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間違った教養部解体

Posted on 6月 1st, 2006 in 倉庫 by apj

 今日で、化学でこの先使う数学を大体終えた。来週は中間試験で、その次から(高校で物理をやってない人対応も含めた)物理の講義を簡単にやる。内容としては、力学と波と電気的な力と前期量子論あたりだから、高校物理の内容を選んで微積分をきちんと使ってやるという感じになる。
 実はこの講義、一般教育(教養)ではなく、専門科目の必修指定である。それでいろいろ考えて思い当たったのが、何年か前に大学の教養部を解体したときに、やり方を根本的に間違えたのではないかということだ。
 もともと、教養部の内容というのは、旧制高校でやってたことが元になっていたはずである。教養部を解体して、大学でそこをそんなにやらなくてもいいということにするのであれば、大学が手薄になった分、内容を高等学校の指導要領に降ろして、高校でやることを増やすべきだったのではないか。ところが、本来ならこの手のフォローをしてくれるはずだった教養部を組織として無くした上に、何の手当もせずに高校の指導要領をゆとりと選択で骨抜きにしたから、しわ寄せが専門に来た。入学したらさっさと専門の講義を始めるなどというのは全く不可能で、専門の講義内容の一部を高校との接続に振り向けることになってしまった。専門をとっとと教えろというのとは正反対の結果になっている。
 この件については学科の教員全員出動で対応している。私はたまたま、数学と物理のうち化学で必要なものを選んで教えているが、化学概論の教科書を使っての講義や、一コマの実験入門にあたる内容を用意して、こちらは他の先生方がみんなで協力してやっている。


ここからは旧ブログのコメントです。


by すずきひろのぶ at 2006-06-55 07:37:55
Re:間違った教養部解体

あれはリベラルアーツを取り入れるために今まで障害となっていた境界線をなくする趣旨で勧告したことを大学人は教養部が要らないって勘違いしちゃったんだよな。大学を運営している連中が、実は大学ってものをわかっていなかったという、ちょっとしたブラックコメディーだ。


by apj at 2006-06-02 08:09:02
Re:間違った教養部解体

 私が大学生してたときはまだ教養部があって、卒業して院生してた頃になくなったから、何で無くすることにしたのかがよくわからない。それでも、教養部に全科目担当できるだけの人材がそろっていて、リベラルアーツの教育だって可能だったんじゃないかと思うんだけど、旧教養部でリベラルアーツがうまくいかないだろうと判断された理由はどのへんにあったんでしょうかね?組織として教養部を解体することと、リベラルアーツを教えることの関連が飲み込めないんですよ。
 一方、専門の教育を早くやれという動きはあって、私のときは専門科目は2年次からだったのに、後輩の代には1年次から入ってきてたりして。

 ともかく、教養は大事だと叫んでる人(しかも教員側の一種の既得権に基づく)の声ばっかり聞こえてくるもんで、ホントはどういう状況だったのか今ひとつわからない……。


by apj at 2006-06-47 08:11:47
Re:間違った教養部解体

>大学人は教養部が要らないって勘違い
 追加です。これ、当時の文部省の方針じゃなかったでしたっけ?解体が決まってから、教養部→教養学部への改組を申請した大学が相当あったはずだけど、認められたのは東大と、あとはありましたっけ……?他の大部分が却下されて解体に至ったはずです。だから、勘違いをしたのは大学じゃなくて文部省の方では?
 千葉大で、教養部→教養学部への改組を申請する書類を書いてた先生と話をすることが多かったので、そのへんの話はちらほらきいてました。


by すずきひろのぶ at 2006-06-37 22:19:37
Re:間違った教養部解体

たとえば大学院へのシフトは、アメリカ流のリベラルアーツを暗黙の前提としているので教養学部を作るという話ではありませんよ。そもそも学部作って囲い込みをしたら、境界線をなくするという趣旨に反して、また新たな境界線を作るだけじゃないですか。誰も彼もが勘違いして右往左往しているのを外野から見ているとコントを見ているようです。現場は大変なのはよくわかりますけどね。


by apj at 2006-06-20 09:38:20
Re:間違った教養部解体

 「暗黙の前提」がはっきり出てこないから、無用の混乱を来しているのでは。どういう意図があって(どんな最終形態を目指すために)これこれのことをやる、ということを明確に打ち出すのは文科省の仕事でしょうよ。それができないなら改革など指示しなきゃいい。何か、中途半端な情報しか出さずに大学を変えようとして、大学がさらにそれを勘違いして、どんどん意図と異なる方向に進んでいるような気がする……。


by いいじま at 2006-06-18 14:03:18
Re:間違った教養部解体

教養部が残ったはずの東大でも、「教養部の存在意義の一つは高校と専門との連結」ということを理解していない人たちがたくさんいるので、結局専門の方に皺寄せが行っています。

