体罰事件に関する覚え書き
我々の社会では、原則として、暴力は法によってコントロールするものであり、法によらない暴力で他人を支配してはいけないことになっている。この価値観は社会の相当基本的な部分を作っているもので、これをやぶると刑法に抵触する。
価値観といってもいろいろあるし、可能な限り多様な価値観をお互い尊重しあうことが望ましいが、社会そのものを破壊してしまうような価値観を安易に尊重することはできない。もちろん今の社会のあり方は盤石のものではないだろうし、社会を支える価値観が変わっていくこともあるだろうけれど、それは時間をかけて合意の上で変わっていくものでなくてはならず、勝手にローカルルールで先に変えていいものではない。とにかく、今のところ、暴力で他人を支配してはいけない、という価値観は、多用な価値観の一つに過ぎないとして捨て去る余地などない。
公教育が社会に出る人を育てるものである以上、社会の基本的な価値観を教えるものでなければならない。公教育の場で体罰を肯定するということは、暴力で他人を支配しても良いという価値観を植え付けた人材を社会に出すということに他ならない。これは、公教育ではやってはいけないことである。
なぜなら、暴力で他人を支配しても良いという価値観をもった人間が社会に増えると、他人に被害を及ぼすからである。そういう人間が増えれば社会の秩序は崩壊する。そういう人間が教師になれば、また下の世代に体罰を行い、暴力で他人を支配して良いと考える人間を再生産することになる。
個別の事例を見れば、体罰が自分にとってプラスであったと感謝している人も居るかもしれない。が、その一方で、体罰で性格が歪んだとか怪我をしたとかやりたかったこともやめてしまたっという被害を受けた人もいる。このあたりは、健康法の体験談が人によってまちまちであてにならないというのと同じで、個人にとっての経験がたまたま良いものであったとしても、体罰が良いものであることを全く意味しない。体罰をされたことに感謝している人間が居たとしても、そのこととは関係なく、今の我々の社会は暴力で他人を支配することは許さないという価値観で動いていて、体罰(という名がつこうがつくまいがいかなる種類の暴力も)は教育の場での禁止事項であり、ルール違反なのだ。
自殺した生徒さんは気の毒だし、やらかした教師は個別に責任をとらなければならない。これとは別に、社会の側としては、桜宮高校に対し、暴力で他人を支配することを肯定する価値観を持った人間を養成し続けることを止めさせなければならない。
この学校の教員を入れ替えて、今後は体罰を厳禁します、とやれば、これから入学してくる生徒が暴力を肯定するという結果にはならないかもしれない。
しかし、今居る生徒については、多分それだけじゃ済まない。教員を入れ替えて体罰をしないバスケ部顧問がやってきたとして、試合に出て成績不振に終わったら(これだけ騒動になっているのだから生徒だって動揺しているだろうからこの結果はありうる話)、体罰があったときの方が良かったので体罰はやはり必要である、という考え方を強化して卒業していくことになりかねない。後の方を食い止めるために、これまでの活動との連続性を一旦完全に断ち切るというのは、一つの方法である。だから、部活動の停止とか部の解散が行われたとしても、それは連帯責任でも何でも無い。生徒個人の利害を越えたところで、社会にとって好ましくない価値観を身につけているのを矯正するために必要だというだけの話である。
報道やネットに流れる意見を見ていると錯綜しているのだけど、この学校の処理をめぐっての対立軸は、社会の秩序維持に反している場合であっても生徒の利益を無制限に認めるのか、それとも、生徒の利益を一部損なうことになっても社会の秩序維持を優先するのかというものではないか。
もう一つ、学校は閉鎖社会なので簡単にローカルルールに流れてしまうものだ、ということをもう少し認識した方が良さそうである。ちょっと前に、高校社会科の世界史未履修問題があった。学校という中だけで何かの利益を最大にしようとして社会から見てルール違反をやらかす、という構造が、今回の体罰問題と同じに見える。昔なら、学校と社会を切り離す方向で運営していたからさほど問題にならなかったのかもしれない。しかし、今は、学校でも社会と同じ権利主張を認める方向で社会との接続が行われているので、社会の側に対してルール違反をすれば、ローカルには「正しく」ても問題になるし、ペナルティもある。
