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DNDメルマガの反論記事

 朝日新聞の記事に対する抗議がDNDメルマガに掲載された。「EM批判記事で、朝日東京本社がEM研究機構に陳謝」。

 まず、タイトルからしてがミスリーディングである。謝罪があったのは、引用の「形式」についてだけで、内容については誰が見ても比嘉氏の主張をそのまま引用したものとなっている。どこから引用したのかがはっきりしなかったのはミスかもしれないが、EM菌の効果の原因が重力波だという主張を比嘉氏本人がしていた証拠は大量に存在する。

比嘉教授の「談話」をネット上にある講演録から無断引用し、引用の出典を明記せず、しかも本来行うべき批判の相手先である比嘉教授に取材の申し込みすらなかった。批判する相手に取材をしない、これは取材記者の常識では考えられない不手際だ。ネットから講演の一部を切り剥ぎして「談話」として都合よく扱う、そんなことはこれまで耳にしたことがない。しかも引用した「談話」は、ぶつ切りで一般的に意味が伝わらないものになっていた。

 比嘉教授の「談話」と決めつけているが、それは出口氏による勝手な決めつけである。元の記事では、談話だとは言っておらず、比嘉教授は「……」と説明する、という形で書いてあるだけである。この場合「……」の中に入っている内容は、比嘉教授が直接話したものでも、著書の一部でも、ウェブ等に書いた文章の一部でもかまわない。比嘉教授の主張が正確に引用されていれば、ソースはどこからであっても、比嘉教授が説明した事実に変わりはないので問題無い。また、批判する相手に取材をしない、というが、既に書かれたもの、放送されたものに対する批判であれば誰でも自由に行ってかまわないから、「取材記者の常識では考えられない不手際」とはいえない。無理矢理にでも「談話」ということにしないと批判自体ができなくなるからそう書いているだけであり、これは出口氏による印象操作だろう。比嘉教授の説明の意味が通らないというが、比嘉教授の主張は全部通して読んだって唐突に(まだ検出もされてない)重力波の話が出て来たりして意味が通らないので、ぶつ切りにしたからではない。

長野記者は、比嘉教授の「談話」についてデスクに聴かれてどう答えたのだろうか。少々の取材経験があれば誰もが、この「談話」を不自然に思うに違いない。古川部長は、「引用する際の書き方が万全ではなかった」と釈明するが、これは書き方の次元ではないはずだ

 いえ、書き方の次元の問題です。それ以上でも以下でもない。

引用した個所は、EMの効果について言及しているところだが、「重力波と想定される波動によるもの」という一部分を抜き出した。そのコメントの頭には原文だと「関英雄先生が確認した重力波と…」とあり、関英雄先生が確認した、のところは削除されていた。古川部長は、比嘉教授の主張を「大きく捻じ曲げられたということではない」と釈明するが、検証したというのなら、大きくかどうかは別にして、捻じ曲げられたかどうかは、まず比嘉教授がどう思うかどうかだ。そこを確かめるべきではないのか。

 「関英雄」が登場した方が、重力波の話がでたらめであることがより一層明らかになっただろうとは思います。というか関英雄って?ぐぐったら児童文学の人がヒットしたんだけど、重力波にからんできそうにない。もしかして「高次元科学」の関英男先生? 

この1行を都合よく引用して記者自らが「現代科学に相いれない独自理論」と断定し、それによって「非科学的だ」との結論を導いていくのであるが、どうも「非科学的だ」の結論が先にありきで、このコメントは長野記者の"ツイッター仲間"の知人から知恵を付けられた節がある。本人もツイッターで、ツイッターのやり取りからEM批判記事を思い立ったという意味のことを暴露していた。ツイッターでEM記事を書く、と宣言したのが6月18日で、沖縄のEM研究機構や青森県内の学校関係に取材を始めたのは、それ以降だったことも"ツイッター仲間"との共同戦線でEM潰しに手を貸した跡がうかがえた。

