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ちょっとした印象なのだけれど……

Posted on 5月 14th, 2009 in 倉庫 by apj

 「ニセ科学批判批判」で、批判の態度を批判するとか、ニセ科学問題には社会規範の弱体化がある(少なくとも科学限定では)という話をすると「社会規範や道徳を押しつけるな」と言いだす人が居ることについて。
 本当の問題は、多分、なぜ科学の場合だけ「嘘をつくな」「不確かなことを言いふらすな」という社会規範が通用しないことが他の場合(悪徳商法対策やらオレオレ詐欺の取り締まりやら)に比べて多いのか、ということ。

 科学そのものが持つ正しさの権威は、科学で扱える範囲に限っては相当強力である。で、強すぎる権威をどうにかしたいが為に、科学の内容を間違いなく流通させるために必要な社会規範の権威の方を意識的に下げればいいと勘違いしてるんじゃないの?というのが私の受けた印象である。

 どうなんだろう……。ふと思っただけなので、相当外しているかもしれないのだけど。

 もちろん、科学の正しさとによる権威と、社会規範が持つ権威は、由来も性質も全く別のものだから、たとえ科学の話をする場面限定であっても、社会規範に通常必要なだけの権威を持たせておかないと、現実の社会でいろいろ不都合が起きる(消費者被害発生に荷担するなど)ことになるのだが。

【追記】
 科学の権威を利用して社会規範の方をいじくろうとするようなことが起きた時には(かつての優生学みたいな)、科学の権威を否定するんじゃなくて、「科学としてはどうあれ社会規範としてまずい」ということをはっきり言わなければいけない。「科学で扱える範囲を超えているからまずい」という誤用の指摘だけでは、回りくどいし足りないのであって、本当は、社会規範として問題にしなければいけない。どういう社会規範を立てるかということを正面から議論しなければいけないときに、科学の権威とやらを攻撃目標にしたって、それは最初から見当外れでしかない。
 このあたりのことをちゃんと議論して整理するのなら、文系の関連分野の人達がこれまでに積み重ねてきたものを理解し、使わせてもらうようにしないとうまくいかないんじゃないか。

 普段から社会規範とは何か、ということを考えていたならば、「科学の権威」と社会規範を混同することなど起こりようがないと思う。ところが、批判批判を標榜する人達は混同したまま気付きもしないように見えた。世の中にニセ科学がはびこる一因として、科学リテラシーの欠如があるのかもしれないけど、使えない批判批判がはびこるのは、社会規範について考察するという文系分野(例えば法哲学とか社会法学とか倫理学とか)のリテラシーの方も科学の知識同様に欠如しているということじゃないの?批判批判を標榜する人達に対しては「ニセ科学に荷担する」とか「科学を受け入れない」といった批判をするよりも、はっきりと「文系(分野をもうちょっと絞った方が具体的だけど)を舐めるな」と言った方がいいのかもしれない。


ここからは旧ブログのコメントです。


by うさぎ林檎 at 2009-05-06 20:16:06
・・・がっかり

こんにちは。

何と言うか、大山鳴動して鼠・・・・はどこ?って感じです。

科学の権威とやらを問題にしている人達が指摘するように、ソレが本当に権威があるモノならば事はもっと簡単に済んでいるのではないかと思うのです。社会規範や道徳に違反する行為に、科学の権威と称するモノが利用されてはいるが、その問題点を指摘するには、ほとんど有効な手立てになっていないのが実情である、が今の私の認識です。

ニセ科学批判者(こんなざっくりした括りの人はいないと思うが)は、実害に対処するためにプリミティブに”嘘をつくな”と言っているだけのつもりだけど、そうは取らない人ってのが一定数いるんでしょう。自分が騙す側に立っている訳でもないのに、指図された気がするんですかねぇ。要するに”偉そうに言うな””お前が言うな”って事にしか思えない私はイノセントなんすかね。


by 案外常識人 at 2009-05-21 02:20:21
Re:ちょっとした印象なのだけれど……

こちらでははじめまして。Judgementさんのところに一度コメントした、案外常識人です。お礼とお返事が遅れてしまい大変失礼しました。ロクに論も組んでいないにもかかわらず、長文で的確なレスポンスをいただき、嬉しい反面うろたえてしまいまして・・・
挙げていただいた「いじめ対策」の的確さに驚嘆しました。同時に、その難しさまでくみとって下さっていると感じ、うれしく思っています。
というわけで、少しその「難しさ」の話をさせてください。

いじめは、「いじめ」という現象が誰にでもある普遍的な人間的欲求に根ざしているところに難しさがあると感じています。
「ぼくを見て、認めて!(自己顕示欲・プライド)」「俺たち仲間だよな?!(仲間意識)」などです。
そのような欲求の存在自体は否定することなく、しかし苦しみはできる限り取り除き、そして究極的には
「なんだかんだ言っても人間っていいものだよ」
と双方に訴えたい。いじめ対策は、そんな困難な営みです。

私は、本来ニセ科学批判にも同様の難しさがあるはずだと思うのです。
「万物を貫く法則を見つけたい」
「その法則を裏付ける、確かな証拠が欲しい」
(あるいは「健康になりたい」「美しくなりたい」も)
…これらの「動機」それ自体は、科学者のそれと何ら変わらない、人間が共通して持つ欲求です。(もちろん、ウソと知りつつ吹聴する輩は、違う「動機」も持っているのでしょうけれど……)

ニセ科学を叩くのはいいけれど、その人間的な欲求まで安易に貶めてほしくないし、もっと言えば最終的には、やはり「人間っていいね」と思わせるような批判であってほしい※のです。(少なくとも、「人間なんてどうしようもない存在だ」なんていう結論には、達して欲しくない。)

これらを両立させる批判活動は、必然的にわが身にメスを入れるような苦しく難しい作業になるはず、と思うのです。
そもそも「科学」がなければ「ニセ科学」も生まれようもなかったのですから、ニセ科学とは、いわば科学の「鬼っ子」です。それを批判するには必ず自己批判の要素があり、葛藤があるはずです。

