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科学的正しさ以外の部分(=社会規範)の具体的内容への言及は何故か避けられる

Posted on 5月 8th, 2009 in 倉庫 by apj

 「権威の個人化」について。

 ここに2種類の権威の適用があります。第一の適用は、科学的事実をもとに、科学的事実について述べて、それを正しいとすること。第二の適用は、科学的事実をもつに、科学的事実を述べている人の科学的事実以外のことに関して正しいとすること。批判批判者はあくまで後者を批判している。

ニセ科学批判批判者が「ともかくお前らの態度が気に食わない」というスタンスを取ってしまうのはなぜか

すでに書きましたが、おそらくそれはニセ科学批判者が第二の適用をするから。つまり、科学的事実以外の事柄にも、科学的事実並みの権威性があるかのようにふるまい、過剰に自分たちのふるまいを正当化しているからです。だから批判内容は批判しないのに批判態度は批判の対象にするのです。

 既にpoohさんのところに技術開発者さんが次のようにコメントしておられる。

なんていうか、私のように自然科学で飯を食っている者が、ニセ科学批判をする場合に、2種類の権威というのが絡んでくる訳です。一つは「その言説は科学的に正しいことではない」という主張を受け入れて貰うための「私は自然科学の専門家である」という権威ですね。でもってもう一つが、「嘘を言いふらしては成らない」という社会規範が持つ権威です。

私は消防署の人が防災講話で家庭用報知器の設置を勧めるときに、「消防署が訪問販売することはありません、ホームセンターなどでは5千円から1万円で売っていますから、訪問販売に気を付けてください」という話をすることなどを引き合いに出して、この2種類の権威の絡み方というのを説明しようとしたりします。消防署の人が「消防署が訪問販売することはありません」と言うのは「消防署の方から来ました」という訪問販売で、「消防署が売りに来た」と誤認されることを避けようとしています。ですが、消防署の人がわざわざ講話でこの話をするのは、身分を偽るタイプの訪問販売が「社会的規範に違反する社会的悪である」という前提を踏まえています。この社会的規範も規範としての権威を持っている訳です。

理解して欲しいのは、この2番目の社会的規範の権威性というのは、或る意味で社会に生きる者全てが自然に或る程度は従う部分があると言うことなんです。実際、ニセ科学批判をする科学者・技術者も、「消防署が訪問販売はしない」と言う消防署員も、それぞれの立場を離れた一社会人として、その社会規範の権威性を認め、それゆえ、それは誰にも分かることだろうと詳しく説明することなく利用している訳です。

実際には、多くの人がニセ科学批判を行おうとして、この二番目の権威が機能しない事に気が付いて愕然とする訳です。面白い事に消防署の講話に対して「消防署が訪問販売しないことはわかったよ、だけど消防署員と思わせて報知器売ったってかまわないだろう」と噛みつく人というのには逢ったことがありません(まあ、たまには居るかもしれませんが)。でもニセ科学批判では「科学的でないという事は分かったよ、でも科学が全てでは無いだろ、なんて言いふらしちゃいけないんだ」という人が結構な割合でいます。つまり、二番目の社会規範の権威性が機能しない訳です。

by 技術開発者 (2009-05-08 08:42)

 私も、正しさが、科学の部分と社会規範の部分の二重構造になっているという認識を持っている。

 で、blupyさんの議論で、どうして肝心のことが書かれていないのかを問題にしたい。
「科学的事実以外のことに関して正しいとすること」
「科学的事実以外の事柄にも、科学的事実並みの権威性があるかのようにふるまい、過剰に自分たちのふるまいを正当化しているからです」
と書いておきながら、「科学的事実以外のこと」の具体的内容が一切述べられていない。というか、むしろ巧みに避けられている。それはなぜか。

