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金と謝罪はよく考えてから受け取ろう

Posted on 11月 24th, 2008 in 倉庫 by apj

 「finalvent氏の不誠実さについて」で、議論の最後の方でfinalvent氏が謝罪したり敗北宣言したりしたことについて、私は「(1)完敗宣言も謝罪も却下し、受け取らない。
 議論はそもそも勝ち負けではないし、何についての勝ち負けだかはっきりしないものについての完敗宣言など意味不明である。」と書いた。これについて補足しておく。

 もし、私が、finalvent氏の謝罪やら敗北宣言やらをそのまま受け入れたとしたら、同時に「議論の趣旨を見ても内容は一向に定かではないが(←ここ重要)、finalvent氏は私に対して何か謝罪しなければならないことをした」「finalvent氏と私の議論は勝ち負けをはっきりさせるために行われた、若しくはそういう種類のものであった」ことを認めることになってしまう。私は、そんなことは全く考えていないので、私自身が考えてもいないことを認めないために、finalvent氏の完敗宣言や謝罪については、明白な形で却下の意思表示をしておく必要がある。

 別にこれは、ニセ科学の議論に限った話でもないし、finalvent氏に限った話でもない。

 ついこの間も、職場の某トラブルで、私が謝罪を受け入れては、という案が出てきたので、即座に突っ込んだ。
 「謝罪しても、バカが賢くなるわけではないし、無知なのが知識を得るわけでもないから、謝罪など無意味なので不要。トラブルの原因は当事者の無知に起因すると私は認識しているので、謝罪の代わりに○○という本を読んでレポートを出す、といったあたりが適切と考える」
 曖昧な謝罪で丸く収めようとした上司は渋い顔をしたが、知ったことではない:-P。
 謝罪で済ませて感情的なしこりを残さないようにしたとしても、問題が改善されずいつまた同じパターンで発生するかもしれないという不安の方はしっかり残る。後の方がより問題である。

 うかつに謝罪を受け入れると、本来の問題がごまかされたり、本質的な解決が行われないままになったり、もともと無かった設定を受け入れることになったりという副作用がある。このあたりは、うかつに金を受け取ると、別の意味が発生することがあって後々面倒なことになるのと似ている。
 まあ、金の方は罰則を伴うことがあるのでそれなりに慎重な人が多いかもしれないが、謝罪の方は経済的物理的実体が無いからチェックが甘くなりがちではないか。

 金と謝罪は安易に受け取るな、理由と発生する効果をよくよく検討してからにすべし、というのが私のモットーである。

サイエンスアゴラ

Posted on 11月 24th, 2008 in 倉庫 by apj

 サイエンスアゴラに行くため日帰りで上京。
 日本学術会議 科学と社会委員会 科学力増進分科会主催の「擬似科学とメディア」を見に行った。
 毛利衛・日本科学未来館館長に紹介されて、事前打ち合わせのときに顔合わせ&挨拶。今回は知り合いの先生の紹介で、一度毛利館長に連絡するようにと言われ、連絡をとったら急にこのイベントを知らされたので、何がなんだかよくわからなかったが、とにかく簡単に挨拶だけさせていただいた。
 その後、科学未来館を見学したり土産物を買ったりしてから夕方のシンポジウムへ。
 登壇者は池内了(総合研究大学院教授)、佐倉統(東京大学教授)、毛利衛(日本科学未来館館長)、長谷川壽一(東京大学教授)、司会は鈴木晶子(京都大学大学院教授)。

 質疑応答は活発だったが、JSTの人から出た最後の質問がちょっと引っ掛かったでコメント。個別の擬似科学への批判(シンポジウムではもぐら叩き、と表現された)をするのに、一体いくら予算を付けたら学術会議は動いてくれるのか、という内容の質問で、毛利館長が「科学の知識を普及させる方に力を注ぐべきで、個別の対応はする必要はない」といった意味のことを答えていた。
 私は別の理由で、個別対応をする時には、学術会議あたりはよほど慎重に動いてもらわないと弊害の方が大きいだろうと考えている。つまり、今でも、科学は権威だと思って無意味に反発する人がいるわけで、科学政策サイドが率先してもぐら叩きにまわったら、さらに権威の押しつけという誤解が広がりやすい状況になって、不必要な反発を助長するという弊害が出てくるということである。

 擬似科学に対する批判は、擬似科学を蔓延させたら、巡り巡ってどういう被害をうけることになるかを認識してもらうということを併せてやらないとうまくいかない。「今、血液型性格診断を受け入れたら、将来、謂われもなく自分や自分の子供が、血液型が合わないという理由で希望の職種に就けなかったり仕事の種類を制限されたり昇進で差別されたりするかもしれませんよ」といった話なわけで……。