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共通教育の講義で代替医療を取り上げているのだが

Posted on 8月 24th, 2007 in 倉庫 by apj

 講義のネタに入れるかもしれないものを見つけたのでメモがわりに。
 普段やっている共通教育の科学リテラシーでは、パンヴェニストの実験を紹介した後、代替医療について次のように学生さんに教えている。

西洋医学だけでは幸せになれないこともあるかもしれない。が、代替医療が医療費削減と結びつかないか、気をつけておく必要はあるだろう。今の日本の厚生労働省は、変な治療法を取り締まる方針だが、黙認しはじめたら要注意。金持ちは高度な医療を、貧乏人は代替医療でがまんせよ、ということになりかねない。しかも、上からの押しつけではなく、貧乏人が自分から望んで代替医療を求めるという状況を作り出して行われる可能性がある。アメリカでは、容認する方向に向かっている(貧富の差で、受けられる医療サービスに差があることを容認する社会なので)。

 政治家や官僚が「高価な先端医療は金持ちにしか使わない、貧乏人は代替医療よい」とは絶対に口が裂けても言わないだろう。しかし、代替医療の効果を煽る宣伝を放置すれば、「情報&経済的弱者」の何割はその宣伝を信じ、自分から進んで代替医療を選び始めることが予想される。これは「患者の自己選択・自己決定」のもとに行われることになる。山形大学で学んだ学生さんは、社会に出てからも、自分がこういう方向に誘導されない・こういう方向に他人を誘導する社会を作らない、という行動をしてほしいと思って、講義の時に触れている。
 ところで、「超自然現象」や疑似科学を調べる、というメールマガジンを購読しているのだが、51号に興味深い記述があった。

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★医療制度「改革」と代替医療&健康食品
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「週刊文春」2007年8月9日号に、「がん患者『お金』との闘い」という記事があります。「保険診療から見放された末期がん患者が直面する高額医療」のルポです。

 記事に登場するがん患者たちはいずれも末期。手術・化学・放射線の三大療法による「根治の可能性はゼロ」とされているものの、未承認薬や高度先進医療は保険がきかず、高額療養制度にも適用に矛盾があって自己負担の軽減が十分に行われない。つまり、病気だけでなく治療にかかるお金との闘いも壮絶な人々の話が書かれています。

 その人々が共通してたどり着くのが代替療法や健康食品。といっても、このルポはそれらを奨励しているわけではありません。要するに、現在の医療と保険の制度で十分な治療を受けられない人が、結局そこに行くしかなくなったという展開になっています。

 万が一、取材対象者の描き方に誇張や脚色があったとしても、記事で書かれている医療・保険制度についての説明自体は本当のことです。

「後期高齢者医療制度(後高医制)」という、現行制度の後退としかいいようのない制度が来年4月からスタートします。新制度が始まると、これまで国民・政管や組合健保などでうけていた公的医療保険(健康保険)について、75歳以上は全員この「後高医制」に入れられ、保険料は年金からの強制天引きとなります。

 この制度で受けられる医療サービスは厳しく制限され、例えば輸血なら1回だけで2回目からは自己負担。薬もたとえば血圧の薬「ノルバスク」「ブロブレス」を併用していた者は、1種類は保険がきくがもう1種類は自腹へ、などとなっています。

 今から20年ほど前、老人医療を「枯れ木に水をやるようなもの」と言い放った大臣がいましたが、昨今の「改革」なる路線は、とうとうそれを実際の法案で表明するに至ったのです。

 1980年代以降、我が国では第二臨調主導のもとで社会保障制度の見直しが積み上げられ、健康管理の自己責任化と社会保障制度を市場化へシフトさせる「構造改革」が企図されてきました。

 2002年に、野党欠席の中で与党が強引に成立させた「健康増進法」は、各自が健康状態を自覚せよという「国民の責務(第2条)」とともに、「特別用途表示食品(第6章第26条~第33条)」という、いわゆる健康食品の一部にお墨付きを与える条項もあります。

 つまり、国民に健康管理の責務を押しつけながら肝心の公的医療サービスは削減し、その受け皿として健康食品を検討することすらも国が法律で定めているのです。

 本稿で強調しておきたいのは、代替療法や健康食品にシフトする人イコール「非科学な人」「業者に騙される人」ではなく、現在の医療・保険制度の矛盾や弱点の中で、結果としてそれぐらいしか選択せざるを得なくなっているケースが実際にあり、今後はさらにそれが増える、ということです。