 私がニセ科学を問題にする時は、「嘘(や不確かなこと)を言いふらしてはいけない」という社会規範を前提としている。だから、blupyさんが言うところの「科学的事実以外のこと」=「嘘(や不確かなこと)を言いふらしてはいけない、というのは社会規範である」となる。で、私は、例外はあるとしてもこれを社会規範だと主張することが、「過剰な正当化」であるとは考えていない。そして、この場合の権威は、科学にあるのてもなく、特定個人にあるのでもなくて、社会規範そのものにあると考えている。

 この第二の権威の適用は独立に議論すべき論点だと言うのなら、議論すべきだと主張する側がまず「科学的事実以外のこと」とは一体何であると考えているのか、その中身を具体的に示さないと話が始まらない。1つでも2つでも例があればはっきりするのだが、なぜか例が出てこない。中身の特定を避けて、「科学的事実以外のこと」だけで済ますのは、一種のゴマカシではないのか。

 私は、既に、科学的正しさ以外の部分とは「嘘(や不確かなこと)を言いふらしてはいけない、というのを社会規範であるとすること」と特定した。これまでの議論でもそのように書いてきた。一方、「批判批判」を標榜する側は、科学的正しさ以外の部分を問題にすると言いつつ(あるいはそのようなそぶりを見せつつ)、批判の態度云々といった曖昧なところで済ませてしまって、具体的な中身をちっとも特定してくれない。このために話が先に進まなくなっている。

 もし、blupyさんの指摘通り、批判批判を標榜する人達が本当に批判したかったものが”科学的正しさ以外の部分について権威を正当化するという行為”であったとするならば、その内容を特定して具体的に批判しなければならなかった。にもかかわらず、科学的正しさ以外の部分とは何かという特定を怠った上に、批判者の態度などという本来の対象ではないものを批判して誤魔化し続けてきたことについては、今更弁護のしようがないと思う。blupyさんの主張である、批判批判者は科学に背を向けていない、ということを受け容れるのなら、なおさら、批判批判側が本筋でないことばっかり言い続けてきたという不誠実さが際だってくるだけはないか。

 「科学的正しさ以外の部分」を問題にするなら、例えば私が特定した社会規範について問題にするのか、それとももっと他のことを考えているのか、まずははっきりさせてほしい。これは、blupyさんに対してというよりも、他の、同様のことを問題にする人に対して求めたいことである。

【言及リンク用追記】
 このエントリーは、poohさんの「齟齬」に関連している。

個人の責任

Posted on 5月 8th, 2009 in 倉庫 by apj

 ニセ科学カテゴリーにしようか迷ったのだがネットワークの方で。
落合弁護士のblogより。「報酬もらってブログで宣伝――「ペイパーポスト」に厳しい視線
  ITmediaの記事が引用されている。

 景気低迷の中、企業はブロガーに与える無料サンプルや報酬を、自社ブランドの話題を盛り上げる安上がりな方法だと考えている。だが、サイトの訪問者が宣伝文句を読んでいることに気づかないケースも多い。すべてのブロガーが、報酬をもらって製品を取り上げていることを――たとえ公表していても――はっきりと明記しているとは限らないからだ。

 インターネット上のペイパーポスト(報酬をもらって書くブログ)が広まったことで、虚偽広告対策を扱う米連邦取引委員会(FTC)は、ブロガーを取り締まるべきかどうかを検討している。FTCは約30年前の広告ガイドラインを更新するに当たって、ブロガーと、彼らに報酬を払うオンラインマーケティング業者と企業に、誤解を招く投稿について法的責任を負わせることを提案している。決定はこの夏に下される予定だ。この提案が承認されれば、違反者は調査を受け、ブロガーは詐欺的な慣行をやめなければならない。違反が続いた場合は、FTCは企業に顧客への払い戻しを求める可能性がある。

 その一方で、多くのブロガーは自身の評判を心配している。企業との取引について、読者にもっと正直に開示する必要があると主張するブロガーは増えている。開示推進派は、読者が企業のサクラと正直な意見を区別できなければ、ブログ全体の信頼性がなくなると主張している。

