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finalvent氏の不誠実さについて

Posted on 11月 22nd, 2008 in 倉庫 by apj

 finalvent氏の偽科学発見テストについて。
 なぜか、ログインしてもコメントが書けない状態になっている。はてなは使い倒したことがないのでよく分からないが、システム上の何らかの制約だとすると、動作が不安定になったりするかもしれないので、話を続けるために魚拓をとっておくことにした。

 さて、finalvent氏の論の展開は不誠実だと考える。議論の流れは元エントリーや魚拓を見てもらうとして、私の説明に対して

疫学についてご存じないようにお見受けします。apjさんとはこの話はここまでさせてください(敗北宣言と受け止めてくださってかまいませんよ)。

 と書くくらいなら、脚気について、疫学での結論はここまでで病理での結論はここまでで関連はこうだ、ということについてfinalventさんなりの見解を述べるべきである。元のwikipediaの記述は相当はしょったものである。 議論は、勝ち負けではなくて、より有益なものを得るためにするのである。ましてや、今回のテストの目的は、科学の難しさを伝えるあるいは認識させることだというのがfinalventさんの主張なのだから、どう難しいかを最終的にはわかるように説明するのが筋である。問題だけ出して、曖昧なまま終わらせるのであれば、テストの目的が果たされたとは言えない。そこを伏せたままにするのは、論者として誠実さを欠く行為である。
 次に、元のエントリーでfinalventさんは、

最初にいうと、私がざっとぐぐった感じでは、この問題を解くための、ネット上の情報がめっからなかった。その意味ではネットの限界指摘にもなるといいなとは思う。追記:探すとあるにはあった。

 と書いている。

 これに対して私は
「 ところで、敗北宣言と受け取ってもらって結構です、などと無責任な投げ出し方をする前に、1つ忘れていることがありますね。当初インターネットにはこの問題の解答がなかったが、探して見つけたと書いておられますね。これがウソでないのなら、何を見つけたか開示してください」
とコメントした。
 議論もかなり進んだし、あちこちで話題になって、テストの目的もそれなりに果たされただろうと考えたので、良い頃合いだと思ったからである。ところが、finalventさんの答えは、

apjさん、ども。「ところで、敗北宣言と受け取ってもらって結構です、などと無責任な投げ出し方をする」のが未練たらしく見えるようでしたら、すみません、まいりました、apjさんには完敗しました、これにてご勘弁を。

 私が欲しいのは、finalventさんがぐぐって後から見つけたネット上の解答が何であったかという情報である。出題者として、もうちょっと他の人が回答してから開示したいというのなら、それを待つつもりであった。謝罪モドキでごまかされて、私としては非常に不愉快である。
 向こうにコメントが書けないので、こちらではっきり言っておく。

(1)完敗宣言も謝罪も却下し、受け取らない。
 議論はそもそも勝ち負けではないし、何についての勝ち負けだかはっきりしないものについての完敗宣言など意味不明である。
(2)適切な時期に、ぐぐって後から見つけた回答のソースを提示してほしい。
 finalventさんは曖昧な書き方や思わせぶりな書き方をするばかりで、回答を示していないのだから、私としては、回答のソースを見に行って自分で答え合わせをしながら考えるしかない。

 っていうかさ、人が真面目に考えて、そっちが教えないから自分で回答を見に行って考えましょうと言ってるのに、「回答のありかを教えてやらないよん」って、それ何て幼稚園児のイタズラ?

【追記】
 そういえば、私の回答にも思わせぶりなツッコミを入れるだけで採点はしなかったな。
普通は、テストをするときは、終わったら採点して講評するもんだと思うが……。他人の反応だけみて参考にするっちゅうのは、それ、テストちゃう、アンケートや。

【追記2008/11/29】
 TAKESANさんのところのエントリーに、TAKESANさんが2008年11月28日 (金) 19:06にコメントされていますが、finalvent氏は、idでコメントをブロックしている模様。それが本当なら、finalvent氏は、
・自分から挑発しておいて
・自分に都合の悪いことを書くidからの書き込みはさせないようにし
・都合のよいコメントだけを集め
・しかもその議論の進め方は、皆で検討できる証拠を出すことを引きのばしまくり、曖昧な質問を繰り返す
ということを現在進行形でやっていることになる。
 こういうのは、「不誠実」ではなく、「卑怯」と呼ぶのが正しい。
※もちろん、コメントをどう扱うかはblogの管理者に任されている。だから、finalventさんのやっていることは管理者権限の範囲であることは言うまでもない。しかし、管理者権限の範囲で振る舞う場合であっても、誠実な振る舞いとそうでない振る舞いの違いが生じることがあり、今回のfinalventさんの振る舞いは、「管理者権限の範囲」且つ「不誠実あるいは卑怯」というのが私の評価である(黒猫亭さんの助言により追記)。

finalvent氏のコメントにさらに突っ込んでおく

Posted on 11月 22nd, 2008 in 倉庫 by apj

 ログインしないと反論が書けないので、こっちにで突っ込んでおく。
finalventさんによる元のエントリーはこちら
私の回答はこちら

 元エントリーの方に、私の回答に対するコメントがあるので、こちらからもコメントしておく。

基本的にその言い分が当てはまるなら千島学説もおK。

 全く違う。 千島学説のような内容が、今の生物学が成り立つ前に述べられたのであれば、その時点ではあまたある仮説の1つ(但し後になれば間違いとわかるもの)に過ぎなかったはず。千島学説を主張しても、非科学でも擬似科学でもなかった「時代」は、過去には確かにあったはず。但し、千島学説を、*今*科学的真実として述べれば、擬似科学と言われても仕方がない。 実際の千島学説は、成立時期を考慮すると最初から相当程度間違いだと評価するしかないが……。
 同様の例としてホメオパシーがある。ホメオパシーも、考え出された時代には、医学の可能性の1つだった。今では効果が無いとわかっているから、科学として主張すれば、ニセ科学になる。しかし、当時ホメオパシーに取り組んだ人達に対して、今の視点から「ニセ科学に基づいて治療していた」と批判するのは当を失する。
 