私としては、そんな「難しさ」をわかっていない論者には、できればニセ科学批判には加わって欲しくないというのがあります。
「ウソはいけないと言ってなぜ悪い」のような論法の短絡的な批判では、人は疑問を募らせるばかりではないでしょうか。
それは、長期的に見てニセ科学蔓延防止に役立たないばかりか、人間不信ばかりが蔓延することになりますし、ひいては科学のイメージダウンにもつながると思います。

「現場」で奮闘する一人として、その難しさをなんとか皆さんと共有できることを願ってやみません。

 ※もちろん、裁判などで争う場合は別です。
 加害者には「人間不信が・・・」なんて言わせず、起きた被害のオトシマエをつけてもらわなければ。(これはいじめの場合でも同じですね。)


by apj at 2009-05-55 02:56:55
批判批判の人達はどこへ行ったのやら

うさぎ林檎さん、

 「ニセ科学まとめ」を作って、社会規範の話にまで持っいったので、批判批判の人達がもっとあれこれ言ってくるかと思ったら、そうでもないんですよね。折角メタな議論をしてるのに、メタな議論の好きそうな人はほとんど来てくれない。個別のニセ科学の議論に比べて、メタな議論はなかなか進まないですねぇ。もしかして、批判批判の人達のメタな議論も、ニセ科学を問題にする側が取り上げなければ閑古鳥が鳴いて終わったのかも、と思わないでもないです。

 ホントに何だかなぁ、ですよ。


by apj at 2009-05-25 03:17:25
インスタント志向

案外常識人さん、

 安易にダイエットの結果を欲しがるとか、健康になれるといった結果を欲しがる傾向を、弁護士の紀藤正樹は「インスタント志向」と呼んでます。悪徳商法にひかかるのも、インスタント志向によるものではないかという話があります。
 人間が欲求を持つのはかまわないし、それが悪いことではないと思うのですけれど、「インスタント志向」では欲求を本当に満たすことはできない、ということを知るのもまた人の知恵ではないでしょうか。

 ニセ科学を問題にしている人で、人間はどうしようもない、という結論を出している人は見たことがないです。むしろ、科学的な思考法はこれまでに痛い思いをして蓄積してきた人の知恵なのだからちゃんと使おう、とか、そういう感じです。

 実際に、社会規範との関連でニセ科学を考えてみたところ、
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/lab/pseudoscience/ps-comments/nisekagakumondai
ほとんどが、不当表示として利用されて財産的被害を発生させそうなものでした。それ以外には、誰かの権利を侵害したり、社会に危険をもたらすといったものがいくつかありました。つまり、ニセ科学のほとんどは他人を騙して金儲けをするための道具なんですよ。
 ですから、現状ではほとんどの場合につて、「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という社会規範に照らし合わせて、ニセ科学を問題とすることは、やった方が良いこと、という結論になると思います。公益侵害や権利侵害をもたらす場合は、そちらの規範を持ち出して議論することになるでしょうけれど。

>「ウソはいけないと言ってなぜ悪い」のような論法の短絡的な批判では、人は疑問を募らせるばかりではないでしょうか。
>それは、長期的に見てニセ科学蔓延防止に役立たないばかりか、人間不信ばかりが蔓延することになりますし、ひいては科学のイメージダウンにもつながると思います。

 この主張には異議があります。
 多分、社会規範に安易に疑問を呈するような人は、社会では受け入れられないと思います。
 また、規範に抵触するものは別の規範であって、科学ではありません。人間不信が生じるとしたら、人が決めた約束事である社会規範を、オレ様理論やその場の感情だけで覆せると思い込んでいる人が後を絶たないことが理由であって、科学とは関係が無いでしょう。
 「ウソはいけないと言ってなぜ悪い」というのは、嘘を容認すべしと主張する人に対して、突きつけて構わない問いだと思います。話題が科学かどうかは関係ありません。大した理由なしに社会規範の方を弱めようとする人が増えれば、確実に人間不信が広がる結果になるでしょうし。


by apj at 2009-05-03 03:25:03
インスタント志向

案外常識人さん、

 安易にダイエットの結果を欲しがるとか、健康になれるといった結果を欲しがる傾向を、弁護士の紀藤正樹は「インスタント志向」と呼んでます。悪徳商法にひかかるのも、インスタント志向によるものではないかという話があります。
 人間が欲求を持つのはかまわないし、それが悪いことではないと思うのですけれど、「インスタント志向」では欲求を本当に満たすことはできない、ということを知るのもまた人の知恵ではないでしょうか。

 ニセ科学を問題にしている人で、人間はどうしようもない、という結論を出している人は見たことがないです。むしろ、科学的な思考法はこれまでに痛い思いをして蓄積してきた人の知恵なのだからちゃんと使おう、とか、そういう感じです。

 実際に、社会規範との関連でニセ科学を考えてみたところ、
link here
ほとんどが、不当表示として利用されて財産的被害を発生させそうなものでした。それ以外には、誰かの権利を侵害したり、社会に危険をもたらすといったものがいくつかありました。つまり、ニセ科学のほとんどは他人を騙して金儲けをするための道具なんですよ。
 ですから、現状ではほとんどの場合につて、「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という社会規範に照らし合わせて、ニセ科学を問題とすることは、やった方が良いこと、という結論になると思います。公益侵害や権利侵害をもたらす場合は、そちらの規範を持ち出して議論することになるでしょうけれど。

>「ウソはいけないと言ってなぜ悪い」のような論法の短絡的な批判では、人は疑問を募らせるばかりではないでしょうか。
>それは、長期的に見てニセ科学蔓延防止に役立たないばかりか、人間不信ばかりが蔓延することになりますし、ひいては科学のイメージダウンにもつながると思います。

 この主張には異議があります。
 多分、社会規範に安易に疑問を呈するような人は、社会では受け入れられないと思います。
 また、規範に抵触するものは別の規範であって、科学ではありません。人間不信が生じるとしたら、人が決めた約束事である社会規範を、オレ様理論やその場の感情だけで覆せると思い込んでいる人が後を絶たないことが理由であって、科学とは関係が無いでしょう。
 「ウソはいけないと言ってなぜ悪い」というのは、嘘を容認すべしと主張する人に対して、突きつけて構わない問いだと思います。話題が科学かどうかは関係ありません。大した理由なしに社会規範の方を弱めようとする人が増えれば、確実に人間不信が広がる結果になるでしょうし。

