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爆笑替え歌

Posted on 9月 4th, 2005 in 倉庫 by apj

  と学会例会に参加していた。で、会場で、埼京震学舎さん発行の「大宗教学」という同人誌を買ったのだが、第一頁目に掲載された替え歌がツボにはまって爆笑してしまった(他にも爆笑替え歌とツッコミコラム満載なので、このノリが好きな人にはおすすめの一冊である)。
 背景を説明しておく。6月4日に、トンデモ本大賞2005が開催されて、第14回日本トンデモ本大賞受賞作が、『人類の月面着陸は無かったろう論』副島隆彦著、徳間書店に、ぶっちぎりの得票数で決定した。この本へのツッコミは、会長の山本弘さんが詳しく書いておられる。これをふまえて作られた「日本トンデモ本大賞受賞奉祝歌」なのだが、ウルトラマンタロウの替え歌で、こんな感じ。

「アポロ! プロジェクトNo.11」

うそつきのNASAがいる うそつきの学者いる
そしてアポロは特撮だ
旗を見ろ 星を見ろ 地面を見ろ
批判したら 怒り狂う あまりにも……
何かがソエジーに起きる時
TVのバラエティ 真に受けて
ソエジーがおこりだす ソエジーがたたかう
たろう たろう たろう
月行かなかったろう

うそつきのNASAが来た うそつきの学者来た
そしてアポロは行ってない
あれは何 あれは敵 と学会だ
私も呼べ 君たちの 宴会に
アメリカ憎いと呪う時
TVのバラエティ 真に受けて
ソエジーがおこりだす ソエジーがたたかう
たろう たろう たろう
月行かなかったろう

『人類の月面着陸は無かったろう論』を読みながらこの歌を口ずさめば2倍楽しめると思う。

役割を放棄して煽るマスコミ

Posted on 9月 3rd, 2005 in 倉庫 by apj

 2ちゃんねるで話題になっていたので覗いてみたら、見覚えのある名前が出てきた。まず、元ネタになった「食卓の向こう側」の記事を一部引用する。

母豚のお産で死産が相次いだのだ。やっと生まれたと思ったら、奇形だったり、虚弱体質ですぐに死んだり。透明なはずの羊水はコーヒー色に濁っていた。
 「えさだ」。ピンときた農場主は、穀物など元のえさに変えた。徐々にお産は正常に戻ったが、二十五頭の母豚が被害に遭い、農場主は生まれるべき約二百五十頭の子豚をフイにした。
 母豚が食べたのは、賞味期限が切れた、あるコンビニの弁当やおにぎりなど。「廃棄して処理料を払うより、ただで豚のえさにした方が得」と考えた回収業者が持ち込んだ。期限切れとはいえ、腐っているわけではない。「ちょっとつまもうか」と、農場主が思ったほどの品だった。
 肥育用の子豚に与えれば、肉質にむらがでる。そこで母豚に、それだけを毎日三キロ与えた。農場主の計算では月二十万円のえさ代が浮くはずだったが、百十四日(豚の妊娠期間)後、予期せぬ結果が待っていた。
×   ×
福岡市内のコンビニで売られていた「おにぎり弁当」のラベル
 原因はわからない。だが、予兆はあった。与え始めて間もなく、母豚がぶくぶく太ったのだ。すぐに量を減らした。
 豚の体の構造は人間に近い。「人間でいえば、三食すべてをコンビニ弁当にしたのと同じこと。それでは栄養バランスが崩れてしまう」と、福岡県栄養士会長で中村学園短大教授の城田知子。
 一般的なコンビニ弁当は高脂質で、濃いめの味付け、少ない野菜。毎食これで済ませたら…。
 家庭にはない食品添加物も入っている。「腐る」という自然の摂理から逃れるには、何らかの形で人の手を加えなければならない。例えば、おにぎりを「夏場で製造後四十八時間もつ」ようにするには、添加物などの“テクニック”が要る。だが、そのおかげで、私たちはいつでもどこでも、おにぎりをほおばることができるのだ。

これを追跡したのが、MyNewsJapanのこの記事である。

これはスクープである。だが、「あるコンビニ」では分からない。コンビニのなかにも、AM/PMやセブンイレブンのように、比較的、添加物を減らす努力をしているチェーンもある。コンビニといっても地場の数店舗のものもあれば、全国チェーンもあり、品質管理にはばらつきがある。

