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「水からの伝言」江本氏の主張(2005/12/28)

 AERA2005.12.5日号に、「水からの伝言」の江本氏のインタビュー記事が出た。議論のために全文引用する。

 水からの伝言はポエムだと思う。科学だとは思っていない。僕は科学者ではない。単なるロマン的なこと、ファンタジー。宗教と紙一重なので、誤解いただくこともあるが、宗教家ではない。少年のまま大きくなった普通の人間。ただ、科学でわかっていることはほんの数%、95%はわからない。今後、周りの研究者によって科学的に証明されていくと思う。
 結晶の撮影は本来は温度や湿度のコントロールができた部屋でやるべきでしょうが、中小企業なので限界がある。ネガフィルムなので、改竄はない。ご要望があれば公開したいが、科学者からは無視され、インチキと言われている。撮影者には、こういうことをした水だという情報を与えている。水は心の鏡だという。撮影者の意識が働いてきれいなものになるということはある。それは別に非科学的ではないと思う。量子力学の世界ではそうなっているようだ。内容を知らせていなくても、良い言葉では良い結晶が多い、そのへんは謎だ。
 思いついたきっかけは、水を使って健康相談に応じていたら、すごいことが次から次に起きたからだ。水が情報を運びうるんだ、その情報は微細な振動だと自分なりに推理した。それが波動だった。とても大事なことなのに誰も信じてくれない。あるいは理解できない。それで、僕のような素人がたまたま手をつけた。
 波動の理論は、僕の中での常識。著書に書いた「108の元素が108の煩悩に対応している」ことも常識だ。常識を発表していけないことはない。
 1999年に琵琶湖に350人が集まって祈る運動では成果を収めた。それ以来、琵琶湖はきれいになった。
 祈りでハリケーンを消すことができるか?出来ると思うが、人数がいっぱい必用でそう簡単に出来ない。そのためにも世界を講演して歩いています。

 江本氏の良い点は、ともかく「正直」であることだと思う。まあ「正直」であることと、主張の内容が正しいかどうかは無関係だが。

 まず、水からの伝言がポエムという点については私も江本氏と同意見である。ただし、著者本人が「ポエムだと思う」っていうのは、そもそも自分で何を書いたかわかってないってことなのか?

 「今後、周りの研究者によって科学的に解明されていくと思う」と言われてもだな、江本氏のポエムが科学の研究対象になることはないと思うぞ。つか、江本氏のでなくたって、普通は科学はポエムを研究材料になんかしないものだが。

 「科学者からは無視され、インチキと言われている」というのは曖昧なので訂正を入れておく。私の知る限り、江本氏が写真を改竄してるとか、写真撮影そのものがインチキだという主張は見たことがない。「水の結晶が言葉によって変わる」という主張については、そりゃおかしいだろうというツッコミが入っている。

 気相からの氷の結晶成長については、中谷宇吉郎博士の仕事(結晶の形が飽和水蒸気圧と温度による)があるということを既に書いた。科学の理論というのは一般に自然現象を近似して記述するものである。ナカヤ・ダイヤグラムは、実験設備と条件さえ整えれば、誰にでも追試できるし、これまでにも確認されてきている。一方で、江本氏の主張はそもそもポエムだと自称しているし、江本氏の著書の中にも、いろんな結晶ができたうちで水に合ったものを選んでいると書いてある。つまり、「結晶の形が飽和水蒸気圧と温度による」という記述に比べて、江本氏の主張は著しく結晶の形の予測の精度が悪いということになる。自然科学では、著しく制度の悪い理論や法則は単に捨てられる。この意味で、江本氏の説を、氷の結晶の研究者がとりあげることはないだろう。
 なお、まともで科学的な氷の結晶成長に関する新説を誰かが出したとしても、ナカヤ・ダイヤグラムの予測の精度越えられなければナカヤ・ダイヤグラムにとってかわることはない。

 撮影者の意識が働いて結晶が変わるということを、江本氏は「非科学的ではない」と主張しているが、これは非科学云々の話ではなく、そもそも科学の対象外である。観測者の主観に依存せずに試験ができるもの、およびその延長上にあるものが科学的研究の対象である。だから、主観が入る場合(官能試験など)は十分な数の被験者を集めて二重盲検をするし、追試ができない場合(宇宙論など)は、現在までにわかっていることがらの延長線上にあるものとして、矛盾しない理論を作るという方向で研究を進めている。

 「水が情報を運び得てその情報が微細な振動」というのは、ポエムとしては誤解されるものではないか。江本氏は正直なのだが、ポエムと科学の区別がついていないように見える。ポエムならポエムとして閉じた方がよい。発表したポエムが科学と誤認されるようでは、ポエムの表現として失敗ではないのか。

 なお、108の元素が108の煩悩に対応、というのは明白に誤りである。元素周期表は108以上あるし、天然に存在する元素は108より少ない。

 江本氏の主張が、江本氏のポエムとして完結しているのであれば、何も問題はない。ただし、表現の仕方が「科学である」という誤認を招きやすいものになっているので、その点だけは今後も強調しておく必用がある。また「水からの伝言」の内容に基づいて、水結晶写真を撮影して自社製品の宣伝に使っている企業をときどき見かけるが、そのような宣伝は、「科学的根拠のある宣伝」ではなく「江本氏のポエムに基づく宣伝」であると判断することになる。

 学校教育の現場に「水からの伝言」を持ち込んだことについては、江本氏の責任ではなく、「江本氏のポエム」と「道徳」と「科学」の区別もつけられないような、見識を欠いた教員の責任であろう。そういう人物が生徒を教育しているということの方が、実は深刻な問題である。