体罰顧問は土下座した…涙して擁護するOBもいる桜宮バスケ部顧問の「素顔」
産経新聞 1月19日(土)15時42分配信大阪市立桜宮高校(大阪市都島区)で、男子バスケットボール部主将だった男子生徒(17)が顧問(47)から体罰を受けた翌日に自殺した問題は、橋下徹市長が「体罰ではなく暴力」と怒りをあらわにし、同校の教員総入れ替え人事を市教委に迫る事態に発展している。だが、「体罰は愛情の裏返し」「マスコミは真実ではないことを書く」と涙を流して顧問を擁護するOBもいる。長年、黙認されてきた顧問による体罰は、教え子たちにとって単なる「暴力」だったのか、それとも「愛情ある指導」だったのか-。
■「暴力教師」納得できない
「生徒が亡くなったので全面的に擁護はできない。でも、体罰の裏側には愛情があった。先生が暴力教師のように報道されていることに納得がいかない」
約10年前に顧問から指導を受けていた同校OBの男性は現在の職場で取材に応じ、無念さをにじませた。
顧問は体育系の大学を卒業後、平成6年4月に保健体育科教諭として採用され、同校のバスケ部顧問に就任した。平成15年以降、全国高校総体(インターハイ)に4度、同部を導き、新人大会中央大会(大阪府大会)でも20、21、23年度に優勝している。
こうした実績から優秀な指導者として全国的にも知られ、16歳以下の男子日本代表チームのアシスタントコーチを務めたほか、大阪高校体育連盟バスケットボール専門部の技術委員長としても活動していた。
同校を“常勝校”へと育て上げる中で、顧問は生徒にたびたび手をあげていたが、長年、部内や学校で問題になることはなかった。保護者の1人は「下級生は決してたたかず、上級生をたたいていた。気合をいれるためだと理解している」と話す。
OBの1人も「先生にたたかれたときは、練習に身が入っていないなど自分自身に問題があった。先生からはフォローもあり、うまくいったときには『おめでとう』『ようやった』と声をかけてくれた」と振り返る。
現役部員も顧問への尊敬の念を言葉にする。
「先生はバスケの指導がズバ抜けていたが、高校生としてどうあるべきかを教えてくれた。それは人としての気遣い。道を聞かれたら教えるだけじゃなく、一緒についていってあげるとかを教えてくれるような人だった」
■「しかられ役」作り引き締め
「試合前には選手のメンタル面にも気を配りたい。そこで重要になるのが、選手たちにかける言葉だと考えている」
顧問は平成18年、バスケの専門誌に自身の指導法についてこう述べている。顧問は「勝利へ心ひとつに」というキーワードを挙げ、仲間のミスを全員でフォローすることを意識した練習に取り組み、チームの結束力を高めていることを明かしている。
だが、専門誌では触れられていない指導法があった。OBによると、顧問は特定の生徒を「しかられ役」としてより一層厳しく接する手法で、チーム全体を引き締めていたという。
自殺した2年の男子生徒は昨年9月、立候補する形で主将に就任。学校関係者によると、顧問は生徒に対し「主将はいやがることも率先してやるべきだ」など、主将としての理想像を生徒に対し繰り返し伝え、「リーダー」に関連する参考書なども買い与えていたという。
体罰も生徒に集中していたとみられており、生徒が自殺数日前に顧問宛てに記した手紙はこのような趣旨の記載があった。
「ほかの人が同じようなこと(ミス)をしているのに自分だけがしかられる」「たたかれ、つらい」
12月24日夜に行われた生徒の通夜。唇が切れた生徒の遺体を前に、母親は顧問に「これは指導か、体罰か」と問いただした。顧問は消え入るような声で「体罰です」と数回繰り返した。
顧問は立っていられない状態で、校長らが抱きかかえて退出しようとしたが、顧問はそれを振り払って土下座した。校長らも一緒に土下座した。
■「体罰が人格ゆがめた」
市教委が生徒の自殺を公表した今月8日以降、メディアは市教委や学校関係者への取材に基づき、顧問の体罰を連日報道。市教委は同校バスケ部や、別の体罰が発覚したバレーボール部の無期限活動停止を決めた。
「マスコミは先生やバスケ部の真実を知らないまま報道していて許せない」。こうした事態にOBの1人は大泣きしながら訴える。OBの中には、顧問に対する処分軽減を求める嘆願書提出を検討する動きも出ている。
顧問に対して批判とともに広がる擁護の声。だが、教育評論家の尾木直樹氏は「体罰は法律違反。教育の場だけ認められるのはありえず、議論の余地がない」とした上で、「体罰をありがたがっている卒業生もいるようだが、それは、私は、人格をゆがめて卒業してしまっているのだと思う」と厳しい見方を示す。
