腑に落ちた……けど

 例の細胞の件について、日々の研究より。

某細胞の件。日曜日には、意図的な捏造の可能性が高くなって呆然とした。しかし、そうする理由が全く理解できなかった。今日の学位論文のイントロには驚いたが、落ち着いてくると何となく分かってきた。要するに、O氏の周りには研究環境がなかったのだ。結果を出さないといけないプレッシャー云々とか、そういうのに駆動された捏造ならもっとうまくやるだろう。おそらく、そうでなくて、O氏にとっての「研究」とは、最初の最初から、切り貼りするようなものだったと想像する。夢の世界の住人のような感じだろうか。

 本人がどういうつもりだったかはわからないから、あくまでも推測に過ぎないのだけれど、一番しっくりくる説明。
 コピペやら図の改変やらを全く隠そうとしていない上に、堂々とマスコミの取材を受けているあたり、本人は悪いことをしているとは全く思ってないだろう、ということを昨日つぶやいた。計画的に結果を誤魔化すつもりなら、写真は通常視野を変えて撮影するはずだから、見た目の違う写真をそれぞれ使うことにして、単純な使い回しはしないだろう。違う写真が使われていれば、これほど早く使い回しや別実験の写真だという疑いが出てくることもなかっただろう。最初から、研究とはどういうものかを全く理解していなくて、切り貼りするものだ(お作法として多少の見た目は変えるが)と思っていたとしたら、杜撰すぎるコピペや図の使い回しも納得できる。もしこの推測が正しければ、今、ネットで検証サイトができているけれど、なぜそんなことをいちいち確認するのか本人にとっては今もって理解不能かもしれない。
 最初、マスコミの取材を受けて、誰だったかが「非常に熱心に何でもいろんな人に質問する」っていう内容を話してたのだけど、最初から「研究」とは切り貼りで組み立てるものだと理解していたのではなかろうかという推測とぴったり嵌まる。

 切り貼りで課題をこなす人は、普通なら卒研で、遅くても修士で指導教員にばれていろいろ教育されるはずなのだけど、それがなぜ博士論文でもチェックされず理研の採用も通ったのかが謎。ちょっと恐いのは、博士課程の指導者グループの教育が軒並み切り貼りを容認するもので、他にも同様の方法で「研究」する人が養成されているのではないか、そういう人達が若い人を指導し始めているのではないかということ。佐々さんの言う通りに、審査した側が何をしていたかとか、同じ審査委員や研究グループで学位を取った他の人の博士論文がどうかについて、第三者機関の調査が必要な状況だろう。