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不実証広告規制

Posted on 1月 8th, 2008 in 倉庫 by apj

 景品表示法4条に関する運用指針。特に、4条2項に書かれた「合理的な根拠」の判断基準を引用しておく。

1 基本的な考え方

 商品・サービスの効果,性能の著しい優良性を示す表示は,一般消費者に対して強い訴求力を有し,顧客誘引効果が高いものであることから,そのような表示を行う事業者は,当該表示内容を裏付ける合理的な根拠をあらかじめ有しているべきである。
 このような観点から,公正取引委員会が事業者に対し,商品・サービスの効果,性能に関する表示について,景品表示法第4条第1項第1号違反に該当する表示か否か判断するために必要があると認めて,当該表示の裏付けとなる合理的な根拠を示す資料の提出を求めた場合に,当該事業者から提出された資料(以下「提出資料」という。)が当該表示の裏付けとなる合理的な根拠を示すものであると認められるためには,次の二つの要件を満たす必要がある。

(1) 提出資料が客観的に実証された内容のものであること
(2) 表示された効果,性能と提出資料によって実証された内容が適切に対応していること
 なお,商品の効果,性能に関する表示は,当該商品の製造業者から得た,商品について効果,性能があるとの情報を基に販売カタログや店舗内表示などにより,販売業者が自ら行うこともある。この場合,販売業者が自ら実証試験・調査等を行うことが常に求められるものではなく,製造業者等が行った実証試験・調査等に係るデータ等が存在するかどうか及びその試験方法・結果の客観性等の確認を販売業者が自ら行ったことを示す書面等を当該表示の裏付けとなる根拠として提出することも可能である。

2 提出資料が客観的に実証された内容のものであること

 提出資料は,表示された具体的な効果,性能が事実であることを説明できるものでなければならず,そのためには,客観的に実証された内容のものである必要がある。
 客観的に実証された内容のものとは,次のいずれかに該当するものである。

(1) 試験・調査によって得られた結果
(2) 専門家,専門家団体若しくは専門機関の見解又は学術文献

(1) 試験・調査によって得られた結果
 ア 試験・調査によって得られた結果を表示の裏付けとなる根拠として提出する場合,当該試験・調査の方法は,表示された商品・サービスの効果,性能に関連する学術界又は産業界において一般的に認められた方法又は関連分野の専門家多数が認める方法によって実施する必要がある。

<例>
日用雑貨品の抗菌効果試験について,JIS(日本工業規格)に規定する試験方法によって実施したもの。
自動車の燃費効率試験の実施方法について,10・15モード法によって実施したもの。
繊維製品の防炎性能試験について,消防法に基づき指定を受けた検査機関によって実施したもの。
 イ 学術界又は産業界において一般的に認められた方法又は関連分野の専門家多数が認める方法が存在しない場合には,当該試験・調査は,社会通念上及び経験則上妥当と認められる方法で実施する必要がある。
社会通念上及び経験則上妥当と認められる方法が具体的にどのようなものかについては,表示の内容,商品・サービスの特性,関連分野の専門家が妥当と判断するか否か等を総合的に勘案して判断する。
 ウ 試験・調査を行った機関が商品・サービスの効果,性能に関する表示を行った事業者とは関係のない第三者(例えば,国公立の試験研究機関等の公的機関,中立的な立場で調査,研究を行う民間機関等)である場合には,一般的に,その試験・調査は,客観的なものであると考えられるが,上記ア又はイの方法で実施されている限り,当該事業者(その関係機関を含む。)が行った試験・調査であっても,当該表示の裏付けとなる根拠として提出することも可能である。
 エ なお,一部の商品・サービスの効果,性能に関する表示には,消費者の体験談やモニターの意見等を表示の裏付けとなる根拠にしているとみられるものもあるが,これら消費者の体験談やモニターの意見等の実例を収集した調査結果を表示の裏付けとなる根拠として提出する場合には,無作為抽出法で相当数のサンプルを選定し,作為が生じないように考慮して行うなど,統計的に客観性が十分に確保されている必要がある

