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spamに吹いた

Posted on 1月 30th, 2009 in 倉庫 by apj

 こんなspamが……。

From: 稼げる.comマガジンSubject: ツキを呼べる体質への一方法

これだけ世の中が不景気となったら、自分自身の運をあげておかないと
対応できなくなりそう。いいと思うことは全部やらなくては・・・

自分では何もしないで、不平不満を並べ立てていても始まらない。
こういうときは、皆が骨惜しみしないで、持てる力を出し合って
協力しなくては、とても乗り切れるものではありません。

その為にも、人智を超えた超常的な力が及ぼすツキだって誰もが呼び
こんでおかなくてはならないと思うのです。
運をあげたり、ツキを呼ぶためには潜在意識に
働きかけねばならないといわれます。

神仏のような心霊の世界に願い事をするにしても、
どのように祈るのがよいのか一般的にはわからない。

でも、神様には頼みづらくても、親にはお願いしやすいでしょう。
それが、その延長線上にあるご先祖様にだったらどうでしょう。
何か結果を得たいとき、代償を払うのは当然のことですし、
お願いに行くときに手土産を持参するのは誰もが普通にやっていることです。

私の本業の一部門を特化した「自分でもできる墓石クリーニング」は、
皆様の幸せに繋がる道へのご提案であると信じます。
http://www.kng2321-cbs.com 

このクリーニングをすることで、ご先祖様が喜び、
きっと新たな気づきの世界に近づけるのだとしたらどうでしょうか。

そうは言っても、自分だけよければよい、と思う人だとこれをやって
も効果が薄いようですから、まず心構えが必要です。
同様に、頼むだけ頼んで、自分は何もしないというのも、
ツキを呼ぶことはできないようです。

意識のレベルを上げることと、実際の行動が大事です。
気づけば何でも、楽にできるようになることは多いのです。

「こんなにいつも、良くなる方法を話しかけていてくれたんだ。」と
わかるようになるのだと経験者は言います。

http://www.kng2321-cbs.com

 たかが、自分トコの先祖代々の墓の墓石の掃除をするだけの話に、どうしてこんな七面倒な理屈が必要なのか……^^;) ギャップに思わず吹いた。

平和神軍・グロービート・ジャパン(らあめん花月)の裁判、逆転有罪@高裁

Posted on 1月 30th, 2009 in 倉庫 by apj

 Yahooジャパンの記事より。

中傷書き込み、逆転有罪=ネットで名誉棄損-東京高裁
1月30日16時25分配信 時事通信

  インターネット上でラーメン店チェーン運営会社を中傷する書き込みをしたとして、名誉棄損罪に問われた会社員橋爪研吾被告(37)の控訴審判決が30日、東京高裁であり、長岡哲次裁判長は一審無罪判決を破棄、求刑通り罰金30万円を言い渡した。弁護側は上告する方針。
 長岡裁判長は「書き込みは真実ではなく、真実と誤信したことに相当な理由はない」と判断した。
 一審はネット上の個人表現について、一般に信頼性が低く、反論が容易として、可能な調査をしていれば同罪は成立しないとの新基準を示していた。控訴審判決は「さらなる社会的評価の低下を恐れて反論を控えるケースがある。内容も、必ずしも信頼性が低いとはいえない」と述べた。 

 山口弁護士のページにもうちょっと詳しい情報が出ている。

 以前からこの話はきいていたのだけど、裁判所による真実性の部分の判断がよくわからない。グロービートジャパンと平和神軍は、片方を批判するともう一方のページに反論が出まくる、批判の内容は批判した人と相手方しか知らない状況でもそうなる、という話を橋爪氏が主張していたのだが、そういうのって、一体のものだと考えるのが普通じゃないか。

 高裁判決の理由1つに、最高裁判決を覆せないというのがあるらしいので、上告して最高裁でこれまでと違った判断が出れば、名誉毀損の判定基準が一気に変わる可能性もあるという、非常に意義深い訴訟ではある。

「被害者が反論することにより、第三者に被害者の名誉を毀損する表現の存在を知らせてしまう」というのは、裁判所がどんなケースを想定しているのかが意味不明である。「反論を躊躇する被害者もいる」のは理由にならんと思うし、「インターネット上の名誉毀損の被害は深刻になりやすい」に至っては……今のところ、マスコミがやらかした場合の方がどう考えても深刻だろう。

Newton3月号

Posted on 1月 28th, 2009 in 倉庫 by apj

 表題の通りだが、Newton3月号は買い。特集が「雪と氷の科学」。写真とグラフィックスがわかりやすくてきれいなので、保存の価値あり。地球上の雪と氷に留まらず、宇宙の話まで書いてあるところがいかにもNewtonらしい。平松式の人工雪製造装置の解説も写真入りで詳しい。

