変なクレームが来てるんだが……

わけのわからんクレームが大学に来て困惑してる。とりあえずキャンパス長から状況を知らされた。

クレームは電話で、大学にかかってきている。電話なのでメモをとったものを見ながら説明を受けて、それをさらに私がここに書くわけで、既に伝言ゲーム状態なので不正確な面は多々あると思う。まあ、伝言ゲームを選んだのはクレーム主の方なので知ったことではないが。

クレームが来始めたのは2月4日からで、何回かあったらしい。

クレームの主は匿名で名乗らなかった。13年前のキャンパスハラスメントで仲介をしたと自称している。2017年の11月から(11月まで?)何ヶ月か、匿名掲示板で私とやりとりがあっていろいろ書かれて嫌な思いをしているのでやめるように言ってほしいというクレーム。ただしその掲示板がどこかとか、掲示板の名前とか、具体的な書き込み内容の文言とかは何も情報が無い。

そもそも私が申し出されたキャンパスハラスメントとは「私が加害者とされているキャンパスハラスメントについて」だけで、後にも先にもこれしかない。事が始まったのが2008年6月だから、13年前に一致はしている。いつのことかというのは、2011年のブログ記事「古い資料(3年前)」にも書いているので、誰でも探せばわかる状態である。

当時は今ほどキャンパスハラスメント防止規程が整備されていなかった上に、運用する側への啓発も不十分であったので、相談員経由で相談記録を委員会に出すという運用がなされなかった。学内に置いていたブログのコメント欄での学生とのやりとりを、ハラスメントに仕立て上げようとしたのは当時の学科の教員だった。そのぐだぐだぶりは上記リンク先を見てもらうとして、この事案の仲介者と言えるのは、当時の学科長の日野先生、なぜか仲介役を買って出た伊藤先生、学生のアドバイザー教員の坂本先生(と一緒にクレームを述べに来た栗原先生)ぐらいである。他の学生や学外者の介在はなかった。うち、日野先生・伊藤先生・坂本先生の三名の教員は定年退職している。坂本先生は退職後も実験などをしに来ていて、廊下で会えば挨拶する程度、日野先生と伊藤先生とはその後の交流は特に無い。向こうが何か新しいハンドル名でネットで活躍していたりするなら知らずにやりとりした可能性はあるが、少なくとも人を特定できる形で情報交換をした覚えは全くない。栗原先生は現役で普通に一緒に業務をやっている。つまり仲介者に該当するのは全員が教職員か元教職員で、匿名でクレームを言うメリットが全く無いし、そんなことをする人達でもない。何か問題があると考えたら、きちんと元教員だと名乗って具体的に指摘するであろう人達ばかりである。また、定年退職した年輩の先生方が、今頃になって、時代後れの匿名掲示板の活発なユーザーになるとも考えにくい。つまり、13年前のハラスメント事案の仲介者、かつ、この手のパターンでクレームを言いそうな人、にあてはまる人物がどこにも存在しない。

13年前の他の事案かとも思ったが、その頃だと私はまだキャンパスハラスメント防止委員はしていなかったので、他の事案に関わることは無かった。その後、全学の防止委員になってからは、具体的な事案の調査に加わることもあるが、守秘義務を厳格に守っているので個別事案の内容を表に出したことはない。ハラスメント関連の議論をネットで行ったこともあるが、上記の私自身の事案かあるいは一般的な話しかしていない。一般的な話とは、規則の運用の仕方とか、相談ルートに乗らずに解決できなかったものが新聞沙汰になって、うまく解決したものは守秘義務のため外には出ないから、外部の人が目にするのは解決ルートにすら乗らずに失敗したものばかりだ、といったものである。それを書き込んだ先は匿名掲示板ではない。主にtwitterとFacebookである。ちなみに、2016年に群馬高専についてtwitterとtogetterのコメントに書いたものがある。この前後だと、同じような内容を別途ツイートしていたはずだが、特定の誰かをハラスメントの話題で叩いたことは無い。また、仕事先の防止委員であることを名乗って発言していたわけで、ハラスメント防止制度の特徴について説明したり問題提起したりする内容を意識して書いており、被害者に2次被害が起きるような内容と受け取られそうなものは書かないように極力注意していた。

私の場合、東日本大震災のちょっと前、つまり2010年頃から、主な情報発信がtwitterに移行しつつあって、それにつれてブログやサイトの更新の頻度も減りつつあった。そのうちFacebookを使い始めた。余所のブログのコメント欄に書き込むことも激減しているし、匿名掲示板と呼べるようなものは、ほとんど見ていないし書き込んでもいない。