<例>
自社の従業員又はその家族等,販売する商品・サービスに利害関係を有するものの体験談を収集して行う調査は,サンプルの抽出過程において作為的な要素を含んでおり,自社に都合の良い結果となりがちであることから,統計的に客観性が確保されたものとはいえず,客観的に実証されたものとは認められない
積極的に体験談を送付してくる利用者は,一般に,商品・サービスの効果,性能に著しく心理的な感銘を受けていることが予想され,その意見は,主観的なものとなりがちなところ,体験談を送付しなかった利用者の意見を調査することなく,一部の利用者から寄せられた体験談のみをサンプル母体とする調査は,無作為なサンプル抽出がなされた統計的に客観性が確保されたものとはいえず,客観的に実証されたものとは認められない。
広い地域で販売する商品につき,一部の地域において少数のモニターを選定して行った統計調査は,サンプル数が十分でなく,統計的に客観性が確保されたものとはいえず,客観的に実証されたものとは認められない。
※ どの程度のサンプル数であれば統計的に客観性が確保されたものといえるかについては,商品・サービス又は表示された効果,性能の特性,表示の影響の範囲及び程度によって異なるため,これらの事項を勘案して個別事案ごとに判断することとなるが,少なくとも,学問上又は表示された効果,性能に関連する専門分野において,客観的な実証に耐える程度のものである必要がある。
(2) 専門家,専門家団体若しくは専門機関の見解又は学術文献
 ア 当該商品・サービス又は表示された効果,性能に関連する分野を専門として実務,研究,調査等を行う専門家,専門家団体又は専門機関(以下「専門家等」という。)による見解又は学術文献を表示の裏付けとなる根拠として提出する場合,その見解又は学術文献は,次のいずれかであれば,客観的に実証されたものと認められる。

(1) 専門家等が,専門的知見に基づいて当該商品・サービスの表示された効果,性能について客観的に評価した見解又は学術文献であって,当該専門分野において一般的に認められているもの
(2) 専門家等が,当該商品・サービスとは関わりなく,表示された効果,性能について客観的に評価した見解又は学術文献であって,当該専門分野において一般的に認められているもの
 イ 特定の専門家等による特異な見解である場合,又は画期的な効果,性能等,新しい分野であって専門家等が存在しない場合等当該商品・サービス又は表示された効果,性能に関連する専門分野において一般的には認められていない場合には,その専門家等の見解又は学術文献は客観的に実証されたものとは認められない
 この場合,事業者は前記(1)の試験・調査によって,表示された効果,性能を客観的に実証する必要がある。
 ウ 生薬の効果など,試験・調査によっては表示された効果,性能を客観的に実証することは困難であるが,古来からの言い伝え等,長期に亘る多数の人々の経験則によって効果,性能の存在が一般的に認められているものがあるが,このような経験則を表示の裏付けとなる根拠として提出する場合においても,専門家等の見解又は学術文献によってその存在が確認されている必要がある

3 表示された効果,性能と提出資料によって実証された内容が適切に対応していること

 提出資料が表示の裏付けとなる合理的な根拠を示すものであると認められるためには,前記のように,提出資料が,それ自体として客観的に実証された内容のものであることに加え,表示された効果,性能が提出資料によって実証された内容と適切に対応していなければならない。
 したがって,次の例のとおり,提出資料自体は客観的に実証された内容のものであっても,表示された効果,性能が提出資料によって実証された内容と適切に対応していなければ,当該資料は,当該表示の裏付けとなる合理的な根拠を示すものとは認められない。
 なお,ここで表示された効果,性能とは,文章,写真,試験結果等から引用された数値,イメージ図,消費者の体験談等を含めた表示全体から一般消費者が認識する効果,性能であることに留意する必要がある。