たとえば、1500人全員必修のはずの数学や物理の授業に標準カリキュラムが存在しなくて、やたら細かいことをひたすらやる(=自分の専門分野に関係することばかり)教員が平気でいます。のんびりやってたら教科書が終わらなかった、なんてのも許されてしまいます。まあ、語学やコンピュータの授業では近年になって内容の標準化が行われましたし、生物(来年あたりから理Iでも必修化)も共通教材を作る予定があるようですが…。

あとは、3年以上に上がってから学部前期課程で再教育を受けることはできないようになっているので、統計を勉強せずに心理・社会系に進んでしまった人とか、教養で勉強した以外の外国語が必要になった人、大学院で別分野にくら替えした人、といった人は学部後期課程で面倒を見ることになっています。駒場なら教養と合同授業にできるのでまだ救われてますけどね。

P.S.
京大は教養部を総合人間学部に改組したはずです。教養の授業はそれぞれの学部から総合人間学部のキャンパスに出向いて受けるそうです。


by いいじま at 2006-06-46 14:09:46
Re:間違った教養部解体

> 私が大学生してたときはまだ教養部があって、卒業して院生してた頃になくなったから

apjさんの大学入学は1985年のはずだから(丙午の生まれと公言しているから書いてしまって問題ないだろう :-))そのころといえば大学の数がうじゃうじゃ増えて、進学率が上がっていった時期ですね。大学のレジャーランド化なんてことが言われていたはずです。

で、ここからは推測ですが、2年間も教養だけをやっていると学生が遊ぶから、とか、今まで専門学校や職業高校が担っていた役割を大学が押し付けられた、とか、そういういきさつがあるのではないかと思います。


by すずきひろのぶ at 2006-06-47 22:46:47
Re:間違った教養部解体

> ということを明確に打ち出すのは文科省の仕事でしょうよ

大学の企画・運営能力を過大評価したり、あるいは自治とか自主性とか尊重した文科省も、今となっては後悔しているのかもね。

“1991 大綱化”というキーワードでgoogleをかけると一発目で出てくるページが、問題点を綺麗にまとめています。参考までにどうぞ。
http://www.oit.ac.jp/japanese/toshokan/tosho/kiyou/jinshahen/48-2/jin-sya_2/hayashi_masahito.html

アメリカ流のリベラルアーツのことについては、こっちの資料をどうぞ
http://www.keinet.ne.jp/keinet/doc/keinet/jyohoshi/gl/toku0409-1/top.html

大学人は勘違いしているよねぇー、という批判の文章もどうぞ。とっても突っ込み方がうまい!
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mic-a/university/1991.html

間違った教養部解体といのはその通りだけど、それはいったい誰が勘違いしてしまったのかは、もう、一定の評価は出ていると思うんだけどね。


by apj at 2006-06-00 02:01:00
Re:間違った教養部解体

>それはいったい誰が勘違いしてしまったのかは、もう、一定の評価は出ていると思うんだけどね。

 組織の「力学」って、基本的に現状維持に向かうんですよね。勘違いどころか相当な大学の本音は教養部解体なんか望んでなかったはずでは。それがどうして勘違いのまま進んだかというと、「解体しなかったら予算を減らされるとかとにかく不利益があるはず」と、大学側が文部省の役人の意図を深読みして動いたからだとしか思えないのね。一方、「自主性にまかせる」のタテマエで、文部省も大学が教養部解体にこぞって動いたときにストップをかけなかったんでしょうね。本当にその意図がなかったのなら「解体するかどうかは大学の判断に任せる、やってほしいことは教養教育システムをこのようにすることであり方法は問わない」とはっきり打ち出し、予算面でもその後の扱いでも言ったようにすりゃよかったんですよ。
#まあ、教養部解体のあたりは私は院生だったんで、知ったことじゃないですけどねぇ。