 記事には「一回26万円の代替療法」という小見出しがありますが、それでも、重粒子線治療の相場よりは「安い」。金額だけの単純な比較は意味のないことですが、患者(の家族)の財布と心境からみれば意味は大ありです。

「300万円は払えないが26万円なら払える。このまま何もせずに死にたくない。とにかく何かやってみよう」という判断を誰が責められるでしょうか。ましてや、国が民間の医療サービスへのシフトを進めているのです。責めるべきは患者(の家族)の「非科学な選択」ではなく、それを選択せざるを得なくしている社会にこそあるのではないでしょうか。

 社会の中の疑似科学問題解決は、個々に科学知識を求めるだけではどうにもならない面がある、という現実がこのルポでもわかります。

やむにやまれず目の前にぶら下がっている藁をつかむしかない立場や心境の人々に対して、藁が科学的にどうだとか、エビデンスだのハチノアタマだの言っても、藁が何故必要と思わされているのか、どうして藁に価値が見えるのか、ということを明らかにしなければ、藁に対する解決は見えてきません。

 藁にすがる状況を作り出しているのは、「健康増進法」「医療『改革』」といった国策であり、藁を作っているのは業者、藁に値打ちをつけてやっているのがマスコミ(健康情報番組)、その原作者兼道化役が○○博士や、タレント志向の目立ちたがり屋の学者達なのです。それぞれの立場に対し、徹底批判と改善の議論は可能です。

 にもかかわらず、かけ声ばかり「疑似科学は社会的背景がある」などとアリバイ的に唱え、実際には「○○という健康食品にエビデンスはない」などという訓詁学的な「疑似科学批判」に留まっていることが、いかに現実の問題解決に際して無力でかつ不誠実なことか……。

 「疑似科学批判勢力」の本気度が、今ほど問われているときはありません。

 擬似科学批判を運動化して直接政治と結びつけることがそのまま解決につながるかというと、それも違うと思う。そういう運動のあり方を否定はしないが、優先順位問題に巻き込まれるのもまた不毛である。社会が適切な合意をするための知識を普及させることには、擬似科学批判は役立つと考えている。全体に知識が普及すれば、どういう政治家を選ぶべきかというところで効いてくる。もし、普段から代替医療を信じる状態にはまっていれば、医療費削減の結果そちらに向けられていることにすら気付かないで、「これは自己決定である」と満足してしまうかもしれない(文春の記者は気付いたようだが)。まずは、政策に問題があることに気付かないと話が始まらず、そのためには擬似科学批判による知識の普及が役立つのではないか。

 人間は生きていれば一度は死ぬ。治る見込みのない高齢の癌患者に対し、限りある医療リソースをどこまで投入するかということは、本人や家族の感情の問題もあり、なかなか社会的に合意するのは難しいかもしれない。
 それでも、技術は進歩するのだから、普通の医療のコストダウンをするための技術開発にも予算をつけるという合意をすることはできる。あるいは、最初は高くても普及すればコストダウンできる技術を優先するという選択だってある。

 ところで、上に述べたような講義をしている立場から見ると、皮肉なことに、山形大学は、重粒子線治療をやりたがっているらしい。私が放医研に居た頃、重粒子線治療の治験が行われていた。所内に専用の送電線を引き込み、海岸に居並ぶ冷凍倉庫(電力が足りなくなると給電を止めて東電に協力できるクラス)を押しのけて、千葉県下で最も電力を使う事業所になっていた。治験の成果が出たら、もう少し小型の装置でできるようにして、全国の医療施設で使ってもらうようにしたい、という話だった。ただ、いくら小型化するといっても、モノが加速器では限度があり、抱え込めば維持費のコストダウンはまず無理だろう。先に導入した群馬大学では、年間100人の自由診療を受け入れないと赤字だと分かり、今頃困っているらしい。赤字の額は、現行の大学病院の黒字を簡単に越えるということだ。

 最先端の医療をやめろというつもりはない。しかし「金持ち以外は払えない高額ですごい医療」or「費用対効果が大変に怪しいがどうにか払える金額の代替医療」の2択を患者に強いるというのは、やはり何かが間違っている。「払える価格のそれなりの医療」も選べるように、政策的に、医療技術の開発も含めて誘導してもらいたい。私達にできるのは、そういう選択をしてくれそうな政治家を注意して選ぶことだろう。