<例1>
家屋内の害虫を有効に駆除すると表示する家庭用害虫駆除器について,事業者から,公的機関が実施した試験結果が提出された。
 しかしながら,当該試験結果は,試験用のアクリルケース内において,当該機器によって発生した電磁波が,害虫に対して一時的に回避行動を取らせることを確認したものにすぎず,人の通常の居住環境における実用的な害虫駆除効果があることを実証するものではなかった。
 したがって,上記の表示された効果,性能と提出資料によって実証された内容が適切に対応しているとはいえず,当該提出資料は表示の裏付けとなる合理的な根拠を示すものとは認められない。
<例2>
あらゆる種類のエンジンオイルに対して10%の燃費向上が期待できると表示する自動車エンジンオイル添加剤について,事業者から,民間の研究機関が実施した試験結果が提出された。
 しかしながら,その試験結果は,特定の高性能エンジンオイルについて燃費が10%向上することを確認したものにすぎず,一般的な品質のエンジンオイルについて同様の効果が得られることを実証するものではなかった。
 したがって,上記の表示された効果,性能と提出資料によって実証された内容が適切に対応しているとはいえず,当該提出資料は表示の裏付けとなる合理的な根拠を示すものとは認められない。
<例3>
99%の紫外線をカットすると表示する紫外線遮断素材を使用した衣料について,事業者から,当該化学繊維の紫外線遮断効果についての学術文献が提出された。
 しかしながら,当該学術文献は,当該紫外線遮断素材が紫外線を50%遮断することを確認したものにすぎず,紫外線を99%遮断することまで実証するものではなかった。
 したがって,上記の表示された効果,性能と提出資料によって実証された内容が適切に対応しているとはいえず,当該提出資料は表示の裏付けとなる合理的な根拠を示すものとは認められない。
<例4>
「食べるだけで1か月に5kg痩せます」との見出しに加え,「○○大学△△医学博士の試験で効果は実証済み」との専門家による評価があることを表示することにより,表示全体として,食べるだけで1か月に5kgの減量効果が期待できるとの認識を一般消費者に与えるダイエット食品について,事業者から,美容痩身に関する専門家の見解が提出された。
 しかしながら,当該専門家の見解は,当該食品に含まれる主成分の含有量,一般的な摂取方法及び適度の運動によって脂肪燃焼を促進する効果が期待できることについて確認したものにすぎず,食べるだけで1か月に5kgの減量効果が得られることを実証するものではなかった。
 したがって,表示全体として,食べるだけで1か月に5kgの減量効果が期待できるとの認識を一般消費者に与える表示と,提出資料によって実証された内容が適切に対応しているとはいえず,当該提出資料は表示の裏付けとなる合理的な根拠を示すものとは認められない。

 当たり前のことだが、「ユーザーの声」を集めただけでは合理的根拠と認められることはない。マルチ商法の場合だと、ダウンの人々の意見は利害関係者の意見とみなされるだろう。
 研究費を出して専門家に研究を依頼したとしても、その人が一般に認められていない見解を出した場合は合理的根拠といえないと判断される。従って、トンデモに走る学者に運良く仕事を頼んで、研究をしてもらったとしても、4条2項の適用を免れることはできない。

 ちょっと前に、ニセ科学の定義と判定について考えるというエントリを出して、「科学を装う」の方は「通常人の常識で見ると科学(あるいは科学的根拠がある)と誤認することがある」という基準になるだろうと書いた。
 「科学でない」の判定は、「専門家が合意している内容に沿って実験し結果を合理的に説明することができない」ということになる。この場合の「専門家」は、特定の誰それ先生ではなく、蓄積された科学的知識に沿ってものごとを判断してくれる人、というものになる。

 他人に物を売る時には「主観や心情に基づいて購入の根拠となる効果を示す」という情報伝達のあり方を法は禁止していると考えて良い。消費者の側が「主観や心情に基づいて購入」するのは買う側の自由だが、その「主観や心情」を他人に伝えることで他人の購入の意思決定に影響を及ぼす場合には、合理的根拠を示す形にまで各自で手間暇かけて作り直さないといけない。

【追記】
 ある言説が、科学を装うが科学でないという「ニセ科学」の定義にあてはまるかどうかについては、定義の構成自体を法解釈技術的構成にしないとうまく運用できないのではないかというのが私の問題意識である。では、実際の法解釈の方がどんなことを具体的に定めているのかということの一例が、景表法4条2項のガイドラインだったりする。
 力関係でもなくその日の気分でもなく個人的な好き嫌いでもなく、意思疎通するための合理的な基盤のうち、自然観察に関するものが科学であるし、規範に関するものがおそらく法ということになるのだろう。これらは質の違ったコモンセンスということになるのだろう。個人的な好みや主観以上のものを何も含まない言説でもって他人と意思疎通するのは無理がある。

