Feed

大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

Posted on 12月 9th, 2005 in 倉庫 by apj

 フラスコさんのところで、なかなかすごい学生の話が出ている。

学生からのメール。

そのままの文章は見るに耐えないので、要約しますと

・今回の実験を体調不良で休んだ
・他の子の実験結果と、レポートの表紙が欲しい
・明日の朝○○時に行くので待っててほしい
・遅れる可能性もある

とのこと。

だそうで。既にいくつかコメントがついている。まあ、さすがにここまでずうずうしいのはまだ見たことがないが……。で、こういう「オレ様」でやることをやらない学生には単位を出さないというフラスコさんの見解はしごくもっともだし、二十歳にもなってこういうことがわからない学生は留年でも何でもしてしっかり反省してから社会に出て欲しいと思うのだが、それを阻んでいるのが実は大学評価である。
 何をやってくれるかというと、「留年者の数が多いというだけでさんざんな評価をしてくる」のだ。理由は一切斟酌しないというのが、ウチの学科の先生にきいた話だった。実際、過去に必修を2つほど落とす人が増えた学年があって、カリキュラムが密なので次々に次年度の必修を落として、大量留年者が出たことがある。そうすると、ウチの学科に来たのは「留年者が多いから対策せよ」というお達しだったわけで。
 正直な話、留年させてもしっかり勉強させるとか、いい加減な実力では社会に出さないといった教育をする選択肢は、今の大学には無くなっている。たまたま成績の振るわない学年があったとしても、お達しをもらわないためには、超甘にして卒業していただくというのが、誰でも思いつく対策となる。もちろん、知識を付けずに出られては困るから、教員の側だって何とか勉強させようとする。たとえば、講義の終わりに小テストをするとか、中間試験と期末試験の両方を課すとか、追試をするといった手だては講じている。それでも、途中で講義に出てこなくなるとか、試験も放棄するとか、休みに入ってから追試をすると来ないとか、そういう学生も居るわけで、手の打ちようがない。
 学生の中には、「大学に入ったら家に帰ってまで勉強しなくてもいい」と思っている人もいる。大学の講義は、予習復習の時間も含めて90分の講義と合わせて単位を出すことになっているのだが、これが有名無実化していることがある。
 ネット上でときどき「できない奴はできるまで留年させて勉強させろ」という意見も出ているが、国立大学法人はそれができない仕組みになっている。大学が甘いのではなく、評価で無理矢理そうさせられている。このことは、あまり世間に知られていないかも知れない。私学の事情はわからないので、知っている人がいたら教えて欲しい。私学の場合は一般に授業料が高目であるから、留年したときの経済的負担が大きい。だから、もし、デキが悪ければしっかり留年させるということが私学では許されているのだとしたら、これからは、ちゃんと勉強した人材は主に私学から供給される、ということになるのではないか。
 というわけで
「大学はあるレベルを満たしたまともな人材を供給すべきだ」
と思ってる企業の方々、特に人事担当者の方々は、大学評価・学位授与機構に、「留年が増えてもいいから出てくる人材の品質を保証しろ」という内容で、どんどんクレームを出してほしい。彼らは大学の主張は無視するかもしれないが、高額の納税者、つまり企業の方々からの要望であれば、聞く耳を持つと思う。ホント、経団連あたりに陳情しに行きたいのだけれど。


ここからは旧ブログのコメントです。


by apj at 2005-12-41 22:24:41
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

 この週末は東京に出てきているのだが、移動中に、中公新書の「安田講堂1968-1969」(島泰三著)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121018214/を読んだ。多大な労力をつぎ込んで結局彼らは何がしたかったのかが、さっぱりわからなかった。東大紛争のきっかけの青医連問題は、結局労働条件の問題に帰着するわけで、通常の労働運動の枠組みで戦った方が(いろんな企業で労使紛争をやっていた時代背景を考えると)すっきりしたのではないかと思う。日大紛争の方は、あまりの教育環境の悪さ(=マスプロ授業)に不正経理問題が拍車をかけたようだが、しなければならないことは紛争ではなく手続きにのっとった法的責任の追及だろう。刑法の背任の罪はこのころ既に定められていたわけだし、民事でも金返せてのはやって良かったはず。今ならとっとと裁判所に話が持ち込まれるはずのところ、何でこう学生がみんなして自救行為に走ったのか、それも時代というものなのか、と思いながら読んだ。
 で、今の大学の現実は、
「(雀荘に入り浸っているのではなく)単に引きこもって出てこない学生に対するカウンセリングもどきのケア」
を組織的にやらなければならないという状態だったりする。「このままじゃ留年ですよ」と親に連絡しても、今度は親の方が「子供にはやりたいようにやらせえて夢を追わせてあげたいいんです……」とのたまうこともあるので、教員としてはどうにもならん罠。
 そうかと思うと、「ウチの息子に単位を出さないとは何事だ、訴えてやる」という親もいて、しかも職業が高校教師だったりする。これ、私の先輩が経験した実話である。「いっそ訴えさせて、裁判所で、いかに出席状況が悪く他のお子様方に比べてデキが悪かったかを裁判官の前で立証して差し上げてはいかが?」とコメントしたのだけど。
 というわけで、ヘルメットをかぶって角棒と火炎瓶持ちのおじさんに闇討ちされるのを覚悟で書くと、
 あの紛争は実は壮大な「かまってほしい」サインだったんじゃないのか?
というツッコミにしかならん。構って欲しくて火炎瓶投げて暴れた世代と、構って欲しいという自覚もなくひきこもるので教員の側から手出しをせざるを得ない世代が居るという……。
 いや、こうまとめちゃっていいのかどうか、まだよくわからないのだが、学生運動の記録を読んで、今の大学の現実を見ると、何だかか脱力してくることは事実なんだよな……。


