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ニセ科学へのただ乗りという逆の状況、あるいは紛らわしくしたことの責任

Posted on 1月 7th, 2009 in 倉庫 by apj

 昨年の秋に、「ニセ科学フォーラム」「水素水について」というエントリーで、日本大学の太田成男教授と直接話をしたことを書いた。その後、某会社の人から情報をいただいたり、水素水販売側が怪しくならないようにするのに困っているという話が来たりした。
 既に述べたように、太田教授のやっていることは
・科学(この場合は医学)の研究としては何も問題がないし、むしろ順調に科学としての成果を挙げている。
・水素水を販売するタイミングが早すぎる。
・太田教授が直接責任を負える顧問先企業では、水素水の販売に際して効果効能を謳わないことを守らせており、宣伝の態様は法律を遵守していて特に問題がない。
というものである。1つ1つについては何も問題がないし、法にも触れていない。
 ところが、特定の状況の下で、この3つが出そろったために、別のよろしくない効果を発生させることになりつつある。まっとうな商売をしようとしていた人達に別の圧力をかけてしまっているのである。某それなりに名の通った企業が効果効能を謳わずに水素水の販売を始めることになったり、気を付けて普通に食品として(効果効能を一切連想させず、普通のミネラルウォーター扱いで)売っていたのに健康関係のコーナーにも置けという圧力がかかったりということが起きている。
 太田教授のやっていることは、個別には問題がないので、それぞれを直接に批判するというのは難しい。そこで今回のエントリーのタイトルになる。つまり、まぎらわしいことをやった責任、という点から批判するしかないということである。

 太田教授以前に、水素(関連)水を広めたのは、九州大の白畑教授の「活性水素」説である。電気分解をしてできる弱アルカリ性の水の中に「活性水素」ができると考えて実験を説明しよう、という論文から話が始まった。この研究は日本トリムとの共同研究で、論文が出た後、日本トリムが「九州大教授によって活性水素の存在が証明された、活性水素は原子状水素である」といったことを主張したため、一気に広まった。これ以前には、水素には言及していなかった、アルカリイオン水製造装置の販売業者が「活性水素」「原子状水素」と表示して販売するようになった。もちろん、この用語の後には「体に良い」「酸化防止」といった説明が続く。もともと、白畑教授からしてが、林秀光医学博士による、抗酸化作用を持った水が健康長寿に役立つ、という主張に惹かれて研究を始めたとのことなので、主張の内容はこの手の「健康に良い水」の宣伝との相性も良かった。白畑「活性水素」説は、日田天領水の販売にも利用されることになった。一方林秀光博士は、「活性水素君」という、水に入れて使う金属マグネシウムスティックを製品として販売した。金属マグネシウムは水にゆっくり溶けて、水素ガスを発生させる。
 しかし、「活性水素」は白畑教授の論文でもその後の特許でも、化学物質としての存在が示されることはなかった。そのうち、白畑教授は、「活性水素は原子状水素ではなく、白金ナノ粒子に吸蔵された水素である」と主張を変えた。杏林大学の平岡らは、抗酸化作用を持つ水について、トリムの水や日田天領水、活性水素君の水も含めて調べた。その結果、いずれも弱い抗酸化作用はあったものの、「活性水素」のような、活性酸素と直接反応して消去効果を示す物質の存在は確認できないことがわかった。日本トリムは、1年ほど前から、全社を挙げて、今後は活性水素を出した宣伝は行わないという方針をとっている(末端に徹底させるのが大変なようだが、トップダウンでやっている)。

 何かアピールするキーワードがあると、実験で確認もしないままコピペで広がるというのが、水関連の宣伝の常である。マイナスイオンがブームになったときは「マイナスイオンが入った水」という宣伝文句が頻出したし、白畑説が出てからは、関係のない水まで「活性水素」が含まれている、抗酸化作用があって体にいい、と主張した。一旦こういうイメージが広まってしまうと、「活性水素じゃなく単なる水素分子」「弱い抗酸化作用はあるがビタミンCのような酸化防止効果はない」「健康への影響についは目下証拠無し」と言っても、受け入れられないか、さらに歪んだ形で情報が広まることになる。

 ここに出てきたのが、太田教授のnature medicineの論文であった。

 論文が、これまで「活性水素」の「酸化防止で健康にいい」効果を宣伝してきた人達に使われるのではないかということを考えて、まだそういう話ではない、と注意を喚起した。が、すぐに宣伝には使われたようである。
 私にとって予想外だったのは、太田教授が率先して、研究と並行して水素水を売る企業の活動に関わったことであった。
 水素ガスを脳梗塞後の血液再還流時の脳へのダメージを抑える治療法として使う、という話は、医学の基礎研究としてはまっとうだし、発展性も期待できる。nature medicineに出たのなら研究費だっていろいろもらえるだろうし、普通に考えて、何も慌てて太田教授が水素水を売る側になる必要など無いはずである。
 一方、水素(関連)水の方は、活性水素だ原子状水素だナノ粒子吸蔵水素だと、宣伝に登場する物質が錯綜している上、「抗酸化」「健康にいい」というイメージだけが広まっている。この状況で水素水を販売すれば、似たり寄ったりの怪しい商品と思われても仕方がない。だから、太田教授がなぜ商品化を急いだのかがわからなかった。