 もう少し整理すると、「嘘ついちゃいかん」という社会規範に疑問を呈したいのなら、科学ともニセ科学とも関係無しに疑問を呈して、かわりにどういう社会規範を立てるかまで考えろ、ということなんです。社会規範に対して異議申し立てするための道具に、科学は使えないしニセ科学についての議論も使えないということです。
 今ある社会規範が気に入らないからという理由で、社会規範を受け入れて行っているニセ科学への批判に対して文句を言う、というのは、論破するべき対象を間違っているんじゃないか、ということです。


by apj at 2009-05-43 03:26:43
インスタント志向

案外常識人さん、

 安易にダイエットの結果を欲しがるとか、健康になれるといった結果を欲しがる傾向を、弁護士の紀藤正樹は「インスタント志向」と呼んでます。悪徳商法にひかかるのも、インスタント志向によるものではないかという話があります。
 人間が欲求を持つのはかまわないし、それが悪いことではないと思うのですけれど、「インスタント志向」では欲求を本当に満たすことはできない、ということを知るのもまた人の知恵ではないでしょうか。

 ニセ科学を問題にしている人で、人間はどうしようもない、という結論を出している人は見たことがないです。むしろ、科学的な思考法はこれまでに痛い思いをして蓄積してきた人の知恵なのだからちゃんと使おう、とか、そういう感じです。

 実際に、社会規範との関連でニセ科学を考えてみたところ、
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/lab/pseudoscience/ps-comments/nisekagakumondai
ほとんどが、不当表示として利用されて財産的被害を発生させそうなものでした。それ以外には、誰かの権利を侵害したり、社会に危険をもたらすといったものがいくつかありました。つまり、ニセ科学のほとんどは他人を騙して金儲けをするための道具なんですよ。
 ですから、現状ではほとんどの場合につて、「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という社会規範に照らし合わせて、ニセ科学を問題とすることは、やった方が良いこと、という結論になると思います。公益侵害や権利侵害をもたらす場合は、そちらの規範を持ち出して議論することになるでしょうけれど。

>「ウソはいけないと言ってなぜ悪い」のような論法の短絡的な批判では、人は疑問を募らせるばかりではないでしょうか。
>それは、長期的に見てニセ科学蔓延防止に役立たないばかりか、人間不信ばかりが蔓延することになりますし、ひいては科学のイメージダウンにもつながると思います。

 この主張には異議があります。
 多分、社会規範に安易に疑問を呈するような人は、社会では受け入れられないと思います。
 また、規範に抵触するものは別の規範であって、科学ではありません。人間不信が生じるとしたら、人が決めた約束事である社会規範を、オレ様理論やその場の感情だけで覆せると思い込んでいる人が後を絶たないことが理由であって、科学とは関係が無いでしょう。
 「ウソはいけないと言ってなぜ悪い」というのは、嘘を容認すべしと主張する人に対して、突きつけて構わない問いだと思います。話題が科学かどうかは関係ありません。大した理由なしに社会規範の方を弱めようとする人が増えれば、確実に人間不信が広がる結果になるでしょうし。

 もう少し整理すると、「嘘ついちゃいかん」という社会規範に疑問を呈したいのなら、科学ともニセ科学とも関係無しに疑問を呈して、かわりにどういう社会規範を立てるかまで考えろ、ということなんです。社会規範に対して異議申し立てするための道具に、科学は使えないしニセ科学についての議論も使えないということです。
 今ある社会規範が気に入らないからという理由で、社会規範を受け入れて行っているニセ科学への批判に対して文句を言う、というのは、論破するべき対象を間違っているんじゃないか、ということです。


by 案外常識人 at 2009-05-20 04:17:20
Re:ちょっとした印象なのだけれど……

早々のお返事をありがとうございます。
時間がとれるときが限られていますので、今少しだけお返事させていただきます。言葉の足りない点があったらすみません。

>インスタント志向
全く同意です。日々そんな子どもたちに悪戦苦闘しながら向き合っていますので、痛いくらいにわかります。

その話のつながりで言えば、
「そのニセ科学批判、インスタント志向に陥っていませんか?」
と自らに問いかけていますか?
また、他からのそんな問いかけを「批判批判」でひとからげに片付けてしまっていませんか?
・・・というのが私の問題意識のありかです。

これまでにいくつか事例があったかと思いますが、独自の興味深い視点からの考察さえ、「ニセ科学批判に対する疑問を含む」というだけで、頭から話にならんと決め付け、結果有益な議論の機会を逸してしまっていないでしょうか。
これはまさに「インスタント志向」ではないでしょうか。

以前apjさんは、「一年くらい様子見をする」スキルの養成もニセ科学対策に役立つと言われていましたが、これらのケースでも、(一年とは言わないまでも)もう少し様子見をすることはできなかったでしょうか。

また、「ニセ科学批判」を括れないものだとおっしゃるなら、それを批判する「ニセ科学批判批判」は、もっと括れない存在のはずです。それを括っていらっしゃるように見えてしまうのも、安易なように見えます。

>この主張には異議があります。

誤解のないように申し添えますが、私は「ウソをついてはいけない」と思っておりますし、「ウソをつく」ことを悪とすることで社会は成り立っていると思っています。(なので、私の見解はJudgementさんの主張とも多少違うかもしれません。)
規範「ウソをついてはいけない」を、現実をすり合わせることの難しさに気づいていただきたいのです。(って、上から目線っぽい物言いですね^^;すみません)

たとえば、
「暴力はいけない」
これも当然です。
しかし、ずっと仲間はずれにされ続けてきた子が、あるときボスの子を突き飛ばしてしまった。
そんなときに短絡的にぶつける「暴力はいけない」は逆効果です。

ところで、ニセ科学を信じている人というのは、それが本当だと思って信じているわけですから、ある意味「ウソはいけない」を自ら体現している人々だともいえます。
ですからそれを批判するのに「ウソはいけない」は、時に逆効果に働いてしまうことは想像に難くありません。

「ウソはいけない」をぶつけるべきなのは、確信犯的にウソをついている側です。そこをきっちりと分けて対策を練るべきではないでしょうか。
日々いじめっ子いじめられっ子双方に向き合いながら、私は考えています。


by apj at 2009-05-03 05:03:03
Re:ちょっとした印象なのだけれど……

案外常識人さん、

>「そのニセ科学批判、インスタント志向に陥っていませんか?」
>と自らに問いかけていますか?