 「論文が無いとダメ」などと言うと「それは科学者の論理だから押しつけるな」という反発を喰らうことがあるのだけど、既に法がその基準を採用していることも考慮しないとまずい。法に無知でも免責はされないから、「科学者の(ローカルな)論理(だから嫌なら受け入れなくても良い)」だと思い込んだまま行動すると、予想しないところで違法なことをやってしまう可能性もある。これは、気を付けてほしいところである。

 なお、「ある言説をニセ科学であると判定し批判すること」≠「ニセ科学批判」である。「ニセ科学」であると判定する部分の作り方は、既に前のエントリで書いた通りである。ところが批判の方は、個別の言説ごとに内容に応じて行うわけで、ひとくくりにはできない。適用する科学の成果も個別に違った物になる。だから、批判活動に対して「ニセ科学批判」と呼んで、何かを特定した気分になったとしても、実は何一つ中身を特定できていない。「ニセ科学批判批判」は、そもそも内容を特定することができていない「ニセ科学批判」なるものを批判しようとしているから、言葉遊びの域を出ず、内容が無いのは当たり前である。

 「ニセ科学」の判定の基準を作るとしたら、ある程度抽象的にならざるを得ない。じゃあ、抽象的といっても実際にどうするのか?となったときの参考になるとしたら、例えば景表法のガイドラインのような決め方ではないか。いくら抽象的にやるといっても、個別の例にあてはめ可能な形にしておかないと、空虚なものになるだけで終わってしまいそうである。

(酒の席でのネタ)新自由主義な壷売り

Posted on 1月 7th, 2008 in 倉庫 by apj

 年末のLINK総合法律事務所の忘年会の後の3次会あたりで出た酒の席でのネタ。
 「統一協会の売ってる壷は一体どういう御利益があるという話になっているのか?」という疑問を山口弁護士にぶつけたら、「つまり悪霊ホイホイ」。壷の中はもちろん空だが、買っておいておくと悪霊だか災厄だかを吸い込むという設定になっているらしい。それならば、「あの統一協会の壷と同じ悪霊ホイホイ機能のあるこちらの壷が、何とお値段10分の1で!」という霊感ダンピング商法が可能なんじゃないかという冗談で盛り上がってしまった。「御利益のある壷」の販売に市場原理を持ち込めば、ぼったくり霊感商法から薄利多売霊感商法になるのではないかという話。市場を独占しているから壷の価格が下がらないのだとすると、競争相手を作ればよいのでは?という、至極当たり前のことなんだが(何か違)。

対策方法が違うのでは?

Posted on 1月 6th, 2008 in 倉庫 by apj

 J-CASTニュースより。

私大生2割「日本語力中学生以下」 学力底上げにeラーニング導入
2008/1/ 5
 「ゆとり教育」に端を発する学力低下が叫ばれるなか、「私大学生の2割の学生の日本語力が中学生以下」という驚きの調査結果が明らかになった。この調査を行った教育機関では、「大学でのeラーニング導入を推進しないと、今の大学は生き残れない」と提言している。

66%が「中学生以下」と判定された大学もある

 大学生の基礎学力の低下を受け、独立行政法人・メディア教育開発センター(NIME)では、日本語・英語・数学の基礎学力を測定するための「プレースメントテスト」を開発し、各大学で提供している。調査は1998年から00年、04年から07年にかけて行われたが、「日本語力が中学生レベル以下」と判定される大学生の割合が非常に多いのだ。まとまったデータが残っている04年時点(24大学・7353人が受験)で、「中学生以下」なのは、国立大学で6%だったのに対し、私立大学では20%で、短大では実に35%。06年の調査では、66%が「中学生以下」と判定された大学もあった。
 このプレースメントテストを開発したNIMEの小野博教授によると、大学での授業を理解するためには、高校生レベルの日本語力が必要だといい、この調査結果からすると、授業の内容さえ理解できない大学生がかなりの数にのぼる、ということになる。
 小野教授は、
「大学の数を増やしてしまったことで、(1科目受験のみで合格できる制度が登場するなど)入試制度が変化しており、入試で受験生を選別できなくなっています。そこで、プレースメントテストを行って『学力別クラス編成』をする大学も多いです」
と嘆息する。
 教育方法学が専門の藤川大祐・千葉大学准教授も、
「(自身が勤務する)国立大の学生を見ていても、ちょっとした漢字を書くのでさえいい加減だったり、簡単な数学が出来ない、という例が目立ちます。そう考えると、調査結果にあるような『私立大学で日本語力が中学生レベルの学生が多い』という話も、驚きには値しないと思います」
と話し、学力低下を実感している様子だ。

