Feed

あの時……

Posted on 6月 8th, 2005 in 倉庫 by apj

 ネットで気になるものを見てしまって、だいぶ前のことをふと思い出した。

 大学院終わった翌年の秋、NECの面接を受けた。高周波回路(電送線理論など)を使って高速で動作する半導体の回路の評価などをやるということで、かなりうまくいった。1週間以内に返事が欲しいというところまでいった。ちょうど同時期に、千葉の放医研に来ないかという話があって、こちらも最初はプロジェクトのお金で雇うがうまくいけば正職員に、という話しだった。とても迷ったんだけど、テーマつぶれてしもたがなに書いたような事情があって、研究をあきらめきれなかった。もし、博士課程で存分に思ったことをやって失敗していたら、自分には向いてないというあきらめがさっさとついて、会社で技術者になる道を迷わず選んでいたのだろうけど、「まだ自分の限界を見ていない」という思いが強かったから、学術に少しでも関わっていられる放医研を選んだ。結果、放医研では、組織替え&自分自身の適性の問題の両方で職を得ることはなく、2年ほど非常勤やアルバイトで食いつないで、お茶の水大で実験させてもらって、2つめの学位を取った。その後、阪大VBL、広島大、と任期付きの職を転々として、現職に至った。
 国立大学法人がこの先安泰だとは決して思ってないのだけれど、疲弊する職場 NECは今なんてのを見てしまうと、もしあのときNECを選んでいたら、今頃どうなっていただろうかと思う。裁量労働によるサビ残合戦を繰り広げていたか、既にリストラ対象に入れられていたか。仮に実力があったとしても、運次第で切られる状況になっていることは明らかのようで、個人のやる気や努力でヘッジできる範囲は既に超えてしまっている。

 ウチの研究室の4年は二人とも就職希望なので、就職活動最優先ということで、卒業研究の開始を遅らせて様子を見ているところ。新卒でどこかの会社に潜り込まないと、その後のキャリア形成が難しくなりがちなので、とりあえず、うまくどこかに決まってくれと願っている。職が不安定だといろいろ大変なのは私自身が経験済みだからねぇ……。私からのアドバイスとして、従業員の定着率が悪い会社には何かがあるから注意しろとだけ言ってある。ただ、この状況を見ると、過去5年位で派遣の割合が急に増えているところも要注意、という項目を追加しなければならないようだ。

 ニートが問題になってるけれど、NECでこの有様なら、「働いたら負けかなと思ってる」という言葉は、案外真実を言い当てているのではないかと思えてくる。私も含めて、労働者というのは全て奴隷(アフリカから黒人を強制的に連れてきた方じゃなくて、古代ローマ社会の奴隷階級の方ね)と考えた方がいろんなことが見えてくるのだけど、最近は奴隷の待遇が下がりまくっている、というかむしろ虐待する方に向かっているような。せめて古代ローマ並にして、頑張ればお金を貯めて市民権を得られるとか、奴隷なりにそれなりにまったり暮らせるとか、最低限の食料は配給で保証とか、もうちょっとましな扱いをしないと、そのうち国が滅びるんじゃないかな。