 「コンビニ」と一緒くたにされては、風評被害がおきる恐れもあるし、全国のコンビニ店オーナーも迷惑だろう。なによりも、消費者としては、具体名が分らないと日々の消費行動に役に立たないから、話にならない。

 取材源秘匿のため、住所や農家や回収業者は伏せるべきだろうが、読者の立場からは、コンビニ名については伏せられる理由がない。

 この点、取材班にメールで尋ねると、「記事に実名を掲載していないことについて、特定の方にそれを伝えるということはできません。あしからず、ご了承下さい。」(「食 くらし」取材班)と、予想どおりの無意味な答えが返ってきた。少なくとも、報道機関が重要な5W1Hを省くからには、理由を説明する義務がある。

 たまたま、数日前にここで「食卓の向こう側」の著者のブログを話題にし、著者が合理的思考を欠いているのではないかということを議論した。今回、元記事の農家の人の話を読んで、真っ先に思ったのは、「**水を使ったら作物や家畜がよく育つようになった」というたぐいの、体験談による水関係の非科学宣伝と構造が同じだということだ。
 コンビニ弁当の一部は脂肪分が多くてカロリーが高いから、たくさん食べさせると豚が太るというのは、まあ、予想されることだろう。死産が相次いだことも事実だったとしよう。しかし、それだけでは、人間と豚の両方にとって、何の情報にもなっていない。
 もし、脂肪分の取りすぎが豚にとって主な問題だというのなら、食べさせる物を選べばよいだろう。揚げ物中心の弁当と、梅やシャケのおにぎりとでは、脂肪分の割合が全く違う。残飯を与えるときに、揚げ物の少ないものを選んで与えればいいということになるのではないか。もし、添加物の一部が問題だというのなら、次のステップは、何が問題なのかを突き止めることだろう。添加物の含まれた食品はこれからも増えるだろうし、化学物質に対する感受性は種によって異なる。「豚にはこれが含まれているものを与えてはいけない」といったことがわかれば、農家にとって役立つ情報になる。
 人間の方は、成人病の低年齢化が問題になっているが、すべてがコンビニ弁当のせいだというわけでもないだろう。まあ、コンビニ弁当ばっかり食べていたら栄養が偏るのは確かだから、各自で気をつければいいし、そのための教育はちゃんと学校でやっているはずだ。添加物を問題にしたいのなら、わざわざ詳しい人に訊きに行って「品に張られたラベル(内容表示)を見て自分で判断するか、確かな材料を手に入れて自分で作るか。食は自己責任。」しか情報がないのはどうかと思う。読者が知りたいのは、「コンビニ弁当が豚の健康状態に及ぼす影響」ではなくて、自分が買う時にどうやって判断するか、どれくらいの頻度までならそこそこ大丈夫と思って良いのか、という知識の筈である。
 コンビニの名前を公表するとパニックになる、と西日本新聞は主張しているようだが、とても元の記事にそれだけの内容があるとは思えない。「そのコンビニの弁当は豚に食べさせるとよくない」という以上の意味はない。この記事でパニックを起こす読者がいるとしたら、今、自分のところの豚にコンビニ弁当の残飯を与えている農家だけではないか。もし、人がパニックを起こすというのなら、失礼を承知でいうと、西日本新聞の読者の頭のレベルは関係ない煽りに簡単にのせられる程度だということに過ぎない。西日本新聞は、配慮する姿勢を見せつつ、読者を馬鹿にしているように見える。