私自身のハラスメント事案については、具体的な内容は自身のウェブサイトに書いた分と、そのURLを示してtwitterやFacebookで話題にしたものに限られていて、匿名掲示板にはそもそも書き込んでいない。私の事案では、まず相手方の動画中継による中傷と2ちゃんねる等への投稿が先にあり(これはあまりに酷くてさすがに左巻先生にも気づかれてしまって、その当時何かのイベントで顔を会わせた時に大丈夫かと言われたのを記憶している)、それに対する私の名誉回復目的で書いた内容なので、守秘義務的にはグレーなこともあり、もし裁判になった時に、確かに自分が書いたものだとわかる状態を維持する必要があると判断しているからである。その理由は簡単なことだ。何年も前に書いてすっかり忘れている匿名掲示板の内容について「お前が書いたんだろ」と言われた場合、忘れて否定した後で自分だとわかると訴訟で不利益になる。すると、書き込み元のIPアドレスを掲示板管理者に問い合わせて、さらにプロバイダにも問い合わせて、自分が書いたかどうか一つ一つ判定する、という超絶面倒臭い作業をする羽目になるのが確実だからだ。後の証拠収集の手間を軽減するために、自分が管理できるところ以外ではグレーな内容は書かないようにしている。

なお、その当時、申し出を行った学生は、調査中のハラスメント事案について、意図的に私の管理する掲示板を探し出してまで聞き取り調査の内容を書き込んだ。私が削除した上でアクセス禁止にしたら「北朝鮮か」などと意味不明な内容で罵った。それと並行して、調査中も調査が終わった後も2ちゃんねるで山ほど私を誹謗中傷した。先に守秘義務を破りまくったのは当時の学生の方で、私が規則通りの守秘義務を守るなら提訴は不可避という状態になっていた。提訴しても賠償金は安いし、反省もしそうにない相手だったので、反論して名誉回復をする方を選んだのだった。

さて、今回のクレーム内容では、どうも、2017年頃に、ハラスメントについて、私がクレーム主と継続的に匿名掲示板で何ヶ月か激しいやりとりをしたことになっているのだが、身に覚えが全く無い。というか匿名掲示板という言葉すら久しぶりにきいた感じで、クレーム主はどこかからタイムスリップでもしてきたのか?と思った。震災以降、ネットの利用はtwitter(とそのまとめのtogetter)、Facebookと自分トコのサイトへの書き込みがほとんどで、匿名掲示板的なものを積極的に見に行かなくなって既に15年ほど経っている。大体、ここ数年私が揉めてる相手は事業者か元事業者ばっかりで、その理由は自サイトのコンテンツや取材記事にあって、匿名掲示板も学生も全く関係が無いのである。どうも、全く関係のない他人同士のネット上の争いがどこかあずかり知らないところで起きていて、そのクレームだけが人違いで職場に届いているようなのだが、相手が匿名で電話するという卑怯者のため、人違いだと伝えることもままならない。だから相手の目にとまることを期待しつつここにこうして書いている。

ありそうな可能性として、上記事案の当時学生だった人物が私になりすました別人とトラブルになっていて身元を隠すために居もしない仲介者を装って電話したものか、公開されている情報を調べて仲介者を自称する全くの第三者と私になりすました誰かの間でトラブルになっているというものをまず思いついた。後者ならわざわざ大学にクレームを入れないだろう。もし前者なら、上記ページの削除要求ではなく、匿名掲示板でのやりとりの方を問題にしていることが解せない。前者であった場合、思い込みとその場の気分で他人を攻撃するという行動パターンと今回のクレームに至る経緯に共通性があるものの、2ちゃんねるでも私のブログでも自分の名前や学生証を晒していたし実況の時も名乗っていたから、今頃匿名にこだわるのはパターンから外れている。当時の教職員で定年退職した人の誰かが認知症の初期症状でも示してるのかという疑いも捨てきれないが、とにかく謎は深まるばかりである。他に、こういう暇なことをしそうで過去にやり合った相手は、ふまくんかアレな雀か逆ストーカー化した某氏ぐらいしか思いつかないが、どちらもここ数年はSNSでもそれっぽいのを見かけていないしなあ(ブロックしてるかミュートしてるか実際に現れていないのかもだけど)。っていうかホントにお前一体誰だよw