  まず、天文学の分野では重力波の検出は実験設備の建設を行い検出に向かって準備を進めている段階であって、まだ検出すらされていない。「関英雄」の名前があろうが無かろうが、今、重力波の効果で云々、と言いだしたら、EMでなくたって非科学的だと言われるだろう。また、記事を書く動機は、ツィッターだろうがネットだろうがかまわない。動機を問題にすること自体が間違っている。

「非科学的だ」は、本文の見出しにもなっていたが、この「非科学的」という印象を際立たせるために、「重力波…」とした16文字のコメントを多用し、EM批判記事の正当性を裏付けようとした意図が透けて見える。

  重要なことなのではっきり書く。EMは非科学だし科学を騙るならニセ科学。その理由の一つは、重力波以前に、比嘉教授自身が科学的手続きによる検証を拒んでいることによる。

そもそも河川の浄化にEMを投入すると、ヘドロが減少し臭いが消えて鮎や鮭が遡上するといった現象が各地で報告されている。そのEMを投入している先生やEMを提供している県の担当者に長野記者は、EMの科学的効果を検証したのか、と迫る。自分は現場も見ずに詳しいデータの分析にも手を抜いて、「科学的なのか」、「検証したのか」と威圧し善意の方々を困らせているのである。

  EMに効果があることを示すのは、EMを進める側の仕事である。勝手に効果のあやふやなものをすすめておいて、別の人に効果の検証を迫るという行動自体が、科学の分野では受け入れられない。新しいことを提唱する側に検証と十分な証拠の提出を求めるのは、威圧でもなんでもない。また、善意があれば、検証を怠ることが正当化されることなどない。この場合、善意は何の言い訳にもならない。

東京都心の日本橋川や、大阪の道頓堀川などを見てごらんなさい。全国の河川浄化で実績をあげているEMの投入運動は、毎年海の日に合わせて全国一斉に繰り広げられてきた。今年は7月16日だった。長野記者のツイッターにはEM批判グループが7月16日のEM投入は阻止しなくてはならない、との書き込みもあった。ツイッターで繰り返しEM批判を展開していたのである。

「実績をあげている」と断言しているが、検証が不十分だし検証するつもりもないことがすでにはっきりしている。実績とやらが全国で広く運動になっている、だけならそんなものに何の意味もない。大流行したマイナスイオンだって結局、原因物質が何であるか、物資の量と効果の関係がともにはっきりしないままだった。根拠のあやふやなものが普及することは普通に起きている。

さて、この記事を冷静に分析すれば、次々と疑問がわいてくる。河川にEMを投入する環境教育を問題にしていながら、その効果を聞かれて果たして、「重力波と想定される波動によるもの」と、誰が答えるだろうか。この16文字のコメントは、大きく捻じ曲げられてはいないかもしれないが、勝手に引用され、大いに創作されているのである。

冷静に考えれば、「河川の浄化に効果があります」という触れ込みのものに「重力波と想定される波動」が効果をもたらしてます、という説明がくっついていたら、「ちょっと使うの待て」という話になるだろう。

ネットから勝手に引用し、そのコメントに対して「独自理論」だの、「現代科学に相いれない」だの、その挙句に「非科学的だ」とレッテルを張るという行為は、謀略に近い手口だ。そう思いませんか。どこでしゃべったからわからない1行足らずの言葉尻を捉えて、それを「理論」というだろうか。

 重力波については、言葉尻では済まない程度の比嘉氏本人による発言がたくさんある。ここにまとめられている。比嘉氏本人によって複数回WEBマガジンで発言されたものを適切にまとめたに過ぎない。