マニアが集まったのでは^^;)

Posted on 1月 28th, 2009 in 倉庫 by apj

 MSN産経ニュースの記事より。

A評価ばかりの大阪市大法科大学院 文科省は懸念
2009.1.28 22:34
 文部科学省の設置計画履行状況調査で、成績評価を是正するように求められた大阪市立大学の法科大学院(大阪市住吉区)。調査によると、同大学院では一部の科目で、選択した学生の多くがA評価と判定されており、他の科目とは著しく成績分布が異なっているといるという。大学院側は「絶対評価を採用しており、高い成績を収めた学生にはA判定を付けざるを得ない」と困惑している。
 大学院によると、A判定が多いのは必修以外の選択科目の一部。特に4~5人しか受講していないような小人数の科目で多く、9割以上がA判定というケースもあるという。
 昨年度まで同大学院の専攻長を務めていた阿部昌樹教授は、「定期試験はあくまでも学生の能力を確認する試験であり、A判定が多いのは学生の習熟度の高さの表れ」と反論。試験の質についても「教員間で試験後に、科目ごとの成績結果について十分検討しており、問題ないと考えている。A判定を出そうと思って試験のレベルを下げているわけではない」と話す。
 一方、調査を行っている文科省大学設置室は、同大学院に対して「A判定ばかりでは、評価が正しく行われていても、結果として試験内容の質が疑われてしまう」と懸念を示す。同大学院は平成18年の調査でも同様の件で文科省から指摘を受けており、「改善されているのであれば、試験のあり方や成績の評価基準などの改定部分を明示すべきだ」としている。

 選択科目で受講者が4~5人ということは、特にその科目に興味を持っている、ある意味マニアックな人だけが受講している可能性があるわけで、しかもこの人数だと非常に手厚い少人数教育になってしまうはず。すると、それなりのレベルの問題で試験をしても、全員がけっこういい点数、というのは十分あり得るわけで。まあ、学生が少なくて不人気だから教員の評価が甘い方にいくという可能性もあり得るのだけど。
 受講者がマニアの集団だった場合、文科省のお達しはかなり無理があると思うのだけど。

情報開示の結果とプライバシー問題

Posted on 1月 27th, 2009 in 倉庫 by apj

 事象の地平線が移転する直接の原因となった。私が昨年6月から巻き込まれていたキャンパスハラスメントの件。差し支えない範囲で整理しておくと、
・学生→私 のハラスメント申し出
(私によるハラスメントが行われた、として学生が大学に対して申し立てたもの)
・私→学生、私→学科教員、のハラスメント申し出
(学生および教員によるハラスメントが私に対して行われた、として、私が大学に申し立てたもの)
の合計3つが同時に学内委員会の処理にかかることになった。私と対学生の分を分離して調査されたために先に結論が出て、私と学科教員の分はまだ報告書が確定していない。
 対学生との関係では、大学の判断は、ハラスメントと判断できる行為がなかったというものになった。学内調停は不調に終わり(不調の原因は、私→教員の申し出の内容とも関係している)、後は裁判所でででもそれ以外の学外ででも当事者で問題解決するしかないということになった。

 そこで、大学の持っている、本件処理の情報を入手したいと考え、本件処理の関連文書全てを対象として、通常の情報公開法による開示請求と、教員と勤務先大学という関係を踏まえて保有個人情報の開示請求手続を行った。
 数日前に結論が出た。通常の情報公開手続では、文書は開示されなかった。そのかわり、保有個人情報の開示請求では、関連文書のうち相手方(学生)に対する調査の部分が墨塗りとなったものが開示された。

 ハラスメント申し出の処理そのものには守秘義務が課されるため、公式には誰と誰の間で相談があったかを外部には開示しないため、一般の開示請求では、人を特定すると出てこない。
 しかし、ハラスメントの申し出がどう処理されたかということには、私の個人情報に該当するものが含まれるため、当事者として開示請求をかけると、その分だけは開示してもらえる。

