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再び温泉の話

Posted on 9月 12th, 2007 in 倉庫 by apj

 あらきけいすけさんのこのエントリについて。

現在の「ニセ科学」の対象は、これに加えて「人を傷つける要素を持つもの」という要素も含めて考えておかねばならないと思います。この要素が判断に加わっていることは、apjさんのブログにおける「温泉はニセ科学か」に対する「ニセ科学には入らないだろう」という結論からわかります。

 ということなんだけど、どうも私が考えていたのとは違うようなので説明を追加しておく。私のニセ科学の定義は「科学を装うが科学ではない」で、これに変更はない。「人を傷つける要素を持つかどうか」が温泉がニセ科学かどうかを判定するときに必要になるとは、私は考えていない。通常人の判断力を基準にした場合、「一般的な温泉の効能書きが科学を装っていない」という理由で、温泉はニセ科学には入らない、と結論できると考えている。
 薬事法の説明でよくある例に、八百屋のおじさんが「今日は良い大根が入ったよ。酵素がたっぷり含まれていて消化を助けるよ」と言って大根を売ったとしても、薬事法には引っ掛からない、というものがある。普通の人の判断を基準にした場合、大根を医薬品と誤認することはまず無いからである。これが、売っているものがそれっぽいガラス瓶に入った粉やら粒やらで、「酵素がたっぷり含まれていて消化を助けるよ」などと表示したら、薬事法に引っ掛かることになる。見た目からいって、医薬品と誤認しやすいというのがその理由である。
 温泉と人との関わりを考えた場合、それなりに昔から効能書きはついていたし、効能書きを見て入浴したり湯を飲んだりということもしてきたが、科学的手続きで立証されてそうなった、という認識で利用している人は少ないと思われる。もっともこれも程度問題だが、典型的な例として「昔から親しまれてきた云々、リウマチ、肩凝り、冷え性、胃腸病などに効く」などとありがちな効能書きがあったとして、科学を装ったものという判断になるかというと、まあ今のところは常識的に考えてならないだろう。昔からありがちな宣伝だし、効能の出方だってまあそれなりというか、医薬品とは明らかに違う精度のものだという共通認識があるのではないか。
 これが、ことさらに「波動を測定すると××で、マイナスイオンを測ると××で、だから効く」などと、科学的に精度の高い検証をやって効果を確認したという誤解を誘発するような宣伝が並んでいたとしたら、「温泉一般がニセとは言わんがその表示はニセ科学だろーっ」とツッコミを入れるしかなくなる。
【追記】もし、ほとんどの温泉が誤解を誘発する宣伝を並べ立てるようになったとしたら、「温泉の効能書きはニセ科学」ということになるだろう。

 つまり、温泉がニセ科学かどうかを考えた場合、一般には「ニセ科学じゃない」となるのは、これまでの人と温泉の関わりから「科学と誤認される」おそれがなく、効能書きが書いてあってもそれが「科学を装う」に該当しないからであって、「人を傷つける要素をもつもの」かどうかという基準は必要ないというのが私の考えである。

年休とって神戸地裁

Posted on 9月 11th, 2007 in 倉庫 by apj

 お茶の水大が訴えられた件。
独立当事者参加の申し出のため、弘中絵里弁護士(通称絵里タン)と神戸地裁に出向く。
何をやったかは、こちらのメモにまとめた。

敏感すぎるセンサー

Posted on 9月 10th, 2007 in 倉庫 by apj

 山形新幹線の、身障者&赤ちゃん対応のトイレ(上りの一番前のトイレ)の話。トイレ洗浄のセンサーが敏感過ぎて、便座用紙シートを取って使おうと近付いただけで、服からの反射(?)を検知して洗浄剤が流れ始める(本当は使用後に手を近づけた時だけ流れるはず)。限りある洗浄剤を無駄にしてはいけないといつも気をつかう。じゃあ、センサーから遠ざかればいいんだ、と思って、反対側の壁の手すりのところにくっつくようにして、紙シートを広げていたら、電車が揺れて、よろめいた拍子にSOSと書かれた緊急呼び出しブザーをお尻でポチッとな……orz。慌てて止めた。乗務員さんに要らぬ心配をおかけしたかと別の意味で申し訳ない。
 しかし、何でトイレを使う度に個室で使わなくていい神経を使ってじたばたしてるのかと情けなくなる。もうちょっとセンサーの感度を落としてくれないかな>JR東。