繰り返すが、このEM批判記事は、「書き方が万全ではなかった」という問題ではなく、記事そのものが万全ではなかったということだ。この箇所を引用すること自体が、極めて意図的で作為的なのである。長野記者は、取材を始める前からEM潰しを狙っていたのである。もう一度、記事と取材の周辺を検証して事実関係を確かめていただきたい。地域報道部の古川さんなら、その辺を真摯に対応してくれるものと思います。新聞記者をやっていれば、この記事がいかに公平を欠き稚拙な取材に基づいているかが、すぐわかるからである。EMの科学的効果を扱っているのではない。新聞記者の姿勢や取材のありようを問題にしているのである。

 EM批判記事の問題は、書き方が万全でなかっただけで、記事そのものに問題はない。引用した部分も、比嘉氏が繰り返し述べている内容からきているので、公平に行われている。比嘉氏が1回だけ行った主張をとりあげたのなら意図的と言われても仕方がないかもしれないが、何回も主張している内容ならまさに比嘉氏が強調したかったであろう内容と考えるほかはなく、それをとりあげることは意図的でも作為的でもない。むしろ比嘉氏の主張を尊重しているともいえる。

 出口氏は、比嘉氏の重力波についての発言頻度を意図的に無視しているとしか思えない。また、元の長野記者の記事が、EMの効果の検証があやふやなのに学校で使われていることを問題視しており、EMの科学的に検証された効果を離れては議論が成り立たないのに、取材のありようの問題に話をすり替えている。意図的で作為的なのは出口氏の方だろう。

デスクが、この談話は確認取ったのだろうね、と聞いたはずだ。その裏で、長野記者の"裏とり"とは、沖縄にあるEM研究機構の窓口に電話して31歳の係長に、比嘉教授の講演を再録したウェブページを開かせて、「これは比嘉教授が書いたものですね」と念を押したのにすぎない。それをもって比嘉教授に確認したと偽ったとしたら、きわめて卑怯な取材方法だ、と言わざるを得ない。そんなことはやらない。週刊誌の記者は当然のこと、タウン誌の若手編集者だって、やるわけがない。なぜか、それは手段が姑息だからだ。

 長野記者が「」付きで紹介した比嘉氏の説明を「談話」だと言い張っているのは出口氏である。普通に読めば、口頭による説明か著書の引用か本人がウェブで公開したものかはっきりしない。そう言わなければ、クレーム自体が成り立たないからだろう。主張の内容確認としては、いちいち口で説明が必要なわけはなく、著書やウェブの内容で本人が書いたことが確認できれば十分だろう。姑息でも何でも無い。

EM研究機構側が、求めに応じて提出した数々の論文や調査報告は、査読を経ていないから、と言う理由で拒否しながら、長野記者がEM批判で記事に使った論文は、それは査読済みの論文か、とEM研究機構の担当者に質問されて、「いえ…」、「査読の論文じゃないのですね」と念を押されてタジタジだった。言っていることとやっていることが、バラバラじゃないですか。つじつまが合わないでしょう。筋書きがありきだから、記事を検証すると、哀れなくらいにボロがでる。

 何度も書くが、科学のルールでは、査読済みの論文でもって効果を示さなければならないのはEMを推進する側である。一般に、この部分は、批判する側と新規なものを進める側は対等ではない。なぜこういうルールになっているかというと、勝手に効果のあやふやなものを他人に勧めておいて批判されたら「じゃあ効果がないことを査読済み論文にして出せ」と言いだすバカを排除するためである。これを認めてしまったら、効果のないものが世の中に広まるのを食い止めるために多大なリソースが必要になってしまうからである(一方、言いだす側は口先だけで「効果がある」と言い張るだけで済む)。だから、批判が論文に基づいていないことを突っ込むのはお門違いであるばかりでなく、過去に繰り返されたニセ科学のパターンを丸ごと踏襲しているともいえる。

某大手の記者が、この一連の流れを見て、だいたい取材もしないで談話をでっち上げる記者は、そのすべてがその調子じゃないの、と指摘してくれたが、まさに図星だったようだ。

 「」部分を談話だと言い張ってるのは出口氏だけではないかと。あと、某大手の記者、って怪文書レベルの記述で、噂を書くのと変わらない。