救急外来にて

Posted on 9月 2nd, 2005 in 倉庫 by apj

 もうそろそろ24時間近く経つのだが、昨晩、帰宅途中にコンビニに寄ろうとして、空き地をショートカットして近道することを試みて、見事に、40cmくらいの土地境界の段差のところを自転車に乗ったまま落下して大コケした。ハンドルを握っていたまま前に回転したものだから、顎を地面にぶつけてざっくり切って、そこら中血だらけということになった。タオルのハンカチで押さえながら家に戻ったが、血がとまらないので、また自転車に乗って、近くの救急外来まで行って「すみませんが診てください」と血を流しながらやるはめになった。
 時間外診療を受けるなんて、学部の頃に食中毒だか胃腸炎を起こす風邪だか分からない症状で医者に診てもらって以来のことだった。
 行ってみたら、直前に救急車で運ばれてきたらしい意識不明の年配の女性が、ストレッチャーに載せられて処置室から運ばれていくところだった。家族らしい人が数人廊下の椅子に腰掛けて待っていた。医者が、CTだ、MRだなどと言っていて、どうも、どうして意識が無いのかがまだはっきりしないようだった。
 私の方は、ベッドに横になれと言われ、傷口を洗って何針か縫うことになった。傷の中に砂やらガラスやら、異物が残っていると、縫っても回復せず、また開けて取り出すことになり、回復がおくれるのだそうな。局所麻酔をするときに、目を閉じてろと言われ、どうしても何をしてるか見たくて目をあけていたら、顔の上にガーゼを置かれてしまった。多分、処置の途中で目に薬品が入ったりするとまずいというのがあるのだろうけど、防護眼鏡をかけてでも見たかった……。で、いざ縫合する段になると、もっと本格的にシートをかぶせられてしまった。上の面は吸湿性素材、下はビニールみたいな防水材料でコーティングしてある少し薄い青色のシートだった。傷口のところだけ穴があいてて、医者から見えるようになっている。シートをかけてから「息ができなきゃ言ってくれ」って言われてもだな……まあ、自分の息の水滴で濡れた感じがするだけで、呼吸に問題はなかったが。ただ、小さな怪我なのになんでこんなものをかぶせるのかと思ったら、胸のあたりに、糸やら針やら器具やらを置かれる感触が……。確かに、服の上に器具を直接置くと衛生上問題がある上、服を汚すこともあるから、ディスポーザブルの滅菌シートを使うというわけか、と勝手に納得した。
 傷を押さえたり麻酔を追加したりの作業の最中に、電話がかかってきて、医者が呼び出されていった。「**さん?」とか確認をとっている様子からして、救急外来に何かと電話をかけてくる常連がいて、関係者に名前が知れ渡っているらしい。意識不明な人はともかく、電話をかけて心の安定を得たい人の相手もしなきゃいけないなんて、仕事とはいえ医者は大変だ。弁護士は気に入らなければ事件を受任しなくてもいいが、医者は本人が酒に酔ってる時以外は受診を拒否してはいけなかったはずだ。まあ、今回かけてきたのはそれとは別の人らしかったが、本人の主張する症状と家族が見た状態が大きく食い違っているらしく、来たら精神科を紹介することになるかも、と説明をしていた。体の病気だって急病があるのだから、心の病気にだって急病があっても不思議はないな、とこれも何となく納得した。
 縫合を終わって、痛み止めと抗生剤をもらって帰ろうとしたら、入り口のところで「血圧が下がったので呼ばれました」と言ってる人とすれ違った。多分、夜中の1時頃だったと思う。家族が入院していて、容態が悪化したのだろう。
 翌朝受診するように言われたので、午前中に出向いていった。徹夜の当直あけなのに変わらぬ様子の昨日の先生に診てもらい、再度消毒して、薬を出してもらった。やっぱり外科の医者は体力勝負なんだなあ……。
 外来の処置室に、注意書きが貼ってあった。体液はすべて感染源だと書いてあるのは当たり前としても、伝票を汚染しないように気をつけるように書いてあったのは、なるほどと思った。伝票が汚染されると、会計などの事務方で感染事故が発生するということになるのだろう。器具の滅菌は後からまとめて何とでもなるが、紙を滅菌したあと使うのは難しいだろう。
 まあ、とにかく、妙にいろんな人間模様をかいま見たような夜だった。

天文台でもか……

Posted on 9月 1st, 2005 in 倉庫 by apj

 「はい、こちら国立天文台―星空の電話相談室」(長沢工著、新潮文庫)を買った。天文台の広報普及室に掛かってくる電話での質問について、やりとりの様子をまとめたものである。ところが、最後の方に、質問のされ方をきいていると、ものを科学的に考えようとする姿勢がみられないケースが増えているということが書いてあったり、星占いのために星座の配置を知りたいとか、UFOについて知りたいといった、むしろオカルトな質問が結構多いという記述だった。やってくる質問をきいて、理科教育の状況を著者は憂えている。
 科学リテラシーの講義をやって、学生からの質問を見ると、一体どこで誰から「テレビのバラエティ番組の言ってることの信憑性が高い」ということをすり込まれたのか、責任者出てこい、と思ったりするわけだが、一般の方々の質問を受け付けている天文台でも同じ傾向であったかと思った次第。