全国107大学がeラーニング参加を表明

 これを受けて、2007年11月1日には、eラーニングを使って学力底上げを目指す「オンライン学習・大学ネットワーク」がNIMEを事務局として立ち上がり、全国107大学が参加を表明。08年4月からは、補講用の数学、物理、英語などの教材を配信する予定だ。
 前出の小野教授は
「現状では、コンテンツが足らなさすぎます。まずは大学の先生たちが授業をやりたがらない分野を充実させたいです」
と話す。なお、「授業をやりたがらない分野」とは、「中高生の勉強をやり直すような内容」や、「SPI(企業の採用選考で使われる、マーク方式の能力・性格検査)対策などの就職準備」などだそうだ。
 一方、藤川准教授は
「何かやれば学力は上がるものなので、eラーニングもひとつの方法だとは思います。ただし、(学力低下が指摘されている)これまで勉強してこなかった学生に、対面でない状況で教えたとして、どれだけ効果が上がるのかは未知数だと思います」
と、やや懐疑的な様子だ。

 中学生レベルの国語力を身に付けていないのに大学に入れるということが根本的におかしいのっであって、それを大学でどうにかしようというのは本末転倒ではないか。「大学でのeラーニング導入を推進しないと、今の大学は生き残れない」という、まず大学を残すことありきな話ではなく、せめて高校の内容をそれなりに身に付けている学生だけが大学に入れる状態になるまで、大学の数を減らすことだろう。
 高校で科目選択などでやってこなかったとか、高校で学んだ当時にあんまり必要だと思わなかったので学生が忘れてしまっているといった内容については大学でフォローするのが適切だが、中学校の内容をフォローするというのはどう考えても違うのではないか。もし、中学校の内容をフォローするとしたら、それは高等学校の役目だろう。
 小学校の内容を身に付けていないのに中学に進める、中学の内容を身に付けていないのに高校に入れる、という、粉飾決算のようなことを繰り返した挙げ句に発生した事態なのだから、根本的な対策としては、大学の数を減らして浮いたリソースを小中高に振り向けて、各段階での学習内容が身に付くまで留年も有りにして、人手と時間と予算をかけてケアするしかないのでは。
 先日の同窓会で、中学で教師をしている人がぼやいていたのは、分数がわからない中学生が3分の2居る、ということだった。ちょっと詳しく聞いてみたら、数や量の概念を全く分かっていないといいうことで、それでも「中学校数学の公式に当てはめて方程式を解く」ことは一応できるらしい。これは、中学受験などでほとんど選別せず、学区制でほとんどの人が公立小→公立中、と進んでいる状態での話である。中学受験で優秀な人の大部分が私立に行った後に残ったグループでの話ではない。普通に公教育をやって、小学校で身に付ける内容を身に付けないまま中学校に進んでいる人の割合の方が多いというのではどうにもならないだろう。だからといって教育内容を削減するようなゆとりにしたって問題は解決しない。超多忙な先生方にゆとりを持たせて、小中高それぞれで身に付けるべき内容を教育することに十分な手間と時間をかけられるようにするしかないのではないか。

apache重すぎ……

Posted on 1月 5th, 2008 in 倉庫 by apj

 院生の実験を横目で見ながら新サーバの設定作業続行。FreeBSDを最新版にしたら、メール周りのインストールがまだ不安な状態だったり、/usr/local/etc/rc.dにスクリプトを置いてるのに自動起動してくれないデーモンがあったりでまだ移行できない。
 で、何か今日はapache重すぎ。topで見たらswapに落ちまくり。で、もう一回調べて設定を見直した。放っておくとhttpdのサイズが増える(多分メモリリークで)なので、MaxRequestsPerChildの値を減らして、デーモンの最大起動数も減らしてみた。