他人の理解力まで責任は持てない

Posted on 9月 9th, 2007 in 倉庫 by apj

 Interdisciplinary(by TAKESAN)のエントリ「適当な分析」を読んで。
 見下すとかそういう話じゃないんだけど、ある所から先は「他人の理解力まで責任は持てない」「他人の読解力まで責任は持てない」と言うしかないんじゃないか。コミュニケーションの限界ってそういうもんじゃないのか。いくら勉強したって知識をつけたって自分なりに考えたって、他人に物を伝える以上、最後の所はこう開き直るしかないのがコミュニケーションってもんじゃないのか、と思うわけで。
 元ネタは、ここのこれ

他人の記憶力まで責任はもてない
確か、少し昔、fj.news.usageで 「あんた、何々と書いたじゃないか」 「そんな覚えはない、どこに書いたというのか?」 というやりとりがあって、ここまでならよくあるのだが、この次が 「他人の記憶力まで責任は持てない」 というのだった。歴史に残したい名言中の名言だ。 確か、さらにこの後、 「どの記事か示せ」 「探せなければ諦めろ」 という感じのやりとりが続いたようだ。fjのパワーを感じさせた一幕といえよう。

だったりする。あと、もう一つ同じところから紹介しておきたいのが

自分の立場に立って物事を考えて下さい。
fj.news.usageで見かけた表現。インパクトすごすぎ。ふつぅは「人の立場に立って」とか「他人の立場に立って」というものだが、流石fj.news.usageというか、何というか、とにもかくにも凄いです。

 このblogにしたって、私は私の考えと表現でいろいろ書いているのだけど、書いて公開した途端、それは私の手を離れる。私の方から、読む側に「どう読め」と強制することはできない。blogに限らず、本でも何でも、およそ表現というのは全てそういうもので、受け手に解釈を強制することはできない。だから、ズレたコメントがついたら追加の説明をするという努力はするけれど、それでも最終的に狙った理解に到達するかどうかという保証は無い。
 「自分の立場に立って物事を考えて下さい」というのはある意味当たり前で、誰にとっても正確に説明できるのは「自分の立場」しかないということによる。「他人の立場に立って物事を考える」というのは、正確には「(自分も含め、別人が想像する)他人の立場」に過ぎないので、想像したものが事実と違っている場合が多々あるに違いない。間違った想像に基づいて何を考えたって見当外れの結果しか出てこないだろう。
 従って「他人のことを考えろ」「他人はこう考えるはずだ」などと他人に言うのは愚の骨頂で、そもそも不可能なことを要求しているということを自覚すべきである。不可能なことを要求するというのは、ただの「嫌がらせ」だよね。そういう場合の対応は、「自分の意見を言うのにわざわざ他人を持ち出すな」となる。

 では、「他人の立場に立って物事を考える」のが全く無意味かというと、そうでもないので、有効な例を1つ出しておく。マンション売り込みの電話が時々職場にかかってきて、その内容は「マンションに投資して儲けませんか、確実に資産が増えますよ」というものである。ここで、相手の立場に立って物事を考えてみよう。「本当に儲かるなら他人になど勧めず自分でそれを真っ先に実行して左うちわで暮らすはず。何も真っ昼間から電話営業のノルマに追われてであくせく働く必要はなくなる。あんたがそんな仕事をしている事実が、マンションじゃ儲からないという何よりの証拠である」という結論が直ちに出るから、「そんなもの要りません」と返事することになる。「人の立場にたって」というのは、本来、こういう場面で使うものである。

【追記】
 同じページにこんなのもあったな。

訴状を見ていないのでコメントできない

一言だけいわせてくれ。
訴状見ろよ!

 そりゃ無理だって……。
 普通、提訴した側がマスコミ呼んで記者会見したりプレスリリース出したりするのって、訴状を提出した直後だろう。記者は原告から情報を得た後は、被告のコメントを取りに走って、その日のうちか遅くても翌日報道するための記事にする。ところが裁判所は、訴状を受け取ったら事件番号を振って適当な期日指定をして被告に送るわけで、この手続きに一週間から十日はかかる。訴状提出した当日に被告のところに行ったって、そりゃ訴状はまだ届いてないから見てないのは当たり前だわな。一応は両方の当事者に取材しないと記事にならないから、被告の所にも行くんだろうけど、毎回判で押したような「訴状を見ていないのでコメントできない」という返事をもらって帰ってくるだけになる。というか、それを知っててわざとにやってませんか?>記者の皆様。

政教分離とは逆なのか?