クレーム主は、訴訟になるといろいろ言われるので訴訟にはしたくないと言っているらしい。私としては、いっそさっさと訴えろ、ただしその前に発信者情報開示請求をしろ、としか言えない。書き込み主の特定や内容の特定をせずに電話のクレームだけで対応がなされると思っている脳天気っぷりを考えるに、書面作成能力を欠いているなら自力で裁判手続きは無理だから開示請求の段階から弁護士に頼めというアドバイスもしておく。クレームを出すにあたっての特定の甘さを見るに、この人物にまともな社会人経験がありそうにも見えないし、社会生活を送っているかも怪しい。匿名掲示板ってことは、私が書いて公開した内容の貼り付けは自由、私の名前を騙るのも自由ってことだ。だから内容が私の書いたものと同じでも何の証拠にもならない。大体、匿名掲示板ってのは、本人が実際に書いてて実名を名乗っても誰も信じないような場所じゃなかったっけか。書き込み元のIPアドレスからプロバイダを特定してたどる以外に、書き込んだ人物を特定する方法は無い。そもそも大学にクレームを入れても教員の言論を縛るのは無理だが、今回は発言者が私ではなく、クレーム主が勝手に私だと思い込んでいるだけの全くの別人のようなので、ますます大学にクレームでは問題は解決しない。なお、発信者情報開示の結果、誰が出てくるかは知らんが、そいつは多分私じゃない

もっと身も蓋もないことを言うと、クレーム主は私が匿名掲示板でずっと相手をしたと思い込んでいるようだが、思い上がりにも程がある。私がそういった行為をしたとして、私には何のメリットもないどころかデメリットしかない。全くの時間の無駄である上、何かで身バレしたら、ハラスメント防止委員をしているという事実は公表済みなので弊社のハラスメント対応体制の信用まで低下する。第一、私がそんな手間をかける値打ちがそもそもあなたには全く無いってことをまず自覚してほしい。書面で内容を特定してクレームを出す能力すら無い学外の人物を教育してやる義務は無い。まともなクレーム文書の書き方でも勉強してから出直してこい。あなたが今月やったことは、弊社の窓口担当者等に対するただの迷惑行為に過ぎない。

「大学生の日常も大事だ」はわかるけど,じゃあ条件は?

 新型コロナのせいで大学生がキャンパスに来られず,リモート講義ばかりになっている。後期もリモートのみになりそうな大学が出てきたので,ツイッターで「大学生の日常も大事だ」というハッシュタグイベントが盛り上がった。

 大学生の気持ちはわかるのだけど,既に,東京に出かけてクラブに行って戻ってから地元の飲食店でバイトしてて感染判明とか,宴会やってて感染判明といったケースが続々と出てきていて,たまたままだ大学がリモート講義だったからキャンパス内で接触した人が居ない,となって,大学経由の感染拡大ルートが断ち切られている状態になっている。

 大学が怖れているのは,キャンパス内でCOVID-19が拡がる機会を作ってしまうことで,その結果,再度市中に持ち出して感染者数を増やす結果になったり,学内の感染者に重症者や死者が出ること(将来ある学生を育てる側としてはこれ自体を避けたい)ともしかしたら追加で注意義務・管理義務違反で訴えられかねないことだろう。

 当面,コロナ以前には戻れないのだから,大学生の「日常」に優先順位をつける必要がある。多分,コロナ以前の「日常」を全て取り戻すのは無理だろう。学生は若いので低リスク群だから,コロナが蔓延してもキャンパスに集まる,というのは,腹をくくればできるかもしれない。しかし,大学で蔓延すれば,症状が出なくても家族に感染させる可能性はあって,家族は無事では済まないかもしれない。特に,学費を出しているであろう父母が重症化して働けなくなったり死亡したりするリスクがある。それでもかまわない,というところまで覚悟できるなら,キャンパスに戻るというのもありだろう。あるいは,家族に感染させる可能性の低い下宿している人だけキャンパスに戻り,帰省する時は14日ぐらいはバイトもしない大学にも来ない隔離期間を設けてから移動する,というやり方もある。

 都会の満員電車で感染爆発が起きていないことを考えると,マスクをして黙っていられるのなら,そこそこ人数が集まっても安全ということではないかと考えられる。さて,学生達が教室に集まると,教員が授業を始める前にかなりうるさいぐらいにお喋りをしているのが普通の光景だが,黙って着席していることができるのか?お喋りするなら屋外で,を徹底すればかなり安全にはなりそうだが,実行できるか?