 ただ、今回のようなケースでは、守秘義務を課されること自体が、救済の道を閉ざす方向にしか働かないということもわかった。
 今回、相手方(学生)は、匿名掲示板などで本件ハラスメントの話題とともに私の悪口を書きまくっている。さらに、学内調停中の段階で特に守秘義務について注意喚起されていた状態で、本件ハラスメントの話題を、訴訟掲示板やこのblogにわざわざ書き込みにきて、私に守秘義務違反をさせる結果をもたらそうとした(まあ、即削除してアクセス禁止にしたが)。
 一方当事者がネット上で相手方を誹謗中傷すれば、公然性があるので、名誉毀損や侮辱で、刑事または民事の責任を追及し得ることになる。学外での社会的評価の変動への対処は、最初から学外でやるしかなく、学内手続で収めようというのはそもそも不可能である。ところが、法的措置をとるには、相手のやったことをある程度は詳しく述べねばならず、守秘義務のためにそれが妨げられると、救済のための手続に支障を来す。また、名誉毀損の場合は、反論を公然と述べることで、対抗言論によって名誉の回復を図るかわりに訴訟はしない、という、より穏当な解決策も考えられるところ、守秘義務のためにそれができないとなると、訴訟以外に救済の道が無くなってしまう。

 さてどうしたものか、というのが今思案していることである。

 大学が守秘義務を課し続けると、法的手段をとった場合、いつ守秘義務違反で勤務先に後ろから撃たれるかを気にしながら手続をすることになりそうな気が。それなら、当事者の対立が激化して学外で存分に攻撃防御する以外に手がなくなっている状態で大学が守秘義務を課す意味が無いだろうといったことを主張して、守秘義務を外せと言ってみたいが、そういう形での紛争なんてこれまでにあったっけか、とか……。

 今回は、大学相手に争う必要は無さそうだが、墨塗りのパターンを見ていると、これがもしもっと悪質なでっち上げだった場合、相手が何をやって他人を陥れようとしたかを立証するのが難しくなるかもしれない。相手が同じ手で情報開示をかけた結果を出してくれば、2つを突き合わせて報告書の復元完了、となるのだが……。
 せっかくこういう案件にぶち当たったのだから、今後のこともあるし、どういうパターンがあり得るか考えておきたいなぁ。

 ちょっと参考になりそうな手持ちの本でも読み返して……と思ったら、「名誉・プライバシー保護関係訴訟法」は品切中でえらい価格に(大汗)。昔買っておいて良かった……。

【追記】
 類似のでっち上げというか、言いがかりに近い形でハラスメントの加害者にされた教員がどう闘うか、ということの参考例として、いろいろやったことを可能な限り公開していくつもりで書いているのだけど。
 情報公開法を使った結論は、不開示の理由として、

独立行政法人等の情報の公開に関する法律第8条の規定により本件開示請求に係る法人文書の存否について論じることなく、請求を拒否します。

とあった。8条がどうなっているかというと、

(法人文書の存否に関する情報)
第八条  開示請求に対し、当該開示請求に係る法人文書が存在しているか否かを答えるだけで、不開示情報を開示することとなるときは、独立行政法人等は、当該法人文書の存否を明らかにしないで、当該開示請求を拒否することができる。

であるので、ハラスメントの申し立てがあったこと自体が不開示情報ということらしい。これについては、私の開示請求のかけかたが個人を特定する形だったので、当然といえば当然である。別のやり方で近日中に試してみて、きちんと運用されていることをチェックするつもりである。 ところで、開示請求をかけたのが平成20年10月28日、決定通知書が出た日付が平成20年11月28日。ところが、本部の事務が私にこの決定を手渡したのが、平成21年1月29日であった。こんな間延びした手続きをやっていることの方が問題である。異議申し立てをしづらくするためにわざとに延ばしたのかと思ってしまう。まあ、本気で争えば、書類の日付は先でも知らされたのが後で、日付を基準にして考えたのでは異議申し立てのしようがなかった、とやることになるのだろうけれど。しばらく、情報公開関係の手続きをやってないので、最新のテキストやら判例やらを早々に調べて、穴が無いか検討することにする。
 保有個人情報の開示の方が、むしろかなり変なことになっている。

開示しない部分及び一部を開示しない理由
1 次の事項については、独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律(以下「法」という。)第14条第2号の理由により不開示とします。

 開示請求者開示請求者以外の個人名、役職名、ブログ掲載文書など。

2 次の事項については、法第14条第4号および第5号ハの規定により不開示とします。

 関係請求者以外の調査委員会記録、相談内容など。

 相手方の相談内容や個人名の不開示はわかるとしても、ブログ掲載文書ってのは……。普通のブログならネット上で全世界に向けて公開済み(下手すりゃ魚拓がとられたりwebarchiveに入ったりしている)のはずだが、そんな情報が、個人情報保護を理由に大学からは出せないという、かなり変なことになっている。また、今回、個人情報をblogコメント欄に書いたのは相手方で、相手方本人の個人情報が書かれた。本人が公開を意図して書いた本人の個人情報を、大学がしゃしゃり出て不開示にするというのもやっぱり変な話である。