Posted on 9月 9th, 2007 in 倉庫 by apj

 と学会方面から回ってきた情報。これによると

活仏の転生、当局の許可制に
2007年8月3日 ロイター
中国政府は、チベットの活仏が、政府の許可なしに転生するのは、違法で不当な行為にあたると発表した。中国宗教省は声明の中で、9月1日に施行された新法律は「活仏の転生を管理するための規則」であると述べている。「活仏が転生する寺院は、チベット仏教の活動施設として登録されていて、活仏を扶養し正しい支援を行なえるだけの能力を備えている必要がある」という。さらに、「この法律は、市民の宗教の自由を守るものであり、チベットの活仏制度の伝統に敬意をはらうものである」と加えた。

 つまり、行政法で仏法を規定するという話。ただ、ここでいう「違法で不当な行為」が行われたとして、法廷での争いはどうなるのだろう?登録云々の部分は事前に提出された書類のチェックで済としても、「活仏を扶養し正しい支援を行なえるだけの能力」の具体的中身をどうやって決めるつもりなんだろう。

言われてみれば……

Posted on 9月 8th, 2007 in 倉庫 by apj

 リサ・ランドール「ワープする宇宙—5次元時空の謎を解く—」の497ページあたり。

この実験では、それまでで最も短い距離で重力が測定されて、ニュートンの法則がおよそ〇・一ミリメートルまで適用されることが確認された。
(略)
 とりあえず確実なのは、〇・一ミリメートルより短い距離にある二つの物体のあいだで重力がどう働くかはわからないということだ。これを検証した人は誰もいない。

 確かに言われてみれば、距離が遠い場合や程よい距離の場合についてはさんざん検証したけど、短距離(っていうかミクロ)の場合の重力って、実験的検証が無かったんだ……と、ちょっと目から鱗が落ちた気が。量子力学をやってる時は、質量は考慮しても重力は無視して式を書き、それは重力が他の電気的な力に比べてずっと小さいという前提によるもので、そうやっても実際に結果が実験事実と合うからそれで良いことにしてきたのだけど、重力の方を測って無視することを決めたわけではなかったわなぁ……。例の逆2乗の式はいつも出てくるし、式の形が形だから距離が小さくても適用できるような気がするけど、それはそういう「気がしていた」だけであって。

高校生向けの活動とか

Posted on 9月 7th, 2007 in 倉庫 by apj

 第一学習社の高校生向け化学の図解資料集に、ニセ科学注意ってな内容の記事を書かせていただくことになった。編集担当の方とやりとりしながら作業中。
 11月には、SSH(だったと思う)の企画で高校生相手に話をしてほしいという依頼が来て、引き受けた。高校生相手だと、話にはいろんな展開があり得る。これから打ち合わせをして詳細を詰める予定。
 大学教員としては、高校生へのアピールは大事なのだ。

 岩波「科学」の書評を書きませんかと誘われたのでこれも引き受けた。「理工系物理学」(鐸木康孝著、開成出版)を題材にして書く予定。もらった論文集も持っているので、久しぶりに引っ張り出して眺めてみるか。

HP-35s

Posted on 9月 6th, 2007 in 倉庫 by apj

 のぶさんのところでも話題になっていた電卓HP-35sが届いた。付属品はケース1個、マニュアル1冊、ボタン電池2個に加えて、”THE HP CALCULATOR STORY 1972-2007″というDVDがついていた。やっぱりコアなファンを対象にした機種ってことか^^;)。
 昔、48gを買って使っていたのだが壊れて何も出なくなり、その後32sIIを購入した。その後、やっぱり何行か表示された方がいいや、ということで28Sをe-bayで2個購入。普段カバンに入れて持ち歩いているのは28S。Macの電卓ソフトはX48で、48g相当。
RPN以外は使えないカラダになってる気が^^;)。
 持ち運びしやすいのは15Cで、師匠が愛用してる。復刻版でないかなぁ……。

ウチの学長が正直な人かもしれない件について

Posted on 9月 5th, 2007 in 倉庫 by apj

 SankeiWebの記事より。赤字は筆者。

山形大の結城新学長 天下りをあらためて否定

 官僚トップの前文部科学事務次官から山形大新学長になった結城章夫氏(58)が3日、就任会見し、「大学のしがらみにとらわれず、事務の合理化など改革をしたい」と抱負を語った。“天下り”批判は「(学長選で)文科省は動いておらず、大学から選ばれた身だ」とかわした。

 結城氏は「長く中央(省庁)にいたので、国の政策や社会の常識などは分かる」とし、教育内容の充実と、社会に対する説明責任を重視する考えを示した。

 会見には、学長選で争った前工学部長小山清人氏(58)ら新理事5人も同席した。教職員投票1位の小山氏が落選し波紋を呼んだが、小山氏は「私は捨てて組織を良くする一員として働く」と述べた。

 結城氏は山形県出身で東大工学部卒。卒業後旧科学技術庁に入り、平成17年から今年7月まで文科事務次官を務めた。
(2007/09/03 19:13)