by 酔うぞ at 2005-12-46 23:50:46
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

本当に角棒と火炎瓶を持って行っちゃうぞぉ~


by と at 2005-12-19 05:32:19
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

多少関連したことを徒然に書いて見ます。

薬系の私学の場合、薬剤師国家試験の合格率を維持するため、学力がない学生を卒業させない傾向が強いです。卒業試験がしっかり機能しているわけです。授業料も高いですが、再試験を受けるためにお金が必要などという話を聞いたときは「へぇ」でした。

北大では私が学生のころは「動物のお医者さん」にあるように何度も再試をする慣習がありましたが、いつの頃からか1回までとなりました。どこからの指令かはわかりませんが(事務方?)留年させるなという方針とは食い違う気もしなくもありません。

さらに最近では留年した学生を遊ばせないように、研究室に押し付けて自習させるということも行われています。

北大で留年といえば恵迪寮ですが近年は個人志向もあって余り人気がないようです。在学中はまるで勉強してなくても、集団に揉まれて鍛えられるせいか、卒業生は出世している人が多いとも聞きます。意外と教育機関の責を果たしているとか(^^;


by tygrysojciec at 2005-12-23 16:46:23
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

> 薬系の私学の場合、薬剤師国家試験の合格率を維持するため、学力がない学生を卒業させない傾向が強いです。

 比較的質が高い私立薬科の例を補足します。
 再試験は3科目までしか受験できずかつ有償です。また必修科目3単位落とすと留年です。卒業時には卒業研究が完了した後、国家試験同等の試験(卒業試験といいます)を国家試験合格基準1割増の点をとらないと卒業させて貰えません。
 薬剤師になるつもりがない、修士課程へ進学する人間にとってはかなりの負荷です。


by みずいろ。 at 2005-12-42 00:34:42
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

 比較的質が低い私立薬系は、「薬剤師養成専門学校」としての機能が重視されることから、国家試験に受かる見込みの無い者を排除する措置を色々とっているようです。自分の出身校でも tygrysojciec さんのコメントのような措置は取られていましたし、「卒業研究無し、試験対策のみ」のコースもありました。(自分の学年ではそのコース在籍の者が学年成績最優秀でしたがw)別の学校では「成績が悪いと、4年次に併設の文系学部に転科させられる」という噂を聞いたこともあります。
 …というのは既に10年以上前の話で、母校の院進学率も上がっているようですから状況はかなり変わっているんでしょうね。


by まいまい at 2005-12-59 05:04:59
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

筑波大学の第二学群と群馬大学、東大の理学部はapjさんんのおっしゃる通りの事務方の「留年させてはならない」という干渉が20年前からの常識でした。

筑波大学はカリフォルニア大学やスタンフォード大学の猿真似をした大学だったのに、なぜかその点だけは真似していない、というのがUCLAやスタンフォードからの留学生が首をひねる「七不思議」でした。

ドイツからの留学生の、むしろ卒業できる学生の方が少ないのだ、だからこそ卒業したことにステイタスが認められるという話を聞いて、うらやましい と嘆息したものです。

まあ、旧国立大学のこの常識は外部から「おかしい」と言われるまで変わらないでしょうね。学生の数が減ってるのに悠長なもんですよ。


by すっぱいぶどう at 2005-12-04 06:54:04
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

中堅私立大です。再試験はやはり有償ですが、やらないことにする圧力が高まっている一方で、私立大学では(学部ごとだったかな?)在学生の総数が入学定員の何倍かを超えると私学助成が減らされるから留年させてはいけないという未確認情報も…。


by apj at 2005-12-36 07:46:36
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

「大学の常識」「大学が決めた方針」と思われているものの中に、実は大学評価機構の方針だったり文部科学省の方針だったりするものが含まれているということです。予算を握られている以上大学は一切逆らえません。大学から何かを主張しても、お役所の側が変わることはないので、やはり世論の力が必用なんです。

 なんだか、おかしな生産管理を人材育成に適用せよと言われているような気分になってくるんですけど……、製造業の方の目にどう映っているかおしえていただきたいでよねぇ。


by apj at 2005-12-24 07:56:24
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