 ニセ科学を問題にするときは、個別の事例ごとに何がどう違うか議論するしかない、ということを繰り返し言ってきましたし、そのようにしてきました。ですから、そもそもニセ科学を取り上げて問題にするということを「インスタント志向」で片付けるのは無理なんです。インスタントにできるものなら、もっと楽に片付いています。
 ついでに言うと、安易な批判をやると提訴されるリスクがあるわけで、インスタントで済む筈がないんですよ。「自らに問いかける」などというあやふやことをする代わりに、どこまでなら書いていいか、常にシビアに距離を測ってますよ。そういう生ぬるい自問自答が通用する所には居ないもので。

> これまでにいくつか事例があったかと思いますが、独自の興味深い視点からの考察さえ、「ニセ科学批判に対する疑問を含む」というだけで、頭から話にならんと決め付け、結果有益な議論の機会を逸してしまっていないでしょうか。
>これはまさに「インスタント志向」ではないでしょうか。

 いいえ。他の人はともかく、私が議論した展開では、それはありませんでした。最近だと、TAKESANさんのところで、科学は自然の近似云々の議論がありましたが、他の人とのやりとりはともかく、何回か説明して理解していただけましたし。
 まともな論が出てきていれば、5月の連休中あたりから作り始めたニセ科学まとめも、もうちょっと楽にできたのではないかと思います。

 ところでその、興味深い思考というのは一体どなたの論でしょうか。私がこれまでに見た限り、批判批判を自称する人からまともな論は出てきていませんでした。
 見落としがゼロだったと断言はしませんが、じゃあ、何で批判批判を標榜する人達の論はこんなにクズ率が高いのか、と愚痴りたくもなりますね。

>以前apjさんは、「一年くらい様子見をする」スキルの養成もニセ科学対策に役立つと言われていましたが、これらのケースでも、(一年とは言わないまでも)もう少し様子見をすることはできなかったでしょうか。

 具体的にどのケースでしょうか。はっきりおっしゃっていただかないと何とも言えません。

 待った方が良い、というのは、あくまでも、個別の被害者を減らすための方法の1つに過ぎません。何人かの人がそうやってニセ科学の被害を免れたとしても、他に引っ掛かる人が大勢居れば、ニセ科学が減るわけじゃないんですよ。すると、被害を減らすためには、「飛びつくな」と一方で言いつつ、「これはニセ科学で、使うと被害を受ける」も言わなくちゃいけないんですね。特定の個人に対する自衛策ではあっても、根本的な対策にはならないでしょう。

>また、「ニセ科学批判」を括れないものだとおっしゃるなら、それを批判する「ニセ科学批判批判」は、もっと括れない存在のはずです。それを括っていらっしゃるように見えてしまうのも、安易なように見えます。

 括っていません。このエントリーの最初は、何を問題にするかを端的に述べるため、個人的には間違いだと考えている括りを、慣例(?)に従って書いただけですので。なお、後の方では、「批判批判を標榜する人」と書いていますので、明らかに、括りの仕方が違っています。批判批判という括りが成立しなくても、標榜する人、はいるわけでして。

>「ウソはいけない」をぶつけるべきなのは、確信犯的にウソをついている側です。そこをきっちりと分けて対策を練るべきではないでしょうか。

 話の流れの認識が捩れていると思います。
 先にニセ科学という嘘が蔓延するということが起きたんですよ。で、誰でも「嘘はいけない」と思っているはずだよね、という前提で、「それ嘘ですよ」という指摘を始めたわけです。「嘘はいけない」と思っていて、かつニセ科学を真実だと思って信じていたのであれば、「それは嘘ですよ」と言われたら、「じゃあ信じないことにする、で、誰だ一体自分を騙したのは」となるはずですよね。
 ところが、「科学としては嘘だけど、何が問題なのか」と開き直る人が出てきたり、「科学の話は科学の話、嘘つくなは関係ない」と言いだす人が出てきたりしたわけですよ。それで、ニセ科学を広めることは、嘘をついて他人を騙すことになりますよ、と追加で言わなければならなくなったんですね。
 「嘘はいけない」を言わなければならない相手とは、「嘘ですよ」と指摘しても効果がない相手なんです。

>「ウソはいけない」をぶつけるべきなのは、確信犯的にウソをついている側です。そこをきっちりと分けて対策を練るべきではないでしょうか。

 だから、実際にやるときは、2段階に分けてることが殆どではないかと。まず、「その話は嘘ですよ」をやって、それで、「科学としては嘘でも、別に問題ないじゃないか」などと開き直る人が出てきた場合に、「嘘はいけないはずでは」と追加するんです。

 ただ、不思議なことに、「嘘はいけない」まではっきりと言わなければならない相手は、なぜか批判批判を標榜する人達であることが多かったんですよねぇ。


by apj at 2009-05-06 05:18:06
手間を省くため、ストレートに書いていただけると嬉しいかも……

案外常識人さん、

>時間がとれるときが限られていますので、今少しだけお返事させていただきます。言葉の足りない点があったらすみません。

 こちらも、言葉が足りなかったり言葉の解釈が違ったりで、行き違うことはありますので、そのあたりはお互い様ではないかと。

 ところで、情報伝達のすれ違いを防ぐがめに、単刀直入に書いていただけないでしょうか。
 たとえば、
> これまでにいくつか事例があったかと思いますが、独自の興味深い視点からの考察さえ、「ニセ科学批判に対する疑問を含む」というだけで、頭から話にならんと決め付け、結果有益な議論の機会を逸してしまっていないでしょうか。
>これはまさに「インスタント志向」ではないでしょうか。