 ねとらぼの「大学生の声を聞けぇー! ハッシュタグイベント「大学生の日常も大事だ」主催者・企画者の声から伝わる“大学生とWith コロナ”」に「なぜ大学だけが自粛を強要されているのか納得出来る明確な理由が欲しい」とある。理由ならすぐにいくつも思いつく。

 まず,大学はクラス単位で人の移動を制御できず,数千人が入れ替わり立ち替わり密な教室で接触するので,一人スプレッダーが混じった時の感染可能な人数の桁が小中高とは全く違う。人が移動した後の部屋を消毒する,といっても,小中高のように,理科室や音楽室を使った後で消毒とか,教室については下校後に消毒,といった対応ができない。休憩時間ごとに全教室を消毒するのはほぼ無理である。

 高リスク群である年齢の高い教職員がリモートワークに移行し,学生にキャンパスを開放するという解はあるが,キャンパス内でコロナが拡がったら封じ込めるのが困難で,ほぼ確実に市中に持ち出される。これを防ぐには,対面の接客系のバイトは全て禁止で非対面のバイトのみ許可制でOKとか,夜の宴会飲み会食事会も全て禁止にするしかない。今でさえ,個別にクラブに行ったとか宴会したとか密なイベントに行ったとかで感染者が出ていて,リモート講義のおかげでキャンパス内で拡がるルートが抑えられている状態だ。学生全員が,放課後の飲み会や食事会をしないということをが守れるか?キャンパスで拡がった後,対面バイトで複数経路でキャンパスからのコロナ持ち出しが起きたら,市中からキャンパスを閉めろという声が上がることになりかねない。日常を求める大学生達が小中高の授業再開と大学の状態を比較するのなら,行動の方も小中高並みにするしかない。クラス単位で人の移動を管理がカリキュラム上無理なら,せめて,対面バイトなし飲み会なしを徹底するのでないと,小中高と並べて議論することすらできないだろう。キャンパスに集まって勉強することと,コロナ前のように対面バイトや飲み会をすることは,2種類の「コロナ交換場」を頻繁に行き来するのと同じことになる。キャンパスに集まって勉強することを選ぶなら,対面バイトと飲み会は諦める必要がありそうだし,諦められる学生だけでキャンパスでの活動を再開するという手はあるかもしれない。

 そうは言っても,対面で接客している販売業は街中で営業している,という反論があるかもしれない。しかし,フルタイムでそういう仕事をしている人達は,感染確率の低い交通機関を使って出勤し,それぞれの職場で働くことと,家に帰ることを繰り返している。途中で,大人数と接触してしかも接触相手が入れ替わる上にリスクの高い室内会話をする状態(つまりキャンパスに出てくるということ)はしていない。行動範囲に「コロナ交換場」になりそうな場所が複数含まれていない。まあ,そういう人達でも,密になって酒の出る場所に行ったり,そういうイベントに参加したとたん「コロナ交換場」入りする結果になるのだけど。

結局だぶさんのアライグマツイートはどうだったのか(2)

 最近のツイートを見ると、アライグマを水で殺す話が出てきていて、これを推奨したと受け取る人がいたことが問題だったのか?と思った。

水で殺す話1

 そこで、この、水で殺す、というのがどういう文脈で書かれているかを調べたら、出て来たのがこれだった。

水で殺す話2

 まず、ここでの話は、環境省のガイドラインにある、特定外来生物であるところの今現在野生のアライグマを殺す話ではない。アライグマを愛玩動物として飼っている飼い主が、もう飼えなくなった場合に野に放つ代わりにすべきこととして、「水に放り込んで殺す」べきだと書かれている。しかも、皆がそうしてくれていれば、と述べていることからわかるように、昔の飼い主がアライグマを飼えなくなった時に水で殺すべきだった、という仮定の話である。今現在多方面に被害を出している野生のアライグマを捕まえて水責めにせよという話ではない。この記述を理由に、アライグマを虐待することを勧めているとか、環境省のガイドラインを無視していると主張するのは無理がある。環境省のガイドラインは今これからアライグマを捕獲して駆除する場合に推奨される方法であって、昔の飼い主がどうすべきだったかという話とは関係がない。

結局だぶさんのアライグマツイートはどうだったのか(1)

どうも、日付をわざとに削除したスクリーンショットでクレームを入れている人が居るらしいので、資料として、キーワード「アライグマ」で出て来たツイートをまずはあとめておく。

確かに2011年のツイートを見ると、「食ってやる」「殺意」といった表現が登場するが、これは全部言っているだけで、実行したことを示す記述はどこにもない。他人に実行せよとも言ってない。

2013年のツイートは、近寄ってきたから蹴ったと書いてある。これが唯一だぶ氏が実行したことらしい。なお、近寄られたら蹴って対応するのはアメリカでも普通に行われている。危険な特定外来生物への対応としてはまあそんなものだろう。豹変して飛びかかられてからでは遅い。

 2020年3月8日のツイートでは「ただ、もちろんこちらも落ち度があって、2011 年と2013年のツイートはいささか露悪的だ。あの頃はフォロワーも300人もいなかったのだが、こういう虐待を想像させるような表現はするべきではなかった。まじめにアライグマ排除を黙々とやっている方に大変な迷惑がかかる。これについては猛省している。」とあり、書き方については反省している。