 ところが、最近になって、太田教授が水素水の研究をし始めたきっかけは、株式会社ブルーマーキュリー側からの働きかけだったということを教えてもらった。また、nature medicineの論文掲載の後、ブルーマーキュリー主宰で、東京・経団連会館で記念講演会が開かれ、NHKのニュースの動画をDVDで配ったり、新聞記事を引用して講演したりということをしていたとのことである。
 つまり、太田教授の製品化するという判断が拙速だったのではなくて、もともと、製品化したくて仕方のない企業から持ちかけられた研究だったということのようである。
 なお、この研究から発表への流れについても何ら問題はない。きっかけが企業から持ち込まれたテーマだという研究はいくらでもあるし、論文掲載という通常の科学の成果発表の手順を踏んでから一般に講演している。

 この結果、
(1)これまで活性水素を謳っていた人達(ジャンルを問わず、例えば磁気処理水まで含まれる)が、太田教授の成果を都合の良いようにくっつけて宣伝する。
(2)太田教授とは関係のないところで水素水販売が行われ、これまで通りの抗酸化云々に加えて、太田教授の成果まで勝手に継ぎ足して使われる。
(3)太田教授は効果効能を謳わずに水素水販売をさせている。そこに気付いて同様のやり方で販売する会社もある。
といったことが起きている。
 太田教授としては、「水素水」を売っているのに「活性水素」と混同されて迷惑しているらしい。しかし、既にデマが飛び交って大混乱中のところに、まだ十分な試験が終わる前から水素水を売ることを決めたのは太田教授なのだから、ある意味自業自得でもある。まあ、太田教授も、活性水素に踊った集団が、それほど無節操に使えるキーワードなら何でも使う、論文の恣意的利用もどんどんやるとは思っていなかったのかもしれない。太田教授は、論文を勝手に宣伝に使った企業に対して法的措置までとって請求を認めさせたということだが、1件や2件の紛争をやっても追いつかないだろう。そこまで成果の曲解に対する対策をやっているなら、訴訟の件も含めて情報開示したらどうかと言ってみたのだけど、太田教授にその気はないようである。この方面で防衛するつもりなら、ブルーマーキュリーと一緒じゃダメで、nature medicineの成果発表と同時に「効果効能を謳う活性水素とは無関係だし水素水とも結びつかない」という情報を発信し、商売側とは距離を置く、くらいのことをすれば何とかなったかもしれない。

 水素水の現状については、太田教授がきちんと監督しているという前提が成り立っている限りにおいて、ブルーマーキュリーの宣伝をチェックすればわかることになる。ブルーマーキュリーが効果効能を出していないということは、効果効能を謳ってよい状態まで研究が到達していないということを意味する。太田教授の研究が確かなものであっても、効果効能を主張できるような製品に結びつける道はまだ遠いと考えるのが正しい。しかし、「水素を使った治療方法の研究をきちんとしている研究者が顧問をしている会社が水素水を売っている」というのを普通の人が見れば、効果効能を謳っていなくても,水素水は確かなのだろうと思ってしまうのではないだろうか。
 ところで、他の企業まで効果効能の宣伝を一切無しに水素水を売ることにした、というのは製造ラインを作って売ってもペイするというのが企業の判断ということになる。つまり、効果効能を謳わなくても現状では水素水が売れているということである。太田教授と関係無しに売っても何とかなるということなのだろう。買う人のうち、太田教授の話を知っている人もいるかもしれないが。じゃあ、何故売れるのか、と考えると、これまでに散々出回った「活性水素」「抗酸化」「体に良い」のニセ科学宣伝が引っ掛かる。「水素」というキーワードが既に「抗酸化」「体に良い」と結びついているから、効果効能を謳わなくても商売できるということではないか。

 今回の水素水の問題は、普段目にするニセ科学とは逆のパターンである。つまり、既にニセ科学宣伝で出来上がってるイメージを利用することによって、効果効能を謳わない適法な宣伝をする業者が商売するという形になっている。違法な宣伝をする業者も同時に活動していて、イメージの強化は勝手にそっちが受け持っている。

 太田教授がしていることは、
・まっとうな研究の成果と製品の間に関連があるとついつい思ってしまうような紛らわしい顧問関係を作ったこと
・活性水素が作った健康に良いというニセのイメージに乗っかる形で、紛らわしい商売に荷担していること
である。つまり、紛らわしさを発生させている責任はある、ということである。勿論違法ではないし、研究プロセスに違反があるわけでもない。紛らわしさだけである。