と書く代わりに、
「apjはhttp://………の議論で、○○という有益な疑問が呈示されていたのに、××と発言して話にならんと決めつけた」と書いて下されば、何が問題かがはっきりします。一体、案外常識人さんがどの話を指しておっしゃっているのだろう、それともこれは単なる一般論かな、などと、私が悩まずに済みます。
 仰るような書き方だと、読んだ私としては一体何の話かわからないために、身に覚えが無ければ無いと言うしかないですし、一般論として議論するべきかどうかも悩むことになります。


by zorori at 2009-05-19 07:25:19
Re:ちょっとした印象なのだけれど……

案外常識人さん、

>「ウソはいけないと言ってなぜ悪い」のような論法の短絡的な批判では、人は疑問を募らせるばかりではないでしょうか。

ニセ科学批判でそういう言葉は決して出てきません。なぜなら、ニセ科学は「ウソはいけない。自分はウソを言っていない」と主張するからです。

「ウソが必ずしも悪いとは限らない」というのはニセ科学批判を批判する人だけです。こういう人たちは単なる邪魔者、雑音でしかないと思います。説得したり、疑問を解消してあげる対象ですらありません。ただただ邪魔しないでくれと思うばかりです。


by うさぎ林檎 at 2009-05-28 08:31:28
Re:ちょっとした印象なのだけれど……

こんばんは。

案外常識人さんは教育の現場にいらっしゃる方なのでしょうか?対生きものとなると恐らく大義名分(は多分言い過ぎでしょうが)では、直ぐに結果のでないケースがほとんどでしょうね。大人でなく子供相手の場合は杓子定規では効果が期待できないでしょうから(そもそも育ち損なっているのは本人の責任ではないですし)。

ニセ科学批判者(だからそんな人いないというのに)が時折持ち出されている批判に私が感じる最大の疑問は、実害(被害者)が起きている事象に対応しようとしている人間に対して持ち出すことなの?と言う事です。勿論、相手を批判する以上その姿勢を問う事は自浄効果として必要だと思いますが、指摘されている内容がこの問題に対応するに当たってのあなたにとって最優先事項なの?と不思議になるのです。

私は今のところニセ科学批判者とされている人で、正義の味方を気取っている人を見た事がありません。どちらかと言えば、色々な事に懐疑的で慎重な物言いを心がけている人の様に見えます。個人的な印象と言われればソレまでなのですが、上とか下とか目線を気にしている時点で・・・・・どうしてもバランス感覚の悪さを感じるのです。


by apj at 2009-05-20 08:43:20
問答

zororiさん、

 ニセ科学を広めている人に対して、「それ嘘ですよ」とやった場合の反応はいくつかに分かれますよね。
「それ嘘だったのか。何だか怪しいと思ったんだ。もう信じない」
「嘘なんかじゃない。これは正しいんだ。ちゃんと実験したし○○先生のお墨付きももらった」
「科学がすべてじゃないからやっぱり信じる」
「別に科学でなくたっていいよね、信じたいだけだし」
で、あとの3つを言う人には「あなたが信じるのは自由だけど他人に広めるな」と言わなければならなくなります。ネットに書かれた場合は、第三者が読んで信じることを防止しないといけないので、「それ嘘です。理由は……」
とやることになります。
 確かに、「嘘は必ずしも悪くない」という主張は出てきませんよねぇ。「科学だけが絶対じゃないんだだだっ!」と言う人は居ますけど、積極的に嘘を容認するという主張をする人は見かけたことが無いです。

 おっしゃる通り、「嘘は必ずしも良くない」などと言い出すのは、ニセ科学を広めている人でも、ニセ科学だと指摘している人でもなくて、批判批判を標榜する人ばっかりだったような……。


by 多分役立たず(HNです) at 2009-05-01 21:14:01
的外れかもしれませんが

こちらでは、お久しぶりです。

詭弁 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81

を持ち出すと、終わってしまうものが多いような。

#詳細な内容はリンク先をお読みください。

最近、ニセ科学の話題についていけないorz

ましてや、メタな議論になるとお手上げorz


by apj at 2009-05-07 23:02:07
確かに詭弁ですねぇ

多分役立たず(HNです)さん、

 お久しぶりです。

 私が、Judgementさんのところで見切りを付けたのは、まさに、詭弁の特徴を見出したからでした。ニセ科学を問題にする際に、「嘘をついてはいけない」という社会規範の議論をするのなら、あくまでも、ニセ科学を問題にするという範囲で「嘘をついてはいけない」を前提にして良いか・何かまずいことが起きるとしたらどういう場合か、というのを切り分けないといけません。これとは別に、社会において「嘘をついてはいけない」が規範となるのはどういうことか、を考えることになります。
 ところが、向こうでは、意図的に「嘘をついてはいけない」の意味を拡大して反論しよとしたので、その時点で、詭弁で反論するつもりしなかないと判断しました。自分に嘘をつく云々の話と、社会規範としての「嘘をついてはいけない」を無自覚に同列に並べようとした時点で、こりゃお子様の議論にしかならない、と思ったわけでして。


by 案外常識人 at 2009-05-35 11:00:35
Re:ちょっとした印象なのだけれど……

思ったより間があいてしまいました。申し訳ありません。
話をそらしたいわけではないのですが、少し別の話から始めさせてください。(最後にはご質問の答えに戻ってきますので、よろしくお願いします。)

「ウソと言われてもなおそれを信じる」
という現象について、考えています。

このようなニセ科学信者は、そうは言っても一旦は「真実だ」と思って信じたわけですから、その人の根幹の部分では「ウソはいけない」が規範として働いているはずだと思われます。
にもかかわらず、ニセ科学についてだけはその規範が通用しない・・・それはその人が、なぜか矛盾した答えが出てくる「ブラックボックス」を抱え込んでしまったようなものではないでしょうか。

