自主学習をめぐるあれこれ

Facebookに書いたものを記録のためにこちらに転記。

近くの文房具屋を見ていたら,「自主学習ノート」「家庭学習ノート」という表紙のノートを売っているのを見つけた。中身は5mm方眼でリーダー罫が入っている,よくある小学生向け学習ノートだった。同じフォーマットの学習ノートは5教科のシールがついてたりして,どのノートか自分で決められるようになっているのになぜ,と思って,ちょいと検索したら,

 
http://www.tokyo-np.co.jp/event/kyoiku/result/17/05.pdf

や,

http://www.cer.yamanashi.ac.jp/web_up_file/centerkenkyukiyou/edu_no18/pdf_data/no18_13.pdf

が見つかった。

 どうも,秋田県の学力調査の結果が良く,調べた結果,家庭学習の時間が長いので,その習慣をつけさせるために,何でもいいから自分で決めたテーマで1日2ページくらい自主学習をしてノートを作る,という宿題を出すことが増えているらしい。何でもいい,となると,何をするか迷う人が居るので,テーマのヒントを集めたサイト

https://homework-recipe.com/

までできていた。

 私が小6の時も自主学習ノートはあった(昭和の時代の滋賀県の田舎だけど)。担任の先生が,方眼ノートに何でもいいから勉強してきて毎日見せろ,という指導をしていた。たまたま,前年度に同じ指導をされたクラスに,ノートを作るのがうまく,色分けしてきれいにかつ大量に書いた人がいて,記念にノートが教室に保管されていて,模範として見せられた。生徒のノートは先生が毎日チェックし,3段階くらいで評価し,点数が累積されていき,お互いにわかる仕組みだった。

 ところがこの指導は1学期でコケた上,私も大被害をうけた。

 たまたま,クラスにやたら競争的な人が多く(私もその一人だったが),投げ出してサボりまくった数人を除いて,ノートの記述量と内容を同時に競い始めたのだ。

 前年度の模範ノートを見る限り,1ページの記述量が少ないと駄目,ページ数が少なくても駄目,ということがわかった。自主学習テーマのサイトのように,大きな説明イラストを描いて終わりにすることはできなかった。そうなると,大量に毎日文字を書いて色つけをしなくてはならなくなり,容赦なく時間がかかる。

 学校から帰ったら食事の時間以外はノート作りで夜は11時か12時頃まで,それで足りなければ朝5時半くらいに起きて続きをやって学校に行く,という日が続いた。

 ちょうど,運動クラブでソフトボールを始めたので,放課後の練習と朝練が追加された。そのうち,梅雨が明けて水泳の授業が始まった。

 運動を相当やっているのに睡眠時間が5時間程度というのを1学期間続けた結果,夏休みに入ったあたりで体調を崩した。まず,37度台の微熱がずっと下がらない。1日のうち数回,いきなり動悸息切れが始まり1時間から2時間ぐらい身動きできなくなる。心電図に異常はなかったが,もう運動どころでも勉強どころでもなくなった。微熱は夏休み中ずっと続いた。

 もともと小学校時代の私は丈夫ではなく,1年生の頃は,1ヶ月に1回は扁桃腺が腫れて熱を出して数日寝込むというのを繰り返していた。学年が上がるにつれて頻度は減ったが,それでも人よりはずっと寝込んでいた。平均より体力が無かったのに無理をしたから,他の人よりも酷い状態になった。

 ここまで体調をくずさなかった人も,相当大変だったらしく,一部の保護者からもクレームが出たらしい。2学期になって,量は必要ない,3ページ以内,丁寧にやってあれば一番いい評価をつける,というルールが担任の先生から示された。

 

 後になってきいたところでは,同じ学年の他のクラスに比べて家庭学習の量はダントツだったのに,テストの平均点(科目ごとに,業者の作った教科書に準拠したテストが行われていた)は他のクラスに比べて明らかに低かったそうだ。クラスの多くが,睡眠不足で判断力も注意力も落ちてる状態で試験を受けたことが原因だろう。実際,ページ数制限をして,負荷を強制的に下げたら,テストの点数は他のクラスと変わらなくなった。

 担任の先生としては,頑張る優等生が2,3人いて,箸にも棒にもかからないのが2,3人いて,中間層はまあそこそこやる人とそこそこ手抜きする人がいるという予想だったらしく(前年度はそんな感じだった),中間層を巻き込んで大多数が集団ヒステリー状態のように作業の物量と点数を競い始めるとは思わなかったらしい。

 私はというと,夏休みが終わるころに微熱はやっと下がったが,頻脈で倒れるのは相変わらずだった。運動はもうできないからあきらめた。頻脈を起こす回数は少しずつ減っていったが,卒業して中学に行っても,高校に行っても,大学に行っても治らなかった。結局,頻脈から解放されたのは三十歳を過ぎた頃だった。被害が大きすぎてちょっとシャレになってない。

 自分で言うのもなんだけど,小学校の勉強は私には簡単すぎた。先生の説明の1回目でわかってしまって後はずっと教室で遊んでいる状態だったし,それで当てられてもテストをされても大体正解できていた。従姉妹が中学受験をした関係で,たまに会った時に中学受験用の参考書や問題集を薦められ(とはいえ小学2年生の私に受験準備に付き合わせてつるかめ算教え始めたのはどうかと思うが),教科書よりいろんなことが書いてあって面白かったから自分でやっていた。だから学校の勉強はかなり余裕でやれていた。まあ,自分が通える範囲に受験できる中学校は無かったし,塾も補習と公文がある程度で,私立中に行くのに下宿させてもらえる可能性も皆無だったので,受験勉強の問題を解いてもほぼ無意味だったのだけど。

 だから,変な競争に巻き込まれなければ,親と教師が喜ぶ点数をキープした上で,体も壊さず,中学ぐらいで運動部に入ったりもできてたんじゃないか。もうちょっと明るい人生になっていたはずだ。この意味で,自主学習は私にとっては大被害でしかなかった。

 小学生なので,一旦競争を始めると歯止めがきかなくなることがあるし,自主学習の量を他人と競っても意味がないので,作業量や点数を競わせる仕組みは入れるべきではなかった。それよりも,各自の個性や進度に合わせた内容をきちんと進めていることを評価すべきだった。

 秋田のルールを見ていると,2ページという目安で,図が大きくてもよく,よく考えたり調べたりしながら丁寧にやれば良いらしいので,負荷が増えすぎるという問題は避けられるだろう。私の時はネットなど影も形もないから,手持ちの教科書や参考書でどうにかするしかなかったけど,今ならネットを探せば自主学習ネタがいくらでもひっかかるので,環境としては随分よくなっている。ちょっと今の子たちがうらやましい。