 この開示のパターンを見て少し考え込んでいる。
 仮にでっち上げが成功し、大学の調査委員会をだまくらかして教員処分にこぎつけたとして、やられた教員が反撃しようと思っても、事前に調査委員会の記録を取り寄せることはこの手続きでは不可能ということになる。ただ、委員会の結論部分は開示されているので、判断を不服として争う場合、「そういう判断がなされた」という証拠であれば出せることになる。
 民事なら訴えてから当事者照会や弁護士照会をかけるという手もあるが……。第三者に説明できて、あとからひっくり返されないだけの情報を先に確保しないと、戦略が定まらないと思うのだけど、なかなかいくつもハードルがあるなぁ。

ベタな部分を敢えて強調する

Posted on 1月 23rd, 2009 in 倉庫 by apj

 lets_skepticさんのところの「ニセ科学批判批判を批判しているニセ科学批判者の批判の仕方を批判してみるよ」を読んで。

ひとつひとつの投稿を読むだけだとtittonさんは当たり前の事と、表面上は批判的思考の手法を用いたことを主張しています。ちょこちょこ間違った認識やダブルスタンダードな判断が入っていますが*2、見た目はきちんと文章を書いているようだということです。

 つまり、一見まともに見える議論の使えなさっぷりとかダメっぷりを誰にでもわかるように提示するにはどうしたらいいか、という話。 これに対する一つの答えとして、直近のエントリーを書いていたので並べておく。
想定しているユーザーが違う
「本物」の科学を手にしていないとニセ科学を批判してはいけないのか?
批判で済むなら安上がり
 何を意識して書いたかというと、徹底的にベタな話をするということである。
 まず、ニセ科学批判のユーザーは誰かという部分に「(ニセ科学宣伝を使った商材による)悪徳商法の被害に遭った・遭いそうな人」という具体的なものを入れてみた。
 「本物の科学」などという、頭の中だけで想定したものを持ち出してくることに対しては、「精度」という、現実とすりあわせて評価する基準を出して、現実の前では本物云々の想定は無意味であることを述べてみた。
 ニセ科学批判をやっても良い理由を、現実の被害救済のコストに比べて「安上がり」だからと指摘した。

 自己矛盾することを言ってでもある論に反論したいというような人の主張は、現実の世界に足場を持ちようがない。tittonさんの主張がダメな理由は「論の中だけで閉じている」ことによる。「ニセ科学批判」という論が独立して存在しているという前提のもとでしか、tittonさんの論は効果を持たない。実際、議論の流れを見ても、具体的な例は何も出てきていない。批判の姿勢とか、メタな価値判断の部分しか議論できていない。論の世界だけで異議を出そうとする相手に対して、論のみの範囲で対応した場合、ダブルスタンダードの指摘等は可能だけど、わかりにくいものになる。その上、話をずらしたりそらしたり、自分の論に対する反論なのにわざとに独立の意見として扱うといった手法を使ったりするので、ダメさをわかりやすく示すのが難しくなる。メタな言葉の応酬になるからである。すると、

今回の議論では、tittonさんが労力をかけてまともな主張をしているのに対して、TAKESANさんが難癖をつけている(相手にしていない)ようにも見えるということがいえます。ニセ科学批判者は無礼だとか偉そうだとかいう印象をギャラリーに与えるかもしれません。

という懸念が出てきてしまう。 tittonさんが労力をかけているのは確かだが、それが空虚なものをそうでないように見せかけるための労力に過ぎないことをはっきりさせるには、tittonさんの都合のよい形、つまり論には論で対応するやり方で相手をするかわりに、徹底的にベタな話をぶつけておくと良いのではないかと思った。 私が主張した「ニセ科学批判が安上がり」の根拠を示すには、まず、比較相手である「現実の被害」の見積もりをすることになる。マルチや悪徳商法の被害金額はこれまでのケースから具体的に見積もれるし、いろいろ相談したりした場合のコストだって、拘わった人の時給換算で一定の金額を出すことが可能である。幅はあるだろうけど、平均的な被害金額とか、モデル被害ケースを作ることはできる。批判側の手間についても、時給換算して価額を出してしまえばよい。
 「ニセ科学批判批判」が批判の意義や論の価値などを比べる相手は「ニセ科学批判」である。価額を出して比較しようとすると、「批判を行う」行為のコストの比較にしかならない。つまり議論の手間の比較にしかならず、手間だけを問題にするなら、「ニセ科学批判批判」と「ニセ科学批判」はどっちもどっちだという状況を作ることができる。手間が変わらないことを示した上で詭弁をぶつけてくるのが批判批判側のしたがることである。しかし、そもそも「批判する行為」が妥当かどうかを考える場合には、考慮すべき対象が「現実の被害」でないと無意味である。これをあからさまに出しておくと、「ニセ科学批判批判」が「現実の被害」の救済策としてはまるきり役立たないことをギャラリーに示すことができるかもしれない。