前期の講義でどう答えるか迷った質問

Posted on 8月 23rd, 2007 in 倉庫 by apj

 前期、「科学とニセ科学について考える」という共通教育の講義をしたのだけど、その時にどう答えたらいいか、ちょっと迷った質問がこれ。
「温泉はニセ科学ですか」
 温泉に行くと、リウマチに効果があるとか何とかちょこっと書いて貼ってあるアレがニセ科学と呼べるか?という質問である。
 もし、瓶に入れた怪しい液体にそれらしい名前を付けて効能書きを添付して売ったら、まず確実に薬事法に触れる。また、温泉の効能書きについて、どれだけ厳密な臨床試験がなされているかは疑問である。字面だけ見ると、根拠出せやゴルァ!となるが、しかし実感としては、通常の温泉の効能書きがニセ科学には見えない。よっぽど極端に科学的根拠を主張して、かつそれがインチキなら別だろうが……。

 普段使っている「ニセ科学」の定義は「科学を装うが科学でない」というものである。温泉について考えるなら、まず、温泉の効能書きのあり方が「科学を装う」にあてはまるかどうかを考えないといけない。すると、確かに、病気に対する効果や飲み方が書いてあるが、臨床試験をしているとは思えないものが多数である。
 ところで、温泉とは、ずっと昔から病気に対する効果が書いてあるものであった。その効果が言われ始めたのは、おそらく、医学が今ほど発達しておらず、医者に気軽にかかってよく効く薬をのむこともできない、体を使う作業の多かった時代からであろう。そのような時代では、数日仕事を休んで湯に浸かってのんびりするだけでも、体を休めて病気の回復を助けたり、症状を和らげたりする効果は、今よりもはっきり感じられたのではないかと思う。その後医学が発達しても、温泉が医学の領域を侵すことはなかったし、温泉の側が代替医療としての地位を確立したわけでもない。怪しい代替医療信者が温泉を取り入れてことさらに効果を喧伝することが無いとは言えないが、普通の温泉については、「風呂に入ってくつろぐと云々」というのとさほど大きな隔たりはない。温泉地は、観光の目的地として人気が高いものも多く、そのような場所で病気に対する効果が書いてあったとしても、それを通常の医学や科学で十分に根拠づけられたものであると勘違いする人もまず居ないだろう。まあ、温泉が効くのは水のクラスターが……などと余計な科学モドキをくっつければ、温泉の説明でもニセ科学になるが、単に効能だけを控えめに書いてあるなら、それはもう科学とは少し違うカテゴリーのものとして定着している。
 こう考えると、温泉の効果は、文面上は病気に効くことになっていても、科学を装うということにはあたらないと考えられる。だから、「温泉がニセ科学ならショックだ」という学生さんに対して、「科学を装う状態にはなっていないから、普通はニセ科学だと批判するような対象ではない」と答えたのだった。

 この問題の難しいところは、一部分だけ取り出すとニセ科学といえそうでも、社会におけるあり方、全体の態様を考えると科学を騙っているとは言えないものがある、というところではないかと思う。

どこにそんなに金があるんだ?

Posted on 8月 23rd, 2007 in 倉庫 by apj

 Yahooニュースの読売の記事より。

水増し合格、大学側にもメリット…受験料収入12億円
8月23日14時43分配信 読売新聞

 大学入試センター試験だけで合否を判定する入試方式を利用して、「関関同立」と呼ばれる近畿地区の有名私大4校(関西学院、関西、同志社、立命館)に合格した受験生のうち、実際に入学するのは10人に1人もいないことがわかった。

 私立高校が合格実績水増しのため入学意思のない生徒を多数受験させたことが一因とみられる。同方式による今春の出願者は4校で延べ7万人を超え、受験料収入は総額約12億8000万円に上っており、大学側の経営上のメリットが大きいことも明らかになった。

 読売新聞の取材に、関関同立側が2007年度入試の状況を明らかにした。

 それによると、4校の同方式の総募集人数2572人に対し、志願者総数は7万4845人。総募集人数の9倍近い計2万2827人を合格させたが、入学者は計2082人にとどまった。4校は募集人数の7~12倍の大量合格者を出しているが、定員割れが出ており、入学率(合格者のうち入学した者の割合)は9・1%だった。