 2011〜2013年の投稿は、アライグマの牙やら爪やらと、牙も爪もないヒトが獲物を持ってサシでやりあおうという設定で書かれているのであって、その上で食べようぜという話である。単純に駆除するという話ではない。

関連ツイート

学習院の謝辞

学習院大学に掲載された卒業生代表の謝辞が話題になっている。話題になっている方の謝辞を引用して私なりの感想を書いておく。

【謝辞①】

卒業生代表・小堀奈穂子

 卒業生総代答辞の多くが、ありきたりな言葉の羅列に過ぎない。大きな期待と少しの不安で入学し、4年間の勉強、大学への感謝、そして支えてきてくれた皆さまへの感謝が述べられている定型文。しかし、それは本当にその人の言葉なのか。皆が皆、同じ経験をして、同じように感じるならば、わざわざ言葉で表現する必要はない。見事な定型文と美辞麗句の裏側にあるのは完全な思考停止だ。
 私は自分のために大学で勉強した。経済的に自立できない女性は、精神的にも自立できない。そんな人生を私は心底嫌い、金と自由を得るために勉強してきた。そう考えると大学生活で最も感謝するべきは自分である。
 すべての年度での成績優秀者、学習院でもっとも名誉である賞の安倍能成記念基金奨学金、学生の提言の優秀賞、卒業論文の最優秀賞などの素晴らしい学績を獲得した自分に最も感謝している。支えてくれた人もいるが、残念ながら私のことを大学に対して批判的な態度であると揶揄する人もいた。しかし、私は素晴らしい学績を納めたので「おかしい」ことを口にする権利があった。大した仕事もせずに、自分の権利ばかり主張する人間とは違う。
 もし、ありきたりな「皆さまへの感謝」が述べられて喜ぶような組織であれば、そこには進化や発展はない。それは眠った世界だ。新しいことをしようとすれば無能な人ほど反対する。なぜなら、新しいことは自分の無能さを露呈するからである。そのような人たちの自主規制は今にはじまったことではない。永遠にやっていればいい。
 私たちには言論の自由がある。民主主義のもとで言論抑制は行われてはならない。大学で自分が努力してきたと言えるならば、卒業生が謝辞を述べるべきは自分自身である。感謝を述べるべき皆さまなんてどこにもいない。

 ツイッターを見ていると、ネオリベの論理だとか強者の論理だとか言って批判している人を見かけたが、どれもピントを外しているように思え得る。なぜなら、これは、大学に対して述べたもの、だからだ。

 大学に対する学生からのありそうな批判は、「もっと分かりやすく説明しろ」「試験が難しい」「評価基準がきびしい」といったものだろう。こういった内容を想定して読むと、意味ががらっと変わってくる。ろくに予習・復習もしないで「授業料払ってるんだからわかるように説明しろ」と受け身のままで「お客様」としての権利主張する学生に向かってであれば、大した仕事もせずに自分の権利ばかり主張するな、という批判は全く正しい。むしろ大学自体がこの立場をとるべきだ。

 教員をやっている側にしても、普段からさぼっていて点数も低い学生が「講義がわからん」「評価の基準を変えろ」などと言ってきた場合、「教え方に文句言う前にまず予習復習しろ、講義の3倍の自習時間確保してからモノを言え」と言うしかない。しかし、普段からよく勉強していて成績もいい学生から、評価基準が適切ではないという意見が出たら、この学生にして引っかかるのなら少し見直してレギュレーションするか、と考えたりもする。

 一応は謝辞なので、いくらなんでも、「ろくに勉強もしないで教員の教え方や教材や評価基準に文句言ってゴネて楽に単位を取ろうとするお客様気分のアホ多すぎ。でも大学はそんなの相手にしなかったのは褒めてやる今後もそのまま続けておけ」とはストレートには書けないだろうし芸がなさ過ぎるから、この内容をうまいことぼかしたらこの表現になったんじゃないか。だから私には、とんがった表現というよりは、最大限オブラートに包んだ表現に見える。

 この人が女性で「経済的に自立できない女性は、精神的にも自立できない。そんな人生を私は心底嫌い、金と自由を得るために勉強してきた。」と書いていることで、まだ男性はこの視点を持たなくても女性よりはなんとかなる程度に自動的に下駄を履かせてもらえる(とこの人が認識している)、ということがわかったことは一つの収穫。学習院ぐらいの大学だと、男子学生は割と余裕でそこそこいい所に就職できているのだろうか。雇用機会均等法の第一世代がちょうど私の世代なのだけど、随分時間が経って改善されたとはいえまだそういう状況なのかな、と。まだ、女性はわざわざ経済的自立を意識しないといけない雰囲気が残っているということなのだろう。

