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Kei (2008/05/07 21:23)
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論宅さんのblogの一連の議論について、私はこれまでずっと、論宅さんが「脳内ニセ科学批判者」に対する批判を行っているのだと思っていた。しかしKumicitさんによるとそれは違っていて、本当の論敵はTheorySurgery氏であるという(The Black Crowes)。検討の経緯については上記blogを見ていただくとして、どうやら
あくまでも"疑似科学批判"一般ではなく、「特定の"疑似科学批判論者"たるTheorySurgery氏による"社会科学は疑似科学"という主張」がターゲット。従って、「社会学の方が、自然科学よりも科学的でありうる」ことを主張しているようだ。おそらく、"merca論宅"氏の念頭には、いわゆる"ニセ科学批判"などなかったと思われる。ということのようである。
(以下、TAKESANさんのところに書いたコメントと重複します)
そういえば、社会”科学”を擬似科学として批判するとか、”科学的”社会主義の擬似科学性を批判するという話は、ちらっときいたことがある。今につながるニセ科学言説へのツッコミを入れ始めた頃に「そんなものを批判するなら、なぜもっと重大な問題である”科学”を名乗る人文系の学説を批判しないのか」といった意味のことを言われたことを思い出した。あれは確かfjでだったか……。
この手のツッコミについては、「優先順位問題」ということで既にカタがついている。優先順位の議論を始めたら最後、結局何もできなくなるのは明らなので、各自ができることをするしかない。ある特定の問題が重要だと思うなら、他人に要求したりせず、そう思う人が自分でやれ、ということである。要するに「言い出しっぺの法則」を適用しろということである。
従来の擬似科学批判なら科学哲学のメタな議論やら、人文・社会学系の一部との論争が「決戦場」になっていたのかもしれない。ところが私は、主戦場というか決戦場としては、批判を始めた時から裁判所を想定していた。批判の内容が、社会科学云々ではなく、対悪徳商法と親和性が高かったからである。
科学的真実を述べたものに対する提訴は非常にやりにくいことも確かだが、可能性はゼロではない。批判した結果として嫌がらせの提訴をされる可能性があることは最初から予想の範囲内であった。ただ、科学に関する表現について提訴された場合に、裁判所で勝たないとまずいだろうと考えていた。いずれにしても、非専門家に対して、科学の詐称について指摘した結果、誰かの利害に差し障れば、それは訴訟への道に続いていかざるを得ない。
紛争になった場合には、メタな議論をいくらしたって裁判官を納得させるのは無理だから、論宅さんがやってるような議論というのは、私にとっては、はっきりいってどうでもいい代物である。口頭弁論で使えないから。それでも「科学を絶対視云々」という誤解を、世の中のうっかりさんに対して広める効果だけはしっかりあって、それは発生しがちな誤解であり、私がこの先誰かを説得する時に余分な一手間を発生させる方向に効くので、多少は対策せざるを得ない。
今回は、それが単なる私怨によるものだという指摘があったわけで、論宅さんは「ニセ科学批判批判」を掲げつつ、実は私怨で、議論の大風呂敷を広げまくって、全く関係のない他人の活動の足まで引っ張っていたのかと、呆れると同時にキレかけた。
「科学を絶対視」しているわけではない、科学は方法論だし得られた成果は自然の近似に過ぎない、揺るがない部分があるとしたらそれは自然観察の積み重ねによって支えられているからだ、ということを、どれだけ手間暇かけて専門家でない皆さんに説明してきたか、論宅さんは分かっているのかと小一時間(以下略)。