実験開始

Posted on 1月 4th, 2008 in 倉庫 by apj

 院生と一緒に集中実験開始。
フォトマルの温度調節にエラーが出ていたが、いじくり回しているうちに復旧。

同窓会

Posted on 1月 3rd, 2008 in 倉庫 by apj

 高校の時の同窓会に行ってきた。
 学年315人中出席102人、既に亡くなった方3人。
結構、地元(といっても元の実家ではなく、県内程度の範囲)に戻って仕事をしている人が多い模様。前回やってから12年経っている。その間に、連絡が付かない人が随分増えてしまったようで……。
 ともかくこれからはちょくちょくやらないと、先生がお亡くなりになってしまって会えなくなるおそれがある。
 関係者が見ればわかるので、名前は出さない。理系クラスで数4と名付けられた問題演習担当の先生が一昨年亡くなられたとのこと。当時の教科書には無いオイラーの公式を授業でやってくれて、後からもっと詳しい話をききに行った(確か、森毅の「微積分の意味」を持っていった)のを覚えている。数学セミナーの表紙に描いてあった工作をやって持っていって見せたら、いろいろ説明してくださった。あと、確か英語担当で、昔の事故で言葉が若干不自由だった年配の先生が亡くなられたとのこと。
 一次会終わってから、1年の時の地理担当の先生に連絡して会うことができた。世話になったのは1年だけだったのだけど、なぜかその後も良く世間話をしてネタを投下しに行っていた。今日会って、「悩みがあるとか進路相談以外で、話題提供で話をしたのは多分あなたが一番多い」と言われてしまった。こちらも、以前会ったのは多分10年以上(ひょっとすると20年近くか?)経っている。

 でもって、お約束のネタ。
「女性に年齢訊くのは失礼だけど……」
「全員同い年か1年しか違わんっ!!同窓会だここはっ!!」
私の時代はもう高校浪人は皆無だったからねぇ。

 後は……個人的連絡。
・某自営業者の人(私と小学校も一緒だった筈)、家そのままにして一家丸ごと行方不明になったから、みんな心配してるし、噂もそれなりに飛び交ってるっぽい。連絡すると何かやばい事情があるかもしれないけど、ほとぼりが冷めたら友人の誰かに連絡入れてほしい。貴方は昔から人付き合いも良かったし親切だし成績も良かったし、どこかでちゃんと生き延びてると信じてるから。
・高校で私を入れて4人(♂2♀2)で連んでたメンバーのうち、コンピュータ業界に行った♂(大学生の時、千葉で一回会ったよな)、もし見てたらメール入れろ。名簿からは行方不明になってるぞ。文系行ったヤツは幹事と連絡とれてるし、♀の方は実家経由で何とかなると思う。

初売り@某書店

Posted on 1月 2nd, 2008 in 倉庫 by apj

 今日から大型店は初売り。本屋を見て回ることにした。購入したのは次のような本。
・「絶対弱者 孤立する若者たち」三浦 宏文 ・渋井 哲也  著
 内容としてはamazonの商品紹介の通り。ただ、大学教員をやっていると、この本の書かれたような若者に遭遇するのは多分避けられない。高校教員と大学教員は読んでおいた方がよい。ただ、解決策は無さそうなので何とも……。
・「昭和のロケット屋さん」林 紀幸・ 垣見 恒男・松浦 晋也・笹本 祐一 ・あさり よしとお  著
 ペンシルロケットからミューに至るまでの国産ロケット開発の話。付録DVDのロケット事故現場映像がいい。
・「学位商法 ディプロマミルによる教育汚染」小島茂著
 文科省は取り締まる方向に舵を切ったようだが、継続的に注意していかなければならない。インチキ健康食品などにお墨付きを与えたりといったことにニセ学位が使われている。後半のイオンド大学との攻防戦は、ぜひ広く知ってもらい部分である。
・「影響力の武器 第二版」ロバート・B・チャルディーニ著
 日本の第二版は原著第四版にあたる。こちらは、騙されないためのテキスト。何かを承諾させられそうになったときにどうやって防衛するかという話。