電凸野郎の情報募集

山猫だぶさんとオイカワマルさんの職場に電凸したヤツの情報。
この人の本人身バレにつながる情報を募集します。

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文献講読で英文翻訳サイトの使用を禁止した

 化学文献講読という卒研生向けの科目があって,論文や参考書などを主に英文で読むことになっている。今年はウチは英文の専門分野の教科書を,担当者を決めて読んでゼミをすることにしている。皆さん予習はしているのだが,説明をきいているとあまりにも意味不明で,その意味不明の原因が自動翻訳サイトの訳やウェブで引ける辞書にあることがわかったので,翻訳サイトの使用禁止を指示した。

 たとえば,数式の説明で,こんなフレーズがある。

where epsilon = +1 or -1 depending on whether A is even or odd in the combined power of the momenta

テキストの前後の文脈から,Aは物理量で,位置rと運動量pの関数であることが既に示されている。

 これを,ネットで使える翻訳サイトで日本語にしたらどうなるか。

まずは,ぐーぐる先生。

ここで、Aは運動量の総電力で偶数か奇数かによって、ε= + 1または-1になります。

マイクロソフト。

ここで、イプシロン = +1 または -1 は、瞬間の結合力で A が偶数か奇数かによって異なります。

Weblio。

1. エプシロン= +1またはAが均一であるか混合性のものがおかしいかどうか次第になっている-1が勢いの原動力となる所で、
2. エプシロン= +1またはAが均一であるか混合性のものがおかしいかどうかに従う-1が勢いの原動力となる所で、
3. エプシロン= +1またはAが均一であるか混合性のものがおかしいかどうかに依存している-1が勢いの原動力となる所で、
4. エプシロン= +1またはAが均一であるか混合性のものがおかしいかどうか次第になっている-1が勢いの原動力となる所で。

NAVER(Papago)

ここで,epsilon = +1 または -1 は,A が minute の累乗で偶数であるか奇数であるかによって異なります

Yonder

ここで、epsilon=+1または-1は、aがmomentaの結合力で偶数または奇数であるかどうかによって異なります

Freshly

どこで、イプシロン=+1あるいは-1、Aがそうかどうかに依存すること、あるいはmomentaの結合した力において奇妙。

 どれを見ても日本語として意味が全く通じないし数式の説明としても意味不明である。前後の文脈からmomentaは運動量で,Aは運動量の関数でもあることがわかっているので,「ここで,εが+1になるか-1になるかは,Aが,運動量のべき乗の組み合わせによって偶感数か奇関数のどちらになっているかによる」といった内容の英文なのだけど,自動翻訳の結果をどう見ても,この意味にはならない。

 時間をかけてネットを使って調べても,でたらめを教えられてしまったのでは,全く意味がない。専門分野ごとに用意されている有料の技術翻訳サービスを使えばもっとマシな結果になるのだろうけど,手軽に使えるものならまあこんなものなのだろう。便利なものはどんどん使えば良いと思っているし,学生をいじめる気は全くないのだけど,インチキな翻訳に振り回されて内容が余計にわからなくなるのでは逆に足を引っ張られるだけである。そんなわけで学生には,無料翻訳サイトの使用禁止を申し渡した。技術は進んでいくものだから,もう数年したらもっといい翻訳サイトになるかもしれないけど,今年中に,っていうのは無理だろうなあ。