 これに対する落合弁護士の意見は次の通り。

この問題が、単なる倫理面での問題にはとどまらないということを示しているのは確かでしょう。販売者が、自らではできないような虚偽誇大広告を、一種のアウトソーシングのように、こういった「ネットさくら」を利用して行わせ責任の所在を曖昧にしたまま売り逃げる、といったことが、今後、ますます頻発する恐れはあって、個々のネットさくらの大部分はやっていることの問題性に思いが至らないまま無邪気に踊らされているだけに厄介、という側面も出てくるでしょう。
直ちに取り締まるということが得策かどうかは慎重に検討すべきですが、こういった米国での動きは、日本におけるこの問題を考える上でも参考になりそうです。

 虚偽誇大広告にニセ科学が登場することはそれなりの頻度で起きているわけで、ネットさくらの責任を問う方向に進めば、将来は法規制の対象になるかもしれない。

メルクがニセ学術論文誌を出していた件

Posted on 5月 7th, 2009 in 倉庫 by apj

 The Scientistの記事 ”Merck published fake journal“(読むには無料登録が必要)。
 この件を取り上げたスラッシュドットジャパンのスレ「「査読付き」を名乗る、とてもインチキな学術論文誌

 特定企業の製品のためのレポートを纏めた広報誌があっても別にかまわないが、一般の学術誌と極めて紛らわしいことをしていたのが問題。どこがスポンサーか誰が見てもわかるようにでかでかと書いておけと。Medlineにも出ていないし雑誌のウェブサイトもないということなので、怪しいことは怪しいが、そこまで見なかった人は信じてしまうだろう。ただ、これで反省(どっちの方向かは敢えて問わない)して、medlineは誤魔化せなかったとしても、ウェブサイトをそれらしく作ってわかりにくいところに小さな文字でスポンサー名を記載、といったことをされたら、やっぱり引っ掛かる人がそれなりに出てくるだろうなぁ。

ニセ科学判定ガイドライン試案

Posted on 5月 6th, 2009 in 倉庫 by apj

 ニセ科学判定の「科学でない」をどう取り扱うかについて「ニセ科学判定ガイドライン試案」を書いてみた。

 もとになったのは、景表法と特商法の「合理的な根拠」の判定のガイドライン。これを、商品の説明から切り離して、特定の言説が根拠を持つかどうかを判定するために用いるという形に書き換えた。

 「ニセ科学」を問題とする立場から、ある程度具体的な判定基準を決めることを試みたのは、「科学である」「科学でない」というstatementに対し、科学哲学の議論が行われることで、実際の判定に使いづらいものが出てくることを防止したいという目的による。具体的な「科学である」「科学でない」を出して、かつ、問題として取り上げようと考えたニセ科学に網をかけられるのであれば、科学哲学の線引き問題などはとりあえず棚上げしておいてもよい。

 私が欲しいものでもあり、おそらく普通の人が考える際に手掛かりになるだろうと思われるものは、社会の中でニセ科学言説をどう扱うかという具体的なチェックの方法や基準(つまり使える道具)であって、科学哲学の議論ではない。

 また、他人の言説を「ニセ科学」と指摘することのリスクを軽減したいということもあり、現状の法規制に倣った方が良いと考えた。

 まだまだブラッシュアップが必要だろうし、ややこしいニセ科学が出てきたら書き換えも必要だと思う。意見とコメントを募集したい。

とりあえず作ってみた

Posted on 5月 4th, 2009 in 倉庫 by apj

 「ニセ科学まとめ」作ってみた。
まだ制作中。

特商法方式でカルト対策はできないのか?

