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主戦場はマスコミではなく、裁判自体を正面から扱えるネットだ

Posted on 11月 16th, 2005 in 倉庫 by apj

 中西雑感324-2005.11.15を読んで。環境ホルモン濫訴事件についてだが、本件訴訟が起こされたとき「主戦場は法廷外と想定しただろう」と中西氏は書いている。訴訟を展開する上で明らかに足を引っ張るようなプレスリリースを出していること、もともと事実が無いのに提訴したことから、「そもそも法廷で争うような名誉毀損該当事実が存在しない時に、どうすれば相手に打撃を与えることができるか考えて“提訴”を利用する方法を考えた」と述べている。つまり、裁判で結果が出る前にマスコミが環境ホルモン問題を終わったと決めつける悪い奴、というレッテルを中西氏に貼り付けてくれればそれで良かったということだ。それだけでも中西氏の信用は落とせることになる。

 中西氏の主張には一理あると思う。ただし、これはちょっと前までの話だ。ネットが普及したため状況は既に一変している。

 私は、中西氏を応援することを決めたとき、主戦場はネットだと考えた。訴訟を正面から取り扱いながらネットワーカーに共感してもらえるような方向で動くべきだという見通しを持っていたし、これは今も変わらない。つまり、彼らが主戦場と想定したもの以外の場所が事実上の舞台になると思っていた。
 ネット上の言論の自由をどうやって確保していくか、他の権利とどう折り合いを付けるのかということは、ネットを利用するすべての人に関わる問題だからである。権利のぶつかりあいは最終的に司法で決めるしかないし、判決は社会に影響を及ぼす。

 マスコミは巨大だから、どうしても、一般受けして数が売れる、商業ベースに乗る情報しか提供できない。メディアがマスコミしか無かった時代には、マスコミを動かせばそれで足りたのだろう。しかし、ネットは違う。マスコミとは比べものにならないほど安価に、個人が、ニッチな情報を提供でき、一旦公開した情報はどこかに残り続ける。
 訴状、原告被告双方の答弁書、証拠書類といったものが、従来のメディアに載るのは、例えば、法科大学院のテキストとして出版されるといった場合がある。これ以外では、医療過誤訴訟といった、ある分野を深く知るための法律専門書に、これをやっているものがある。いずれも、専門家向けの本だから、値段も高いし数も出ないし、一般の人がそうそう手に取るものでもない。従来のメディアしかなければ、プレスリリースで、訴訟に対する印象操作をすることが割と簡単にできただろう。
 ネットがあると、プレスリリースも含めて、書証をすべて公開し、誰でも検討できる状態にして、後まで残すことができる。仮に間違った印象操作がなされても、最後に説得力を持つのはソース、つまり1次資料の内容である。ソースに説得力がなかったら、小手先の印象操作をしても、必ず最後には覆る。
 安全圏からの訴訟など、ネットが普及した後はあり得ない。誰が何を主張したか、正確な記録を残せば、後からそれを評価する人は何人でも現れる。

 早々とプレスリリースを出した割には、その後の情報のコントロールがまるでできておらず、戦略性も感じられない原告側の動きを見ていると、どうも、時代の流れに取り残されているのではないかという気がしてきた。多分、原告の考え方や運動のやり方は、1970年代なら通用したのだろう。だけど、今となっては、多分古すぎる。
 こんなずれが生じているのは、マスコミと市民団体がタッグを組んで動くという文化と、個人がフラットにコミュニケーションするという文化の、文化摩擦が背景にあるためではないかと思う。