「教育的配慮」の思考停止馬鹿

Posted on 8月 31st, 2005 in 倉庫 by apj

読売新聞オンライン版から。

「毎日かあさん」論争、表現の自由か教育的配慮か

 文化庁メディア芸術祭賞を受賞した漫画「毎日かあさん」を巡り、作者の漫画家西原(さいばら)理恵子さん(40)と東京・武蔵野市の間で論争が起きている。

 西原さんの長男(8)が通う同市立小学校が、西原さんに「学校を作品の舞台にしないでほしい」と申し入れたためだ。

 「表現の自由への圧力」と抗議する西原さんに対し、市側も「正当な教育的配慮」と譲らない。双方が文書で主張を繰り返す事態となっており、9月2日の同市議会でも取り上げられる予定だ。

 西原さんは、「ぼくんち」「恨ミシュラン」などの作品や、放映中のNHK連続テレビ小説「ファイト」のタイトル画で知られる。

 「毎日かあさん」は、武蔵野市やその周辺を連想させる街を舞台に、西原さんの長男や同年代の子ども、母親を思わせる登場人物の日常をコミカルに描いており、2002年10月から毎日新聞で週1回連載中。連載をまとめた単行本も既に2巻が毎日新聞社から発行されている。昨年、文化庁メディア芸術祭賞、今年は手塚治虫文化賞を受けた。

 問題となったのは、授業参観の場面。主人公の母親が、落ち着きのないわが子を含む児童5人を「クラスの五大バカ」と表現し、ユーモアを交えつつ、子どもの成長を見守る内容だ。

 この場面が紙面に載った直後の昨年11月、長男の担任の女性教諭(40)が西原さんを学校に呼び出し、「迷惑している」「学校を描かないでほしい」と注文をつけた。

 西原さんは翌12月、毎日新聞社の担当者と同小学校に出向き、校長らに「保護者だからといって、編集者を通さず作者を直接呼びつけるのは非常識だ」と抗議。校長らは「学校に落ち度はない」と主張したという。

 西原さんは、父母の一部から「学校とトラブルを起こすならPTA活動に参加しないでほしい」と告げられたのを機に、今年6、7月、弁護士を通じて市側に「作品はあくまでフィクション」「公権力による表現の自由の侵害ではないか」などの文書を送った。これに対し、市側は、「他の児童や保護者への配慮をお願いした」「作品中に『武蔵野市』の固有名詞もあり、児童の人権に教育的配慮を求めることは当然」などと、8月までに2回、文書で回答した。

 西原さんは「フィクション作品の内容に介入するのは納得できない。子どもを学校に預けている立場上、作品を描くこと自体をやめろと言われたに等しい」と憤る。また、毎日新聞東京本社編集局は「毎日かあさんは西原さんの経験に基づいたフィクションで、内容については人権やプライバシーに十分配慮して掲載している。学校側には納得してもらったと認識している」としている。

 一方、同市教育委員会の南條和行・教育部長は「保護者を学校に呼ぶことは珍しくない。表現の自由を侵害してはいない。学校には不特定多数の児童がおり、配慮するのは当然だと思う」と話している。
(2005年8月31日14時32分 読売新聞)

 武蔵野市の教育委員会もその学校の校長も、そろいもそろってアホですか?
 通学する子供を持つ母親が、学校のことを話題にしてフィクションを書くことを止めさせようとする「教育的配慮」って何?他の児童や保護者への「配慮」って何?
 何かというと教育機関の人間は他人に「配慮」を求めたがるが、それはただの思考停止じゃないのか。「配慮」の中身も満足に説明できないくせに他人に配慮を求めるのは、教育者として正しい態度ではないと思う。というか、そういうのが表現をむやみに規制して物を言えない世の中を作ってるということにさっさと気付け。無神経に他人に「配慮」を求めて「教育者の責任」を果たした気分に浸るんじゃない。「無神経」に「配慮」を求めたがる人間を教育の現場から一掃しないと、いつまでたっても学校が風通し良くならないんじゃないか。
 それにな、担任が主張する「迷惑」って何?誰かから例によって匿名でクレームでも届いたわけ?だったら「状況は似てるけどフィクションだ」って説明すれば済むだけのことじゃないのか。「迷惑です」って言えば何でも通ると勘違いするんじゃない。何を迷惑と思うかは主観によってもぶれるし、文句を言わなければいけない本当の相手は「フィクションを事実と思いこんでクレームをつけてきた勘違いしてる人」の方だったりしてね。
 漫画を読んで、特定個人のことだとはっきりわからないように書かれているのなら、それ以上内容に文句を言うなと。どこにでもありそうな光景を描いてるなら、個人のプライバシーとも結びつきようがないだろう。