私はこのことから、
「ニセ科学を(ウソと指摘されながら)信じる」という行動は、
何か別の問題から引き起こされる
「症状」の一つに過ぎないのでは、と考えています。

そして、apjさんのやっていらっしゃる活動は、言わば「対症療法」なのではないでしょうか。
出欠がひどい→まずは止血
熱が高すぎる→解熱剤
心停止→電気ショック
・・・のように、一刻を争う事態に日々対応なさっているのだと推察します。そんな場面で「この症状の原因は・・・」などとやっていたら、患者は目の前で死んでしまいますよね。
(奇しくも「現場に降りてこい」のエントリタイトルにもその気概が現れている気がします。私はそれに敬意を表します。)

しかし、対症療法一本槍では、いずれ患者の容態は悪化してしまうでしょう。
高熱の患者に、「熱が高いなら冷やせ」と解熱剤ばかりを処方する医者はいません。患者を助けるためには、最終的にはその症状が起こった原因を探らなければなりません。

そして、ニセ科学に対する対症療法でない「治療法」の研究は、まだまだこれからだと思っています。
何しろ人の心の闇に踏み込むわけですから、多方面の学問にわたる議論が必要になるでしょうし、どんな議論がどんな効果を上げるかも未知数です。
「そもそもウソをつくとは一体どういう行為なのだろうか」と考えることで、ニセ科学信者が泥沼の堂々巡りから脱する可能性だって、ないとは言えません。

ここでご質問に戻りたいと思います。

>ところでその、興味深い思考というのは一体どなたの論でしょうか。

近いところでは、言わずとしれたJudgementさんです(思考というより問題提起ですが。)
そしてそのきっかけとなったmzsmsさんの記事、
あるいはfinalventさんの記事も、私にとっては目から鱗の内容でした。
(もちろん、異論もおありだと思いますが、いち一般人(ヘンな言い方ですが^^;)の一意見ということで・・・)

長くなりますので分けます。


by 案外常識人 at 2009-05-46 11:07:46
Re:ちょっとした印象なのだけれど……

・・・ですから、おわかりのように、本当はこのような意見をapjさんにだけ表明するのは、(自分で言うのもなんですが)少々お門違いなのです。(申し訳ありません!m(_ _)m)
にもかかわらず、私はapjさんに意見を言うことを選びました。何故…?

その第一の理由は、まさにapjさんが「現場の人」だから。
現場の論理が、その則を超えて適用されようとしたときに、
「そのやり方は、この現場でだけ通用するものだ。だから安易に使うな」
と釘を刺してほしい。これは、現場にいらっしゃるapjさんだからこそ説得力があると考えています。
第二の理由は、apjさんはニセ科学批判界で発言力があるようにお見受けするので。
そういえば、ものすごくへんぴな個人ブログで、局所的にニセ科学批判?に言及しただけの記事にapjさんが現れたことがあり、その情報収集力に驚かされたことがあります。(いや、もちろん皮肉ではありません。そのくらい危機感をお持ちだということで、それは誰にでもまねできることではない。)
第三の理由は…これは個人的理由です。apjさんとは考え方が似ていて、何となく話が通じそうな気がするので^^;

しかしながらapjさんと違って、何しろ私ときたら、
疫学と医学の使い分けも知らないし、科学哲学とか論理実証主義なんていう言葉も聞いたこともない。
「ウソはいけない」は社会規範だと思ってはいるけれど、その根拠はと聞かれても満足に答えられない。
論理的思考を心がけているものの、科学と非科学の見分けとなると、完全に科学者にお任せ状態です。

しかし、そんな一般人にも「あやしいものを見分ける」センサーが備わっています。
それは、「対話が成立しているか」です。
(「対話」…残念ながら「議論」ではありません。専門知識の領域に入ってしまったら、一般人には議論になっているかどうかは判別できませんから。)
そうは言ってもこのセンサー、結構高性能だなと私は思っています。
どんな人の話も聞かず「血液型判断は正しいのだ」だけを主張し続ける人(某氏??)などは、まずこのセンサーではじかれますから。

しかし、最近のニセ科学批判は、上記の「一般人センサー」にひっかかることが増えたように見えます。
つまり、対話能力がある程度ある相手にも関わらず、対話が成立しなくなるケースが増えたように思えるのです。
たまに一人か二人の「トンデモさん」が現れる、というのならわかります。しかし、最近そこここで見る様子はそれとは明らかに違うように見えます。

たとえば、最近の「ニセ科学批判批判者」には、「元ニセ科学批判者」が増えているようには思われませんか。

かつての「同志」に異を唱えるというのは、全くの他人を批判するよりも、ずっと多くの勇気を必要とします。誰だって、他ならぬ仲間から評価を落とされるというのは避けたいですから。※
にもかかわらず、あえて意見することを選んだ人がいる。
それは、かなり深刻な事態だと言わざるを得ません。というのは、第三者から見えている構図は、もっとひどいものであろうと思われるからです。
図らずも対症療法としての「批判」の限界が見え始めているように私には思えます。

いろいろ書きましたが、まとめますと、
「apjさんの現場の活動に、敬意を表します。」
「一方で、対症療法以外の方法を模索することも、将来的にはニセ科学蔓延防止に役立つと思われます。」
「議論が起きたときに、早急に敵か味方かを峻別しようとするのではなく、温かく(生暖かくでもいいですが^^;)見守ることも、時には必要ではないでしょうか。」

以上です。長くなってしまってすみません。

※実は…
白状しますとかく言う私自身、ニセ科学批判界でお名前を拝見する一部の方々と、全くつながりがないわけではないのです。
面と向かって苦言を呈して評価が下がるのが怖くて、ここでは別人を名乗らせていただいています。全く誠実さに欠けたヘタレです…


by apj at 2009-05-51 12:24:51
今日書いたエントリーが私なりの結論です

案外常識人さん、

>たとえば、最近の「ニセ科学批判批判者」には、「元ニセ科学批判者」が増えているようには思われませんか。

 えーと、まさに私が今日(といっても日が変わっちゃいましたが)私なりの「ニセ科学批判批判」を書いたところでして、その意味では当たってますね。ただ増えたといっても、私の分の1例が追加されただけですが。