 なお、ここに書かれているのは歴史文書ではなく現代の見解。

 現代の見解に当てはまるのは、精米がビタミンB1を含まない(つまりゼロである)、という部分のみ。解釈して現代の見解まで広げるとしても、ビタミンB1欠乏が脚気の原因となるという記述だけ。それ以外の部分は、科学に対する現代の見解ではなく、歴史に対する現代の見解であるので、間違っていたとしても擬似科学とは呼ばない。 もう少し読むとしても、過去のある時点で広く問題になった脚気は、今から考えるとそのほとんどがビタミンB1欠乏によるもので、麦を食べることで解決したという歴史的経緯を書いているだけであって、脚気の原因の全てを説明したとか定義したとかというものではない。だから、脚気の原因に別のものがあることが仮に後からわかったとしても、wikipediaの記述は擬似科学ではない。当時問題になっていた脚気の大部分は、今から考えるとビタミンB1欠乏が原因で起きるものであったからである。

 偽科学は非科学的な思考・方法論の帰結であって、同質。

 これも違う。非科学的な思考・方法論の帰結という括りをしてしまうと、コックリさんとか、水子の霊の祟りといった、オカルトに分類されるものまで含む。この括りをすると、最初から科学の枠組みに入りその枠組みで間違いと判定されたものと、最初から科学では扱えないオカルトが一緒になってしまうという不都合が生じる。

「ニセ科学」を間違った科学と別に定義を必要とする理由が、単純にわからない。

 仮説を立てて、科学の手続きに従って調べていることが間違いかどうかは、後になるまでわからない。いろいろ調べて正しいのがどれかわかってきたら「間違った科学」という結論になる。この場合の「科学」は方法論や手続きの意味ではなく、明らかになった内容そのものを指す。 脚気の例でいうなら「脚気の病原体である脚気菌を発見した」「脚気は脚気菌が原因で発症する」は間違った科学。過去にそういう説が真面目に科学として検討された結果、脚気菌の存在は、今では否定されていて、この考え方は誰も採用していない。脚気菌説は、今では間違った科学であるが、過去のある時点ではそうではなかった。 もし、今、「脚気の原因はビタミンB1欠乏ということになっているけど、実は脚気菌によって起きる」と言い出せば、それはニセ科学言説ということになる。
 間違った科学は今でも作られ続け、捨てられ続けている。捨てなければならないことがはっきりしたにも関わらず、捨てずに科学的真実として主張すればニセ科学になる。
 これとは別に、最初から科学ではないものや、まだ科学として検討されていないものが、うわべだけは一般の人に対して科学に見えるような形で登場する場合があって、これもニセ科学に含めている。
 間違った科学=ニセ科学、としてしまうと、最初から科学でなかったものや、まだ検討していないものが含まれなくなる。間違った科学とニセ科学は完全に重ならないので、別途ニセ科学と呼んで区別する必要がある。
 最初から科学でなかった例は「水からの伝言」(∵江本氏が自分のイメージで結晶写真を選んでいると自分で書いているから)、まだ検討していないのに結論が出たかのように提示されたのが「マイナスイオン」ということになる。

 あるいは百歩譲って「ニセ科学」なるものが独自にあるとしても、通常の科学方法論とその考え方さえあれば、対処にまるで困らないし、むしろ、教条的に「ニセ科学」のリストを暗記したかのように批判することで、科学的方法論がスルーされてしまう。

 何度も書いたように、科学を装うが科学でない、と定義している。科学としてどこが間違いか、あるいは、科学を装っているだけでもともと間違った科学ですらないのはどの部分か、という具体的な指摘を伴わないニセ科学の批判はあり得ない。 finalventさんの書かれた2008/11/21 18:26のコメントについて。

水伝を例にするなら、これが教科書に載っているというのはとんでもないことだと思います。ただ、掲載されているのは国語ではないでしょうか。

 水からの伝言が教科書に載ったことはない。で、使われたのは主に道徳の教材として、教師が自発的に使った。一時期、TOSSという教育ポータルの団体が、水からの伝言を使った道徳実践例をウェブで公開し、さらに広がった。このいきさつは、批判の度にあちこちで問題にしてきた。

 たとえば、水伝で詐欺事件や悪徳商法が行われているなら問題です。実際、そのような印象も受けるので、その批判はあって当然でしょうくらいに思います。

 水伝、というか江本氏の水結晶写真が使われたのは、道徳よりも水商売が先。印象も受けるどころか、ばっちり宣伝に登場しているのが現実。

ただ、「ニセ科学批判」は、そういう社会のルールということで展開されおらず、稚拙な科学教条主義として展開されているように見えるし、私にその批判が向けられる。それなら、その批判者に、科学というものがどれだけ難しいものか、おわかりなりますか、ということを実際にやってみてもいいかと思いました。

 思い上がるな。私にわかったのは、finalventさんが、社会の問題も含めてニセ科学を批判してきた状況を何一つ知らずに勝手な思い込みでテスト云々と言い出したということだ。そのことは、上のとんちんかんな水伝に関する認識を見ても明らかだと思う。
 それはともかく、脚気の疫学研究について詳しくまとめたものを見つけた。
我が国の被感染性疾患疫学的研究の歩み」(pdfファイル)
リファレンスがかなり充実している。