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ゆず茶の作り方

Posted on 10月 31st, 2008 in 倉庫 by apj

 ゆず茶の作り方が出ていたのでメモ代わりにリンクしておく。

予告の予告

Posted on 10月 30th, 2008 in 倉庫 by apj

 殺すだの爆破するだのといったネット予告で逮捕者が後を絶たない上、起訴されて有罪になっているのを見て、ふと。
 例えば、
「これから2ちゃんねるで殺人予告をします」
と予告したらどう扱われるのか?犯罪の予告は犯罪とされているから、この予告をするだけでも犯罪の予告、つまり業務妨害予告(?)になるのかどうか。
 もし、これが犯罪を予告したことになるなら、犯罪の予告の予告の予告……(以下無限ループ)はどうなるのだろう。

小学校学習指導要領解説 理科編

Posted on 10月 29th, 2008 in 倉庫 by apj

 大学生協にて、平成20年8月発行の、小学校学習指導要領解説理科編を購入。
 今回の指導要領で大きく変わったところは、「生物とその環境」「物質とエネルギー」「地球と宇宙」の3分野であったものを、「物質・エネルギー」「生命・地球」の2分野にまとめたところである。
 10ページには、「○ 科学的な見方や考え方を養うこと」があり、内容は次の通りである。

ここでは「科学」というものの考え方と「見方や考え方を養う」ことの二つの部分に分けて考えることにする。
 科学とは、人間が長い時間をかけて構築してきたものであり、一つの文化として考えることができる。科学は、その扱う対象や方法論などの違いにより、専門的に分化して存在し、それぞれ体系として緻密で一貫した構造をもっている。また、最近では専門的な科学の分野が融合して、新たな科学の分野が生まれたりしている。
 科学が、それ以外の分化と区別される基本的な条件としては、実証性、再現性、客観性などが考えられる。「科学的」ということは、これらの条件を見当する手続きを重視するという側面からとらえることができる。
 実証性とは、考えられた仮説が観察、実験などによって検討することができるという条件である。再現性とは、仮説を観察、実験などを通して実証するとき、時間や場所を変えて複数回行っても同一の実験条件下では同一の結果が得られるという条件である。客観性とは、実証性や再現性という条件を満足することにより、多くの人々によって承認され、公認されるという条件である。
 見方や考え方とは、問題解決の活動によって児童が身に付ける方法や手続きと、その方法や手続きによって得られた結果及び概念を包含する。すなわち、これまで述べてきた問題解決の能力や自然を愛する心情、自然の事物・事象についての理解を基にして、見方や考え方が構築される。見方や考え方には、短い時間で修得されるものや長い時間をかけて形成されるものなど、様々なものがある。
 見方や考え方は「A物質・エネルギー」「B生命・地球」のそれぞれの内容区分によっても異なっている。いずれにしても、理科の学習は、児童の既にもっている自然についての素朴な見方や考え方を、観察、実験などの問題解決の活動を通して、少しずつ科学的なものに変容させてゆく営みであると考えることができる。

 平成11年刊行の学習指導要領解説にくらべて、科学観の提示の仕方が妥当なものになっている。細かい言い回しや表現の仕方に異論がある人は居るだろうが、全体を読む限り、この科学観に大きな異を唱える科学者はいないのではないだろうか(科学哲学方面からはいろいろうるさく言われるかもしれないが、小学校中学年から高学年が対象ということを考えるなら、あんまり細かい科学論に突っ込んでも仕方がないし……)。
 平成11年5月刊行の指導要領解説にも同じ項目があったが、そちらでは、

まず、「科学的な」のうち「科学」について考えてみよう。現在、科学の理論や法則についての考え方が次に述べるように変化してきているといわれている。それは、科学の理論や法則は科学者という人間と無関係に成立する、絶対的・普遍的なものであるという考え方から、科学の理論や法則は科学者という人間が創造したものであるという考え方に転換してきているということである。この考え方によれば、科学はその時代に生きた科学者という人間が公認し共有したものであるということになる。科学者という人間が公認し教諭する基本的な条件が、実証性や再現性、客観性などである。

