第7章:多分、一番長かった一日

 7月末にルーチンで測定を開始して、10月末が学位論文の提出締め切りだから、ほとんど時間に余裕がなかった。私はとにかく10月に提出して学位の仕事にケリをつけるつもりだったので、ぎりぎりまで実験していたから、締め切り日の1週間前にまだ第1章の一部しか書けていない状態だった。

 その上、ちょうど研究室が学内のUTnetにつなぐことになって、部屋の中のケーブルの引き回しとか、トランシーバの取り付け不良だとかの対処に(他にわかる人がいないという理由で)私が追われることになった。さらに、学位論文を書いている最中に、遺伝子解析をしているスタッフから、「解析した遺伝子が意味のあることを示すために、その配列で公開データベースを検索したら膨大な結果が出てきた。このうちで、この条件のものだけ抽出するプログラムを作ってくれ。早くやらないとライバルにやられてしまう。」と泣きつかれて、私は論文を書くのを中断してプログラムを書くはめになった。何でよりによってこんな時にと思ったが、このときの仕事がうまく行って、その後1年間食べていけるだけのアルバイトが紹介されたので、何が幸いするかわかからない。

 学位論文の印刷が終わったのが、提出締め切り日の朝8時頃だった。私はそれを生協で仮製本し、軽部教授に提出許可を得ることにした。軽部教授はホテルオークラで産学ワークショップという会議に出ていたので、私は必要書類をかかえてホテルオークラの会議室の前で待って、昼休みになって出てきた教授に論文を見せて、とにかく今日提出して事務処理にのせるつもりだと言った。

 工学系研究科の学位論文は、イントロダクションを長く書いて、そこを読めば研究の現状がすべてわかるような解説を書いておくことになっている。一方で、医学系研究科は、審査委員に相談したら、論文全体が長すぎるとまず削られるし、イントロなんて5頁以内にして、さっさと自分のオリジナリティの話を出せと言われた。それで、普段の軽部研の院生にくらべるとずっと薄い論文を作ったのだが、これが軽部教授の気に入らなかったらしい。「こんなもの卒研レベルじゃないか」とボロクソに言われた。当然、「審査委員候補の先生達がこうしろと言ったので従いました」で押し通した。教授の機嫌なんかもう知ったこっちゃない。審査委員が気に入るようにしないと学位はとれないのだから。

 一応軽部教授の了承を得たということで(匙を投げられたともいうが)、私はそのまま医学部事務に全部持っていって、審査にのるための手続きをした。

 審査までにはまだ時間があるので、そのあいだに論文に加筆修正することは可能だったが、とにかく形にして出した。


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