今回の自殺を受け、「部活動からの体罰一掃」を宣言している橋下市長もこう切り捨てた。
「教員、生徒や保護者の意識の積み重ねでできた伝統が体罰を黙認して、生徒が命を落とした」
この記事を見る限り、暴力で他人をコントロールしていい、という価値観が蔓延しているとしか思えない。
「先生かばえない…」心の葛藤に苦しむバスケ部員 桜宮高2自殺
産経新聞 1月19日(土)20時14分配信
大阪市立桜宮高校(都島区)のバスケットボール部主将だった2年の男子生徒=当時(17)=が男性顧問(47)から体罰を受けた翌日に自殺した問題で、慕ってきた顧問を声高に擁護できない葛藤にチームメートが苦しんでいる。「自分を育ててくれた恩師だが、亡くなった仲間のことを思うと大っぴらにはかばえない…」。体罰問題の影響で同部は無期限活動停止にもなり、教え子らの心は揺れ続けている。産経新聞の取材に応じた男子部員は、高校バスケ界で卓越した技術指導として知られていた顧問の教えを請うため同部の門をたたいた。当時から顧問は指導中に手を上げることで知られており、実際、男子部員も合宿中の練習でミスを繰り返し、顧問から平手打ちをされたことがあるという。
それでも、男子部員は「先生が体罰をするときは練習に身が入っていないときなど自分でも自覚している場合がほとんどだったから」と意に介さない。合宿中に叱られた後も夕食時に顧問から「ちゃんとご飯を食べているか」などと声をかけられ、気持ちを持ち直したこともあった。
遠距離通学で弁当を持たせてもらっていない部員には、顧問が妻に弁当を作らせたり、厳しい合宿に耐えられずに抜け出した部員を未明まで探し、発見後は一緒にご飯を食べながら部員の話に耳を傾けるなど人情派の一面もあったという。
「技術だけではなく、人間的に成長させてくれた」。男子部員は今でも、顧問を慕う気持ちに変わりはない。だが、仲間が自殺したことを思うと複雑な思いにかられる。「先生の指導で仲間を追い詰めた部分があるのは事実」と言い、こう続けた。「今は先生をかばうこともできない」
顧問は現在、自宅謹慎となり、同部も無期限活動停止となっている。部員や保護者のほとんどは早期の活動再開を求めているが、橋下徹大阪市長は「早くバスケがしたいとか、顧問の指導を受けたいなどという言葉が出てくるのは異常な世界」と厳しく批判する。
部員の保護者の1人は「部員が命を絶った以上、全面的に先生を擁護することはできない」としながらも、「批判はもっともだが、責めを受けるべきは現役の部員なのだろうか…」と胸の内を吐露した。
問題は、「先生が体罰をするときは練習に身が入っていないときなど自分でも自覚している場合がほとんどだったから」と意に介してないという感覚そのもの。暴力肯定の再生産に入りつつある。改めなくちゃいけないのは、その考え方(受け止め方)なんだよねぇ。そこに思い至らないとしたら、カルト化しているとみなすしかない。
カルト化、というのは、ある程度閉鎖的な集団において反社会的な価値観を持つことが正しいとされる状態、という意味で書いている。暴力を受けたことを肯定するといったものも含まれる。
学校の内部では一部の部活動関係者以外は体罰を与えることについては非難囂々だ、といったことが報道からは出てこないので、カルト化の範囲は部活動にとどまらないのではないか、もっと広く学校全体に至っているのではないかと思えてくる。
体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ
【岡雄一郎】体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。
私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。
早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。
体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。
ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。
私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。