停電対応を忘れていた……

Posted on 8月 29th, 2005 in 倉庫 by apj

 日曜日が停電だということを忘れて、サーバを落とし忘れていた。日曜日になってつながらなくて、初めて停電だったことを思い出したという……。で、別様日に出てきて電源を入れたら、ファイルシステムのチェックの途中で止まってしまい、上がるはずのデーモンがほtんど上がらない(泣)。仕方がないので手動でfsckして、質問にすべて(y)と答えるという荒っぽい方法をとったら、何とか動いてはくれた。一応バックアップ用のマシンも用意してるのだが、なかなか整備まで手が回っていなかったりする。

科学の誤解はここまでひどい

Posted on 8月 28th, 2005 in 倉庫 by apj

掲示板の方に投稿があって見に行ったのだが、「食卓の向こう側」という連載を持っている記者の重岡美穂氏の2005-08-26のブログについて、あまりにもとんでもない誤解をしているようなので、コメントを書いておく。
 まず、重岡氏は、アスベストや水俣病の問題を取り上げた後、いずれも規制が遅れて被害を出したことを指摘した。その上で次のように述べている。

科学は起きている事の一部を検証するものだと思う。科学で分からないことなんて山ほどある。科学的に証明されていないから規制できない、という言葉が大きな顔をしてまかり通る時代、そんなことを胸を張って言う人たちが幅を利かせている間は、同じ問題が繰り返されるに違いない。
科学は私たち人間の感覚や体験、体感を補助する道具として使うべきだ。危険性が証明されていないから安全だという言葉の異様さに気づこう。なんだか危ないという状況がある「グレーゾーン」なら、生きている人間として当たり前に避けよう。
歴史に学ばなければ、人間は本当は賢くないんだという結論が待っている気がして、怖い。

 まず、重岡氏は、科学と人間の両方について誤解している。科学は、人間が自然をどう理解するかという方法論、及びその方法論を用いて行った努力の結果得られた知識である。起きていることの一部を検証するために使われる場合もあるかもしれないが、それだけではない。
 また、人間はもともとそんなに賢くはない。人間の脳は、見かけの因果関係があれば簡単に騙されるというのが、歴史の教えるところである。歴史を振り返れば、いかに人間社会で迷信が幅をきかせてきたかがわかるだろう。ただ、騙されっぱなしでいない程度の知恵は持ち合わせているわけで、脳が認識した因果関係と、自然観察の積み重ねで得られた因果関係を一致させるのが科学の役割である。
 重岡氏の言うように、感覚に基づいてグレーゾーンを避けるという方針を採ったりしたら、迷信を信じていた時代に逆戻りするだけではないか。「グレーゾーン」を避けるのが望ましいとしても、その「グレーの程度」には科学的裏付けが必要だろう。
 「危険性が証明されていないから安全だという言葉の異様さに気づこう」と重岡氏は書いている。しかし、これは「異様」なのではなく、単に論理的思考力が欠けているだけの話だ。「証明されていない」から導かれるのは「調べた範囲では今のところ安全らしい」という程度のことでしかない。
 危険であることを科学的に立証するのは可能だし、比較的容易である。ある条件で被害がでるという再現性の良い現象を1つでも見つければば、それで証明終わりである。ところが、安全であることを証明するのはほとんど不可能だ。ある条件で、これこれを調べたら、今の技術では被害も異常も検出できませんでした、ということがいくつ積み重なったとしても、安全を立証したことにはならない。別の条件で別のことがらを調べたら、危険だという証拠が見つかるいかもしれないからだ。科学というものは、「ある」ということを立証することはできても「ない」ということを立証するのは大抵の場合できないものなのだ。だからといって、いつかは危険性が見つかるかも知れないから規制しようというのは無理がありすぎる。さらに、体感や感覚を理由に物質の使用を規制したら、別の被害を引き起こす可能性の方が高いだろう。実は害が無いものでもあると信じて使わないことにする一方で、実は危険な物質を体感を根拠に無害だとして使うことになるのではないか。
 また、重岡氏の書かれたことは、全体として矛盾している。もし、人間の感覚や体験・体感がそんなにあてになるものであったなら、水俣病もアスベストの被害も発生しなかった筈である。この魚は食べたらどうも具合が悪くなりそうだ、この空気には何かが含まれてて吸ってると病気になりそうだ、ということが体感できていれば、そしてそれが誰にでも感じられるものであったならば、どちらも早めに対策することができただろう。現実には、全く危険を体感できなかったからこそ、そういう魚を食べたり空気を吸ったりしてしまい、その結果被害が発生した。その後、何が原因かを突き止めるには、やっぱり体感でも感覚でもだめで、科学を使って手間暇かけて調べる以外になかった。
 ある化学物質について「危険性が立証されていないから安全」と主張することも、「体感や感覚を優先して避けるべきだ」という主張も、同程度に論理性と合理性を欠いていように私には見える。