謹賀新年、提訴しました

Posted on 1月 1st, 2008 in 倉庫 by apj

 大晦日の21:30頃、池袋に到着。適当に夜食を摂って、駅の喫茶店で1時間ほど特定商取引法の勉強をしながら時間を潰した。23: 30、地下鉄丸の内線で霞ヶ関に向かって移動。A1出口から東京地裁に向かう。
 東京は晴れ。近くでニューイヤーのイベントをやっているらしく、スピーカーからテンポの良い曲が流れ、5,6本のサーチライトがビルを突っ切って空に延びていた。
 裁判所南門のゲートのところには守衛が居て、前の道路には黒いリムジンらしい車が数台停まっていた。そのまま、夜中でも明かりがついて見えるようになっている公示送達の掲示板を見ながら待つ。イベントのスピーカーがカウントダウンして、新年の訪れを宣言するのを聞いてから、裁判所のゲートを入る。守衛に提出であることを言うと、夜間窓口の場所を教えてくれた。名前を聞かれたので名乗ってから、窓口に向かう。窓口は地下1階。周りには誰もいない。インターフォンのブザーを押すと、窓口が開いた。
「明けましておめでとうございます。提出です」
と挨拶したら、窓口の人にちょっとだけウケたっぽい。そのまま正本1部副本3部を提出。絵里タンの事務所でもらってきた収入印紙を確認して正本に貼り付けた。書類不備がないことの確認と、予納郵券の額の確認に5分ちょっとかかった。
「元日の日付で作ってもらいました。私が最初ですよね?」
と言ってみたら、
「4日に始まったときに、どういう順番になるかわからないから、1番になるとは限らないんだよね……」
と言われてしまった。まあ、最初に突っ込んだら何番になるかは運次第だよ、ということを絵里タンの事務所できいていたので、予想の範囲だが……。事件番号1をとれるかどうかは、ここから先は神頼みということか。絵里タンの話によれば、年末に郵送したものが年明けの8番だったことがあるそうで、一桁には入れると思うのだが……。
 訴状の内容は名誉毀損、原告は私、被告は吉岡英介。材料は「水は変わる」の自費出版本とウェブ版両方である。吉岡英介個人・有限会社健康と環境の神戸クラブ代表としての吉岡・マグローブ株式会社の代表としての吉岡をまとめて提訴したから、副本が3通になった。しかし、被告の中の人は一人なので、別々の宛先で3通同じ物が送られるという、ほとんど嫌がらせのような結果となった。単に紙の無駄のような気もするが、規則で被告の数だけ提出することになっているから仕方がない。
 今回、代理人に入ってもらった大木弁護士はエコな人(笑)で、吉岡氏の書いた大量の文章を見て「このエネルギーをもっと別のことに使えれば……」とつぶやいていた。そのそばから、結局は同じ人に送られる副本3通が積み上がっていたわけで、思わず「森林資源の保護という点からみるとエコな人が弁護士になるのは間違っているのでは?」とツッコミを入れた。
 平成20年1月1日付けの訴状を日が変わると同時に出したわけで、これ以上最適な年賀というか年始の挨拶は他には無いだろう。作ってる最中から「訴状に賀正ってスタンプ押した~い」と、弁護士事務所で代理人ともどもつぶやいていた(が、実行したら裁判官に補正を命じられるのが確実だからやらなかったけど)。
 世間のみんなが初詣に行ってる時に、私は裁判所詣でで新年を迎えたわけで、こんなことをしていたのでは今年1年がどうなるかもう推して知るべしというか……。

 とにかく、本年もどうぞ(裁判所で)よろしくお願いいたします。

【追記】
 訴訟ページを作った後で書くことになりそうな内容をまとめておく。
 まず、ネット上の言論による名誉毀損については、訴訟よりも、対抗言論で名誉の回復を図る方が健全だというのが私のポリシーである。だから、2年前に「水が変わる」が出たとき、即座に名誉毀損による提訴ができたにも関わらず、私は提訴しなかった。環境ホルモン欄訴事件のときにも、言論には言論で、と言い続けて被告の中西先生の応援団の事務局をやっていた。表現を制限するための訴訟を乱発すると、萎縮効果をもたらすだけで、あまり良いことはない。また、「言論の自由市場」に任せておけば、あまりにもひどい表現内容が広く受け入れられることはない(∵そういう言論は読んだ第三者が気分を悪くすることが多い)から、そうそうとんでもないことにはならないものである。
 しかし、今回、吉岡氏は、ほとんど言いがかりのような提訴をお茶の水大学のみに対して仕掛けた。これは、もっぱら、大学を訴訟で脅して言うことをきかせようということである。同時に、法による解決を望むという意思表示でもある。そうであるなら、私がこれまでのポリシーを維持して提訴をしないでおく理由はもはやどこにもない。
 先月は、マグローブ株式会社(代表者の一人が吉岡氏)からの削除要求に対して、債務不存在確認&損害賠償請求の訴訟を先に提起した。のんびり訴えられるのを待っていたらどうなるか、既にお茶の水大で経験済みである。二度同じ手を喰らうのはただのバカだろうし、私はバカになるつもりはないから、先手を取らせてもらった。
 本日の提訴もまた、法による解決を望む相手に対しては、そのように対応するというだけの話である。ただ、ありふれた名誉毀損訴訟なので、裁判としての面白みはあまり無いと思う。

