非現実的な量を食べないとだめだ、ってのはよくあることである。ヒトに対する疫学的調査であったとしても、古い結果が覆されることは良くあるので、いつの調査結果による話なのか?ということを念頭において情報を取り扱う必要がある。仮に有害であることが本当であっても、それがどの程度なのか、確認してから行動を決めるべきだろう。たとえば、1千万人に1人の割合で被害が出る、ということに振り回される位なら、交通事故の心配でもした方がよっぽど現実的である。ヒステリックに、有害だからといって排斥するのは、科学的態度とはいえない。

 「体にいい」も眉にツバをつけて考えるべきだろう。「体に悪い」方ならば、ガンになるとか肝臓障害を起こすとか、まあ一般には毒性があるということで比較的はっきりしている。が、「体にいい」って一体?世の中の大抵の食べ物や飲み物には、体に必要な成分も入っているだろうけれど、そればっかり摂ってるとよろしくないだろう。「体にいい」という情報に振り回されてスーパーに走っても意味がない。どのみち、毎日そればっかり食べて過ごせるわけじゃないのだから。そもそも、「体にいい」ことを一体どうやって実証したのだろうか。何をもって「体にいい」とするのか、医学的に定義可能なのだろうか。ぜひ知りたいところである。

 

 国立研究所は先に独立行政法人になったし、国立大学も法人化を控えている。これまでは、性善説でもやってこれたが、これからはそういうわけにはいかないのではないか。まともな企業の方が多いとは思うが、それでも少なからぬ企業が、隙あらば大学の名前や権威を利用するチャンスを窺っていると考えた方がいいのではないか。事務方の広報や研究者や知財部が一緒になって、大学の名前でとんでもない話が広まらないように防衛する必要があると思う。


▲prev next▼

top pageへ戻る
Y.Amo /
当サーバ上のページに関する問い合わせや苦情のメールは公開することがあります。