Posted on 5月 3rd, 2009 in 倉庫 by apj

 酔うぞさんの「東京スポーツの加護亜依報道から」を読んでいて、ふと思ったこと。

 訪問販売や電話勧誘を規制する法律に、「特定商取引に関する法律」(以下特商法と略)がある。これが定められた背景には、消費者が店舗に行く時は、事前に情報を調べたりして「買い物に行くぞ」と心の準備を整えて行くのだけど、訪問販売や電話勧誘は心の準備ができていない状態で勧誘されるから、その心の準備が無いということを補うために規制が厳しくなっている部分がある。で、条文にこんなのがあるわけ。

(訪問販売における氏名等の明示)
第三条  販売業者又は役務提供事業者は、訪問販売をしようとするときは、その勧誘に先立つて、その相手方に対し、販売業者又は役務提供事業者の氏名又は名称、売買契約又は役務提供契約の締結について勧誘をする目的である旨及び当該勧誘に係る商品若しくは権利又は役務の種類を明らかにしなければならない。

 カルトの勧誘の問題の1つに、「正体を隠して近付く」というのがあるので、この特商法の条文のようなもので規制したらどうだろう。
 つまり、
「宗教施設であると表示されている場所以外の場所で、宗教団体又は宗教団体への勧誘を行う者は、勧誘をしようとするときは、その勧誘に先立って、その相手方に対し、宗教団体名及び教団代表者(教祖など)の名称及び氏名、宗教団体への勧誘をする目的である旨を明らかにしなければならない。」
といった条文を、罰則付きで決めたらどうかという提案である。で、多分これをやっても、信教の自由には抵触しないと思う。
 ちょっと今出先で、憲法学の教科書や法律用語辞典を忘れてきたので、wikipediaに頼るのだけど、信教の自由の中身は、

1.個人が自由に好むところの宗教を信仰し、宗教的行為(礼拝・布教など)を行い、宗教団体を結社する権利。
2.宗教を信仰するかしないか、するとしてどの宗教を選択するか、自由に決める権利。および信仰を強制・弾圧されない権利。
3.宗教を信仰していたり、していなかったりすることによって、いわれのない差別を受けることのない権利。
4.上記の権利を確保するために、国家が特定の宗教について信仰の強制・弾圧・過度の推奨などを行う事を禁ずる制度(いわゆる政教分離)を行うこと。

となっている。
 特商法方式の宗教勧誘規制を行った場合、勧誘の中身つまり教義の説明や活動について述べる前のところを規制するだけだから、規制があることによって勧誘の内容が左右されることはない。この規制は名乗って堂々と勧誘するならOKという意味だから、勧誘することそのものを妨げるものではない。勧誘であることを承知した上で内容を聞いた個人の判断に、規制の有無は影響しないだろうから、実質的に布教を妨げるものにはなっていない。また、勧誘であることがその場ではっきりすると、その宗教を信仰するかどうかとか選択するかどうかをより意識的に各人で決めることができるようになることが予想され、むしろ信教の自由の内容を充実させることを助ける効果があるかもしれない。
 「勧誘であることを告げなかった」という、中身の話に入る前の勧誘の態様の規制を、すべての宗教団体に適用すれば、特定の宗教団体に不利益を与えたということにもならないし、政教分離の原則に引っ掛かることもないのでは。
 また、ここはお寺とかここは教会とか、誰が見ても宗教施設とわかる場所に(だまし討ちで呼び出されたのではなくて)自分から進んで出向いていって話を聞こうという人については、勧誘されることも予期しているはずだから、規制対象に含めなくて良いだろう。
 「およそ宗教者たる者は、個人の精神を律したり救済したりする高尚な役割を担っているのであるから、こそこそせずに堂々と名乗って勧誘するべきである」とか言い張ると、タテマエとしてもそれなりに立派に見えるし、聞こえだって悪くない。
 この規制をやった場合、正体を隠してこっそり勧誘して本人が気付かないうちに特定宗教に嵌めたい場合だけがやりづらくなるんじゃないだろうか。つまりカルトのよからぬ振る舞いだけを入り口のところで選択的に撃てるんじゃないかと思うのだけど。

 どうだろう?