指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。
今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。
「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。でも今、適度な水分補給は常識です。スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。
体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。
「極限状態に追い詰めて成長させるために」と体罰を正当化する人がいるかもしれませんが、殴ってうまくなるなら誰もがプロ選手になれます。私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました。「愛情の表れなら殴ってもよい」と言う人もいますが、私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません。伝わるかどうか分からない暴力より、指導者が教養を積んで伝えた方が確実です。
日本のスポーツ指導者は、指導に情熱を傾けすぎた結果、体罰に及ぶ場合が多いように感じます。私も小学生から勝負の世界を経験してきましたし、今も中学生に野球を教えていますから、勝利にこだわる気持ちは分かります。しかし、アマチュアスポーツにおいて、「服従」で師弟が結びつく時代は終わりました。今回の残念な問題が、日本のスポーツ界が変わる契機になってほしいと思います。
◇
大阪府出身。PL学園高校時代に甲子園で計20勝を記録。プロ野球・巨人では通算173勝。米大リーグに移り、2008年に現役を引退した。09年4月から1年間、早稲田大大学院スポーツ科学研究科で学ぶ。現在はスポーツ報知評論家。今月、東京大野球部の特別コーチにも就任。著書に「野球を学問する」(共著)など。
個別の体罰についての個々人の受け止め方ではなく、「「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました」が最大の問題。体罰という名の暴力が肯定される環境に居ると、その暴力を肯定するという思想に高い割合で染まるという可能性を示した結果。暴力で他人に言うことをきかせて良いという考え方の人間を養成して社会に出すなどもってのほかなので、スポーツにおいて暴力を伴う指導が行われることの危険性はもっと広く認識されるべき。
「新人戦出ていいですか」桜宮校長が遺族へ
大阪市立桜宮高バスケットボール部主将の男子生徒(当時17)が、顧問の体罰を受けた後に自殺した問題で、橋下徹大阪市長(43)は18日、生徒が死亡した4日後の先月27日、同校の佐藤芳弘校長が遺族を弔問した際、「新人戦に出てもいいか」と大会出場の是非を聞いていたことを明らかにした。市議会委員会の協議会で答弁した。
橋下市長は「校長は桜宮高の伝統のプレッシャーに負けてしまい、クラブ活動で勝つことで頭がいっぱいになっている」と主張。結果的にバスケット部は今月の大阪府内の新人大会への出場を辞退した。
さらに「受験生が混乱する」など自身の体育系学科の入試中止方針への反対意見について、橋下市長は「事なかれ主義の最たるもの」と批判。「世間の無責任な意見に耳を貸す必要はない。教育方針が決まっていない中で生徒を受け入れることは絶対にあってはならない」と強調した。
入試中止方針を受け、大阪弁護士会所属の弁護士17人が18日、「教育に無理解」と市長を批判し、入試実施を求める声明文を発表した。声明文は「橋下市長は教師と生徒が教育をつくるという根本問題への完全な無知、無理解を露呈している」と批判。橋下市長は「弁護士らしい、視野の狭い意見。問題の本質を理解していない」と反論した。
橋下市長が入試中止を求めているのは、桜宮高体育科(定員80人)とスポーツ健康科学科(同40人)で、願書の提出日が2月13、14日に迫っている。市教委は入試中止の是非を判断する会議を21日午後4時から開くが、中止となれば両科を目指している受験生は急な志望変更を余儀なくされる。
[2013年1月19日8時2分 紙面から]
やっぱりこの校長の判断はヘンだ。学校公認の活動において暴力による指導が行われそれを受け入れ続ける状態になっていたことが問題なので、部員の一人が不祥事を起こしたといった場合とは話が違う。