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別の観点から考えると

Posted on 11月 13th, 2005 in 倉庫 by apj

 水結晶と道徳の話。これもミクに書いたネタだが。
 科学としては、水蒸気から結晶になるときの形は、気温と湿度で決まるということで決着が付いている。問題は、これで道徳を教えた場合、まかり間違うととんでもない方向に行くんじゃないかということ。
 今提示されているロジックは、水に「ありがとう」→きれいな結晶、「ばかやろう」→きたない結晶、という写真をつくって、だから「ありがとう」と(人に)言いましょう、ということになっている。これについては、善=美という判断のしかたをを道徳に持ち込むのは致命的だという話を既に書いたが、それだけでは済まないかもしれない。
 江本氏の結晶の作り方は、成長時の温度と湿度を完全にコントロールできない(シャーレの中の氷の表面の小さな領域の条件に左右される)から、どんな水からどんな結晶でもできる。結果は偶然に左右される。江本氏本人が書いているように、数十個凍らせて順番に観察して、見えた結晶のうちその水に一番合いそうなものを選んでいるので、科学ではない。
 ものの善悪の判断を水結晶に任せるということにした場合、「**を殺してやる」と書いた紙を水に見せて、キレイな結晶ができちゃったら、お水様公認殺人OKという結論になりかねない。結晶の形自体が偶然の産物だから、水の素性を言わずに江本氏に結晶写真の撮影を頼んだとすると、きれいな写真ができてくる可能性は十分にある。
 「殺人を行ったのは水の結晶がきれいだったからだ」というのと「太陽がまぶしかったから人を殺した」の間には、さほどの隔たりがないように思える。殺人の動機としては面白いが、こんなのは不条理文学の世界だけにしておいた方が良い。していいことと悪いことの区別は、水なんかに頼らず教育すべきだろう。