【ネタ】

Posted on 5月 2nd, 2009 in 倉庫 by apj

一般人・やる夫「司法改革だお!弁護士ふえたお!」
弁護士・やらない夫「何をそんなにさわいでるんだ」
やる夫「これからは一般人もどんどん弁護士に相談するお!……でも困ったお。どの先生がいいかわからないお……」
やらない夫「そりゃ相性ってのがあるから」
やる夫「雑誌のランキングとか、行列の出来る何とかに登場する先生に頼めばいいんだお!」
やらない夫「でもその超有名先生がやってくれるとはかぎらないぞ。超有名だから仕事が殺到してて同じ事務所の新人が担当ってこともある」
やる夫「じ、じゃあ、電車に広告を出しているとことへ行くお!借金の相談にものってくれる親切な事務所みたいだお」
やらない夫「広告で人を集めて、薄利多売の仕事をしているところに行って、きちんと話をきいてくれるかね?避けた方がいいと思うが」
やる夫「どうしたらいいんだお。お医者さんだったら、あそこの先生は名医だとか、街でも噂になってたりするお。」
やらない夫「そりゃ、他の医者が治せなかったのがあの先生にかかったら治った、となれば噂になるな」
やる夫「でも弁護士先生の仕事なんかわからないお。しつこい風邪が治ったのとは違うお。書面見て、ここの先生ならではの妙技、なんて素人には判断無理だお」
やらない夫「それに、どの医者がいいか知ってる患者ってのは、病気がちでいろんな病院を回ったんじゃないか」
やる夫「それだお!いろんな弁護士先生のところを回るお。訴訟しまくればいいんだお。そうしたら弁護士の選び方がきっとうまくなるお」
やらない夫「でも、そういう人は訴訟狂と言われて、弁護士も敬遠するんだな」
やる夫「どうすればいいんだお」
やらない夫「被害者の立場で事件に巻き込まれる回数が増えれば、どういう弁護士がいいかわかるんじゃないかな」
やる夫「たとえばどんな風になるんだお?」
やらない夫「そうだな……まず、痴漢冤罪で捕まって告訴されて、最高裁あたりで無罪を勝ち取る」
やる夫「この間新聞で見たけど、あれは大変だお。仕事クビになるお」
やらない夫「やっと無罪になったと思ったら裁判所からの帰り道で交通事故に遭う」
やる夫「痛いお……」
やらない夫「で、担ぎ込まれた先の病院で医療過誤。その訴訟をしている間に親が死んで遺産相続争い。親族の揉め事に嫌気がさした嫁さんが離婚言いだして調停ではカタがつかずに裁判所行き。あとは、自動車事故の時に保険会社がズルして金を出さないのを何とかしなければならない、ってのもあるかな。これくらい揃えば、個人が巻き込まれる法的トラブルは一通り全部経験できる。それぞれ違う先生に依頼すれば、弁護士を見る目は確実に養えるぞ」
やる夫「小説になりそうなくらい不幸な人生だお。そんな人生イヤだお……」

【メモ】脂肪燃焼サプリで健康被害

Posted on 5月 2nd, 2009 in 倉庫 by apj

 asahi.comの記事より。

脂肪燃焼サプリ健康被害 ハイドロキシカット、米で警告
2009年5月2日10時48分

 【ニューヨーク=田中光】米食品医薬品局(FDA)は1日、脂肪燃焼をうたった健康食品(サプリメント)のハイドロキシカットの使用を中止するよう警告を出し、カナダにあるメーカー側も自主回収を始めた。死亡例や、肝臓移植を必要とする肝機能障害が報告されているという。

 FDAによると、ハイドロキシカットは主に脂肪を燃焼させ、体重を減らす効果をうたい、薬局やコンビニなどで売られている。昨年1年間で900万個が販売され、日本のインターネットサイトでも販売されている。

 これまでに19歳の男性が死亡するなど、23件の肝機能障害が報告されている。このほか、発作や横紋筋融解症などの健康被害もあった。どの成分が健康被害につながっているか調査しているという。

 健康食品・サプリによる事故例追加、かな。講義資料に入れるかもしれないのでメモ。

「科学の権威」の害って何?