水素ガスについて訊かれたのでコメントした

 水素水ではなく水素ガスの効果について週刊新潮から意見を求められたので,いろいろ話をした。大体こんな感じ。

  • 水素水の場合は体内に入る水素の量がとても少なかった上,胃腸からのガスの吸収という効率の悪い方法だったので効果は無さそうだが,肺からのガスの吸収であればなにがしかの生理作用・薬理作用があるかもしれない。どれくらい効率が違うかは,息を止めて酸素水を与えても窒息するし,胃に酸素ガスを送り込んでも呼吸のかわりにならないことから見当がつくはず。
  • 生理作用や薬理作用は,臨床試験によって判定されるべきもので,試験の結果なしに効果を期待しても無駄。仮に,何かの病気に効くとか症状を和らげるといった効果が見つかったとしても,それはその特定の病気だけの話なので,予防に役立つとか健康にいい,といった拡大解釈をしてはいけない。
  • 研究の状況の判定方法は,たとえば,「食べ物とがん予防」(文春新書)に出ている,「健康情報を評価するフローチャート」によるべき。研究デザインが正しく,十分な数の被験者が確保できていて,結果が論文誌に出され,複数のグループの追試も同じ結果である,といった場合に,そこそこ信頼していい結果があることになる。動物や培養細胞で実験しただけとか,被験者が少ないとか,学会発表しかない,といった状態なら,十分な研究が行われるまで判断を保留すべき。
  • 病気の人に使うのと,健康な人に使うのとは状況が違う。病気の人に効果があっても健康な人には関係無いかもしれない。予防の効果の確認は,健康な人の大人数の集団を長期にわたって追跡しなければできないので,そうそうすぐに結果は出てこないだろう。
  • 効果の判定をするなら,吸わせる水素ガスの濃度と,血中水素濃度の変化の計測が必須。
  • 太田教授のもともとの研究は脳梗塞ラットの血液再灌流時に発生するフリーラジカルの影響を減らすというものだった。ヒトに使えるなら助かる人も多いかもしれないと思って論文を見ていた。水素濃度を上げておくと,何かの異常で大量にフリーラジカルが出来る時の影響が減らせるかもしれない(単純に化学反応が競合するので)。もともと,ヒトの体内では,フリーラジカルは必要な時に作られ,必要なくなったら分解されているもの。水素の量を増やして競合させてもどれだけ意味があるかは疑問。ただ,大量にフリーラジカルができるといった異状な場合に限っては,効果があるかもしれない。が,臨床試験の結果次第だし,積極的に臨床試験すべきかどうかについては,水素よりもっと有望な方法があればそちらが先に試験の対象になりそう。このあたりの優先順位については私でなく医者に訊くべき。

電話取材だったのでこんなことをいろいろ話した。まあ,そんなに長いコメントは出ないだろうなあ。

NMRパイプテクター対策に:消費者法ニュースの記事を公開します

 

「消費者法ニュース」119号(2019年4月発行)に掲載された,「マンションの管理と磁気活水器」全文の原稿を公開します。

 本文中にはNMRパイプテクターという名称は用いておらず,磁気活水器と書いていますが,売り込みの方法や問題点はほぼ全てあてはまる内容です。主な売り込み相手がマンション管理組合や理事会といった消費者保護の枠組みが適用されない組織であること,しかしその役割を担っている人の多くが比較的年輩で科学や法律に詳しいとは限らず,知識においては一般消費者とさして変わらないことから,防ぐのが難しい状態です。柔軟にマンションの管理を行うために,住民の過半数の賛成でいろいろできるようにしたことがあだになってしまっています。

 掲載誌が法律の雑誌であるので,科学としておかしいという議論は少なめにし,制度上の問題提起を伝える内容となっています。

 この会社(日本システム規格株式会社,jspkk)の主張(≒社長の主張)には,科学以外の部分でも,嘘やデタラメがたくさんあります。宣伝の触れ込みがおかしい以上に,効果があったとする結果の方もそのまま信用するのはまずいと考えます。もし,既に導入してしまった方は,効果の評価や検査の時に,日本システム企画株式会社の息のかかっていない,無関係な検査会社を使うことを強く勧めます。会社が主張している効果があったという結果を出すにあたって,試料が適切に採取されている保証はありません。試料自体に操作が加えられているという可能性を潰すには,検体の採取から検査までを,日本システム企画株式会社とは全く利害関係のない,信用のおける分析会社に依頼することが重要です。導入するかどうか迷っている場合は,日本システム企画株式会社が出してきた検査結果ではなく,ユーザーが,独自に,中立な検査会社に依頼して出したことが確認できる結果のみを用いて判断してください。なお,ユーザーが行った中立な結果だということを日本システム企画株式会社が主張している場合には,そのまま信じず,必ず裏をとるようにしてください。

 磁気活水器のページの中程に関連情報をまとめてあります。私に関して嘘を書いていることについては,随時指摘していく予定です。

「山月記」を久し振りに読んでみた

『「山月記」はなぜ国民教材となったのか』という本をネットで知って読んだ。「山月記」そのものは私の高校の頃の現代国語の教科書にも出ていて,授業を受けた記憶がある。が,もう30年以上前のことで,どんな指導だったかよく思い出せない。今読んだらどう読めるのだろうと思いつつ,青空文庫で読めるのでざっと読んだ。

李徴,悪い人じゃないんだけど詰めが甘いし計画性は無いし自己評価の基準が他者にあるしで,虎のメタファーが何であるかはとりあえず置くとしても,そりゃ虎にもなるわなあ,という納得感があった。

まず,博学才頴とあるから,李徴は勉強ができて優秀な人である。無事に試験に受かって官吏になって生活も安定した。ところが,官僚のままダメ上司に従うよりは詩人として名を残したいと考えて,妻子持ちなのに仕事を辞めちゃった。ひたすら詩作に耽った,とあるので,作品を量産してはいるようだから,単なるワナビーではないといえる。

