第6章:さあ、テーマを変更だ!でもあと1年しかないぞ

 軽部教授は確かに力もあるし、強引で強烈な個性の人物である。この人と正面切ってやり合うのは、それなりに気合いが必要だ。

 それでも軽部教授はフェアだったと思う。私のテーマ変更を承認した後は、研究費の面でも後押しをしてくれて、変な嫌味を言ったり嫌がらせをしたりはしなかった。テーマ変更が決まったのが最終学年の4月で、結局またTDRに戻ることになり、装置購入ということになった。

 5月には、TDRがいいかネットワークアナライザを使う方式がいいかわからなかったので、HPから装置を借りて評価し、正式な発注が5月末になった。私は6月いっぱいを測定プログラムをMacで動かすことに費やした。この年は予算が通るのが遅くて、なかなか物を買えなかったので、友達のMacを借りてプログラムを作った。7月の後半に装置が納品されたので、コンピュータとの接続を行い、7月の終わりにはルーチンで仕事ができる状態にした。

 測定のコンセプトは、タンパク質の分子認識に伴って、結合水がどう変わるかを測定するというものにした。論文を調べまくって、こういう話をやった人は多分居ないという確信が持てたので、これでいくことにした。博士の仕事で恐いのは、調べが足りなくて、実験をやった後で実は似たようなことが何年も前にやられていたのが判明することである。時間的余裕があれば、こういうことになってもやり直しがきくが、今回はその余裕はなかった。

 一度だけ軽部教授にプレッシャーをかけられたことがある:「これだけ金をかけて学位をとれなかったら、この部屋(3階)の窓からお前を放り出すぞ」。私は即座に答えた。「その前に民谷さんをつれてこい。東京湾に沈めてやるから。」これが、多分、測定開始の合図だった。

 実を言うと、テーマを変更してから1つ目のポジティブデータが出るまでが一番きつかった。自分の見込みで測定系を考えたわけだが、類似の測定がないわけで、実はみんなやってみたけど失敗したから論文が出ていないのではないかということが常に頭の片隅にあった。だからこそ成功すれば「firstです!」と主張して博士論文の仕事になるのだが。
 逆にこれで失敗したら、私にはテーマを正しく設定する能力が欠けていることになる。これは研究者としてやっていくには致命的だ。その上教授の信用も失う。そうなったらもう研究を続けるわけにはいかないだろうなあと思いつつ、うまく行きそうな系を周りの生物屋さんたちにききながら、あれこれ試して測定していた。タンパク質の取り扱いは、設備・ノウハウともに、冨永研に居るよりはずっと良かった。
 いろいろあったが、とにかく私自身のオリジナリティに基づいて研究が走り始めたし、成功しても失敗してもそれは私の責任なのだ。私はやっと自分の手に研究を取り戻したのだと思った。

 軽部研は、他の研究室に比べて研究費は潤沢だったが、それでも、みんなで使う物の方が購入の優先度が高い。TDRの装置のように、私以外は誰も使わなさそうな装置は、普通はあまり歓迎されない。だから、買ってもらったときはちょっと申し訳ないかなという気もした。
 しかしこの装置購入は、そもそも研究テーマを決めるときに、私は興味がないといってる脳の研究をさせたりしなければしなくて済んだことではある。また、脳の研究しかさせるつもりが無かったのなら、私は受験の許可をもらう時と面接の両方で「水の研究」と主張しているのだから、テーマが合わないことを理由に不合格にしてくれても良かったのだ。そもそもこんな食い違いを避けるために、事前に受験の許可が必要なんじゃないのか?それが何でちゃんと機能しないのか?私は正直に自分の興味を伝えたのに、入学してもう他へ行くことができなくなってから脳の研究をさせるなんて、何だかだまされたと思っていた。だから、研究費で装置を出して貰うことになった分は、私が脳の研究で受けた苦痛と、相殺されるかもしれないとも思った。

 それにしても、もうちょっと私の主張を真面目に受け取って考えてくれてたら、お互い無駄な労力と出費が避けられたはずなのに。




 テーマを変更して、センサーから生理学の基礎研究に変わった後も、軽部教授は根っからセンサー屋で、TDRをセンサーに使うことを考えていたようで、私の研究をそちらに引っ張ろうとした。しかし、物質の検出という点では、マイクロ波領域の測定は感度が悪すぎるので使えない。このことを説明して、あくまで生理学の話をするつもりだと言った。私の研究は、軽部研の中で完全に異端になった。

 軽部教授は、波形解析を嫌う人だった。私は、分光屋で、出てきた波形の解釈に意味を見出していたから、そこのセンスが全く違う。おかげで「傍証はあるか。直接証拠はあるか。その波形をお前がそう読んでも、俺はそう読まないという人間が必ずいて、審査でもめるぞ」と、研究発表会のたびに言われることになった。
 実はこれが後々の研究を考えていく上でプラスになった。もし冨永研で研究をしていたら、スペクトルを測定することは当たり前だというところから出発しただろう。おそらく冨永教授は、そういう突っ込み方はしない。それを軽部研でやったために、その測定法が主張したいことに適しているかどうかからちゃんと検討し、他の実験との整合性に、多分かなりしっかりと気を配ることになったからだ。


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