 その結果、どうも、私は別の方向を模索することになりそうです。多分、技術開発者さんと近い方向かな、と思います。今日のエントリーでも書きましたが、私の現状での結論は「批判は足りてたけど非難が足りなかった」というものです。

 科学者が科学以外のことにまで出しゃばるのはどうもなぁ、と思って、「科学の内容の部分についての批判」に集中していたら、社会規範に対する考察が抜け落ちた議論があちこちから出てきたわけですよ。特に、批判批判を自称する人達からなんですが。
 で、これは、「嘘をつくな」という社会規範の部分まで、社会規範に違反していることを明示した上できっちり非難しておかなかったから起きたことじゃないかな、と思うんですね。当初は、「その話はニセですよ、嘘ですよ」と言えば済むと思ってたんですよ。ビリーバーになっちゃった人か、故意にニセ科学をこさえて広めている人以外なら、「嘘つくなんてケシカラン」言ってくれると思っていた。ところが、科学の話と嘘つきが非難される話は別、という人が出てきたんですね。
 あまりにも科学の部分だけ議論していたから「批判者は科学のことしか言わないのが当たり前」みたいな暗黙の了解が発生してしまったというか、そんな風にみんなで意図しないで誘導してしまった結果、こうなったのかな、と。

>それは、かなり深刻な事態だと言わざるを得ません。というのは、第三者から見えている構図は、もっとひどいものであろうと思われるからです。

 おそらく「何が非難に値するか(何が非難に値しないか)」の部分がブレたということかな、と。で、これは、何がどう非難に値するのかをその都度確認するのを怠ったのがまずかったのかな、と思ったりもするわけです。
 対悪徳商法からニセ科学を問題にしてきた私(とおそらく技術開発者さんも)、ニセ科学を広めることが社会規範からみて非難に値する行為である、ということはほとんど自明なんですが、入り口が違うとそうはならない。それで、科学やせいぜい科学哲学の議論だけだと勘違いする人が(批判批判を自称する人の中に)続出、と言う結果になったんじゃないですかね。

 ですから、対症療法以外に考えることとは、社会規範とは何か、規範に違反するとはどういうことか、という部分をもういちど立て直すというか、再確認するということになるだろうと思っています。法哲学と格闘中なので、そのうち、もう少し深めた議論ができたらなぁ、と思っています。
 この部分は科学じゃないんですよ。むしろ法学系の人にきっちり通じるように論を組まないといけないだろうな、と思っています。文系議論になるので、一見、誰でも参加できるというか自然科学よりも敷居が低いように感じるかもしれませんが、そう甘いものでもなさそうです。

 Judgementさんを見限ったのは、敵味方云々が理由じゃありません。というか、そんな概念は最初からないです。それに、ニセ科学を問題にしている人が居たからといって、別に同志でもなんでもないですし。
 Judgementさんに愛想をつかした理由は、「嘘をついてはいけない」という社会規範の議論をきちんとしようとしているとき、つまり規範の及ぶ範囲や前提を絞り込もうとしているときに、自分に嘘をつくなどという、社会規範になり得ないものを持ち出して、嘘をつくという意味を広げてまで反論しようとしたJudgementさんのやり方が、詭弁にしか見えなかったからです。そういう人に社会規範を説く義理まではないわけでして、そんな手間をかけるくらいなら、私はさっさとニセ科学まとめを書いて現状の整理をした方が自分にとっても得るものが多いし、誰かの役にもたつだろうと判断したんですよね。
 敵味方の判別なんてあほらしいことはしませんが、詭弁かそうでないかの判別はさっさとやります。詭弁に付き合っても得るものはありませんから。

 それでですね、一般の人にも使っていただけそうなマニュアルとして、「ニセ科学判定ガイドライン試案」を作ってみました。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/lab/pseudoscience/ps-comments/guideline-tentative
 悪徳商法系はほぼカバーできると思っていますし、もとになったのが法曹向け文書ですから、科学の専門家でない人が使うことを想定しているものになっているはずです。


by 技術開発者 at 2009-05-50 13:45:50
Re:ちょっとした印象なのだけれど……

こんにちは、皆さん。

>いじめは、「いじめ」という現象が誰にでもある普遍的な人間的欲求に根ざしているところに難しさがあると感じています。

私は「人間の基本仕様と取り扱いマニアルとしての文化」という事を言っています。まず「変えることができないもの」として人間が基本的に持っている仕様というものはあるわけです。でもその仕様がむき出しで現れると「生き延びにくい」時にその仕様をなんとかくるみこんで悪いことがあまり表にでないようにするために取り扱いマニアルとしての文化が発達すると考えるわけです。そして、実はここが味噌なのですが、その取り扱いマニアルというのは、人間の仕様を利用することで成り立っている面があると考えています。

たとえば、「人をいじめたい」という部分が人間には基本的にあると私も思います。それがむき出しで出ると、社会はうまくいかないし、「生き延びにくい」ものになるんだろうと思うんですね。だから、まず「いじめはいけない」という規範をとりあえず作るわけです。規範だけでは強制力がありませんね。ではどうするかというと「いじめ」をする人間を「規範に反した」と皆でいじめるんですよ(おぃおぃ:笑)。

笑い話みたいに書きましたが、現実として人間がやってきたことというのは、「いじめを防ぐためにいじめたいという欲求もまた利用する」みたいな面があるんですね。むちゃくちゃみたいですが、とりあえず「いじめはいけない」という規範をたてておくと「いじめるやつを皆でいじめる」時のいじめもあまりエスカレートしそうになると「これもいじめだ」と気がつくレベルになって歯止めが期待できるものですからね。

何が言いたいのかというと、人間の文化というのは「仕様の抑圧」のようには本来できていないのだろうと思うんです。抑制しなくては困る仕様を抑制するのに、実はやはり困りものとなる仕様の部分も使って利用しているわけです。