 哲学的なあるいは抽象的な価値基準についての労力をかけた議論という体裁を取りたがる相手には、価額に換算で評価するのが、煙に巻かれない方法の1つではないだろうか。

 この考え方をとった場合、効力のある「ニセ科学批判批判」の中身とは、批判によって具体的な利益を失うことの主張になる。つまり、ニセ科学を使った商売で利益を得ている人の反論だけが、価額を比較可能な「ニセ科学批判批判」となる。

水素水:週刊ポストの記事

Posted on 1月 23rd, 2009 in 倉庫 by apj

 このエントリでも触れた水素水の話だが、週刊ポストに太田教授が登場していた。
 QPさんから情報と、該当ページの写真をいただいたので掲載する。2009年の1月16,23日号とのこと。
!!$img1!!
 やっぱりこれはまずいんじゃないですかね。太田教授がこんな形で出ては。

 水素水については、まだ効果効能を謳えないと太田教授は述べていた。
 本文の内容が写真からははっきりしないのだが、「通常人がこのページを見たときに、水素水の効果効能が太田教授によって保証されたと思うか」ということを考えると、誤解を振りまく結果にしかなっていないのではないか。

【追記】
 このページに内容確認ができる画像が上がっていたので、こちらに検討用として転載しておく。

【追記】
 太田教授にこの件でメールしてみた。

To: 太田 成男From: apj Subject: 週刊ポストの記事

太田様

 山形大の天羽です。
週刊ポストの水素水の宣伝記事に太田教授が登場していますが、
これはまずいのではないでしょうか。

 研究途中であり、効果効能を謳えない段階で、一般向けに
こういう記事が出るのは問題だと思います。

 「研究が始まっている」と明記してあっても、一般の方がこれを
読めば、太田教授がお墨付きを与えたと受け取るのではないでしょうか。

 これに対する返事。

From: 太田 成男To: apj Subject: Re: 週刊ポストの記事

天羽さま

メールありがとうございます。
checkが甘かったと反省しています。「水素水はサラリーマンの皆さんにもお薦めです。」は、一言よけいな言でしたね。
印象は別として、この掲載は「宣伝広告ではなく、記事である」という説明をうけて、お話しました。(談)とか入れていただければ、印象は違ったかもしれませんね。
法的な点については、出版社(小学館)の法務で検討した結果で、問題ないとの見解だそうで、責任は小学館にあるとのことです。 
今後、気をつけます。もうこのような形で私がでることはないでしょう。

太田成男

 法的にはセーフでも、明らかに「やらない方が良いこと」むしろ「やってはまずいこと」だろう。特に、活性水素の白畑教授と一緒に見られたくないと考えている太田教授にとっては。これでは、活性水素の白畑教授とますます同じに見られても仕方がない。

 単に薦める文言があったからよくないという話ではない。(将来どうなるかはわからないが)現状では効果効能を謳えない状態の水素水の宣伝記事に、研究をしている太田教授(この場合は研究においても第一人者つまり権威)が出てくることで、既に専門家がお墨付きをあたえている印象を一般読者に与えることが問題なわけで。

 活性水素と同じような、いい加減な宣伝・怪しい宣伝に荷担している、と思われることこそ、太田教授が最も注意して避けなければならないことのはずである。

 この記事だが、コピーされて、記事とは違う種類の水素水の販売にも使われかねない。「別の製品だけど、既に水素水の効果は専門家も突き止めてますよ」とかいう宣伝文句と一緒に。で、太田教授の名前と顔がばっちり広まる、と。顧問先の企業の製品だからいいだろう、と思っているなら考えが甘い。水関連のインチキ宣伝は、他社の宣伝でも使えるならコピペで流用することが横行している。研究した上でまっとうに商売と結びつけたいと本気で考えているのなら、今の時期に研究者が一般向けに名前を出すべきじゃない。

批判で済むなら安上がり

Posted on 1月 22nd, 2009 in 倉庫 by apj

 どうも、TAKESANさんのところに出てきている「ニセ科学批判批判の人達」(敢えてこう括る、今のところ2人ほど出てきたけど)って、話が言論だけで済むと勘違いしているような……。