最終更新:8月23日14時43分

 12億 8000万円を74845人で割ると、一人1万7000円程度。独自入試を課すならこの倍程度はかかるだろうから、まあ妥当な金額か。10人に1人しか入学しないということは、4大学分で約10億円分の受験料収入が余分にあることになる。滑り止め目的で個人受験している人もいるはずだが、受験料収入を目立って押し上げるほど高校側が水増し受験させてるとすると、半分から3割程度としても、3億円から5億円になる。一体何校がやっているのだろうか。いずれにしても、「合格枠を金を払って大学から買う」というのが実現してしまっている。疑問に思ったのは、私立高校がどの程度補助金をとっているかということで、全額を入学者から徴収してまかなっているのなら内部の意思統一さえできていれば差し支えないかもしれないが、もし、公的な補助を受けているのなら、この目的に金を使うのはまずいんじゃないか。

水環境学会市民セミナー

Posted on 8月 23rd, 2007 in 倉庫 by apj

 タイトルのところで話をしてきた。

 久しぶりに安井至先生にお会いした。安井先生の講演は最初だったので、私が会場に入るのとほとんど入れ違いになってしまった。

機能水研究振興財団の堀田さんの話。 「機能水」は、安全性から科学的根拠までかなりよく調べられている。また、アルカリイオン水の臨床試験の成果は、アルカリイオン水に多少なりとも腹部愁訴に対する効果があることを実証しただけではなく、水を飲む量を増やしただけでも効果があることまで見つけてしまったことにある。教訓としては、きちんとした科学的手続きに沿って調べると、意外なことまでわかるかもしれないということか。

 学校の環境教育の教科書や副教材に、間違ったイメージを植え付けるものが含まれているという指摘など。岩手県立大学総合政策学部の山田さんによる。講演資料の引用文献が大変充実していて、資料として使える。どちらかというと左巻先生向けの話題?

学会とニセ科学

Posted on 8月 22nd, 2007 in 倉庫 by apj

 「技術系サラリーマンの交差点」より「分析化学会は「ニセ科学」と向き合うか」というエントリより。中で取り上げられた項目について、私なりの見解を述べておく。
●「ニセ科学」というネーミング
 使われだしたのは確かに最近で、多分松山の物理学会の前後からだと思う。確か、阪大の菊池さんが言い出たのだったか。科学を装うが科学でないもの、というのが、ほぼ合意された定義だろう。
●何が新しいか
 多分、一般消費者や(典型的なのがマイナスイオン)、義務教育の現場(水からの伝言)といった、割と社会に広まったものを対象にしていることか。これまでは、例えば、フリーエネルギーなど「夢のような」ことを主張している人達はいたし、本も出たりしているが、ある意味マニアックなところでとどまっていた。
● 「疑似科学的なプロセス」はあるが「対象そのものが疑似科学」ということはない
 「科学を装う」がニセ科学に当てはまる条件なので、そもそもプロセスしか問題にしていない。
●「疑似科学的か否か」は過去についての評価しかできない
 正確に言うなら、評価可能な期間は「過去から現在まで」ということになる。
●ターゲットの収集
 「まんべんない対象から公平に抽出するのは困難」とあるが、公平な抽出の基準は立てられない。国民生活センターも公正取引委員会も、本当に公平な抽出を実現しているのかというと疑問である。まあ、被害報告や苦情が多かったものが優先されることならあるかもしれない。
●誤解が生じる懸念
 ニセ科学かどうかのレッテルを貼って欲しいというニーズはある。これに対しては、判定ではなく「どう考えるのか」を主に説明することで対応するしかないだろう。
●所属先との関係
 使命感を主張するのは理由の一つに過ぎず、実際には研究者側の利害も相当入っている。これについては後で述べる。

ニセ科学関連で訴訟が起こっているが、その内容は科学論争ではなく、大学のサイト管理責任を問うものである。
言うまでもないが「疑似科学批判」と「専門家のウェブ活動のあり方」は別個の問題である。にもかかわらず、実態として多少なりともリンクしているようである。これは、幅広い立場の人が参加する学会が公式に関わりを持つ際には注意しておくべきことと思う。

 これについては、そのうち動けるだろうと予想している。大学の果たすべき責任と、発信者個人が負う、表現の内容そのものについて(これは大学は責任を負えないし、負うことにすると情報発信のほとんどが事実上不可能になる)の責任の切り分けを、一度は学外でもやっておく必要があると認識している(学内では規則を作れば良いだけなので)。

