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カール・セーガン 科学と悪霊を語る

SNコメント

 

 著者Carl Sagan は1996年に亡くなった第一級の惑星科学者で,ベストセラー「コスモス」,宇宙人探査(SETI),「核の冬」の警告,映画「コンタクト」などで著名である。本書は,1996年に出版された著者の遺作とでもいうべきもので,原題をTHE DEMON-HAUNTED WORLD・・・・・・SCIENCE AS A CANDLE IN THE DARK「悪霊に憑かれた世界・・・・暗闇を照らすロウソクとしての科学」という。

 本書の内容は,巻末の解説で名古屋大学教授の池内了(「宇宙人はいるのか」の著者)が的確に紹介しているので,以下にその部分を引用する。

本書では,まず始めの数章で,似非科学と対比しながら,科学の特徴が具体的な事例に基づいて語られる。「科学は一つの思考様式だから」,科学には限界があり,誤りがつきものである。であればこそ,科学は,「想像力を必要とすると同時に,訓練によって鍛えられた」思考法によって,限界に挑戦し,誤りを自ら正すよう努力する行為なのである。

「科学に権威はいない。せいぜい専門家がいるだけ」の言葉が,このことをよく表している。「科学の価値は,民主主義の価値と相性がよく,この二つが区別できないこともある」のは,両者とも自由な意見の交換が不可欠であり,互いの誠実な証拠の開示こそが最善の道を発見することにつながるからである。さて,右の文章の「科学」を「似非科学」に置き換えたとき,その文意は成り立つだろうか。

次に,8章にわたって,UFO=宇宙人説が俎板にあげられる。UFO体験談の欺瞞,なぜ性懲りもなく宇宙人との遭遇が繰り返し語られるのか,UFO論者につけ込まれる軍部や情報機関の秘密主義,「出現」や「幻視」のような脳の構造に起因する思い込みの源泉,セラピストという名の疑似科学など,実に多様な側面からUFO=宇宙人説が分析され,一つ一つ説得力を持った考察がなされている。また,宇宙人との遭遇話を,魔女裁判を例にして,科学的に判断することを忘れたとき,悪霊や宇宙人なるものが持ち出されて悲劇が引き起こされるのだと警告する。であるが故に,セーガンは宇宙人話のきわどさをくどいまでに語るのだろう。第11章には,セーガンの文章を読んだ読者からのUFO体験談や感想が,ずらっと並べられている。アメリカには日本以上にUFO信者が多いらしいが,確かに病膏肓という感があり,なぜセーガンがこれだけスペースをとって書いているかがわかるような気がする。

その次は,トンデモ話が話題にあげられる。心霊術だの透視だの占星術だのの類である。神秘主義や迷信からのトンデモ話の危険性は,オウム騒動に見るように,信じ込んだあげくに人が搾取され,辱められ,ときには殺人にさえおよぶことだが,根底的には,トンデモ話を軽々しく信じる心情が,政府や社会や教祖を批判する力を失わせることにある。トンデモ話にひっかからない一番の方法は,懐疑的思考,つまり,前提なり出発点が正しいかどうか,そこから筋の通った議論が組み立てられているかどうかを,常に疑い追試することである。これは,科学そのものの方法とも言える。そこでセーガンは,具体的に懐疑的思考をするための道具として,科学で使い慣れた「トンデモ話検出キット」を教えてくれる。キットに入っている道具は,裏づけをとれ,権威主義に陥るな,仮説は複数立てろ,身びいきするな,弱点を叩きだせ,反証可能性等々である。それらを使えば,科学の営みと科学でないトンデモ話が,いかに見事に区分けできるかを示している。同時に,なぜ人々は易々とトンデモ話にひっかかるのかを,心理的側面からも分析している。

そして,最後の数章は,科学者の倫理,現代社会における科学の取り扱われ方,科学と民主主義の関係などについて,自分自身の経験やアメリカの実状を交えて,率直かつ鋭く論じている。たとえば,水爆の開発から核兵器開発競争そしてスターウォーズ構想へと,ずっとアメリカの核軍事戦略に携わってきたエドワード・テラーをあげながら,科学者の社会的責任を追及する。また,マックスウェルを例にしながら,科学者はおしなべてオタクの要素があるが,科学が生活の隅々まで及んでいる現在においては,オタクのままでいてはいけないのでは,と問いかける。そして,科学にとって民主主義が不可欠であることを再び強調しつつ,逆に,民主主義を確固としたものとするために科学者が果たすべき役割が熱っぽく語られる。そのために,アメリカにおける民主主義の土台ともいうべき「権利の章典」が,どのような経過で成立したかの歴史にまで話が及んでいく。セーガンにとって,科学する精神をもち,それを現実の社会で実現した人は,学歴や職業に関わりなく,すべて科学者なのである。

 なお,本書でセーガンはキリスト教の問題にたびたび踏み込み,聖書の記述,聖マリアの目撃談,実在するか不明な悪魔教への非難などに疑問を投げかけている。これは平均的なアメリカ人の信仰心を考えると,かなりラジカルな主張に思え,現地での本書への評価が気になるところである。やはり超常現象を突っ込んで考えていくと,(カルトではない)既存の宗教も無視できないことを改めて考えさせられる。宗教の多くが,神秘体験や超常現象と関わりがあるからである。