Posted on 5月 2nd, 2009 in 倉庫 by apj

 waveriderさんの、「権威の取り扱い:Chromeplated Rat への回答? のようなもの」を見て気になったこと、というかどうしても私にはわからないことを1つ。

 科学に権威が伴うとして、そのことによって一体どんな被害が発生しているのか?

「双方が科学を信奉しているがゆえ、正しいことを述べる側に権威が発生してしまっている。批判 vs 批判とはつまるところ権威に対する反発であり、”構図” が引き起こす問題だ」

『科学は万能だ。科学はいずれあらゆる問題を解決できるようになる。科学こそが真理だ。原理はよくわからんが科学スゴい!』
…といったように、肥大化が盲信を生んでしまう。
さらに、『科学は人間の都合なんて考えてくれない。合理性は感情を殺す。科学が環境を破壊する。科学コワい!』
…のように、科学や合理性の持つ「非人間性」が怪物化して、恐れをも生んでしまう。

 waveriderさんにはこのように見えているということだろうし、それを否定するつもりはない。ただ、これを受け容れようとすると、上記の疑問になる。

 科学の権威の効力発生の場面で、思いつくものをいくつか挙げてみる。

 まず、権威だけ借りてきたけど内容が伴わなかったケース。
○悪徳商法業者
 「インチキな測定データとかをつけてクズ健康食品を売り出したら、売れること売れること……バカがみんな信じてくれて簡単に儲かるなぁ」
→でも、これって、科学に権威があることによって生じた被害じゃなくて、他人を騙す人が発生させた被害だよね?「科学に権威があること」に対して責任は問えないじゃないの?
○悪徳商法の被害者
 「科学的根拠があるって宣伝信じて買ったけど、効果ないし、ぼったくられただけ。おまけにマルチにはめられて借金まで……」
→この場合、責任を問うべきは、嘘付いて騙したヤツだよね?「科学に権威があるから信じた、けしからん」と科学を責めるのはお門違いだよね?

 次に、権威を借りてきて内容も正しかったケース。
○「取引先の会社がトンデモにはまって、ウチの現場でも使わないかと薦めてくるんだよな。怪しいと思うんだけど、真正面から、「インチキを言うな」などと言って断ると人間関係で維持してる商売が後で困ったことになるし……あ、大手企業の研究所か大学あたりで検査して、役に立たないって結論だしてもらって、それを理由にやんあり断れば、あんまり角が立たなくて済みそう」(実際にこのやり方をしたいという業者さん、居ます)
→うまいこと権威をつかって、人間関係を損なわずに金銭的損害を免れたのだから、これって権威がくっついてることのメリットだよね?断られた側は多少は気分を害するかもしれないけど、他人に高価なものを薦める時はそれなりに慎重じゃなきゃいけないよね。科学とは関係なしに。

 waveriderさんの指摘について見てみる。

○科学は人間の都合なんて考えてくれない
→こういう人、時々見かけるけどね、それじゃあ質問したい。
「科学のために、あなたの都合が邪魔された具体的な例ってどんなのがあるの?」
 ……いやその、「科学のせいで自分がやりたかったこれこれが邪魔された」って具体的な事例が書かれているのを見たことがないんだよね。だから知りたい。「人間の」じゃなくて「あなたの」都合が邪魔された具体例を。
○合理性は感情を殺す。
→「科学が、あなたの感情を殺した例ってどんなのがあるの?」
○科学が環境を破壊する。
→環境を破壊したのは、科学じゃなくて、それを使って過剰に活動した「人間」だよね?後先考えずに金儲けのことだけ考えて、あちこち壊しまくったのまで科学のせい?はっきり言って濡れ衣じゃないの?自分の不注意で指先を怪我したのを、よく切れるナイフのせいにする、ってのとどう違うの?