なんとなく考えているのが、人間の仕様のうちの困り者の部分を「抑圧して出さなくするのが文化」みたいな意識が強くなってるのかなと思うんですね。「自分のいじめたいという欲求を押さえなさい、それが文明人だ」みたいな感じですかね。ところが、もともと文化そのものが、「いじめたいという欲求」すら利用する形で成立しているわけです、「社会規範に反するものにはいじめたい欲求を行き過ぎない程度に出して良いんだ」みたいな感じでね。そんな文化の中で、欲求の抑圧をやると文化そのものがガタガタになる気がするし、なりかけている気もします。


by 案外常識人 at 2009-05-21 11:24:21
こんばんは。

このところ実生活のほうで忙しく、まとまりのある意見を書くのがはなかなか難しくて・・・申し訳ないです。

>私の現状での結論は「批判は足りてたけど非難が足りなかった」というものです。

私は、これを「よりハイリスク・ハイリターンを狙う方向に転換した」ととらえましたが、どうでしょうか。間違っていたらすみません。

一般に批判よりも非難のほうが、対象を選ぶと思われます。
より詳密な検証も必要となるでしょう。もしも「はずしてしまった」ときには、非難した側が被るダメージは相当なものになりますから。

apjさんがそういうスタンスを選んでいらっしゃることに対しては、重ねて申しますが私は敬意を抱いています。言い方は悪いですが、ニセ科学に対する「脅威」として押さえ込みに大きな役割を果たしているとも思っています。
(ちょっと違うかもですが、いじめにしても、担任が怖い先生に変わるとぴたりと止まる、なんてことはよくありますね。)

しかし対症療法として考えると、
より「劇薬」を使用する分、逆に適用できる症例が狭まってしまったとも言えるのではないでしょうか。
非難までには値しない『症状』に対する(対症療法でない)根本的治療を考える必要性も、ますます高まっているように思えます。

またまた、重ねて申しますが、私はapjさんにそれをやってほしいと言っているわけではありません。むしろ、そちら(対症療法でない治療法研究)のほうには、手を出す必要はないのでは…ということですね。

「遊び」の許されない、苛烈な現場に対応しなければならない人がいる一方で、
愚にもつかないように見える「議論」の中から何かが生まれる・見えてくることもある。
価値を置くものは違えど、どちらも人間には必要です。

こうしている間にもあちこちで行われている(であろう)議論が、いったい何を導き出すのか(あるいは導き出せないのか)ということを、現場の論理で切り捨てず気長に見守ることも、また必要なことであると思うのです。
ニセ科学対策の現場に近いところにいる人がそのような姿勢を示すことは、対外アピールという点から見ても、決してマイナスにはならないと考えます。
逆に、議論が起きるたびにあっという間に反論で埋め尽くされるといった、同じような光景が繰り広げられているのでは、「ニセ科学批判一派」との見方が意に反して強化されてしまうでしょう。

ネット上では、現場とそれ以外の住み分けが難しいのも確かです。
反面、誰もが管轄外の事象についてモノが言える。
だからこそ、「もの言う」よりも「言わない」選択をすることで、思慮深さがあらわれる場合がままあるような気がします。
面白い反面、やっかいな世界ですね。

毎度とりとめなくてすみません。


by 案外常識人 at 2009-05-32 11:57:32
技術開発者さんへ

こんばんは。ご意見拝見しました。
「人間の基本仕様」は、以前なるほどと読んだ覚えがあります。
…が、

>「人をいじめたい」という部分が人間には基本的にあると私も思います。

これについては異論があります。

人間には、人を喜ばせたいという欲求はあっても、(理由なく)いじめたいと思う仕様は、備わっていないと思います。
苦しんでいる人を目の前にして理由なく喜べる子はいません。(もしいたとしたら、器質的な障害を疑う必要もあると思います。)

あるのは
「自分をよく見せたい」
「正しいと思われたい」
「仲間に嫌われたくない」などで、それらが不幸にしていじめと結びついてしまうのです。
こうなってしまうと、「いい気味だ」みたいなことも平気で言ったりしますが、基本的には「いじめたいからいじめる」わけではないのです。

「仕様を押さえ込むのではなく利用する」というのは、興味深い方法だと思います。
ただ、仕様に基づいて行動を制御するのは、大変難しいと思います。
特に「正しい」という旗印を得ると、子ども(人)は暴走しがちです。

やはり仕様とは別次元で(と言ってももちろん仕様を考慮しつつ)法や規範を練り、番人も悪役もそちらに任せてしまったほうがよいような気がします。


by apj at 2009-06-49 08:18:49
Re:ちょっとした印象なのだけれど……

案外常識人さん、

>このところ実生活のほうで忙しく、まとまりのある意見を書くのがはなかなか難しくて・・・申し訳ないです。

 いえいえ、私の方も、別エントリーやら、持ち回りその他の講義や講演でばたばたしていて、あんまり進んでいません。じっくりでいいと思います。

>私は、これを「よりハイリスク・ハイリターンを狙う方向に転換した」ととらえました

 いや、ちょっと違うと思います。

>もしも「はずしてしまった」ときには、非難した側が被るダメージは相当なものになりますから。

 これについては、批判だけしていた時と変わらないと考えています。外した批判はやっぱり逆効果ですので。

>逆に、議論が起きるたびにあっという間に反論で埋め尽くされるといった、同じような光景が繰り広げられているのでは、「ニセ科学批判一派」との見方が意に反して強化されてしまうでしょう。

 これは、起きている議論の内容が相変わらずだと、同じような反論がやってくる結果になるわけで、一概にいえないと思います。

>ネット上では、現場とそれ以外の住み分けが難しいのも確かです。
>反面、誰もが管轄外の事象についてモノが言える。

 まあ、確かに、実行して示した方が早い、ということはありますよね。

 ちょっと前に神戸の磁気活水器マルチ商法の会社と裁判所でやりあってたわけですが、ネット上では誰でも何でも言えますが、判決をとってしまえばそれで終わる話だったりするわけですよ。口先だけなら誰でも何でも言えますが、実際に影響力を行使できるのは現場の当事者だけですから。