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信じる自由は内心の自由

Posted on 11月 18th, 2008 in 倉庫 by apj

 TAKESANさんのところのエントリー経由。lifecrack – Blogの「ニセ科学を信じることを許してはならないか?」について。

「ニセ科学を信じること」や「ニセ科学を信じることや、ニセ科学を信じている人を『まぁ、害がないなら良いんじゃないの』と許容すること」それらは許してはならないことなのでしょうか?

 向こうにもコメントを残して来たのだけど、こちらでもまとめておく。
 ニセ科学の害は、ニセブランド品の害と同種のものだし、向こうの例に出ている偽札の害とも同種のものである。つまり、他人に「流通させる」(結果として影響を及ぼすことまで含む)のがまずいのである(刑法の通貨偽造の話とはちょっと違うが、それはそれとして大雑把に言えばだけど)。
 だから、「信じる」が、あくまでも個人の内心のみにとどまっている限り、害が発生したとしても他人には及ばない。また、内心のみにとどまっているのであれば、第三者からは、その人がニセ科学を信じているかどうかがわからないため、批判の対象になることは考えがたい。
 しかし、信じているニセ科学の内容に基づいて何らかのアクションを起こせば、他人に被害をもたらす可能性が常にある。他人に話せば「流通」させたことになる。例えば怪しい治療法を優先して病気を悪化させれば、一番苦しむのは本人だとしても、周囲にだって影響は及ぶだろう。そして、アクションを起こせば、その人がニセ科学を受け入れているということを、第三者から認識することが可能になる。
 このように考えると、「ニセ科学を信じている(ことが第三者からわかる)」場合には、程度の差はあるとしても「害がない」とはならないだろうということがわかる。
 第三者の視点から見た場合、上に引用した言明はそもそも成り立たないのではないだろうか。