でも、全てにおいて 「自主性にまかせる」がとんでもないくせ者というか官僚の責任逃れに見えています(私のような下っ端から見れば)。大学の上がバカなのか、文部科学省がボケかましてるのか……。自主性にまかせるといいつつ意図をはっきりさせず、そのくせダメ出しをするので、「大学が文部科学省の顔色をうかがう」ことによっていろんなコストが発生してます。もうこんな無駄なことをやるなら、やって欲しいことを全部下に降ろせ、で、書いてないことまで要求しないことを保証して無駄をなくせと言いたい。どのみち今の大学は、予算を握られている以上、文部科学省の言うなりにしかならないのははっきりしてるんだから、何もタテマエだけの自主性を持たせる必要なんか無いでしょうよ。


by apj at 2006-06-33 02:13:33
Re:間違った教養部解体

すずきひろのぶさん、
 追加です。先に意見を書いてしまいましたが、参考になるリンクを教えていただきまして、ありがとうございました。
 外側の意見と、学内でどう受け止められていたか、何が原因でずれまくったのか、これからじっくり調べてみたいと思います。


by pegui at 2006-06-18 03:24:18
Re:間違った教養部解体

以前からお茶大のサイトともども面白く拝見させていただいていますが、初めて書き込みをさせていただきます。

私の大学では教養部を解体し各学部への分属という形を取りました。私自身当時教養部の自然科学系に属していましたが、少なくとも理工系に関してはこのような形の教養部解体はまあ正解だったと思っています。理由は

1)教養部解体以前は、一つの大学の中に教養部**と理学部**(**=数学、物理、化学...)という2重構造ができていました。学部・教養部のそれぞれが十分なmassを持っている旧帝大ではともかく、それぞれの規模が小さい大学では研究パワーとしては明らかに一体にした方が向上するし効率的に運営できるようになったと思います。

2)旧教養の理工系科目は実質的に、理工系向けの基礎数学・基礎物理等と文系向けの教養科目に2分されていました。前者は明らかに専門教育の基礎なので、専門教育の一環としてやる方が自然だと思います。実際、教養部時代、学部の先生が教養部の自然系科目で何を教えてほしいのかはっきりしなくて困りました。また、学生も教養の先生の講義だからと言ってどうも軽んじる傾向があったように思います。(これは私の能力不足かもしれませんが)

3)一方、文系学生にとっての理系科目、理系学生にとっての文系科目はパンキョーとして大半の学生にとってはお荷物と化していました。このことがたぶん当時の教養部が存在意義を問われた一番深刻な問題だったと思います。私自身の学生時代を振り返ってみても、趣味的に面白いと思った科目はあったものの、自分の目指している専門分野とも関係がなく、趣味的にも興味が全くもてない科目まで決まった単位数を取らなくてはならないというのはかなりの苦痛でしたね。

もし教養部を残すとしたら3)の状況を抜本的に改善して真のLiberal Arts教育ができる主体として機能できるのなら残す意義があったのかもしれません。しかし、その様な教育を行うためにはLiberal Artsの担当者といえども研究面では第一線の研究者でなくては説得力がなく、1)の事と考え合わせると、少なくとも小さな大学では教員組織として学部と教養部を分ける事を続けるのは得策ではなかったと思っています。実際、山形大ではapjさんのような方が全学向けに「ニセ科学」の講義をされているわけで、このようなことはapjさんが学部に所属されているかぎり、教養部時代には不可能だったわけです。


by すずきひろのぶ at 2006-06-31 09:29:31
Re:間違った教養部解体

「自主性にまかせる」っていう部分は私立にとってはすごい魅力的な提案だと思いますよ。少子化のさなか私立は生き残りをかけて独自の戦略を立てれます。実際、私立は生き残り必死ですよ。日本の大学学生数の25%が国公立、75%が私立です。75%の部分を活性化させると考えれば、全体を考えた場合、理になかっていると思いますけどね。


by ふうみん at 2006-06-20 21:06:20
Re:間違った教養部解体

# ここは自己紹介必須でしょうか?

いいじまさんの情報を補足すると、
2006年4月から東大理科全科類で生命科学が
必修になりました。すでに始まっています。

教科書は羊土社から出版されました。一般の書店でも
購入できます。
http://www.yodosha.co.jp/book/4897061156.html

内容はいわゆる細胞生物学のようです。
(「Essential細胞生物学」のダイジェスト版のような感じ)


by apj at 2006-06-36 07:36:36
Re:間違った教養部解体

peguiさん、
>山形大ではapjさんのような方が全学向けに「ニセ科学」の講義をされているわけで、このようなことはapjさんが学部に所属されているかぎり、教養部時代には不可能だったわけです。

 なるほど言われてみればその通りですね。私が学部の頃は、教養の講義は教養の先生しかしてませんでした。たまに、オムニバス型式の講義で学部の先生が出てきたり、他大学の先生を呼んだりしていたが……。せっかくのチャンスを無駄にしないように、テレビに負けない内容をやらんといかんですね。
 あ、もちろん、学部生向けにはがっちり物理化学を教えてるし、院生向けにはフーリエ変換と分光などを教えています。