 向こうに書いたコメントと重複するのだけど、ニセ科学を分けて考えると
(A)単なる表現にとどまっている場合。
 「相対性理論は間違っている」といった本を出すといった例。被害と呼べるものがあるとしたらその本を買って散財した程度であって、それ以上には広がらない場合。内容を信じちゃうと相対論を誤解するけど「相対論を誤解した」以上の被害はさしあたり発生しない。
(B)単なる表現に留まらず、他人を欺すことに使われて、言説が間違っている以上の被害を発生させる場合。
 水伝は浄水器の宣伝に使われたし、波動測定器はインチキ健康グッズの商材になった。景表法4条2項を適用するとそれなりに網をかけられるようなニセ科学。特商法の規制でも同様にひっかかってくるもの。
がある。

 (A)の方だけなら、ニセ科学は言論と表現の世界のみで閉じた話ということになるんだけど、(B)だって現実に存在していて、それなりに影響がある。ニセ科学宣伝をしている商材に大金をつぎ込んだ被害者が出てきたりして社会問題になると、(B)を使って商売した人を取り締まるとか処罰するといったことになるのだけど、これは現実のコストがかかる。
 例えば、
・被害者が金をつぎ込んでしまったり、借金をして利子がかさんだりする金銭的被害が発生する。
・被害者が消費者センターなどに相談にいくと、被害者も手間と時間をかけるし相談員も手間と時間をかける。
・被害者が行政書士などの法律家に仕事を頼んで解約&返金をしようとすると、相談料とか時間とかがかかる。
・取り締まりや処罰には、然るべき役所の人がやっぱり手間をかけて実行することになる。鑑定作業に科学者も使われたりするかもしれない。
・紛争まで移行すれば今度は裁判所のリソースを喰うことになる。
 いろいろ、各方面の手間暇を動員したって、引っ掛からなかった元の状態に戻すのは至難の業だろう。

 もし、ニセ科学批判の言説があったことで、信じて引っ掛かる人を減らすことができたら、引っ掛かった後から対応するために必要になるコストは不要になる。でもって、引っ掛かった後の対応のコストは、「批判すること」のコストに比べて相当に高い。
 批判する意見があったって引っ掛かる人は引っ掛かるのだろうけど、批判を見て引っ掛かるのを免れる人が居るなら、批判の方がずっと安上がりなんじゃないかな。

 批判批判の人達を見ていると、批判そのものが何か重大なことだと思い込んでるようにしか見えない。彼等は言論の世界しかない所に住んでいるのかもしれない(どこか別のバーチャルな世界の住人なのかもしれない)。現実の社会に住んでいるのなら、批判で済む分は批判で済ませる方が、楽だし、他への影響も少ないはずなんだけどね。

【追記】
 ここまで書くと、批判批判の人達の中には、そういう批判は科学者の仕事じゃないとか言い出して、勝手に他人の仕事の範囲を定義しようとする傲慢な意見を出す奴が出てくるかもしれない。
 でも、科学者だってこの社会に生きている。科学者がニセ科学批判をしているとしたら、それは、職業柄、何がどう変なのかに気付いたからである。別に、科学者じゃない人だって、ニセ科学の存在に気付いたら批判したって構わない。というか、気付いた人が声を上げて、それをきっかけにしてみんなで考えれば良いのでは。科学者だって専門を離れれば素人だから、別の分野では、誰かが声を上げたことで教えてもらう立場になる。まあ、お互い様である。
 研究をさせるために給料を払っているのだから批判はけしからんとか、もっとバカなことを言い出す人には、「一体どこの社会にお住まいですか?」と訊いておこう。私が住んでる世の中には、収入と結びつかなくても、した方が良いことがあるし、何かのペナルティと結びつかなくても、しない方が良いことがある。こういうアナログな部分を無視して線を引こうとするのは、言ってる人が単に社会性を欠いているか、それとも「カガク」(現実の科学じゃなくて発言者がこういうもんだと思い込んでいる科学ね)に毒されているか、どっちかなんじゃないかなぁ。

「本物」の科学を手にしていないとニセ科学を批判してはいけないのか?