 さて、上記エントリのコメント中で柘植さんが引用した河合さんの主張「定かでない事柄を定かであるかのように喧伝するものを諫めるようなことをすれば、学問における定かでない事を定かにするという営みをレッテルを貼るかたちになって阻害するから、学問的にはやるべきでない」について。これがまさに利害と直接絡む部分である。「定かでない事柄を定かであるかのように喧伝されると、本当はこれから定かでないものを定かにする作業が必要なのに、その必要性が認識されなくなり、結果として学問の発展を阻害する」の方が妥当なのではないか。科学者にとってニセ科学が直接の利害を持つとすれば、この形でだろうと思う。

 学会の仕事としては、
 メンバーがニセ科学について何らかの投稿をしたりセミナーを開いたりという活動を行うことについて、一定の理解を持つこと。ニセ科学についての発表や情報交換の場を作るところまでは積極的にやってもいいが(消極的には邪魔しないというだけでもよいが)、学会公認のニセ科学を認定するなどということはすべきでもないしする必要もない。学会はそもそもそういう「お墨付き」を与える組織ではない。
ということになるのではないか。分析化学会に限らず、どこの学会でも同じだろう。

ニセ科学批判批判への対応

Posted on 8月 21st, 2007 in 倉庫 by apj

 Chromeplated Ratのエントリ(by poohさん)より。社会学玄論(by mercaさん)の「疑似科学批判が流行る理由」のコメント欄で議論していたら、「菊池先生と天羽さんへ」というエントリが上がった。
 展開はそれぞれのblogを読んでいただくとして、議論がさっぱり進まない理由は、mercaさんが、疑似科学と疑似科学批判の両方の実態を知らずに、疑似科学批判批判のメタな議論を書いたことによる。
 菊池さんについての

菊池さんを始めとするラディカルな疑似科学批判者は、自らは正しい科学観に基づいているという絶対的自信があり、自らの科学観を疑うことなく、他の学説を批判しているように思えます。

とあるけど、この問題は、既に松山の物理学会の時にたざきさんが指摘し、菊池さんも私も表現が多少違うだけで同意している。個別の科学の中身は、実験や観察の積み重ねによって不確かなものから確からしいものへと連続的に変わっていくのであり、この点については多分田崎さん、菊池さん、私は同意している。水伝批判、マイナスイオン批判を実際にやったら、菊池さんと私の主張は相当程度オーバーラップすることになる。だから、mercaさんのこの観察は、やっぱり現実を見ていないように思う。
 mercaさんは、きくちさんのニセ科学批判の具体的中身を知って批判しているように見えない。きくちと書いて貼り付けたわら人形に向かって批判を展開しているだけではないのか。
 しかし一体どうして私に理解を示し菊池さんには頑固に不理解を示すポーズをとっているのか?と思ったら、poohさんのところに面白い指摘が。

分断工作のつもりでしょう。頭悪いなあ。
by かも ひろやす (2007-08-21 22:13)

 で、poohさんの別の意味で興味深いコメント。

分断しようにももともとみんなばらばらなんですけどね。
暗黙で通じ合える優しい関係なんてないから、逆に見解の共通する部分は明解だし、そこは鍛えられてるわけです。思いつきの切り貼り言説なんかじゃそこには立ち向かえないわけで。

戦術が透けて見えるのは痛々しいですね。
by pooh (2007-08-21 22:38)

 去年あたりから、菊池さんと同じ場所で講演したり、たざきさんに司会をしてもらったり、左巻さんや小波さんも一緒だったりするもんで、ガワから見るとニセ科学批判の一派だか一味だかに見えることがあるらしい。たまにながぴいさんが別のスタンスでがんばってくれてたり。ところが現実は全く違っていて、poohさんの指摘通り、最初から全員ばらばらである。情報交換や打ち合わせはしても、なれ合いが全く無い。同じ事をしている人を見て一味とか一派だろうと思いたがる心理って、一体何なんだ?
 仮に、きくちさんと私を分断しようとしても全くの無駄に終わるだろう。必要があれば、個別のスタンスでやり返すだけの話である。
 疑似科学批判批判するのは自由だけど、それなら疑似科学の実際と批判の実際と批判してる個別の人達の実態をちゃんと見てからにしてほしいな。

 でもまあ、mercaさんのところはメタにとどまっているだけだが、もっと壮絶なのがある。「科学者の常識の欠如 – アルスブルグの研究室」で、延々ニセ科学批判をする科学者を批判している。ところが最初に

ニセ科学(或いは疑似科学)という言葉があります。言葉の正確な定義は知りません。

と勢いよく宣言。これじゃ、ニセ科学もニセ科学批判もニセ科学批判批判もまとめて不可能だろう。一体何を目的として長い文章を書いたのかが謎だが……一種の憂さ晴らし?