 これは、以前にもblogで言及し批判していた部分である。同様の記述が、少し前の方にも出ていた。しかし、平成20年版では、(科学者という)人間が創造した科学、という記述は全く無くなっている。あちこちで科学者が批判していたが、それが届いたのだろうか。
 また、平成20年版では「実感を伴った理解」ということが強調されている。理科の授業で学んだことを、実際の生活の場で出会う現象と結びつけて理解しようというのが主旨である。科学的な見方や考え方を養うのは理科の授業の間だけの話ではなくて、普段の生活でも科学的な見方や考え方を持っていこうということである。このあたりは、ぜひ徹底させていただきたいところである。何せ、大学の共通教育で「理科の知識は試験が終わったら忘れてもいいってもんじゃない、生きていくのに必要だ」と学生に向かって講義しているので……。
 念のため、生活編の解説の最初の方も読んでみた。目標が「地域のよさに気付き」「自然のすばらしさに気付き」「自分のよさや可能性に気付き」と3つ並んでいる。自然を礼賛する方向に突き進むのではないかとちょっと不安になった。しかし、「自然のすばらしさ」の中身として想定されているのは「自然の美しさや巧みさ、不思議さや面白さ」である。小学校低学年が対象であるから、そもそも児童が興味や関心を持たなければ話が始まらないので、とっかかりとしては必要なことだろう。

インチキは繰り返す

Posted on 10月 28th, 2008 in 倉庫 by apj

 松永和紀blogの、「朝バナナダイエットと白インゲン豆ダイエットの関係は?」より。
 ついこの間、バナナダイエットが大流行した。これについて、脱力もののオチが。

初出のおもいッきりイイ!!テレビには、専門家として大学理事が出てきて、バナナはこんなにいい、と解説している。「起床時は、体内の酵素が少なくなっており、それを補う必要がある」だそうだ。さてこの理事、以前になにをしたか?

 なんと、白インゲン豆ダイエットの推奨者だった。TBSが2006年、情報番組「ぴーかんバディ!」で、白インゲン前を約3分間煎って粉末にし、ご飯にかけて食べるとダイエットできると放送し、健康被害者が出たことを覚えている人も多いだろう。「白インゲン豆にはデンプンを分解する酵素を阻害する物質、ファセオラミンが含まれており、これを摂取するとデンプンの消化吸収が阻害される」という触れ込みだったが、加熱不足の生豆を食べて激しい嘔吐や下痢に見舞われた人が何十人も出た。この番組に出ていた理事が、朝バナナダイエットで復活している。

 白インゲンダイエットの件は、今でも教訓として、共通教育の科学リテラシーのネタに入れたりしている。このネタも追加しておかなければ。

買い物2つ

Posted on 10月 27th, 2008 in 倉庫 by apj

 以前から購入しようとしていたNumerical Recipesをやっと本日入手。
 amazon.comで購入→一部白紙ページのものが納品される→返品して交換を要求→汚れたものがamazonではない別の会社から納品される→返品して返金を要求→amazon.comで新規購入をしようとしたら、amazon.com本体では扱ってない(本だけとか、CD-ROMだけならある)→マーケットプレイスで新品を売ってる本屋さんに注文→無事CD-ROM付きゲット。

 ところでネット通販で、「ヤッターマン ポチッとなボタン」を買ったのだが……「ポチッとな」だけじゃなくていろんな台詞を喋ってくれそうで、ちょっと困った。
 そもそも買った目的が

 研究発表の練習の予鈴と本鈴に使う

だから「ポチッとな」だけ連呼で十分だったんだけど。買ったのはもちろん自費なんで、もくろみを外したって自分が遊べばいいだけなんだが。ボヤッキーバージョンが「ポチッとな」「アラホラサッサー」「全国の女子高生のみなさーん」「いくわよーん」「もういや、こんな生活」だから、これがランダムに出たら、練習していて脱力するがな……。隣の研究室が「へぇ」ボタンでやってるからこっちも、と変な色気を出した(?)のが失敗のもとだったのかもしれない。
(ドクロベエバージョンが「ポチッとな」「ひかえるだべぇ」「アカポンタン」「おしおきだべぇ」「ドクロ雲音」だから、できの悪い発表にしか使えなさそうだし。ドロンジョバージョンだと「ポチッとな」「しゅっぱーつ」「スカポンタン」「調子にのるんじゃないよ!」「メカ爆発音」だから、まあ威勢がいいっちゃーいいんだけど。)
 食玩の「ポチッとなボタンミニ」だと、「ポチッとな!」「アラホラサッサー!」の2つだけ出してくれるものがあるので、こっちを大人買いして狙うか?