論敵が実在しているなら、メタな議論などせず、名指しで堂々と批判しろ。当事者同士でトラバの打ち合いでもコメント合戦でも存分にやってろ。それができないなら最初から批判なんかするな。誰と誰の間の、何に関する批判なのかが読んで一目でわかるなら、私も、私がスルーするべき議論かどうかを直ちに判断できる。社会科学と自然科学のどっちが科学的かなどという種類の議論には、私は最初から関わるつもりもないし関わりたいとも思わない。ド下手くそなやり方で議論を敷衍して、こっちがやってる説得やら説明の活動にまで勝手に引っ掛かかって来るな。
最初は、論宅さんは社会学の議論を試みているのだと思ったから真面目にコメントを残したりもしたのだが、私怨で他人の手間を増やすだけの傍迷惑な議論を平気でする人物という評価をするしかない。
風呂敷を広げたんならさっさと畳んでくれ。邪魔だから。
【追記】
つまり、論宅さんの行った批判は、「ニセ科学批判批判」ではなく、一般的な「ニセ科学批判批判」を装った、特定の「社会科学の擬似科学性を指摘する言説への批判」であったということになる。これを一言で言うとしたら「ニセ”ニセ科学批判批判”」とでも呼ぶしかないが、単語を見ただけではもはや何がなんだかわからない。
無理目な議論だとは思うが、とりあえず定義してみる。半分シャレだが。
●「ニセ”ニセ科学批判批判”」
ニセ科学(仮定義あり)に対する批判に対する批判という外見を装っているが、実はニセ科学に対する批判ではない別のナニモノカに対する批判や異議申し立てであったり、他人がうかがい知ることのできない個人的な理由や欲求を満たす目的を隠して議論をしているもの。
定義からいって、他人からうかがい知ることのできない理由や目的というのは、議論を見ただけでは直ちにわからないものなのだから、他人の議論を最初から「ニセ”ニセ科学批判批判”」と決めつけることは、ポパーの言うところの反証不可能な主張となってしまうためお薦めできない。別に調べた証拠によって、欲求や目的の存在が明らかであるならば「ニセ”ニセ科学批判批判”」と判断してもよい。
posted at 2008/01/17 02:14:22
lastupdate at 2008/01/17 23:12:13
まあ、例えば、
・(社会)科学を装う
・(社会)科学でない
ものを、「ニセ(社会)科学」と呼んだってかまわないわけですけど……。だから、概念自体を拡げることはできるでしょうね。「ニセ科学」というのは、広い意味で「詐称する行為」の中に含まれていますし。
でもまあ、私は、当分自然科学だけでいきます。あんまり先に概念を拡げすぎても議論の収拾がつかなくなりそうです。拡張するならば、地道に自然科学以外の実例を拾った上で、その時期がきたら、拡げられると思う人がその議論をしてくれればいいかと。
>ふじさん
考古学や歴史認識にも、ニセ、つまり、お作法にそってないものは多々あるので、あえて自然科学に限定してしまうとかえって動きにくくなるので、よろしくないと思いますよ。
Kumicitさんの推測が正しいとして、そうなると状況は確かにA-WINGさんのおっしゃるようなことなのかも、です。
ただ、論宅さんが駄目だったのは当初の動機ではなく、本質的には以降の論の展開と言説の発信の部分だと思います。結果的にそれは駄目な「ニセ科学批判」批判となって表出したわけですので、論宅さんの動機がどうあれ一連の議論が無効だったわけではないと思います。
ちなみにぼくは批判の対象を自然科学に限る、と云う視点には賛成できません(ぼく自身、そうしていません。そこに問題があるとすれば、批判をお願いします)。論宅さんが駄目だったのが「立脚点が社会科学であることを標榜しているため」だと理解されているのだとすれば、ぼくはそれを正面から否定する立場にあります。
たとえば、血液型性格判断は、ニセ科学の代表として看做されていると思いますが、この論は、自然科学―社会科学をまたがっている、という感じなのではないかと考えています。「性格判断」は、分布が偏っていれば成り立つ現象ですので。これは、実例の一つかな、と。
という訳で、初めから概念を広げてしまうのがまずいのは、確かにその通りで、注意しなければならないですけれど、ふじさんのコメントにあるように、初めから自然科学に限定するのは、ちょっとまずいかな、と思いました。←もしかすると、ふじさんは、文脈を限定した上で仰ったのかも知れないので、私に誤読があるのかも知れませんけれど…。