Posted on 1月 21st, 2009 in 倉庫 by apj

 TAKESANさんのところにちょこちょこ書き込んでいたら出てきた問い。
 「正しい」あるいは「本物」の科学を知らないとニセ科学を批判してはいけないのか?ということについて。

 ニセ科学はニセだからまずい、もっと言うと「ニセ○○」は○○が何であっても他人を欺すからよろしくない、というところから出発する。そうすると、じゃあ今の科学は本物と呼べるのか、と言われたりするので、ニセ科学が何をどう欺しているかをまとめておく。

 科学自体は時間が経てば知識が増えて内容が書き換わったりするから、今あるものが、一般的な用語の意味で、絶対に「本物」「正しい」とは言えない。じゃあ、ニセ科学が何を偽っているのかというと、「精度」「信頼度」を偽っている。しかも、著しく、極端に偽っている。
 今の科学が、永劫今のままで有り続けるわけは無いだろうけど、今の科学の精度や、内容に対する信頼度というものは確かにある。その精度を担保しているのは、世界中で実験と観察を積み重ねてきて、結果を関連づけて組み上げたということそのものである。科学は断片的な知識を集めただけのものではないので、一部分を全く違うものに置き換える(例えば、水の結晶が言葉で変わってしまうことにする)と、残りの部分もほとんど崩れることになる。だから、今の科学を何か別のもので置き換えるのなら、その別のものが、今の科学のカバーしている範囲をそっくりカバーできない限り、置き換えとしては使えない。今より貧弱で使えないものをわざわざ採用する意味なんか無いからである。

 それなりの精度でそれなりの範囲で使える科学があるところに、場当たり的でちっとも使えないものが科学の振りをして出てきた、というのがニセ科学である。だから、ニセ科学を批判するのに、今の科学が絶対だとか本物だとかいうことは必要がない。
 つまり、客観的に最良の品かどうかを判断するのは人知を超えた話であるとしても、今人が提供できる最良の品を売っているところに、クズ級ゴミレベルの粗悪品が出てきた、ってことなのだから。そりゃ、良品を売ってる側だって、間違って粗悪品を掴まされた側だってクレームをつけるわな、そんなニセモノが出回っていたら。

想定しているユーザーが違う

Posted on 1月 20th, 2009 in 倉庫 by apj

 chnpkさんの「「ニセ科学」と「ニセ科学批判」と「ニセ科学批判批判」について」を読んだ。
 「ニセ科学批判批判」と、私が実際にやってきた(今も進行中の)「ニセ科学批判」がかみ合わない理由として、批判批判側が藁人形を攻撃しているからではないかと思っていたのだが、ずれの中身が少しはっきりそうなので言及しておく。

 chnpkさんの指摘は次の通り。

「ニセ科学批判」と「ニセ科学批判のユーザー」ところで、ここまでの考察ですでに、<ニセ科学批判のユーザー>と<ニセ科学批判者>とを区別することは可能に思われる。ニセ科学批判のユーザーとは即ち、上述した「科学についてまったく無知であり無理解のまま、「ニセ科学批判」という枠組みのもとで、科学的な気分を満喫する」人々のことだ。一方で「ニセ科学」批判者とは、「ニセ科学批判」の枠組みを設けた人々、素人でも「ニセ科学」を批判することができるようなまさにその枠組みをこしらえた人々である。「ニセ科学批判のユーザー」に限った話であれば、その動機を想像することはたやすい。「ニセ科学批判」の尻馬に乗っかることで、知的な気分を味わうことが出来るからだ。

「ニセ科学批判」のユーザーは、「ニセ科学批判」を消費する。資本主義における消費は、労働者という被支配者層における決して満たされない支配欲を、貨幣の支払いによる財やサービスの獲得という形式で、お手軽に実現する。財やサービスの獲得はお手軽な支配であり、貨幣の活用は経済システムからの疎外感から人間を解放する。はてなブックマークのボンクラどもがネガコメの対象にリンクを提供しながらスターをもらってニヤついているのも一緒だ。同様に、「ニセ科学批判」のユーザーは、簡単なインターネット検索で入手した「ニセ科学批判」の枠組みに乗じて啓蒙活動に参加することで、つかの間の優越意識と科学による支配を脱したかのような錯覚を得る。これらはまったく同じだ。つまり「ニセ科学批判」の消費のレトリックと言える。