 マルチ商法なら、普通の商売人はマルチのような問題のある商法と混同されるような紛らわしいことは避けるもの、という議論が既にある。しかし、今回の太田教授のしていることについて、「紛らわしいことは避けるべき」と言っていいのかが微妙である。悩ましいけど、まだ、どういう論を立てるとよいかがわからない。

 私としては、こんな紛らわしいことを始めた太田教授にはとことん責任を取ってもらいたいと思っている。この場合の責任をとる、とは、効果効能を謳えるところまで研究を全うし、厚労省が認める程度の「水素水製造規格」でも定めることに一役買って、業界団体の指導をして、インチキ宣伝をする業者は居るにしてもそれは団体にも入ってないモグリ、という状況を作り出すといったことを意味する。


ここからは旧ブログのコメントです。


by 酔うぞ at 2009-01-49 20:30:49
Re:ニセ科学へのただ乗りという逆の状況、あるいは紛らわしくしたことの責任

まぎらわしい、ということで裁判になっているニュースがありました。
昨日の夕方のニュースでした。

http://tvtopic.goo.ne.jp/program/77/246/217296/0/15/1/index.html

ここに、ちょっとだけ紹介があります。

廃墟写真家の丸田氏が発表した写真と同じ場所を撮影した写真を発表した。
それが著作権違反と提訴したという話。

別に撮影しているわけだから、物理的に別の著作物なのだが、アイディアをパクッたと言われても、反論のしようがない状況です。

しかし、同時に「別物」であることも確かなのだから、廃墟ブームになるとつけこんだ、という「まぎらわしいこと」が商売の基本であるとなるでしょう。

写真では「構図など創造性をまねたものは、著作権法違反」との判決がすでに出ているそうで、この廃墟写真裁判もその流れでは、原告が勝てない理由は無い、と思います。

しかし、apj さんの指摘している事例は、もっと幅広いものだから、相対的に責任は少ないと言うべきなのでしょう。
もし、被害が大きくなった場合には、大きな被害を出した小さい責任は追及される、ということで「まぎらわしいことを積極的に止めなかった責任」というのが出てくるのかもしれません。


by apj at 2009-01-04 21:28:04
責任、まで言うと強すぎるんですよねぇ

酔うぞさん、
 大田教授のケースは、今のところ、「責任」とまで言うと言いすぎになるんですよね。もうちょっと周りの状況見て下さいとか、思慮深くやってくださいとか、自重してください、といったあたりなんですよ。「紛らわしいことをしているという自覚をどこまでなさってますか?」とか。

 大田教授は、最初に出回っていた怪しい話を撃墜しながらまともな商売が主流になるように振る舞う、というのが可能な立場だと思うんですが(私もそちらを望んでるんですが)、それにしては情報のコントロールという面から見るとガードが甘いというか……。


by 杉山真大 at 2009-01-47 09:12:47
誤解する権利

よく、この手の話で批判されると批判する側が理解していないとか誤解しているとか言い訳するけど、「誤解する権利」ってのがある様に説明責任を果たしていない落ち度は認めなければならない側面もあるのですよね。

研究者に限らず、何かモノを発表したり政策を実行する立場にいるなら、「誤解する権利」を計算に入れて説明責任を果たす必要があるのかも。まぁ、それを理解できない人間になれば、「衆愚」だの何鱈ってのを使うのかもしれませんが、某氏の様に[:うっしっし:]


by 酔うぞ at 2009-01-23 23:57:23
こんなことになったどぉ~

http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2009/01/post-f4a6.html

TV報道も出たし、記者会見もやるし、一部では人気者の小倉弁護士ですから、否応なしに注目度は上がりますね。

念のために言っておくと、小倉弁護士は弁護士としては理論的あるいは原理的なところを重視していてそのための手間をいとわない人だと見ています。
うまく行くと、画期的な解釈出てくるかもしれません。


by apj at 2009-01-00 01:06:00
写真による気がするなぁ

 廃墟写真は私も好きで、無料のネット上のものも、写真集も何冊か持っているのですが、
 写真の全てにおいて構図が決定的に重要、とはならない気がします。

 多分誰が撮ってもこの角度から撮るよね、というものと、写真家のセンスが表れているもので、扱いが違うんじゃないですかね。
 この間、学会行った帰りに師匠と一緒にしっかり某廃墟を見てきたんですが、入り口のところとか、全体の様子とか、素人が撮っても記録のためにここは外さないよね、という場所ってやっぱりあるわけです。何て言うか、工事の時に残す現場写真みたいな感覚で撮るものが。
 そう部分ところ以外で争ってもらいたいですね。まあ、普通はそうは撮らないだろう、というものが酷似しているのであれば、ひっかかるんでしょうけどね。


by 多分役立たず(HNです) at 2009-01-37 04:33:37
薩摩守平忠度

薩摩守 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E6%91%A9%E5%AE%88

冗談はそれぐらいにして、

フリーライダー(Free rider problem)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC
直訳すれば、当に、ただ乗りですが。