 科学に権威が伴うとか、その権威で抑圧されるから反発する、という立場の人に訊きたいのだけど。

「科学の権威で抑圧された結果、あなたに(あるいはあなたの友人知人に)どんな具体的な被害が発生したの?」

 例えば、人間関係で抑圧されてたら鬱病になりました、という話ならしばしば見かけるし、だからその抑圧を何とかしないといけない、というのもわかる。だけど、「科学の権威で抑圧された結果鬱病になりました」というのは聞いたことがない。

 科学に権威が伴ってるとか、だから気を付けろとか言われても、そのことによってどんな被害が出てるのかがはっきりしないと、何をどうしていいかわからない。少なくとも、この手の内容を主張してくる人にとっては「科学に権威がくっついている」の部分が変わることはないのだし、それなら「こんな被害があった」というのを出してもらって、類似の被害が発生しないようにするにはどうするかをみんなで考えるしかないわけで。

【トラックバック用追記】
 poohさんのところの「権威の取り扱い」にもトラックバックしておく。

【コメント】括れないからわからないのでは

Posted on 5月 2nd, 2009 in 倉庫 by apj

 kaqu11さんの疑似科学批判批判批判批判、を読んでいて思ったあまり関係のない感想へのコメント。

これらの場合はニセ科学批判を普段行っている人たちが「多」側にいるわけですが、多人数がいろいろなことを言っていると読んでいて誰が何を言っていて結局どういう考え方なのか情報を整理できなくなってしまいます。私の読解力の問題でしょうが。

 多分そんなことではないと思う。既に、関連のエントリーを2つトラックバックさせていただいたが、kaqu11さんの読解力に問題があるのではなくて、実際にいろんな人がいろんな立場でやっていることを「ニセ科学批判」という同語反復でしかなく実体を伴わないもので括って議論すると、誰のどの話についての議論かがわからないために、「自分とは違う」と自覚した人達がめいめい議論に参加して説明したり反論したりする結果、話が発散しているだけでは。
 もっとはっきり言ってしまえば、Judgementさんが、TAKESANさんのエントリーとコメントを読んで問題があると思ったのなら、誰それのこの主張は違う、別の誰それのこの言い分は見当外れ、と、最初から個別具体的に撃ちまくってくれれば、問題がはっきりしたのだろうけど、それをさぼって「ニセ科学批判」という括りで話を済まそうとしたからいけないんじゃないか。
 私は今のところ、「ニセ科学批判」には実体が無く、現実に存在するのは個別のニセ科学についての議論があるだけだ、という立場である。
 「ニセ科学批判」で括ることに意味があると主張する人を頭から否定するつもりはないが、同語反復以上の意味内容を持たせた「ニセ科学批判」を定義するという手順を踏んでからにしてほしい。それは「ニセ科学批判」という括りを(批判のためにであっても)必要としている側の仕事だろう。
 科学っぽくて他人を騙す言説に注意喚起したいという立場のきくちさんや私や他の人々は、その批判のために「ニセ科学」という用語を作り、きちんと定義して意味を持たせた。定義の内容についても、この言葉を使いながら議論してブラッシュアップし、より精密にすることを試みた。
 一方、ここ2年位の間、「ニセ科学批判批判」側は批判のターゲットとして「ニセ科学批判」という言葉を使いながら、意味のある定義もせず、その括りで何が明らかになるかということもきちんと詰めてこなかった。未だに議論がまとまらないのは、批判対象である「ニセ科学批判」に対してろくな定義も意味づけもできなかった批判批判側に責任があるんじゃないの。