>考古学や歴史認識にも、ニセ、つまり、お作法にそってないものは多々あるので、あえて自然科学に限定してしまうとかえって動きにくくなるので、よろしくないと思いますよ。
>ちなみにぼくは批判の対象を自然科学に限る、と云う視点には賛成できません
まあ、学問というのが「確かさ」という指標を持つという観点からするなら「学問の成果である『確かさ』をかすめる取ろうとする」という目的で学問的であると装う学問的で無いものは全てニセ学問ではあるわけです。ただ、理解して欲しいのは、学問の持つ「確かさ」のイメージの中でも自然科学の持っている「確かさ」のイメージは際だっているわけです。これは別に自然科学が優れているからではなくて、対象が自然現象という「人間が変えることのできないもの」であるために、自然科学的に「有る」と証明された事象は、人間がどう否定しようとしたって有るし、「起こる」と証明された現象は条件を満たしていれば起こるからです。
そういう意味では、人文的な学問は「学問的である」と偽ってもなかなか「学問的なのだから確かだろう」と素直に信じられるということが、自然科学に比べて起こりにくいだろうということは言える訳ですね。そう考えるなら「ニセ科学」を広く「ニセ学問」として批判活動を行っても、どうしても中心は自然科学的なニセ物となっていくと考えられるのでは無いでしょうか?
>論宅さんが駄目だったのが「立脚点が社会科学であることを標榜しているため」だと理解されているのだとすれば、ぼくはそれを正面から否定する立場にあります。
ここに至っては、それは無いと思います。
「議論の展開と中身に意味が無かったから」でしょう。あるいは「社会科学ですらない議論」を「社会科学であることを標榜して行った」わけで、ニセ科学ならぬニセ社会科学だったから、ということではないかと。
TB送らせて戴きましたが、何やら壮絶なオチの予感が兆してきましたね。皆さんほどよく事情を識らない新参者のオレが、ちょっと論宅さんの動機を忖度してみました。いや、一応洒落ですが(笑)。
なんか、ウケなかったギャグの説明をするようで恥ずかしいんですが(^^;
私は、手段が適切でなかったために無関係の人を巻き込んでしまったと言う意味で「クラスター爆弾」と表現したのであって、一連の議論が無駄だったという意味ではないです。すみません、分かりにくい喩えで。
>技術開発者さん
私は最近、一般の人(なんて言うと偉そうですが)は、自然科学的な理由よりも、人文的な理由のほうに、より確からしさを感じるのかなぁと思います。
例えば「水伝」は、「言葉の種類によって水の結晶が変わる」というもので、全体としては自然科学の話ですが、この中の「言葉」や「水」、「結晶」という単語が帯びているイメージを考えると、単に話が自然科学的であるから信じられている、というわけではないのかも知れない、と思うのです。
もっとも、もしかしたらこういうことも、自然科学の範疇に入るものかも知れませんけども。
ありがとうございます。
確かに、仰るような懸念は、注意しておくべきだと考えています。徒にメタな議論を呼び込んでしまうのは、避けたい所ですね。
たとえば、血液型性格判断という説は、血液型を知って、そこから高い確率で性格が当てられる、という構造な訳ですね。これは、血液型と性格の、強い生物学的連関を前提しなくとも、成り立つ現象です。そして、それが事実であるかどうかを解明するのは、より社会科学に近い方法だと言えます。
従って、「自然科学」と限定すると、少なくとも、血液型性格判断は、押さえられないと考えられます。
私は、ニセ科学の「科学」は、広く「実証科学」と捉えているので、そのような認識です。ですから、たとえば、臨床心理学や社会科学におけるニセ科学も、念頭に置いています。
ただ、ふじさんも仰るような、難しい問題もあるので、敢えて「ニセ科学」と呼ぶかどうか、という所は、慎重な態度を心掛けています。血液型性格判断は、その例外の一つ、と言えるかも知れません。きくちさんが「練習問題」と位置づけておられるように、より「解りやすい」説なので。
他にも例を出すと、社会学の分野で、「体感治安悪化言説」というものがありますが、これは、実証的には間違いだと考えられています。だから、論理的には、「ニセ科学」と呼ぶ事は出来るでしょうけれど、今の所私は、そう表現してはいないですね。