何やら、興味深い事態になっているようですね。

少なくとも、健康に関することなら、

厚生労働省:特定保健用食品
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/hokenkinou/hyouziseido-1.html

を目指してもらいたいものです。

条件付き特定保健用食品制度でしたら、ハードルは低いと思います。

#「疾病リスクの低減」に関しては、認められないようですが。

特定保健用食品について
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/anzen/hoei/hoei_014/hoei_014.html

健康食品 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%A5%E5%BA%B7%E9%A3%9F%E5%93%81

糖尿病等、様々な疾病に効果が期待できるのでしたら、是非、医薬品の認可をお願いしたいです。

保険適用がされれば、患者さんには朗報でしょうから。

#もっとも、認可に要する費用の問題がありますが。


by 水商売人の端くれ at 2009-01-24 20:58:24
Re:ニセ科学へのただ乗りという逆の状況、あるいは紛らわしくしたことの責任

『じゃあ、何故売れるのか、と考えると、これまでに散々出回った「活性水素」「抗酸化」「体に良い」のニセ科学宣伝が引っ掛かる。「水素」というキーワードが既に「抗酸化」「体に良い」と結びついているから、効果効能を謳わなくても商売できるということではないか。

 今回の水素水の問題は、普段目にするニセ科学とは逆のパターンである。つまり、既にニセ科学宣伝で出来上がってるイメージを利用することによって、効果効能を謳わない適法な宣伝をする業者が商売するという形になっている。違法な宣伝をする業者も同時に活動していて、イメージの強化は勝手にそっちが受け持っている』

との見解ですが、はたして、本当にそうばかりなのでしょうか?
ビジネスをやったことがおありの方なら誰でも知っていることとして、新規顧客を獲得することは、既存顧客からのリピートを得ることに比べると大変に費用対効果が悪くなります。
つまり、水素水なり、他の何がしかの水を販売する業者が、効果効能を謳った宣伝効果による新規顧客からの受注のみで会社が成り立っていると考えるのは少々短絡的過ぎます。

すなわち、そこにはその水を気に入ったリピーターが存在しています。会社が成り立つほどのリピーターが存在するということは、購入者がその水に対して価格に見合う何らか価値を実感しているから再購入するのです。
では、その再購入するほどの価値とは何なのでしょうか?
それが、科学では解明できないその水の価値です。

仮に、宣伝文句に謳われたような効果効能のみを期待して購入した人が、その効果効能を実感できなければ、その人は騙されたと感じ、二度とその水を購入することはないでしょう。

消費者誰もが、ニセ科学まがいの宣伝文句に騙されて購入していると考えるのは科学者の驕りであるとともに、実際のビジネスの世界では、そんなニセ科学まがいの宣伝文句を並べれば会社が成り立つほどの商売ができるというほど甘いものではありません。

一般に、天羽様の「水商売ウォッチング」でのご努力もあり、単なる効果効能を謳った宣伝文句に踊らされて新規に購入するという消費者は非常に少なくなっています。昨今では、やたらと効果効能を謳った水の方が、却って胡散臭く思われ敬遠される世の中に変わってきているということも認識され、その上でなぜ健康にいい水というのが出回るのかを考えられた方がいいのではないでしょうか?

どうせ、このような反論的コメントは掲載されないのでしょうが、天羽様の見解があまりにも科学一辺倒に偏りすぎた考え方でしたので投稿させていただきました。
反論がございましたら、このブログ上でお知らせ下さい。


by apj at 2009-01-49 23:06:49
科学的根拠が初めから無ければ解明はできない

水商売人の端くれさん、

>ビジネスをやったことがおありの方なら誰でも知っていることとして、新規顧客を獲得することは、既存顧客からのリピートを得ることに比べると大変に費用対効果が悪くなります。
>つまり、水素水なり、他の何がしかの水を販売する業者が、効果効能を謳った宣伝効果による新規顧客からの受注のみで会社が成り立っていると考えるのは少々短絡的過ぎます。

 そう考える会社ばかりではないようですよ。
 私がこのエントリーを書いたのは、後から販売に参入した会社の状況を知る機会があったからなんですよ。それが、既にできているイメージを利用したとしか思えないものだったのでね。事情により今回の取材源はあきらかに出来ませんけど。

>それが、科学では解明できないその水の価値です。

 存在しないものは解明できませんからね。

>仮に、宣伝文句に謳われたような効果効能のみを期待して購入した人が、その効果効能を実感できなければ、その人は騙されたと感じ、二度とその水を購入することはないでしょう。

 「実感」がくせものなんですよね。別名「勘違い」とも言いますが。
 ある水を飲んで効果効能を実感したとしても、それはその人のみの問題なんですよね。治療の効果かもしれないし、慢性病だったら良くなったりわるくなったりするのが当たり前です。たまたま良くなる時にタイミング良くナントカ水を飲み始めた場合は、その人にとって体験が強化されるでしょう。
 物によっては、たまたま悪くなり始める時にあたってしまった場合の対策として、「好転反応」という都合のいいごまかしが用意されています。一時的に悪くなるけどまた良くなる、というアレです。単に慢性病の通常の経過を辿っているだけなんでしょうけど、わざわざ名前をつけると、いかにもそれらしく見えますからね。

>その上でなぜ健康にいい水というのが出回るのかを考えられた方がいいのではないでしょうか?

