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はじめに

 ニセ科学を問題とする場合、何をニセ科学とするかという問題と、ニセ科学を問題とすることの社会的な意味づけの問題が同時に絡んでくる。これを整理しないと混乱するので、まずは、全体の構造を考えておく。

問題の構造

ニセ科学の判定基準そのものが2つの異なった内容を含む

 「ニセ科学とは何か」「ニセ科学判定ガイドライン試案」にも書いたように、ニセ科学かどうかを決める場合の基準は、

(1)科学を装う

(2)科学でない

の2つで、これらはそれぞれ異なっている。(2)は、科学そのものからほとんど決めることができる。(1)は、通常人を想定して考えるので、科学そのものとは異なる。

 それでも、「ニセ科学判定問題」は、判定の方法を検討することで判定精度が変わってくるであろうものであり、それ自体で独立した「正しさ」を持つ。ここでの、「正しさ」を持つ、とは、ニセ科学の判定をする行為そのものが倫理的あるいは道徳的に正しいかどうかということではなくて、判定の妥当性を他の基準とは切り離して独立に考えることができる、という意味である。

ニセ科学を問題にする場合に前提となる「正しさ」が2種類ある

 ニセ科学を問題とする場合には、ニセ科学だと判定したことが正しいかどうか(事実の正しさ)、と、問題にするという行為が正しいかどうか(社会規範からみた正しさ)、の2つが含まれている。両方が揃って始めてニセ科学をこの社会で問題とすることが、した方が良いこと、と判断されることになる。

 ニセ科学を問題にするという行為そのものを正しい、とする場合には、「嘘(や不確かなこと)を言いふらしてはいけない」という社会規範の存在を前提としている。ニセ科学言説を広めることは、嘘や不確かなことを言いふらすことに他ならないので、社会規範に違反する行為であると考えることになる。

 「権威」という言葉を敢えて使うならば、判定の正しさ(科学的正しさを含む)によって生じる権威と、社会規範そのものが持つ権威、の2種類があるといえる。

まとめの方の分類

 2種類の「正しさ」それぞれについては、判断の基準が違うので、分けて考えないと混乱する。

このため、まとめ文書も、判定の妥当性を検討するために記述したものと、社会規範との関連について記述したものの2つに分けておく。ありがちな議論等のように両方混じっているものについては特に分類しない。

判定の妥当性を検討するためにまとめたもの

  • ニセ科学とは何か
  • ニセ科学判定ガイドライン試案
  • 社会規範との関連についてまとめたもの

  • ニセ科学を問題にするとはどういうことか
  •  

    実際に観察されたこと

    1. 「水からの伝言」「マイナスイオン」「(インチキ)ダイエット法」など、科学としては事実ではないことが社会で広く蔓延した。
    2. インチキが広まるのは問題だと思った人達は、なぜこんなものが蔓延したかを考えた。そしてこれらの言説の見かけが科学っぽかったために「科学的に正しい」と非専門家に誤認されて広まったのではないかと思い至った。つまりこの時点では、嘘を信じた人達が故意に嘘の方を選んでいるとは考えていなかった。例外的なごく一部のビリーバーを除いて、多くの人は正しいことを信じたつもりで間違えたのだと思っていた。
    3. そこでとりあえず「科学としては嘘ですよ」と指摘してみた。当然、「嘘ついちゃいかんよね」というリアクションがあると思っていた。
    4. ところが、「科学としては嘘でも、嘘ついちゃいかんという社会規範とは関係無い話だ」「科学者が社会規範にまで口を出すな(実際には批判の態度が気に入らないとか、科学以上のことを押しつけるといった回りくどい表現だったりするが、端的にいうとこうなる)」といったリアクションが少なからず出てきた。
    5. 「嘘ついちゃいかんよね」という社会規範が丸ごと無視されるとは想定外だったので、慌てて、「科学として間違っていることを言い触らすと、嘘ついちゃいかんという社会規範にも触れますよ」などと言うことになった。
    6. どうして「間違った科学を広める」ことが「嘘ついちゃいかん」ということと切り離されているのだろうか?【←今ここ】