水素水について

Posted on 10月 26th, 2008 in 倉庫 by apj

 水素水について、向こうの掲示板で話題になったので、現状についてまとめておく。

 現在までにわかっていることは、学術論文リストによると
・水素ガスを吸引させた場合の、虚血再還流時の治療効果等が、マウスやラットで確認された。
・水素水(水素を飽和させた水)をマウスやラットに飲ませた時の、虚血再還流時のストレスに対する効果、ストレスによる学習・記憶能力に対する効果が確認された。
・ヒトに対しては、2型糖尿病患者に対する耐糖能障害が抑制される効果が確認された。
というものである。

 これらの情報をどう読むかということと、まだ一般家庭向け健康関連商品として販売してはいけないということについて、注意を喚起しておく。

 まず、論文情報の読み方だが、「健康情報を評価するフローチャート」(「食べ物とがん予防」坪野吉孝著、文春新書 他、坪野氏の著作やウェブサイトより)を用いるのが基本である。

【健康情報の信頼性を評価するためのフローチャート】
ステップ1 具体的な研究にもとづいているか
はい  いいえ → それ以上考慮しない(終わり)

ステップ2 研究対象はヒトか
ヒト  動物実験や培養細胞 → 「有害作用」についての研究は、それなりの注意を払う。
                「利益」についての研究は、人間にあてはまるとは限らない
↓                ので、話半分に聞いておく(終わり)
ステップ3 学会発表か、論文報告か
論文報告↓    学会発表 → 科学的評価の対象として不十分なので、
↓               話半分に聞いておく(終わり)
ステップ4 研究デザインは「無作為割付臨床試験」や「前向きコホート研究」か
はい      いいえ → 重視しない(終わり)

ステップ5 複数の研究で支持されているか
はい    いいえ → 判断を留保して、他の研究を待つ(終わり)

結果をとりあえず受けいれる。ただし、将来結果がくつがえる可能性を頭に入れておく。

 ラットやマウスに対する動物実験の論文があるということだから、フローチャートのステップ2までをクリアしている。しかし、ヒトに対する結果ではなく、利益についての研究であるので、「人間にあてはまるとは限らないから話半分にきいておく」べきものである。
 次に、ヒトの糖尿病に対する結果は、ステップ3をクリアしている(【追記】Nutrition Research 28(2008)137-143が無作為割り付け臨床試験で患者数36。8週間後の結果をプラセボと比較。)。研究デザインについては、論文を読んでみないとわからないが、要約には臨床試験である旨の記載がないので、ステップ4には至っていないと思われる。
【追記】
太田教授より次の指摘をいただいた。ステップ4であるとのこと。

(太田)We performed a randomized, double-blind, placebo-controlled, crossover study in 30 patients with T2DM controlled by diet and exercise therapy and 6 patients with impaired glucose tolerance(IGT)とAbstractに記載されているので、どうみても臨床試験の結果を記載した論文です。天羽さんがフローチャートで強調されている無作為割付臨床試験です(実際には、別のグループによる未発表の無作為割付臨床試験の結果もあります)。

 ヒトに対して確認されているのは、糖尿病の治療法と併用できるかもしれないという効果であるが、薬剤として使えるようになるまでの試験は全くクリアされていない。治験も始まっていない以上、現段階で、2型糖尿病患者に対して何らかの効果を謳って使うのは違法である。治験ではなく、既に確立された治療法となっているかのように装い、そのイメージで健康食品として売ったりするのは違法である。
 虚血再還流時の効果があることが、ヒトでも確認できるのであれば、治療法として使える可能性がある。しかし、健康グッズになるかどうかは全くの別問題である。普通に考えれば、病気になる前から病気の治療法を実行するというのは、無駄な上に副作用の危険があるので、益は全くない。

 次に、水素のヒトへの使用は、食品添加物としてであれば認められている。ただし「製造用剤」として認められているだけであり、医薬効果や健康増進効果については何ら記載がない。つまり、食品の品質の改善などの食品加工に対する効果を狙って、食品製造業者に売るのであれば問題はないが、健康増進効果等を謳って一般消費者に売るのは明らかに見当違いの商売であり、食品添加物としての認可の趣旨を逸脱しているものである。

 治療効果を探し出そうという研究が進んでいるので、これについては見守るべきである。しかし、今の段階で、一般消費者に対して、健康関係の効果をイメージであっても謳いながら水素水を売ろうとする人達に対しては、「ニセ科学(科学の範囲を逸脱)を用いた商売」という批判をしてもかまわないのではないかと思う。

【追記】この部分にも太田さんからの反論がありました。

(太田)ニセ科学の問題ではなく、法律の問題でしょう。「水素水を売ろうとする人達に対しては」と限定つきですが、「ニセ科学」というよりも、「薬事法違反でしょう」とか別の言い方をすべきでしょう。関係ない人が何か問題があることを言ったからと言って、正統的な科学に対して「ニセ科学」はひどすぎると思います。私たちの研究に対し「ニセ科学」と誹謗することは、許せる限度を遥かにこえています。そうは思いませんか?謝罪は求めませんが、訂正を求めます。正統的な科学を悪用した人がひとりでもいたら、それで「ニセ科学」なのですか?