某教授ktkr

Posted on 8月 19th, 2007 in 倉庫 by apj

 産経関西より。

京大名誉教授 ベンチャー設立は無届け 大学、詐欺トラブル調査へ
 京都大名誉教授(63)が設立したベンチャー企業の出資金をめぐる詐欺トラブルで、この名誉教授が大学の就業規則(無許可兼業)に反し、無届けで会社を設立していたことが17日、分かった。大学は昨年8月、就業規則違反で名誉教授を厳重注意処分としたが、出資金をめぐる一連のトラブルについては全く把握していなかったという。大学側は「産学連携の流れに支障を来す恐れがある」として近く本格的な調査に乗り出す方針で、大学ベンチャーをめぐる行動指針についても京大独自の策定を検討する。

 関係者によると、名誉教授は教授時代の平成17年9月、京都府内の会社社長が出資した5000万円の一部を使用し、遺伝子工学を応用した医薬品の研究開発などを目的とするベンチャー企業「遺伝子情報調査会」を設立。代表者は妻で、名誉教授は顧問に就任したが、実質的には本人が経営していたという。

 ところが、大学に兼職の届けを出しておらず、無許可でベンチャーを立ち上げていたことが外部からの指摘で発覚。大学の調査に「会社にはアドバイザーとして就任したが無報酬だった。届け出が必要という認識がなく反省している」と話したという。

 大学は平成16年4月の国立大法人化後に定めた「兼業の取り扱い通知」に反し、「大学の教職員にふさわしくない行為」に当たると判断。名誉教授を厳重注意処分とし、同社の活動も事実上停止した。

 ただ名誉教授への出資金をめぐって出資者との間でトラブルがあったことは全く把握していなかったという。

 京都大の担当者は「当時の調査が甘かったといえばその通りだが、事実確認など早急に調査を進めたい」と話しており、大学ベンチャーをめぐるトラブル防止を目的とした独自の行動指針などを策定し、教職員への周知も徹底するという。

 この問題では、名誉教授がベンチャー企業設立のために借りた5000万円をめぐり、出資者の会社社長が返還請求訴訟を提訴。名誉教授が3250万円を支払うことで和解が成立しているが、ベンチャー企業の元役員だった国会議員秘書を名乗る男ら2人が4000万円を流用したまま行方が分からなくなっている。名誉教授は2人を背任や詐欺罪などで刑事告訴する構えをみせている。

 京都大では昨年3月、大学院医学研究科の教授が大学の許可なく、医療関連会社2社から計4500万円の資金提供を受けたとして懲戒解雇処分になったケースもあり、担当者は「退官したとはいえ、事実なら大学の信用にかかわるゆゆしき問題だ」と話している。

 (2007/08/18 9:06)

 思いっきり中西応援団の記録に残ってる掲示板のこの辺の話に見えますな。

需要のあるところに供給があると言ってもだな……orz

Posted on 8月 18th, 2007 in 倉庫 by apj

またまたYOMIURI ONLINEの記事より。日本語が読み書きできないという現実がこんな形ででてきていた。

1文字5円、卒論に代行業者…大学は「見つけたら除籍」

 大学の卒業論文やリポートの執筆を有料で請け負う代行業者が登場し、波紋を広げている。

 学生がインターネット上で見つけた資料をリポートなどに引き写す「コピー&ペースト」が教育現場で問題となっているが、これを上回る究極の「丸投げ」で、文部科学省は「事実とすれば、到底認められない行為」としている。

 ネット検索大手のグーグルも、「こうした代行は不正行為にあたる」と判断、代行業者のネット上の広告掲載を禁止する措置に踏み切った。

 「国立大の学生・院生を中心としたチームなので安心の品質」「6年で740件の代行実績」。ある代行業者のホームページ(HP)には、そんなうたい文句が並ぶ。別の業者のHPは「社員は学生時代に必要最低限の勉強量で優やAを取ってきた精鋭ぞろい」とアピールしている。

 料金は1文字5円程度。納期は卒論で1週間以上、リポートでは2、3日以上が多い。テーマや内容、分量、納期などを指定のメールアドレスに送り、その後のやりとりで合意すると正式契約となる仕組みだ。こうした業者のHPはネット上で少なくとも三つ確認されたが、個人レベルで請け負っているケースもあると見られる。

 このうち、昨年4月から事業を始めた業者が読売新聞の取材に応じた。これまでに300件近い問い合わせを受け、実際に100件以上を請け負ったという。2万字程度のリポートで10万円、発表会のための個別指導を含む卒論執筆だと35万円からという料金設定にしている。