 あなたのような人が流行らせるから、というので答えになってます?

 これだけではあんまりなのでもうちょっと議論しておきますね。

 とっくに結論は出ていまして、体験に基づく人の勘違いに乗じれば人を騙すのはたやすい、ということの証左ですよ。あと、安易に結果を得たいと思う人が多数いるということです。中身の違うダイエット法がさんざん流行ってどれも効果がなかったのに、性懲りもなく新らしい「○○ダイエット」が出てくるというのと同じではないでしょうか。

 「健康にいい」の定義は各自で都合よく解釈されるから、何も言ってないのと同じですよね。で、人間生きていれば調子が良くなることも悪くなることもある。
 わざわざ水を買う人は、その時点で何か期待するわけで、自分から体調にも気を配るでしょう。すると、
1)良くなったと感じた
2)変わらないと感じた
3)悪くなったと感じた
人が出てくるでしょう。1)はそのままリピーター候補ですね。その結果が偶然であっても。2)や3)のうちの一部の人は、「折角お金を出して水を買ったのだから、効果があったに違いない。本来なら悪くなるところ、特に悪化してないのは水が効いたのかも」と自分から納得する理屈を考えついてリピーターになるんじゃないですか。

 対策を立てるとしたら、「健康にいい」という言葉の御都合主義な解釈そのものに騙しの要素が含まれているということを指摘していくしかないでしょうね。弁護士の紀藤正紀は、安易に結果だけ得ようとする「インスタント指向」と名付けてますから。


by apj at 2009-01-29 23:08:29
科学的根拠が初めから無ければ解明はできない

水商売人の端くれさん、

>ビジネスをやったことがおありの方なら誰でも知っていることとして、新規顧客を獲得することは、既存顧客からのリピートを得ることに比べると大変に費用対効果が悪くなります。
>つまり、水素水なり、他の何がしかの水を販売する業者が、効果効能を謳った宣伝効果による新規顧客からの受注のみで会社が成り立っていると考えるのは少々短絡的過ぎます。

 そう考える会社ばかりではないようですよ。
 私がこのエントリーを書いたのは、後から販売に参入した会社の状況を知る機会があったからなんですよ。それが、既にできているイメージを利用したとしか思えないものだったのでね。事情により今回の取材源はあきらかに出来ませんけど。

>それが、科学では解明できないその水の価値です。

 存在しないものは解明できませんからね。

>仮に、宣伝文句に謳われたような効果効能のみを期待して購入した人が、その効果効能を実感できなければ、その人は騙されたと感じ、二度とその水を購入することはないでしょう。

 「実感」がくせものなんですよね。別名「勘違い」とも言いますが。
 ある水を飲んで効果効能を実感したとしても、それはその人のみの問題なんですよね。治療の効果かもしれないし、慢性病だったら良くなったりわるくなったりするのが当たり前です。たまたま良くなる時にタイミング良くナントカ水を飲み始めた場合は、その人にとって体験が強化されるでしょう。
 物によっては、たまたま悪くなり始める時にあたってしまった場合の対策として、「好転反応」という都合のいいごまかしが用意されています。一時的に悪くなるけどまた良くなる、というアレです。単に慢性病の通常の経過を辿っているだけなんでしょうけど、わざわざ名前をつけると、いかにもそれらしく見えますからね。

>その上でなぜ健康にいい水というのが出回るのかを考えられた方がいいのではないでしょうか?

 あなたのような人が流行らせるから、というので答えになってます?

 これだけではあんまりなのでもうちょっと議論しておきますね。

 とっくに結論は出ていまして、体験に基づく人の勘違いに乗じれば人を騙すのはたやすい、ということの証左ですよ。あと、安易に結果を得たいと思う人が多数いるということです。中身の違うダイエット法がさんざん流行ってどれも効果がなかったのに、性懲りもなく新らしい「○○ダイエット」が出てくるというのと同じではないでしょうか。

 「健康にいい」の定義は各自で都合よく解釈されるから、何も言ってないのと同じですよね。で、人間生きていれば調子が良くなることも悪くなることもある。
 わざわざ水を買う人は、その時点で何か期待するわけで、自分から体調にも気を配るでしょう。すると、
1)良くなったと感じた
2)変わらないと感じた
3)悪くなったと感じた
人が出てくるでしょう。1)はそのままリピーター候補ですね。その結果が偶然であっても。2)や3)のうちの一部の人は、「折角お金を出して水を買ったのだから、効果があったに違いない。本来なら悪くなるところ、特に悪化してないのは水が効いたのかも」と自分から納得する理屈を考えついてリピーターになるんじゃないですか。