(天羽の回答)正当な科学で確認された範囲を逸脱して科学を装った宣伝がなされた場合、逸脱部分についてはニセ科学と呼ぶ、というのが私の立場である。だから「水素水がニセ科学」という主張ではなく、水素水についての宣伝のうち現状の研究からいえることを逸脱して科学を装った宣伝がなされれば、その逸脱部分がニセ科学、ということになる。ニセ科学になるのはあくまでも「逸脱部分」のみで、当然のことながら、本筋の研究にはニセ科学であるという批判は及ばないという考え方をしている。

 医薬品であれば、作用も副作用もあるのが普通である。医薬品としての効果がはっきりしないうちに、抜け駆けでヒトへの効果を謳って商売していて、後からヒットしてました=医薬品としての作用も副作用もありました、ということになったら、副作用についてはどう責任をとるつもりなのだろうか。
 食品添加物であれば、食品への効果はあるとしても、ヒトに直接効果があるという話にはなりようがない。むしろ、添加物として害がないかどうかの方をチェックしなければならない。食品添加物として認められていたが、後で詳しく調べたら発がん性があることがわかったので使用中止、といったことは、過去にもいろいろあったはずである。

 もう一度フローチャートに戻ると、ヒトに対してステップ3やステップ2でしかない研究成果をもとにして、何らかの健康増進効果を謳って水素水を売るというのは、「合理的な根拠の無い宣伝」と判断するしかない。水素水がヒトの健康に何らかの影響を及ぼすということを示すには、最低でもステップ4をクリアしなければならない。つまり、水素水を飲ませた人とそうでない人の2群について、病気の発症に差があるかどうかを長期間にわたって追跡調査しないと何もいえないからである。

 医薬品が食品やトクホとして販売されることはないから、水素水は、医薬品として販売されるかトクホや単なる食品添加物として販売されるか、どちらかになることが予想される。どちらに決まるとしても、確認された効果効能から逸脱した宣伝が行われなければ消費者としてはそれで良いので、当分は様子を見る方が良い。

英語の辞書

Posted on 10月 24th, 2008 in 倉庫 by apj

 化学英語の担当が当たってしまったので、語感やら何やらをもう一回確認して……と思って英語の学習用辞書を購入。
「アンカーコズミカ英和辞典」学研
「ウィズダム和英辞典」三省堂
「テクニカルライター英和辞典」三省堂

 この前に学習用の辞書を買ったのは高校の時で、大学に入ってからは三省堂のコンサイスを使い、修士に入ってからは専門用語を引かなければならないのでリーダーズに変えて今に至る。学習用はもう不要だと思って処分してしまった。
 ということで二十数年ぶりに学習用辞書を手に取ることになったのだが、2色刷が当たり前になってたり、説明も丁寧で良くなっていたり、CD-ROM付きのものが出ていたり、ウェブでもサポートがあったりと、いろいろ至れり尽くせりになっていた。
 逆に、昔の定番であったはずのコンサイス英和辞典は、三省堂のウェブサイトではちゃんと改訂版を発行しているとあるが、山形の書店でも生協でも見かけなかった。一回り小さい持ち運び用のデイリーコンサイスはどこでも売ってて、他社の似たようなサイズのものも豊富にあるのだが……。

弁護士は腕力が必要

Posted on 10月 22nd, 2008 in 倉庫 by apj

 代休を充てて、神戸の裁判所で尋問されていた。
 原告吉岡氏、参加人の天羽&冨永で3人、代理人弁護士が藤原(原告)、井口(お茶大)、弘中(参加人天羽)、壇(参加人冨永)の4人。
 3人の当事者について、それぞれ主尋問1人(当事者の1人の代理人)反対尋問3人(それ以外の代理人)が行われることになって、午前中が吉岡氏、午後が私と冨永教授の尋問だった。
 内容については、そのうち裁判所から調書が来るのでそちらをアップすることにしたい。見ていて思ったのは

 弁護士は腕力も必要

ということだったり。今回の訴訟は、Lサイズのファイルがほぼ一杯になる、つまりA4サイズの書証の厚みが10センチくらいになっている。これを手に持つとかなり重い。証言台は裁判官の正面つまり法廷の真ん中で、代理人の席は法廷の両サイド。質問は、代理人の席からするのが基本なのだが、当事者は、メモも資料も持って行けない。すると、弁護士が書類を示すしかない。質問で「甲第○号証を見てください」などと言う度に、分厚い書類を持っていって中央の台の上に載せて、ページをめくって、質問が済んだらファイルを閉じて元の席にもどる。尋問の間中、分厚いファイルを持ったまま、証人の席と代理人の席の間を弁護士が歩き回ることになる。
 予想していたのとは別の意味で、尋問は、弁護士の体力勝負なイベントだということがわかった。

