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地味なことをしてました

Posted on 6月 2nd, 2010 in 倉庫 by apj

 最近忙しくてblogの更新も滞っていて、ニセ科学関連の議論も一段落したので更新のペースが落ちている。

 そのかわり、年明けから、ちょっと地味なやり方でニセ科学対策に貢献を試みていた。2件の、他人の間の民事訴訟で、怪しい活水器を売りつけられた被害者側の代理人弁護士に頼まれて、「宣伝がインチキですが何か?」という内容の意見書を書いて提出した。
 事件の筋やら弁論の方法やらで訴訟の行方は左右されるので、結果としてどこまで貢献できることになるかまだ結論は出せない。少なくとも裁判所が採り上げて、被害者救済に役立ってくれれば、専門家による実効性のある対策の在り方の1つになっていくのではないかと思う。
 また、大学に居ると何らかの形での社会貢献を求められるので、意見書を出して被害者救済に役立つ、という貢献も有りだろう。今回の意見書製作はボランティアである。

 ウェブでのニセ科学についての議論は、事前に情報を広めて被害に遭う人を減らすことが狙いであり、それなりに派手だし、専門家でない人でも参加できる。一方、個別の訴訟への対応は、事後の救済であり、専門家としての意見を求められることになって、活動としては地味なものになる。守秘義務があるから代理人が出せる情報も限られているし、私の方も、裁判所に意見書が提出されてしまうまでは、あまり言及できない(ので、今頃書いている)。

 商材の説明のニセ科学性を、民事訴訟の争いの流れに、必ずしもうまく入れられるわけではない。例えば、特商法が適用される場合だと、ニセ科学の議論を持ち出すまでもなく、条文が直接想定している交付書類の不備等によって契約解除&返金に持って行く方が楽な場合もあったりするからである。それでも、ニセ科学に基づいて商売をしたことの立証が被害者救済に役立った、という裁判例を積み重ねることは必要だろう。

 この際のポイントとして、事業者側に「不勉強でした」という言い訳を許さないでほしい、ということを、意見書と同時に弁護士に伝えた。ニセ科学言説が出回るのは仕方がないし、ニセをニセと見抜けと消費者に要求するのは、ハードルが高すぎて、却って事後の救済を妨げる結果になりかねない。一方、事業者は、消費者よりも正しい情報を持っているのが当然であり、「他の業者もみんなが言ってました」程度の知識で他人に物を売ってもらっては困るのである。日本でありふれた生活をしていれば、誰であっても、よく知らない分野の商品を買う消費者になることは普通に起きる。しかし、事業者になって製品やサービスを提供するのは、自分からそうしようと思わない限り、その立場にはならないからである。製品やサービスへの信頼を維持するには、事業者に対して、ニセ科学言説を鵜呑みにして商売すると、過失であってもそれなりに重い責任を問われる、という状態にもっていくしか無いだろう。幸いにして、民事の不法行為責任は、故意でも過失でも問うことができる。

 ここまで書いてふと思ったのだけど、所謂「ニセ科学批判批判」の言論って、事後の救済においても、つくづく何の役にも立たない。「ニセ科学批判批判」を標榜していた人達が、事業者側について意見書を出して来たとしたらどういう展開になるか、と考えてみたら、役立たずっぷりが、より一層はっきりした。
 たかぎFさんの、「ニセ科学批判」批判FAQに沿って答えてみる。
●「そんなものに関わるより科学者としての本業に専念しろ」
 専門家として意見書を出すのは本業の一つ。事前の情報提供でニセに気付いた人が被害に遭わず、結果として紛争を回避できるかもしれないが、その情報提供の方は本業ではない、とされるのは理解できない。
●「○○なんて俺はすぐニセだと解ったよ.そんなの信じるヤツいないよ」
 現実に信じた人が居て、後から気付いて法的紛争に突入している。
●「たいしたことない」「そんなに目くじら立てなくても」
 弁護士費用を払っても賠償させたいと原告が思う程度には「たいしたこと」になっている。ウェブで議論してるだけの人の目くじらの立て具合は、現実に原告をやってる人の目くじらの立て具合に比べたら、比較にならないほど小さい。
●「誰が何を信じようといいじゃないか,自己責任だ」
 話を聞いた時は確かに信じたが、嘘を教えられていたと後で分かった場合、自己責任だから救済は不要、という論理をこの社会は採用していないし、裁判所もそんなふうには考えていない。この場合に「自己責任」を持ち出すのであれば、「自己責任なので事後の救済は不要」というところまで導き出さない限り、言説は無意味だろう。事後の救済が必要なケースが現実に存在するのであれば、事前に注意喚起することにも意味があるということになるからである。
●もっと他に大事なことがある
 しかし目の前の紛争において被害者の救済をすることは大事だ。情報提供によって被害が発生せず、紛争を防げるのなら、それもやっぱり大事なことだ。
●「批判はすべきだが、連中のやりかたはおかしい。自分ならもっとうまくやれると思うが、やる気はない」
 役立たず。
●「俺の脳内信者はそんな説明じゃ説得されない」
 相手を論破する必要も納得させる必要もない。裁判官を説得すればそれで足りる。
●「『信奉者を説得するつもりはない』なんて冷たいんじゃないの?」
 信奉者は騙されっぱなしで主観的には幸せだから、訴えたりしない。ただし、信奉者が、他人に対して被害を与えた場合は、本気で信じ込んでいたとしても、良いことだと思ってやっていたとしても、責任は問われる。
●「ケンカをやめて or 弱い者いじめはよくない」
 訴訟の最中ですがそれが何か?あと、消費者を騙した側は、消費者との力関係においては「強い者」だろう。
●「科学もニセ科学も似たようなもの」「○○がニセ科学かどうかなんてどうでもいい」
 それで金をだまし取らるなど、被害を受けた側の立場は?
●「現代科学では解明されていないことも沢山ある」
 そう思うのなら、解明されている範囲だけ使って商売してくれ。解明されていない部分で嘘をついたり、いいかげんなことを言って商売することは正当化されない。
●「科学は唯一絶対の真理などではない」「何故科学だけが偉そうに他の立場を批判できるのか」
 根拠もないのにインチキを言って商売すれば、批判されて当たり前。というか、批判で済むならましな方で、損害賠償を請求される展開になるのがむしろ普通。
●「科学的な間違いを指摘するだけで済むと思っているのだろう」「科学者は科学だけが正しさの根拠だと思っている」
 意見書では、科学的な間違いに絞って指摘することになる。その他の部分を指摘し立証するのは弁護士の仕事である。

 水関係だけではなく、ホメオパシー(例えば医療ネグレクトにつながった場合)や血液型性格診断(例えば、昇進や配属の差別の原因になった場合)などでも、現実の損害を発生させた場合は、同じ考え方を適用することになる。