 意味があるとしたら、むしろ、先月行った債務不存在確認の訴えの方である。
 名誉毀損だ業務妨害だと理屈を付けて提訴するのは、表現を萎縮させる方向に働く。私が提起した債務不存在確認の訴えは、削除要求があった段階で表現する側から起こせる防御の方法で、表現をそのまま維持する方向に働く。言論と表現の自由を守るために、債務不存在確認の訴えを積極的に使っていくという方法を、今後は実践によって確立していけないかと考えている。

【さらに追記】
 実際のところ、裁判所に話を持って行くよりは、双方がウェブサイトで批判しあっている方が、手間もかからないしコストも安い。裁判制度は国が提供している制度だし、訴えるのは国民の権利なのだけど、現実には有限のリソースをみんなで分け合って使っている状態だから、裁判所に行かなくても解決可能ならば、その方が望ましい。そう考えて、一種の寛容の精神で吉岡氏を提訴せずにおいたのだが、環境ホルモン濫訴事件といい、神戸の訴訟といい、一体何がどう名誉毀損なのかさっぱりわからない訴訟を連続して見てしまうと、今は過渡期なので多少多めに訴訟をやってネット上の表現がどの辺におちつくのか相場を作るしかないのかもしれないとも思う。

原画展に行ってきた

Posted on 12月 29th, 2007 in 倉庫 by apj

 「奇想奇抜 永井豪の40年」が池袋サンシャインシティーで開催されたので見てきた。
コミックスの元の表紙の絵も、描かれたサイズで見ると大変に迫力があった。また、印刷物からではよくわからなかったところまで細かく描かれていた。
 マニア仲間では、「このコマのペン入れは豪ちゃん本人か、それともアシスタントの誰それか」という議論をしているわけで、いずれにしても、本物をよく見ることが大事だったりする。

人扱いされてなくね?

Posted on 12月 28th, 2007 in 倉庫 by apj

 マグローブ株式会社の吉岡英介氏がお茶の水大を訴えた件。訴訟専用blogに書こうかどうしようか迷ったんだけどこっちに書いておく。
 当事者参加して、問題の投稿は私が書いたと裁判官の前で主張し、裁判官が「名誉毀損で天羽を訴えるか?」と訊いたのに、吉岡氏は「訴えない」と言っちゃった。
 訴訟できる、つまり、訴え・訴えられることができるのは民法上の「人」(自然人と法人)である。名誉毀損訴訟で表現した本人が目の前に居るのにわざわざ外して訴えるというのは、「オマエなんか(民法上の)人扱いしないから」と言ってるのと変わらないわけで、随分と失礼な行為というか、むしろ最大級の侮辱というか。例の「水は変わる」を出版したり、それに続くウェブの内容で私に対する人格攻撃をしまくるよりも、ある意味侮辱の度合いは強いのではないかと。

 まあ、「訴えない」などという侮辱を私に対してやった以上は、そんなものを許すわけはないのであって、この先私からの提訴は当然覚悟の上なんでしょうね、と、小一時間問い詰めたい。

 とりあえず絵里タンと打ち合わせして訴状作りながら考えたことだったり。

 もちろん、世間一般では、訴えから外してもらえたら「ほっとする」のが普通だということは承知の上だから、私の感覚がぶっ飛んでいることは認める。
 ただ、私は、「法的紛争は近代社会における個人の自立の証」と位置づけているから、やっぱり引っ掛かるのよ。