また、「ゲーム脳」なんかも、厳密に自然科学的、と言えるかどうかは、難しいのですよね。あれは、生理学的なデタラメと心理学なデタラメが、合体した様なものなので。
ですので、自然科学に限らず、現在、各分野で認められている実証科学方法に拠っているか、というのを判断基準として考えるのが、良いのではないかと思っています。
▽▽▽引用▽▽▽
「体感治安悪化言説」というものがありますが、これは、実証的には間違いだと考えられています。
△△引用終了△△
凄く不正確な書き方でした。
実証的に否定されているのは、「治安悪化」言説です。つまり、少年犯罪・凶悪犯罪が近年激増している、という説です。
で、体感治安悪化、というのは、実際の治安がどう変化したかに拘わらず、社会に「治安が悪化したのではないか」、という認知が広がる事ですね。
なので、言葉は似ていますが、一応別の概念です。
失礼しました。
また従来の進化論あたりだと「実証科学とは言えない」なんて物の言いも見受けますよね。
メタな議論を科学哲学系に振ってしまうと、こういう方向になってしまい議論に収拾が付かなくなるので、ニセ科学批判の議論には相応しくないでしょうけれど、個人的興味なので質問させていただけると幸甚です。
個人的には進化心理学あたりになると科学方法論のレベルで微妙な印象を持っています。
kikulogに、「血液型と性格」、「血液型と性格2」というエントリーがあります。
現在、膨大な量のコメントが蓄積されていますが、そこでは、とても様々な議論がなされていて、ふじさんの疑問に対する意見も、色々と出ていると思います。
基本的に、詭弁を弄して他人を煙に巻く方とのやり取り、という形になっているので、少々読みにくいですが、大変勉強になると思いますので、一読をお勧めします。※凄まじく重いので、PCに負担が掛かりますが…。
簡単に言いますと、血液型性格判断は、経験的には否定出来ませんし、出来ると主張すべきでもありません。だからこそ、社会科学的な研究も必要だという事です。
ところで、私が例に出したのは、治安悪化説は、社会学におけるニセ科学と言えなくも無い、という事なので、体感治安悪化をどう捉えるか、というのは、また別の問題かと思います。私の書き方が、ちょっとややこしかったですが…。
------
>katsuyaさん
心理学の場合だと、「学際的な分野である」、とするのが妥当だと思います。社会心理学のような領域もあれば、心理物理学の様に、より生理学に近い領域もありますし。心理学内でも、行動主義と認知主義の議論などもあって、複雑だと感じます。であるからこそ、ニセ科学を論じる際に、自然科学と限定しない方が良い、と考えています。
心理学の様な、不可秤量を研究する分野を、「自然科学」と呼んで良いのだろうか、という立場もあるでしょうし、そういう立場は徹底的に批判して、心理学をも自然科学の一分野であるとする人達も、いるでしょうから、そういう現状を踏まえるならば、個別の領域と、そこで用いられる方法を丁寧に見ていくのが、現実的かと思います。
>「ニセ”ニセ科学批判批判”」が集団化せずにバラバラなのは当然だったということかと。
集団化はちょっと違うのでは。個別のニセ科学の批判をしている個々人だって集団化はしていません。ただ、個別のニセ科学を批判する側には相互批判があったけど、「ニセ科学批判批判」を自称する人達の間では相互批判があるようには見えない。議論している人達が「為にする議論」をしているだけだということならば、自己満足できればそれで終わりなので、互いに切磋琢磨するメリットが何もないということなんでしょう。
>ところで、”ニセ科学批判批判”についてはその存在自体が怪しくなった訳ですが、存在しないもののニセモノ、って一体…
存在は怪しくなりつつありますが、今の段階では、「存在しない」とまでは言えないですよね。
看板に偽りありなものが見つかったというだけで。
> 存在は怪しくなりつつありますが、今の段階では、「存在しない」とまでは言えないですよね。
ニセ科学批判批判をしている方々の仮想敵は大槻教授ではないでしょうか?
