第5章:システムの問題

 さて、いつこのテーマを止めようか、あるいはいっそ転職しようかなどと考えて過ごしていたある日、松本元さんの講演会に行くように軽部教授に言われた。何でも招待されたが日程があわず、研究室内で脳に関係しているのは私だけだったので、代理で行って聴いてこい、ということだった。

 そのときに聴いた話が、「愛は脳を活性化する」だった。詳しいことは、同タイトルの松本元さんの著書を読めば書いてあるが、大幅に要約すると、「脳は脳にとって快適なことをしていると活性化される」という話だった。脳の話なんてもうウンザリだと思いつつ、土砂降りの中を仕方なく聴きにいったのだが、話の内容には非常に感銘を受けた。講演が終わる頃には、私は、「脳の研究は私の脳に深刻なダメージを与えている。従って、脳の研究を止めることは私の脳にとって大変にプラスである。」という結論に達した。おかげで、脳の研究を止める決心が一気についたのだった。

 それで、帰ってから軽部教授に「脳の研究はもう嫌なので止めます」と宣言した。そうしたら、軽部教授はセンサーの仕事は続けさせたかったらしく、「脳がだめなら、海老でもカニでも測定しろ。グルタミン酸があるはずだ」と言った。私が渋っていたら、「俺の言うことをきけ。俺が学位審査を通すんだから」と言い出した。軽部教授がこれから先も、もしこの方針で押し通すなら、私は中退して出ていこうと決心していた。

 テーマを変えるにあたって、私は、おそらく学位審査委員になるであろう人工心臓の藤正教授のところに相談に行った。「軽部教授は海老でもカニでも測れというが、工学系研究科なら食品への応用というコンテキストで仕事になるだろうが、私は医学系研究科で生理学をやることになってるから、測定したグルタミン酸に生理学的な意味がなければ仕事として認められないと思う」と話をしたら、同意してもらえた。それで、テーマを変えるつもりだが、どの程度の成果で学位仕事になるかときいて、過去の学位論文をいくつか見せてもらって説明を受けた。私は、軽部研に来た最初の医学系研究科の院生でもあったので、工学系しか指導したことのない軽部教授は生理学的意味付けが必要だという認識をしていなかったのではないかと思う。

 時間的にはもうぎりぎりだった。それでもまだ、何か新しい手法に手を出したいと思ったりもしたのだが、藤正教授の「僕が君に何かアドバイスができるとしたら、まず君が何をできる人か知る必要がある」という言葉で、やはり自分の手持ちのノウハウで行くしかないという決心もついた。それで、再度誘電緩和を使って、今度は蛋白質が何か機能を発揮しているときの状態を、水も含めて測定するという方針で、まだやられていない系を探すことにした。

 「学位は俺が通す」という言葉は、工学系研究科では正しい。東大の工学系研究科の学位審査は、指導教官が主査になるから、指導教官がOKを出さないと学位がもらえない。ところが、医学系研究科は(理学系研究科も)、指導教官は審査委員にすら入らない。学位論文を提出後はまったく審査にノータッチとなる。
 「学位は俺が通す」と私に言った3日後にそれが判明したらしい。「俺が通すんじゃなかったよ」と、軽部教授自身が私に話をした。それで、私は「残念ながら先生の指導方針では、審査委員を説得することができないと思うので、テーマを変更します」と主張し、教授もそれを認めた。というか認めざるを得なかった。

 私は医学系研究科だったから、最後に教授の指示をはねのけることができた。しかし、周りの工学系研究科の院生達は、学位審査の制度が指導教官の権力を維持させる構造になっているため、本当にテーマがまずいことになっていても、教授に逆らうことができず、そのまま見込みのないことを続けたり、教授の命令通りにしたりして、さらに状況を悪化させることがある。主査が指導教官という学位審査が行われる状況で、「俺の言うことをきけ」と言われたら、一体何人の院生が逆らえるだろうか。

 教授の指導が常に正しいとは限らないし、指導に関する締め付けも人によって異なる。間違った方向を強制される被害が起こる元凶は、東大工学系研究科の学位審査システムにあると思う。本来なら、間違いがあったり不具合が起きたときに、それが修正可能であるシステムを作る必要があるのに、このシステムでは、教授の行動パターンと主張の組み合わせによっては、修正が事実上不可能になってしまう。


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Y.Amo /
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