 対策を立てるとしたら、「健康にいい」という言葉の御都合主義な解釈そのものに騙しの要素が含まれているということを指摘していくしかないでしょうね。弁護士の紀藤正紀は、安易に結果だけ得ようとする姿勢を「インスタント指向」と名付けてますし。


by 水商売人の端くれ at 2009-01-01 00:27:01
Re:ニセ科学へのただ乗りという逆の状況、あるいは紛らわしくしたことの責任

『>それが、科学では解明できないその水の価値です。

 存在しないものは解明できませんからね。』
とおっしゃるということは、天羽さんは科学がすべての現象の存在を明らかにできているとお考えなのですか?
あるいは、科学的に解明ができないのだから、そのような現象は存在しないという理屈なのですか?

どうなったら存在を立証したとお考えなのですか?

ある現象が存在する。しないということと、その現象が科学的に解明できている。できていないを同レベルに議論するというのは、天羽さんらしくない姑息な論理展開ですね。


by apj at 2009-01-23 02:39:23
売ってはいけないのでは。

水商売人の端くれさん、

>『>それが、科学では解明できないその水の価値です。

> 存在しないものは解明できませんからね。』

>とおっしゃるということは、天羽さんは科学がすべての現象の存在を明らかにできているとお考えなのですか?

いいえ。

>どうなったら存在を立証したとお考えなのですか?

 販売者が、宣伝について合理的な根拠を備えた状態になったとき、でしょうか。勿論、景表法4条2項の運用指針として示されているような内容であることを意味します。科学的な意味での立証、とは重なってはいますが完全に同じではありません。

>ある現象が存在する。しないということと、その現象が科学的に解明できている。できていないを同レベルに議論するというのは、天羽さんらしくない姑息な論理展開ですね。

 原理が科学では解明できなくても、現象そのものの存在は科学的に確認されてないと話になりません。その現象そのものがあるかないかわからないのであれば、最初から問題外です。

 あなたは、「科学では解明できない水の価値」と書いた直後に、

>仮に、宣伝文句に謳われたような効果効能のみを期待して購入した人が、その効果効能を実感できなければ、その人は騙されたと感じ、二度とその水を購入することはないでしょう。

 と、その価値の根拠が体験談レベルでしかないということを明らかにしています。個人の実感しかないというのであれば、本当に客観的な現象として効果効能が存在するかどうかというところにも達していないということを意味します。この場合であっても、「科学では解明できない」というものの集合には含まれますが、より正確には「その体験が客観的に正しいかどうかすらまだわからない」ということになります。つまり、科学によってメカニズムを調べる対象としての実体があるかどうかすら不明だということなんです。

 存在しないものは解明しようがないです。
 せめて、科学の枠組みでメカニズムを解明する対象にできる程度には実体を伴っててくれないと。


by apj at 2009-01-08 02:49:08
試験をして効果があることが示された時

補足です。

>どうなったら存在を立証したとお考えなのですか?

 メカニズムはとりあえず不明のままでもいいのですが、臨床試験の手続に従い二重盲検をやって、水に効果があることを示した時、です。

 この場合、「健康にいい」などという漠然とした内容が示されることはないでしょう。特定の症状の緩和に役立つとか、特定の疾病の治癒に役立つとか、もうちょっと絞り込んだものになるはずです。

 「健康にいい」という曖昧であやふやなキーワードだけしか出てこない間は「騙す意図がある」と読み替えてちょうどいいくらいですよね。
 たとえば、アルカリイオン水の場合だと、臨床試験をやって腹部愁訴の患者に多少効果があった(水道水でも効果があったので差し引きすると10人に2人弱程度)、という結論が出ています。この場合、「腹部愁訴の改善に役立つ」はいえても、漠然と「健康にいい」といってしまうと、(まだ試験されていない)他のことにも効くんじゃないかと勘違いする人が出てきそうですよね。


by apj at 2009-01-46 02:51:46
その姿勢では販売自体が問題なような

水商売人の端くれさん、

>『>それが、科学では解明できないその水の価値です。

> 存在しないものは解明できませんからね。』

>とおっしゃるということは、天羽さんは科学がすべての現象の存在を明らかにできているとお考えなのですか?

いいえ。

>どうなったら存在を立証したとお考えなのですか?

