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実名匿名論争ではなく、送達可能性に一本化しては

Posted on 9月 6th, 2011 in 倉庫 by apj

 ツイッターで発言した話題に関連するのだけど、ネット上の発言については、そろそろ「実名・匿名」論争はやめて、「(訴状の)送達可能性」の議論に一本化した方が良いのではないかという提案(法律用語に「送達可能性」というのは無いので、ここで使っても大丈夫だろう)。

 ネット上の実名匿名論争は昔からあって、実名だから信頼できるとは限らないとか逆にひどい発言も出てくるといった指摘も行われてきた。また、誰が発言したかではなく内容で判断、という基準も立てうる。一方で、新聞記事でも全てが署名入りではないということもある。実名っぽいペンネームはどうなんだといった話もある。これまでいろいろな論争を見てきたけど、同じ事の繰り返しで、実名か匿名のどちらが是か、という問いの立て方では議論が収束することは無いのではないか。

 実名と匿名の最大の違いは、相手の発言によって権利侵害された場合にいかに低いハードルで法的措置をとれるか、という部分にある。

 相手がマスコミなら、出所のはっきりしない情報に基づく筆者不明の記事でも、公開されて権利侵害が生じた時点で、公開した人(つまり会社)を訴えて損害を金銭に換えて請求する、というのが最終的な問題解決の手段となる。新聞社や出版社なら代表取締役を宛名にして訴状を書けばいいし、もし、書いた人までわかっているなら、その人も被告に加えることができるだろう。この場合は、ただちに、内容が権利侵害か否か、侵害してるとすれば損害はいくらか、という「内容の審理」に入ることができる。しかも、名誉毀損等の不法行為を理由として提訴する場合、管轄の裁判所は原告の住所地で良いことになっているので、遠く離れた相手であっても住居に近い裁判所で審理してもらうことができる。
 これが、ネットの匿名が相手だとどうなるか。
 相手のIPアドレスがわかっているなら、プロバイダを特定した後、発信者情報開示請求の訴えを起こし、相手を特定した後で、「内容の審理」のために訴えることになる。ただ、相手のIPアドレスが分かっているというのは、被害者が管理する掲示板やブログのコメントなどに直接書き込まれたという、むしろ幸運な場合である。
 プロバイダとは直接関係のない掲示板に書き込まれた場合は、掲示板管理者に書き込んだ人のIPアドレスの開示を求め、IPからプロバイダを突き止め、プロバイダを訴え、書いた人を訴える、と、余分な手間がさらに増える。
 書き込みが匿名串からのものであった場合、掲示板から向こうがたどれない場合もある。また、手順を踏んでいる間にプロバイダのログの保存期間を過ぎてしまったら、開示せよの判決をもらったとしても開示が不可能ということも起こりうる。そうすると、そこから先の追跡が不可能になる。そうならないようにするには、プロバイダがわかり次第、ログを消すな、という仮処分の申請を裁判所に突っ込んでおくしかないが、それでも確実とはいえない。
 しかも、相手がプロバイダで発信者情報開示請求、となると、不法行為ではないので、被告の住所地つまりプロバイダの本店所在地(登記上の)の裁判所で訴えることになる。プロバイダが東京で被害者が地方在住だと、往復の旅費と時間の負担だけでもかなり増えることになる。こんなことになったら、地方在住の素人にとっては、東京という見知らぬ土地で頼りになる弁護士を見つけることも容易ではないし、みつけたとしてもその分だけ余分に費用がかかる。

 つまり、ネットの匿名発言の問題点は、匿名の情報発信によって被害が発生した場合に「内容の審理」に入るまでに被害者が払わなければならない手間とコストが、相手がマスコミ等の場合に比べて著しく高い、ということにある。このことが、事実上、救済の道を多くの場合において閉ざしているように思う。匿名の影にかくれて、などと言うと、匿名でもまともな発言があるし実名でもアレな発言がある、と反論されてしまう。しかし、発言姿勢を問題にするのではなく、権利侵害が起きた後の手間の話に限ってしまえば、「加害者特定までのハードルに大きな差があって匿名さんが不当にこの差を利用する結果になっている」のは、訴訟制度が作り出している事実であって例外はない。

 三浦 和義「弁護士いらず 本人訴訟必勝マニュアル」という本には、マスコミ相手の名誉毀損訴訟がたくさん書かれている。これも、相手がマスコミだから訴状の数を撃てたのであって、相手がネットの匿名さんだったら、これだけの数の訴訟をするのは無理だったのではないだろうか。

 実名匿名論争を繰り返すのではなくて、訴状の送達の難易度を、相手がマスコミであった場合と同程度にネット上の匿名さんに対しても引き下げる仕組みをどうやって作るか、ということを考えた方が良いのではないか。私にも具体的な案は直ぐには思いつかないが、このことに絞れば、考えてくれる法律家が居るのではないかと期待している。

追記;
 少し考えたのだけど、手続き上の手間という観点で見た場合、実名と匿名の区分けは、日常生活における区分けと異なっていると考えると整理しやすいのではないか。

 日常生活でいうところの実名を、まず「強い実名」と「弱い実名」に分けることにする。
 「強い実名」とは、実名さんによって権利を侵害された場合、他の訴訟と変わらない手間で「内容の審理」に入れるものをいう。たとえば、マスコミは全てここに入るだろう。匿名記者による記事でも、法的責任を負う相手がはっきりしている場合はここに入れることになる。
 「弱い実名」は、情報発信自体は実社会における実名あるいは実社会で認められているペンネームで行われているが、法的責任の追求に際して、プロバイダに対する発信者情報開示請求が必要となりうるものをいう。本名を名乗っていても、本人だけが編集できるサイトならともかく、他所の掲示板への書き込みだと、他人がなりすましている場合もあるし、書いたことについて本人が嘘をついたりしらを切ったりすることもある。そうすると、IP→開示請求→本人特定、の証拠をつきつけないと、「内容の審理」がはじまらない。また、そうしない限り送達先住所がわからない場合もある。本名で情報発信した場合、強い実名になるか弱い実名になるかは、どこのサイトに書き込んだかにも依存する。
 「匿名」は日常生活でいう匿名と同じとしてよいだろう。実生活では使わないハンドル名もここに含まれる。

 手続き上の手間を考えた場合、日常生活でいうところの実名・匿名の線引きではなくて、強い実名と、弱い実名・匿名、で線引きする方が、現状の実態には合っている。こう考えると、日常生活の意味での実名匿名の区別というのは、ネットではあまり重要ではないし、線を引くのもそこではなくなってくる。むしろ、「実名(ネット)」=強い実名、「匿名(ネット)」=弱い実名・匿名、の方がすっきりする。被害者救済の制度設計の内容として、「匿名(ネット)」への送達可能性のハードルを、「強い実名」並みに下げるということが実現すれば、実用上はそれで十分なのではないか。