(だれかに「心理歴史学は?」と訊いてみたくてしょうがないけど、不謹慎なのでやめときます)
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もちろん言語学にも色々な立場があるので、これが全言語学者共通の理解だというわけでは全然ないですけど、僕はこの内容には概ね賛成です。
ちなみにネット上には(一般書籍にも)ニセ科学/疑似科学とよく似た特徴/問題を持つ「ニセ言語学」と呼びたくなるような言説がしばしば見受けられますが、直接的な社会的被害(詐欺など)という点から見ると自然科学系のニセ科学には全然及ばないかなあ、というのが個人的な感想です。ただ、語学教材関連では危ないものもあるようですね。
専門の研究者としては困る問題なので地道に批判活動はしたいなと思っているのですけれど。
語学教材関連のものは素人目にも怪しげなのが多い感じですね。後学のために、よろしければ具体的に「ニセ教材」と思われるものがあったら、ご紹介いただけませんでしょうか。
>ふじさん
えっと。
kikulogのエントリーを読まれるのを、お勧めします。あるいは、きくちさんが書かれた血液型性格判断に関する考察でも、良いと思います。
じゃあ、時間のある時にでもじっくり読んでみてください。
社会科学的な関連の議論はその後で改めて、ということで。
僕は語学教育や第二言語習得の専門家ではないので、あまり具体的で詳しい情報を提供できるわけではないのですけれど、以下参考までにいくつか。
たとえば、以前こんなエントリを見つけました↓
» link here «
この中で脳の研究と語学教材の関係について触れられていますが、これには僕も同意します(脳科学と言語学の連携やその進捗状況についてはある程度知っていますので)。
あと、最近気になるのは「子供が言葉を覚えるのと同じように」というキャッチフレーズです。
基本的に母語を覚える過程と、母語を覚えられる時期(年齢である程度決まっていると言われています)が過ぎた後に言語を覚える過程はかなり違うということが言われています。
用語としても、第一言語(母語)に対しては、「獲得(acquisition)」、第二言語(いわゆる外国語)は「習得(learning)」という単語が使われます。
実際には、第二言語習得の際にも(部分的に)第一言語獲得に似たプロセスを利用しているのでは、という研究も進められていますが、それでも全く同じとは言い切れないようですし、そもそも教材に応用できるほどには研究が進んでいないはずです。
ただ、難しいところは、基盤としている理論に根拠が無くても、その教材に効果が無い、あるいは悪い教材だとは言い切れないところだと思います。
極端な話をすると、外国語教育で非常に重視される要因に「動機付け(モチベーション)」があるのですが、もしその教材が常に楽しい飽きない学習時間を提供してくれるなら、それだけでその人には効果があるのかもしれないのです。
外国語教育は実践としても研究としても非常に複雑で難しい分野で、万能薬的なものが発見されたというのは寡聞にしてか存じません。
基本的には明らかに語学教材として値段が高価なものは、疑って良いと思います。
最後に、言語研究者も自分自身の語学には悩まされますが、僕の知っている/周りの言語関係の研究者で「簡単に〜」「これをやるだけで〜」のような教材を使っている人は見たことが無いということも付け加えておきます。
あれ、ニセ科学って、自然科学限定なのですか? 私は、もっと広い概念だと思っていたのですけれど。