 ローカルネタ。山形大学の大学病院の周辺特に西側の方から入る道路がわかりにくくて、行けそうで回り込めない理由がわかった。昔、周りに何もない頃に大学病院&医学部を作って、便利なように周囲をとりかこむ道路も造ったら、それが珍走団のサーキットと化したので、1周できないように一部道をなくしたということらしい。確かに、入院患者も居る建物の周りを爆音を立てて暴走されたのではたまったものではないわな。

雪男

Posted on 10月 21st, 2008 in 倉庫 by apj

 Yahoo経由毎日新聞より。

<雪男>日本の登山家ら「足跡の撮影成功」と報告 ネパール
10月21日21時13分配信 毎日新聞

 【カトマンズ、ビナヤ・グルアチャリャ】日本の登山家らで作る捜索隊「イエティ・プロジェクト・ジャパン」が、ヒマラヤ山中で雪男(イエティ)の足跡を複数発見し、写真撮影に成功したと21日、カトマンズ市内で報告した。

 捜索隊によると、足跡は9月26日、ネパール北部ダウラギリ山の標高4400メートル付近の山中で発見され、全長18~20センチ。隊員の八木原国明さんは「人間であれば靴を履いていないと寒さに耐えられない。足跡は雪男の存在を示す証拠だ」としており、帰国後に写真を詳しく検証するという。イエティは全身が毛で覆われた猿のような生物とされるが、存在は証明されていない。

 雪男騒動の原因を作ってしまったという話なら、随分昔にきいたことがある。かなりうろ覚えなんだけど。ニセコでペンションをやってる新谷さんという方(冒険家)によると、ヒマラヤの方のどっかの山で新谷さんの隊が4000メートルあたりを登っていたら、1000メートル上にメスナーの隊が居たそうで。有名な登山家が来ているというので、新谷さんの隊のシェルパがわざわざ登って覗きに行ったのが、雪男と見間違われたというのが真相だという話。まさかそんな高度で1000メートル下から見物に来る人が居るなんて普通は考えないから、すっかり本物を見たと思い込んだらしい。下山してから、雪男に会うためまた山に登るとかのたまったらしいけど、居るわきゃない、と……^^;)。そこのペンションに泊まって、夜、オーナーの茶話会にちゃんと出ると、いろんな話を聞かせてもらえるので、この話を聞いた人は他にもたくさんいるんじゃないかな。
 とりあえず、今回の捜索隊も、上下1000メートルに別の隊がいなかったかどうかくらいは調べた方がよさそうな。

天下り学長と司法権の限界

Posted on 10月 21st, 2008 in 倉庫 by apj

 どう考えたらいいかまだわからないのだけど、ふと思いついた問題。

 司法権の限界として「部分社会」論というのがある。団体が持っている内部規律に司法権は及ばないのが判例の流れになっている。が、教科書に出てくるのは、大学の単位認定とか地方議員の出席停止処分とか政党除名処分といった例で、民間企業の例は見かけない(この部分は調査が必要)。

 例えば、ウチの大学の場合、学内の得票数2位(1位とは結構差があった)の元文科省のヘッドが学長になった。法人化後は、選挙では学長候補者を選べるだけで、そのうちの誰に決定するかは教員が決められないから、こういうことが起きる。このことの是非はともかくとして、手続き上、内部の組織の自律性が以前に比べて保たれなくなったことは確かではないか。すると、自律性の尊重を前提にした従来の部分社会論をそのままにした場合、一部の人の思惑で勝手なことが行われていても、それが内部の問題に留まる限り、救済の道が閉ざされるということが起こりうるのではないか。構成メンバーの意思が反映されづらくなるという形で自律性が減った分だけ、部分社会論を適用する範囲を狭くし、その分だけ司法権の及ぶ範囲を広げないと、バランスがとれないのではなかろうか、というのが私の持っている問題意識である。

 比較のための基準としては、ワンマンな私企業の社長が社内で引き起こしたトラブルについて、どのあたりまでなら司法権が及ばないとされるのか、という例を集めれば見えてくるのかもしれない。

※問題意識、なので、調べた結果ちっとも問題じゃなかったということになるかもしれないし、見当外れかもしれないけど、個人的にはちょっと引っ掛かったのでメモしておくことにする。