文章になるようにしゃべる技術

Posted on 8月 26th, 2005 in 倉庫 by apj

 2年ほど前にジャパンスケプティクスで水の講演をやって、それからいろいろあったり手違いが生じたりで、講演をテープに起こしたものを今頃見直している。テープ起こしは学会の担当の方がやってくださったのだが、読んでみて、こりゃこのまま活字になったら誤解されるよなあ、という表現のオンパレードなので頭をかかえている。
 話をしたときは、スライドを見せながら、箇条書きの項目について説明していたし、話すときの調子や、その後の質疑応答などで、多少曖昧な部分があっても訂正ができるから問題ないのだが、そういう部分無しで活字になると、かなり様子が違う。講演っぽいが読める形になおさないといけない。
 しゃべった内容をそのまま文章になおして、それなりの作文になってるようにするには、やはり練習が必要なのだろう。発表原稿をあらかじめ作っておいてそれを読む形式だと、もとが作文だからそう外れたことにはならないのだろうが、「棒読み」になるとアピール度が著しく落ちるので、別の練習が必要になりそうだ。まあ、ものを説明する講演と、演説とかスピーチととは違うといえば違うのだけど。
 もともと学会発表事始めの時から、メモは作っても原稿は作らない主義なので、話す内容と作文を一致させるということを全くしてこなかったわけで、今回そのツケが出たといえなくもない。
 それに……コレを言うとテープ起こしをしてくださった方に叱られるかもしれないが、私、結構早口で60分ノンストップでしゃべくり倒したから、ワープロ打ちの分量も跳ね上がってた罠……orz。

書類は文末をちゃんと読め

Posted on 8月 25th, 2005 in 倉庫 by apj

 今週、大学院入試で、合格者を確定させる大学院の会議が本日ごごからだったのだが、出る人と出ない人がいるわけで……。私はこれに出なければいけないのかどうかが分からず、先任の先生に聞いてみたら、「事務からの通知で、文末がご出席ください、となってると出なければいけないが、通知いたします・お知らせしますのものは出なくてもいい」ということだった。確かに、文面通りに理解すればその通りだわな。これまであんまり意識してなかったが、最後をちゃんと読んで判別しろということか。気をつけよう。

999円

Posted on 8月 24th, 2005 in 倉庫 by apj

 ウチの学科には、懇親会の担当というのがあって、今年は私が当番になっている。何をするかというと、メンバーからちょっとずつ懇親会費を集めて銀行に預けたり、学科のイベントの時にはそこから費用の援助をしたりという、要するに通帳と帳簿の管理である。預け先は地元密着ということで、当然山形銀行である。で、会議が長引くときのお茶代もそこから払うことになっていて、立て替え払いしてくれた人に総額999円を払うことになった。
 問題は、市内の山形銀行本店まで出かけて行っても、ATMでは1000円単位でしか下ろせないということだ。仕方がないので、まずATMで1000円下ろした。で、ATMに並んでいる両替機のところに行って1000円を500円*1+100円*4+50円*1+10円*4+5円*1+1円*5、という組み合わせに両替しようにも、1円や10円は1本という、確か硬貨20枚だか50枚だかの単位でしか変えられない。そこで、窓口に行って、500円硬貨を両替してもらうために書類を書いて、硬貨を受け取った後、おつりの1円をまたATMで預ける、ということになった。通帳は何代か前の担当者が作ったもので、印鑑がないから、窓口でちょうどの金額をおろすことができないので、こういうことになる。
 ATMで1円単位で下ろせるようにしてくれれば、こんな面倒なことをしなくてもよい。全ての作業を終えた後、「お客様からのご意見」用葉書を一枚抜いて、この件についてクレームを書いたことは言うまでもない。