 メカニズムはとりあえず不明のままでもいいのですが、臨床試験の手続に従い二重盲検をやって、水に効果があることを示した時、です。

 この場合、「健康にいい」などという漠然とした内容が示されることはないでしょう。特定の症状の緩和に役立つとか、特定の疾病の治癒に役立つとか、もうちょっと絞り込んだものになるはずです。

 「健康にいい」という曖昧であやふやなキーワードだけしか出てこない間は「騙す意図がある」と読み替えてちょうどいいくらいですよね。
 たとえば、アルカリイオン水の場合だと、臨床試験をやって腹部愁訴の患者に多少効果があった(水道水でも効果があったので差し引きすると10人に2人弱程度)、という結論が出ています。この場合、「腹部愁訴の改善に役立つ」はいえても、漠然と「健康にいい」といってしまうと、(まだ試験されていない)他のことにも効くんじゃないかと勘違いする人が出てきそうですよね。

 商売という面からは、販売者が、宣伝について合理的な根拠を備えた状態になったとき、でしょうか。勿論、景表法4条2項の運用指針として示されているような内容であることを意味します。科学的な意味での立証、とは重なってはいますが完全に同じではありません。

>ある現象が存在する。しないということと、その現象が科学的に解明できている。できていないを同レベルに議論するというのは、天羽さんらしくない姑息な論理展開ですね。

 原理が科学では解明できなくても、現象そのものの存在は科学的に確認されてないと話になりません。その現象そのものがあるかないかわからないのであれば、最初から問題外です。

 あなたは、「科学では解明できない水の価値」と書いた直後に、

>仮に、宣伝文句に謳われたような効果効能のみを期待して購入した人が、その効果効能を実感できなければ、その人は騙されたと感じ、二度とその水を購入することはないでしょう。

 と、その価値の根拠が体験談レベルでしかないということを明らかにしています。個人の実感しかないというのであれば、本当に客観的な現象として効果効能が存在するかどうかというところにも達していないということを意味します。この場合であっても、「科学では解明できない」というものの集合には含まれますが、より正確には「その体験が客観的に正しいかどうかすらまだわからない」ということになります。つまり、科学によってメカニズムを調べる対象としての実体があるかどうかすら不明だということなんです。

 存在しないものは解明しようがないです。
 せめて、科学の枠組みでメカニズムを解明する対象にできる程度には実体を伴っててくれないと。


by 杉山真大 at 2009-01-18 05:10:18
定義がされていないのは疑ってかかれ、と

そう言えば、「健康にいい」と同様に「景気がいい」とか「市民のため」とか「国益」「戦略的観点」ってのも、実際には定義が曖昧だったり立場によっては違った意味を持ったりするのですよね。

例えば景気云々だったら、”経団連不況”とか言う様に財界のメインストリームが不況なら日本全体が不況ってことになっちゃうし、逆に六本木や大手町の限られた地域での好況が日本全体の好景気に何時の間にか摩り替わっちゃう。同じ円高・円安でも輸出が主か輸入が主かで意味合いが違ったりするのに。「景気」「不景気」って途中の分析をすっ飛ばして論じている危うさがある気がします。


by apj at 2009-01-17 05:26:17
横道

でもまあ個人にとって重要なのは「(私の財布の)景気がいい」かどうかだったりして^^;)。


by 水商売人の端くれ at 2009-01-19 05:54:19
とても付き合いきれない!

『その姿勢では販売自体が問題なような』とおっしゃるのなら、こちらも言わせてもらいます。
デカルトの物心二言論に端を発する人間機械論をそのまま踏襲するあなたの考え方は、まったくの時代遅れです。


by apj at 2009-01-39 07:14:39
それは特異な考え方ですね

水商売人の端くれさん、

>『その姿勢では販売自体が問題なような』とおっしゃるのなら、こちらも言わせてもらいます。
>デカルトの物心二言論に端を発する人間機械論をそのまま踏襲するあなたの考え方は、まったくの時代遅れです。

 コメントが意味不明です。

 体験談のみしか根拠がない場合は、まだ科学で研究する対象には至っていないと考えるのが普通です。単純に、効果があることが本当かどうかがまだ不明だからです。

 あなたが個人的に何を考えていようが自由です。でも注意してくださいね。体験談のみに基づいて効果効能を表示することは、してはいけないことです。この辺の運用基準は、公取屋経済産業省が出しています。私も、旧blogで紹介しました。

・経済産業省のガイドラインの紹介
http://www.cml-office.org/ehold/12026827967937.html
・公正取引委員会のガイドラインの紹介
http://www.cml-office.org/ehold/11998168417363.html

 いずれも、「合理的な根拠」の判断基準は一致していまして、体験談のみが根拠というのは認めていません。

 立証されていない効果効能の表示を最初から一切せずに黙って売るのであれば、別に違法ではありません。どんな体験をしようがそれは個人の問題です。

 「科学で立証されていない効果が期待できる」とか、「こんな体験をした人もいる」などということを一切表示せずに販売なさっているのでしたら、何も問題はありません。ただ、そのようなことを一切伝えていない、ということが特に積極的に語られませんでしたので、このコメント欄で主張しているのと同じことを客に向かっても主張しているという前提でコメントを書きました。