 この指摘が、「ニセ科学批判」と「ニセ科学批判批判」のある面を捉えているのだとしたら、そういう批判批判の人が何を言っても、私の主張とはかみ合わない。私のニセ科学批判のユーザーとして私が想定しているのは、「「ニセ科学批判」の尻馬に乗っかることで、知的な気分を味わうことが出来る」人ではなくて「ニセ科学によって現実の被害を受けている人」だからだ。例えば、ニセ科学宣伝に騙されて悪徳商法の被害者になりつつある人は、想定したユーザーの一部である。
 ニセ科学批判のユーザーが「現実の被害を受けている人」であるならば、ニセ科学批判をやった結果敵対することになるのは「ニセ科学のユーザーであることによって利益を得ている人」ということになる。だから、営業妨害だというクレームが来るのは想定の範囲内のことである。批判をする活動を維持するには、最終的には訴訟で勝てば良いのだから、訴訟で負けない範囲で批判を書く、ということを考えてきた。去年あたりから現実の訴訟をやって、誰かの利益に反するニセ科学批判をやってもそれなりに大丈夫だということを示すことを試みている。
 「素人でも「ニセ科学」を批判することができるようなまさにその枠組みをこしらえた人々」とあるが、その中に私が入るとは考えていない。誰かの利益に直結する批判は、迂闊にやれば、訴えられて負けるという形で足を掬われるからである。裁判所で主張を通すためには、個別の事例に即した徹底的にベタな批判でないと難しいし、批判の内容を支える根拠や批判のあり方が不法行為ではないことを裁判官に納得させられる状態を保っておかなければならない。枠組みをこしらえたから批判をどうぞ、というのはあまりに無責任である。
 私が敵対する相手として想定しているのは「私の批判で不利益を受ける人」なので、「ニセ科学批判批判」の人達に対しては「で、あなたの不利益は一体何?」と訊くしかなく、この問いに対して明確な答えが無いならば、「現実の被害を防ぐ活動を単なるお前の趣味で邪魔をするな」としか言いようがない。

 ニセ科学が根絶できると思ったことはない。簡単に結果が得られることを期待する傾向を、弁護士の紀藤正紀は「インスタント指向」と名付けた。ニセ科学の多くは、現実のややこしいことから目を逸らさせ、結果が簡単に得られると煽るために使われている。これは、楽して結果を得たいという欲求と合致する。「インスタント指向」という、受け取る側の心情が、ニセ科学を受け入れやすくしている面があるともいえるので、そう簡単にニセ科学は根絶できないだろう。ニセ科学を根絶せよというのは、楽して結果を得たいという心情を捨て去れということに重なってくるからだ。「そんな都合の良い方法はありませんがそれが何か?」と身も蓋もない現実を提示する科学は人を甘やかしてはくれないので、ウケは悪いはずである。
 現実問題として、ニセ科学よりはよっぽど理屈の単純なオレオレ詐欺ですら、警察や銀行が頑張って啓蒙活動をしたり取り締まったりしても、根絶できていない。心情の部分を突いて騙す行為を根絶するのはほぼ不可能だということの証左ではないか。

 もし、「多大な効果を上げるニセ科学批判」なるものがあったとしたら、それはカルトによる洗脳と大差ないものになるだろう。却って危ない。だから「ニセ科学批判批判」側の人に言っておく。「多大な効果が無い」という設定で批判するんじゃなくて「多大な効果がない」から今のところ安全、と見るべきなのだ。

効果を度外視してなお、「ニセ科学批判」という活動に没入するのであれば、そこにはなにか別の動機があるのではないかと勘ぐりたくなるのは自然なことだろう。その別の動機が、「ニセ科学批判批判」の立場からは、「ニセ科学批判者」においては大衆を支配することであり、「ニセ科学批判のユーザー」においては「勝ち誇った自己肯定」の感覚を得ることであるように見えるというわけだ。であれば「ニセ科学批判批判」の動機についてはつまり、次のように言うことができるだろう。本来の動機や目的を隠蔽した、ニセ・ニセ科学批判に向けらる不快感であると。

 こう考えている人が「ニセ科学批判批判」側に居るのだとしたら、随分ケチな考え方をするものだと評価するしかない。そういう人達は、コピペの「ニセ科学批判」を見たどこかの誰かが、現実の被害者にならずに済むかもしれないことは想像もしていない。仮に「勝ち誇った自己肯定」に基づいて書かれた批判であっても、それを読んだことで、現実の悪徳商法の被害者になることを免れる人が一人でも二人でもいれば、その批判には意義がある。不快感で足を引っ張るだけの人よりはよっぽど他人の役に立っているはずだ。

 言論や表現は、そもそもの動機や目的とは違った形で、受け取った人に影響を与えることがある。自己肯定したいのなら、誰かを助けるとか誰かの役に立つということを目指したらどうだろう。優越感云々じゃなくて、お互いに助け合いましょう、で良いと思うのだけど。

【追記】
 楽して結果を得たいという心情には2つの意味がある。1つは、例えば「○○ダイエット」のように、これさえやれば苦しい運動や食餌制限無しにダイエットという結果が得られる、という、ただ単に安易に結果が得られる、というものを受け入れたいという心情。もう1つは、ニセ科学の内容自体がニセ故に単純で、学習の努力なしに解った気持ちになりやすいということ。ニセ科学が、ダイエット法のように目に見える利益とあからさまに結びついていなかったとしても、楽して理解できたという気持ちとは結びついている場合がある。