 ってことは、「天下りの場合は文科省が動く」ってことを、公式に認めたってことだな。元事務次官の発言だから説得力が違うな。で、他のお役所だって似たようなもんだろうから、「天下り」の時はそれぞれのお役所が動いているってことになり、それがお役所の常識だと……フムフム。
 「天下り」とは「お役所が直接手出ししてくれる懇切丁寧なシステム」って理解すればよいのか……。
 とりあえず、学長がとても正直な人かもしれないという気がしてきた。ってか、この先どっかで純正天下りが発生したらそれはそれですごいことになりそうな予感が(汗)。

ありがちな批判について言っておくべきこと

Posted on 9月 4th, 2007 in 倉庫 by apj

 「技術系サラリーマンの交差点」のエントリで柘植さんが書かれたコメントを読んで、少し考えることがあったので、それを引用してコメントしておく。コメント中の津村さんというのは、上記のblogの管理人さんである。なお、赤字は私の編集による。

この部分に関しては、ずいぶんと意見をもらいましたね。多くは「お前、脇が甘かったんじゃないか」みたいな意見です。菊池先生や天羽先生は大学の教育者としてこれらの活動が社会教育の一環として「仕事のうち」になるのに対して、私の仕事場のミッションに「教育」は明示的に含まれていないので、公務員時代の用語で言うなら「職務専念義務違反」という突っ込みを誰かが行う隙を見せながらやっていたわけですねからね。

 でも私はあまり悪びれてもいないのですよ。なんていうか、実名でニセ科学批判を始めるときに覚悟だけは十分にしたつもりなのでね。

 なんていうかな、たとえば会社の車に長いはしごを積んで仕事場に向かっていたら、長いはしごがあれば人の役にたてる場面に出くわしたとしますね。いろんな場面が考えられて、火事場で2階で人が助けを呼んでいるのならまあ、仕事場に少々遅れたってはしごを役立てる方が、たぶん、ほめられそうですね。帽子が木に引っかかったのを取ってあげるのだと「まあ、人のためになったんだから良いか」となることもあれば「お前、仕事のほうを優先しろ」ということもあるかも知れませんね。もっとどうでも良いことなら、それはたいてい、「仕事をしろ」となる(笑)。
 変なたとえ話で申し訳ないのだけどね。「勤務時間中に仕事のための道具を別なことに使った」というだけで見れば、はしごで火事場から人を救出したって、帽子をとったって、もつとどうでも良いことに使ったって、全てそのカテゴリーになるわけです。

 別に津村さんにとってはニセ科学の蔓延なんてどうでも良いことだろうと思います。だからこそ、内容を深く吟味することなく「品位を疑う」ということになるわけですね。

 先日私にニセ科学の相談に来たOBの人がね「一番困るのは、大手の研究所なんかも持っている大企業がマイナスイオン商品なんて出してしまったことなんだよ。あれで小さな会社からの怪しげなものに関する相談も増えたし、回答がとてもやりにくくなっている。もう大手の会社の研究者に研究者としての真面目さというのは無いのだろうか」なんてことを言うわけです。私は「たぶん、困った研究者も必ずいると信じています、というか信じたいです。でもね、今の社会というのは個人の倫理観とか研究者の矜持みたいなものが簡単に押しつぶされる時代になっているように思います」なんて答えたわけです。

 なんていうかな、「勤務時間に仕事以外のことをしている」ならそれが何をしていたのであっても「品位に欠ける」とみなしてしまう津村さんご自身の第一印象というのは、「あいつは会社が命じた開発に反発している」ならなんであっても「よくない会社員だ」とみなしてしまう風潮を後押ししていないでしょうか?そして、そう思われるのは誰しも嫌だから、「はいはい、じゃあ、ドライヤーのノズルのプラスチックにトルマリンの粉末でも練りこんでみましょうか」となっていったのではないかと思ったりもするわけです。

(立場がはっきりしないという意見をいただいたので補足しておく。私は、柘植さんの考え方に賛成の立場である。)
 なお、柘植さんが指摘した視点で、勤務時間中にニセ科学批判はけしからん云々という議論を展開しているのは、お茶の水大を訴えてきた自費出版氏である。彼は私がネットに書いたことが以前関わっていた会社に対する公取の排除命令の原因になったと思いこみ、一種の逆恨みからそうしている(今は削除されたようだが、少し前までそのことを明言した文書をウェブサイトで公開していた。その証拠はとってある)。つまりは、「大学からニセ科学批判など出てこない方が、トンデモ説明を利用したマルチ商法をやりやすい」という本音を、一応のタテマエの皮にくるんで言っているだけである。
 自費出版氏に荷担する、あるいは自費出版氏の的外れ批判を後押しするような考え方をすることについて、ゆくゆくは社会にどんな風潮をもたらすことになるのか、想像力を働かせてもうちょっと自覚するべきだろうね。