サラリーマンしてるけど作家になりたいとか漫画家になりたいとか言う人,今の日本にもいっぱい居るが,いきなり仕事辞めて創作にふける人は少ないはずだ。創作系の仕事は兼業で始められることがほとんどなので,今の仕事に不満があっても,まずは作品を作って売ることを考え,売り出してやっていける見通しが立った後で仕事を辞めるというのが,計画性のある考え方だろう。売れるかどうかもわからないのに先に官吏を辞めちゃった李徴は,まるで計画性が無いしリスクヘッジもできていない。

なお,李徴のかみさんは割とよくできた人らしい。生活の安定してる官吏だと思って結婚したら,ダンナが詩人になると言って仕事を辞めちゃって,貧乏一直線という状況で,それでも別れずに居たのだから。

詩人を目指した理由にそもそも問題がある。「詩家としての名を死後百年に遺そうとした」が理由となると,李徴にとって,詩は後世に名前を残す手段に過ぎなかったことになる。詩が好きでたまらないから,とか,書かずにいられないから,とか,書いてるのが当たり前だから,という理由ではないのである。

詩の方で認められず,生活が困窮したので,もう一回官吏になってみたら,かつての同期,しかも自分より出来が悪いと思っていた同期が今は上司,という関係になっていて,なんで俺があんな無能の命令きかにゃならんのかとストレスと溜めた挙げ句に失踪しちゃった。次に人前に出てくるのは虎になった後である。

李徴の考え方には,自分は人より優秀だという思い込みがまずある。実際優秀だから全く根拠がないわけではない。李徴という人は,自分が他人より優秀だということが他人からも認められていることを自分で確認できると満足する。他人相手にマウンティングして自分が上だ,という状態でないと満足できないのである。だから,再度官吏になって,かつての同僚が上司になっていることに耐えられなかったのだろう。また,名前が後世に残れば李徴はよりいっそう満足できる。つまり,李徴とは,承認欲求の塊のような人物である。

後半,友人の袁傪は虎になった李徴と久し振りに再会して話をしている。袁傪に示される詩は,虎になるずっと以前,詩人として名をなすつもりで作っていたものの一部である。袁傪の評価は「作者の素質が第一流に属するものであることは疑いがない。しかし,このままでは,第一流の作品となるのには,どこか(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか,と。」というものであった。本当に詩人になる才能のある人とは,何をおいても詩を書かずにいられないような人で,他人がそれをどう評価するかは二の次三の次だろう。詩を書く技術は一流でも,承認欲求を満たす手段として書かれた詩に,なにがしかの欠落があると感じられるのは,そう不自然なことでもない。

虎になって生きると人間の心は無くなるが,今のところは人の心に戻る時間がある。その時間を使って李徴はあれこれ自己分析している。本人はこのまま完全に虎になることを悩んでいるようだが,むしろ完全に虎になった方が李徴は幸せではないか。どうしようもない自己顕示欲と他人にマウンティングして上に居ないと気が済まない性格が直せないのであれば,詩人としてダメで官吏としても出世が遅れることが確実となった後では,李徴が満足できる状況には決してならないし,ずっとストレスを感じながら生きて行くことになる。虎になればそういったものから解放されるので,やっと李徴に安らぎが訪れたともいえる。評価軸の基準が他人にしかない人間が解放されるには,他人との関わりを断つしかなかったということなのだろう。

ところでこの虎になるという感覚は,私にもわかる。最近はほとんどやらなくなったが,昔は,虫を探したり,文学の元ネタになった場所を訪問するといった目的で,レーションやら雨具やらをリュックに詰め込んで一人で山やら人の来ない場所をうろついていた。これをやると,どこで物を食べるかとか,どこで寝るかといったこと以外のことを考えなくなる。食料だけは持っていたが,わりと気ままに動いていたので,食料が尽きたらどうするかとか,水をどこで確保するかとか,常に考えることになった。こういう時は,一日のうちのほぼ全てを,食べることと休むことだけ考えて過ごすことになる。この状態では,とりあえず無事に生き延びることに思考のリソースが全振りされて,他のことをあれこれ悩む余地はなくなる。多分これが李徴が虎になった状態に近いのだろうと考えている。

現代国語の場合は,なにがしかの教訓を引き出さなければならないらしい。私が思いついたのは次のようなものである。

  • 創作系の仕事は兼業でもできるので,いきなり稼げる仕事を放り出すのはやめろ。
  • 評価の軸が他人にあるというか他人に依存してる人は創作には向かない。
  • 何かと他人にマウンティングする癖は早いとこ直した方がいい。
  • 一人で思い悩んでいても到達点には限界があるし良い結果にならない。
  • 虎も案外悪くない。装備減らして山に数日入れば気分は体験できる。遭難の危険はあるが。

……現代国語の指導には使えないなあコレじゃw