第4章:どうやって撤退するか?

 センサーを改良しても、状況はほとんど良くならなかった。私はいい加減うんざりしながら、それでも理研に通って、スタッフに「これは無理だ」と納得させるためだけに測定を続けた。

 次の研究テーマを考えている時だけが多少不安でもあったが楽しかった。

 民谷助教授は、北陸先端大への栄転が決まっていて、私が博士課程2年を終わるときに移動することになっていた。脳の研究に熱心なのは、軽部教授よりはむしろ民谷助教授のようだったので、民谷助教授が居なくなってくれればテーマの中止もしやすいだろうと思っていた。

 ところが何を思ったか、民谷助教授は、今度は生きたザリガニとラットの脊髄で測定したらどうだ、と言い出した。そして、日本医大の薬理の研究室と連絡つけてきた。もういい加減にしてほしい、これ以上余計な仕事を増やしてくれるなと思ったのだが、紹介された手前、一度は測定して報告しなければならない。どういうウマイことを言ったか知らないが、向こうの研究室をすっかり乗り気にさせてきたので、私が嫌な顔をするわけにもいかない。
 センサーを持っていって測定したラット脊髄とザリガニのハサミの系では、見事に何の応答も出なかった。また、医者に来て貰ってラットの脳を手術してセンサーを埋め込むというのもやったが、血液その他の物質に邪魔されて、やはりまともな応答が出なかった。この時に来てくれた先生に、測定の合間で水の話をしてみたら、先生も興味があったらしく、そっちの話で盛り上がってしまった。(後にこの先生とは放医研でちらっと再会することになる)

 ともかくこんな風に博士の学生に、興味も持てず、まともにもいかないテーマを振ってよこしておいて、その失敗の責任は何一つ問われることなく、民谷助教授は栄転して出ていった。

 脳の研究テーマが失敗した原因は、私が軽部研に来る以前に誰かが思いついたアイデアに無理があるということがわかった。神経生理の教科書には、膜が2枚隣接していて、一方の膜から伝達物質が放出され、反対側の膜に埋まっているタンパク質と結合するというシナプスの図が載っている。教授を始めスタッフは、本当にシナプスとはそういうものだと思ったらしい。ある面ではシナプスは確かにそういうものだが、現実のシナプスは、まわりをグリア細胞などに取り囲まれていて、放出された伝達物質は信号伝達に使われる以外に再吸収もされるので、シナプスの外にはそもそも出てこない。
 あるシナプスで出た伝達物質が隣のシナプスに信号を伝えたりしたら、信号伝達の制御が不可能になってしまうから、そうならない仕組みがあるはずだ。私のテーマは、シナプスの外にセンサーを置いて漏れてくる伝達物質を測定しろ、という話だから、そもそも無理なのだ。
 不幸なことに、軽部研内に脳の専門家はおらず、私も物理屋でまったくのシロウトだったのでこれに気づくのが遅れたのだった。理研の共同研究者は一応神経生理を知ってはいたが...。

 もうこの頃には、私は、研究室のスタッフはまともな判断力のないバカばっかりだと思うようになっていた。何故そう思ったかというと、研究報告会で3カ月連続「まったくだめです」と言っているのに、「もうちょっとやれば」とか「せっかくここまでやったのにもったいない」とかいうコメントしか返ってこなかったからだ。私の感覚では、こんな研究テーマにこれ以上時間を費やすことの方がよっぽどもったいない。

 そういう進歩のない報告を、3カ月以上も連続して定例の研究報告会でやっておいて、「軽部先生どうしましょうか?」と一応は訊いてみた。「え?」だって。そりゃないだろ。ちゃんと話きいてるんかい!って思ったよ。後から、「いきなり教授に話を振るな」ってスタッフの一人に言われたけど、それなら一体何のための研究報告会なのだろう?

 横山講師(当時)などは、私が水の研究をしたいと主張すると「そんなテーマと心中する気か」と言い出した。私が、あんたたちの勝手に考えたテーマで生き埋めにされかかっている時にだ!

 その後、私と同い年のメンバー3人がが、博士課程を中退して助手になった。そのスタッフの一人である池袋さんに、「教授とテーマ変更の議論をしたい。脳計測がこれ以上無理なのはこれまでの結果からわかっていると思うから、あなたからも教授を説得してほしい」と頼んで、一緒に来て貰って軽部教授と話をしたことがある。最初から最後まで、池袋さんは一切私の援護はしてくれず、教授の言うことに一切異を唱えなかった。これで、スタッフの中にも私の味方は居なくて、スタッフは教授のイエスマンなのだということがはっきりわかった。私はもう誰の協力も期待する気がしなくなった。

 こういうスタッフの態度から引き出される教訓はただ1つ。院生のテーマがどんなに失敗しても、スタッフが責任を問われることはない。だから院生は、安全圏からしか物を言わないスタッフの言うことなど気にする必要はないということだ。そして、失敗の責任を取る気がないのなら、博士課程の学生のテーマに口を出すのがそもそも間違っているということなのだ。どっちに進むかは本人にまかせるべきだ。少なくとも、研究者としての将来を賭けて、博士課程の学生は研究をしているのだから。それで十分ではないだろうか。


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Y.Amo /
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