 で、私が書いた元の記事は、立証されていない効果効能が俗説として既に広まっている時に、同じカテゴリーの商品とわかる形で効果効能の表示無しに売る行為は、違法ではないけど紛らわしい行為であり、既に存在する「違法な」宣伝を利用しているのではないか、という問題提起です。


by 新井 at 2009-01-25 20:49:25
Re:ニセ科学へのただ乗りという逆の状況、あるいは紛らわしくしたことの責任

 水商売の端くれ なんていう手合いは、彼の説くところが如何に誤っているかという事を誰がどのように理路整然と述べたとしても、絶対に受け容れなでしょう。

 彼に限らずこう言うインチキ商売で利益をむさぼろうという輩は、自分が他人に説いていることが真っ赤な嘘であることは百も承知で、それを詐欺商売に利用しているだけですから、それですまとももに反論したところで何の役にも立たない、時間の無駄です。

 振り込め詐欺もそうですが、あれだけ世間で騒がれていても、また振り込み現場で銀行員から詐欺だから止めるようにと説得されても、それを振り切ってみすみす詐欺に引っ掛かるバカも居るわけで、流行の言葉で言えばあれもこれも自己責任、そういうバカはほっとけ、と言えばapjさんにしかられますかね。

 行政や警察による詐欺防止の啓発は絶対に必要ですが、こう言うブログで詐欺師同然の相手に議論をしても無意味です。


by com at 2009-01-07 21:38:07
消費者に対する責任感が欠如してますね

例えば、商品の宣伝に「水素ナントカが健康に効きます」とあった場合、販売している企業/人は買ってくれた人に対し、その宣伝文句を保証する必要があるのですよね。
効果が確認されてないなら「効きます」というのは詐欺でしょう。

ビジネスとかご大層なことを言ってますが、ビジネスのために消費者をだましてよいことにはならない。
水商売の端くれさんみたいな手合いの論法は、結局のところ、消費者との信用取引を逆手にとって、売る側だけ儲かればいい、と言っているのと同義なのですがねぇ。


by 多分役立たず(HNです) at 2009-01-03 00:09:03
単なる嗜好品なら?

健康食品ではなく、売る方も買う方も、単なる嗜好品と認識しているのでしたら、問題は無いような。

#価格も嗜好品レベルで。

以前、どこかに投稿をしたような気はするのですが。

幻影随想: 人はなぜ信じるのか―迷信と疑似科学―
http://blackshadow.seesaa.net/article/106422900.html
>1.迷信を信じることによる損失がほとんどなく、また正しい知識を持たないことによる損失も小さい場合。

>2.迷信を信じることによる損失がほとんどなく、逆にそれを信じることによるメリットがあると当事者が思い込む場合

>3.正しい知識を手に入れるためのコストが高すぎ、逆に迷信を手に入れるコストが十分安い場合

単なる嗜好品で、おまけで、ちょこっと健康になった気になれる商品だと罪は軽そうな、と書くと怒られますよね(汗)

#その程度の意識レベルが、ニセ科学を広める
#温床になりそうですから...


by apj at 2009-01-58 06:47:58
まとめてお返事

新井さん、
 詐欺師同然の書き込みであっても、きちんと反論しておくことに意味があります。エントリーもコメントも不特定多数の人が見ています。詐欺師同然の書き込みが放置されていると、そっちを信じる人が出てくるかも知れません。逆に、反論のサンプルを提供しておくと、どこかで誰かが役立ててくれるかもしれません。書き込んできた人を説得できなくても、書いて見える状態にしておくことには意味があると思います。

comさん、
 先発組がインチキやデマを広めまくった後だと、それに乗っかる形で、違法な宣伝無しに後発組が参入できてしまう場合がある。
 たまたま、後発組はまっとうにやろうとしていても、売り出しの時期を間違えると結局先発のインチキに乗っかる形にしかならない。

 悩ましいです。

多分役立たず(HNです)さん、
 現実の社会は、実験条件をリセットして開始するというのができないんですよね、残念なことに。

>健康食品ではなく、売る方も買う方も、単なる嗜好品と認識しているのでしたら、問題は無いような。

 には同意しますが、既に、さんざんデマが広まった後で、紛らわしい商品を「嗜好品ですが何か?」と言って売ったとして、果たして本当に問題は無いと言い切れるのかが疑問です。
 最初から嗜好品として始まり、今も嗜好品だ、というのなら問題無いといえるケースなんでしょうけど。


by まさ at 2009-03-49 08:41:49
Re:ニセ科学へのただ乗りという逆の状況、あるいは紛らわしくしたことの責任

責任はあると、思うんです。。
教授の名前使って、販売してるし、
有名な教授だから。素人とか、お年寄り、なんかは、信じてしまうと、思います。
33の彼女なんかも、完全に信じて、飲んでます、
売ってるし。教授の名前よくいうんですよねえ