 事業を取り仕切る20歳代の男性は「もともと大学院の入試対策を有料で行うつもりだったが、依頼の大半は卒論やリポートの代行だった」と明かす。法律関係が依頼の半分近くを占め、文学、経済関係も多い。理系では物理や化学は皆無で、情報科学の依頼が数件ある程度。これまでに、「単位が取得できなかった」「発覚してしまった」という苦情は寄せられていない。

 「卒論を3日で仕上げてくれ」など、安易に代行を頼む学生もいるが、この男性は「依頼者の多くは、教員に放任扱いされ、課題にどう対処すべきか悩んでいる。我々がやっているのは、最後の駆け込み寺のようなもの」と主張している。

 これに対し、この業者のHPをネット上で見つけた京都府立大の川瀬貴也准教授は、今年1月、「あなたたちのしていることは犯罪。即刻やめるべきだ」というメールを送った。「『卒論を代わりに書く』という商売があるとは、とんでもない話。発覚すれば、学生の単位を取り消すどころか除籍処分ものだ」と憤る。

 文部科学省大学振興課も「いかなる理由があろうと、他人に卒論やリポートを書いてもらうことは、常識からも認められない」との見解だ。ただ、大学側からの事例報告などがないため、当面は調査などはせず、様子を見守るという。

 一方、検索大手のグーグルは今年5月、卒論代行業者の広告掲載を禁止した。検索語と関連するウエブサイトが広告として掲載される機能で、今回の禁止措置について、グーグル広報部は「情報提供や執筆のサポートではなく、全部を代行するというのは、不正行為にあたると判断したため」と説明している。

(2007年8月18日16時14分 読売新聞)

 「法律関係が依頼の半分近くを占め、文学、経済関係も多い。理系では物理や化学は皆無で、情報科学の依頼が数件ある程度。」って、つまりは法学部でズルするヤツが多いってことか。リーガルマインドもへったくれもあったもんじゃないな。「教員に放任扱いされ、課題にどう対処すべきか悩んでいる。」って、悩んでとりあえず書いたら指導教員に見せに行けよ。そこでさらに無視されたんなら教員の怠慢だが、最初の案を見せに行きもしないで代行業者は無いだろ、普通は。
 これを防ぐには……卒業試験として、論文試験を課せばチェックできるのではないか。卒論のクオリティと本人の文章のクオリティに極端なギャップがある場合はズルした可能性あり、ということで。

まだちょっと違う気がする

Posted on 8月 17th, 2007 in 倉庫 by apj

 酔うぞさんのところでも取り上げられているが、YOMIURI ONLINEの記事より。

「言語力」育成、脱「ゆとり」も…中教審が指導要領改定へ

 今年度中に改定が予定される小中高校の学習指導要領について、中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)は16日、基本方針を「ゆとり教育」から「確かな学力の向上」に転換した上で、自分の考えを文章や言葉で表現する「言語力」を全教科で育成していく方針を固めた。

 国際学力調査で低下していることが明らかになった文章表現力や思考力を向上させる狙いがある。中教審は今後、各教科ごとに言語力の具体的な育成方策をまとめる方針だ。

 学習指導要領は、小中高校の授業で行う内容や時間数などを定めた国の基準で、ほぼ10年に1回改定される。現行の指導要領は、学校5日制の完全実施など、学習内容を大幅に削減した「ゆとり教育」が柱で、小中学校は2002年度から、高校は03年度から施行されていた。

 しかし、学力低下が指摘されているため、新たな指導要領では、「ゆとり教育」からの脱却を明確に示すことにした。

 さらに、「言葉は学力向上のために欠かせない手段」と位置づけ、小学校の低学年から、国語だけでなくすべての教育活動を通じて言語力を育成する必要があると判断した。

 例えば、小学校低学年では、体験学習で感じたことを作文にまとめたり、発表したりして、他の人と比べる学習を重視。中学の理科では、予想や仮説を立てた上で実験や観察を行い、結果を論述させる。体育の授業でも、筋道を立てて練習計画や作戦を考え、状況に応じて修正させる訓練を積むことを想定している。

 経済協力開発機構(OECD)が2003年に行った国際学習到達度調査(PISA)では、文章表現力や思考力を測る「読解力」の順位が、日本は8位から14位に下落した。

 中教審は、こうした力が欠けていることが、人間関係の構築が苦手な子供を増やし、いじめやニートなどの問題の遠因となっていると分析。言語力の習得を通じ、子供のコミュニケーション能力を向上させることも目指したいとしている。
(2007年8月17日3時1分 読売新聞)

 酔うぞさんと同意見になるんだが、「体験学習で感じたことを作文にまとめ」るんじゃダメだろう。まずは、「体験学習で何をやったか他人にわかるように説明する作文を書く」でないと。何を感じたかを考えて掘り下げられるようになるのはもうちょっと大きくなってからではないか。予備知識も経験も足りない年齢だと、知らないことを知ること自体が面白いのであって、内容の評価はひとまずどうでもいいような……。

 

文章で算数の問題を出すと、途端に回答が大混乱になる、といった報告があります。

 これ、大学でも状況は変わっていない。いや、トップクラスの大学の方は問題無しかもしれないが、ウチの場合、自然現象とその解釈を簡単に説明させるような設問を試験で出すと、ほとんどの学生がまともに答えられない(そんなわけで今日は必修2科目まとめて午後から追試をすることになっている)。理学部で、科学の概念が言葉として出てこないというのは、意味がわかってないし他人にも説明できないということで、じゃあ一体どうやってその先を考えるのだろう。

大学の試験などで「二つの説があって正解がない」といったことで「問題を出した方が悪い」と非難される論調がずーと続いていますが、

 採点側の都合ではなく、予備校の都合の面が強いというのが実感。出題する側が一番恐れているのは「マスコミの前で記者会見」「予備校にクレームをつけられる」の2点なので、解答が複数出ても採点基準さえしっかりしえいれば出してもかまわないと思うが、この意見は通らない。

 なお、読解力が根本的に欠けているのではないかと疑わざるを得ない結果が、この間の追試で出てきた。
・教科書に何種類か出ている相変化の概念図のうちの1つを描かせる問題を追試で出したら、本試験の時と違う問題なのに、本試験の解答と同じ図を書いてきた学生が数人。
・定圧熱容量の測定方法を簡単な概念図を描いて説明せよ、とやったら、定圧熱容量と定積熱容量が違う理由について解答した人が数人(2つの違いについては本試験で出題した)。
・必要がない場合に理想気体の状態方程式を勝手に仮定したら減点、と明記してあるのに、ちっとも守られていない。自分が答案に書いている式が理想気体の状態方程式かそうでないかの区別がつかないのか?
 必修科目で、落とせば後でそうとう厳しいことになるのがわかりきっているのに、脊髄反射で書いたような答案が出てくるのは一体どうしてなんだろう。解答する前に問題を読んでいるかどうかについて小一時間問い詰めたくなる。試験時間は90分で5問、記述の量は多くならないように調整しているから、あせりまくって勘違いするような状況でもない。ゆとり教育世代の最初の学年だから、ゆとり教育がまともに機能していれば、読解力と文章表現力でひっかかったりはしないはずなんだが。

ジャパンスケプティクス

Posted on 8月 16th, 2007 in 倉庫 by apj

 ジャパンスケプティクスの教育分科委員会の集まりがあったので東京まで日帰りで出かけた。
昼頃に東京駅に着き、ちょっと買い物があったので東京地裁に出向いたが、地下の売店の様子が変わっていて目的達成できず。
 昼食後筑波大付属中高にて、活動報告やら活動計画やらを話し合う。
中学高校の先生の割合が高い委員会だった。まあ、教育だからか……。総合的な学習の時間にニセ科学の調査を生徒がやって発表するというのが計画されていた。まあ、筑波大付属駒場といった、勝ち組生徒が集まる学校で、やる気のある先生がいるとそういうことができるのかな。リテラシー格差も拡大中なのかもしれない。でも、指導要領の縛りがあるため、なかなか科学リテラシーを教えるのは大変そうだった。教科書にないことをやるな、というクレームを気にしながらになるらしい。

 とにかく熱かった。暑いってのを通り越して周り中から伝導輻射対流とあらゆるやりかたで熱エネルギーが伝わってくる気がした。
ニュースによれば、
「これまでに観測された各地の最高気温は、岐阜・多治見と埼玉・熊谷で40.9℃と、74年前に山形で観測された国内の最高気温記録を更新したほか、埼玉・越谷で40.4℃、岐阜・美濃で40.0℃を記録した。」
 山形は第三位転落。とりあえず、もうこんな競争はしなくていい、ってかしてほしくないなぁ^^;)。