もっと言うと、今各大学で走っている「中期計画。中期目標」の決め方にも問題があります。表向きは(法人化が前提の)大学が自由に決めて良いような形なんですが、実はそうではないらしい。お役所が気に入ることを書かないと認めないという形で、さまざまな誘導があるという話をきいています。でも最終的には「大学が自発的に言い出したこと」という体裁だけは整うため、責任は大学に押しつけられます。いっそ、縛りはこれこれだ、と上の責任で全部公表してそれ以外のチェックは入れない、という形をとってくれた方がすっきりするんじゃないかと。日本の高等教育を全体としてどうするかというグランドデザインを描くのは、やはり政治の仕事ですし、それを実行できる形に降ろすのは行政の仕事でしょう。グランドデザインに対してどうしても何かまずいこと(方針がまずいとか現状のリソースでは実現が困難など)があれば、大学側からの指摘も出るでしょうが、そうでない限り、大学は政策実行機関として動くわけで……。
 上が形だけ大学の自主性を尊重するというポーズをとり続けているため、予算面で不利になっては困る大学は神経症的にお役所の真意を読もうとするという、何だか虚しい状況になってます。それでも、現実に、冬の暖房費に事欠く状態になってくれば、そりゃ予算がいくらつくのかみんな気にしますよねぇ。


by 酔うぞ at 2005-12-41 08:30:41
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

>製造業の方の目にどう映っているかおしえていただきたいでよねぇ。

一応、製造業出身者ですわ。
会社としての製造業と、現場としての製造業さらには工程ごとの主張は一致しません。
商品、製品、部品ということですね。

ちょっと知恵を巡らせると、同じ部品で別の製品を作るなんてことをするわけですが、これは部品としては余分の能力があるつまり最適化されていないわけです。
ところが会社としては新たに部品開発をしないでも商品ラインナップが増えるわけです。
ここが、それぞれが最善を目指すと全体として最善にはならない、という問題に突き当たるので全体の評価が非常に大事とされるところです。

もう一つは現場的には良く分からないところには余裕を持っておくという手があります。
部品を作っている段階では商品がどう使われるのかは予想しか出来ないわけで、分かっていないところも多いわけです。そこでとりあえず余裕を付けておくわけです。
これは必ずしも仕様書の最初の「最低限これだけ」からは他の要素、例えば重量や価格の余裕の範囲内で余裕を付けます。
もし、コストを下げることが全てに優先するのなら、これは良くないことかもしれませんが、経験則としてギリギリにすると後でかえって費用が発生することが分かっているので余裕を付ける方向にします。

こんなので参考になります?


by 浮遊子 at 2005-12-41 21:47:41
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

評価基準をざっと一読してみました。
該当評価項目は6-1-だと思いますが、これだけであれば、総評価項目数11の内の1項目の中の1/10~1/20程度の部分と考えますが。それとも、そんなに極端な重み付けがされているのでしょうか?水鳥の羽音に驚いてのたぐいでは。


by apj at 2005-12-59 22:53:59
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

>水鳥の羽音に驚いてのたぐいでは。
それが当たっている面もあるかと思います。
 大学の意志決定のプロセスは、ピラミッド組織に沿って各レベルで会議やら委員会やらを開いて決めています。すると、途中のどこかの段階に、神経質に水取りの羽音を気にする人が混じっていた場合、そっちに判断が振られがちということになるのかもしれません。
 重み付けというか、わざわざその項目を特定してどうにかせい、と書かれたことが、十分な萎縮効果をもたらしているのだと思います。重み付けだけの問題であれば、数値化して合計するなり平均するなりして使えばいいんじゃないかと思います。対策せよとわざわざ指摘するのなら、本当に対策が必要なのか、むしろそこは対策せず、別の基準に最適化した方がいいという可能性があるのかまで、見てもらわないと別の問題が発生しますね。その気がないなら、数値化&平均化だけして使え、わざわざ個別項目の対策までさせようとするな、と。

 小学校で生徒にやってる指導方法がそのまま大学にまで及んでいるように見えます。つまり、「不得意科目を克服してまんべんなく成績を上げろ」というアレです。「個性を尊重する」というのは教師のタテマエで、ホンネは、「(教師の認める)個性なら尊重してやる」という、きったねぇやり口なわけです。そういう指導をしてくれた学校制度には不信感たっぷりなわけですが、今に至るまで学校というところは全部同じパターンなんだろうか……。


by apj at 2005-12-40 23:05:40
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

薬学部では薬剤師国家試験があるのでうまくいっているようですから、他の学部・学科でも、統一卒業試験みたいなものがあればいいのかもしれませんね。最低限を越えているかどうかを見るための専門試験を卒業時に課す。理工系なら内容を決めるのは不可能ではないでしょう。たとえば、国家I種の技術職の試験問題みたいなものでも良さそうです。そういう試験は、資格試験の性格を持つから、何点以上は全員合格、というふうにしておいて、合格者/卒業者、を評価基準にする、と。これだけ進学率が上がってきているのであれば、学部までは「技術士養成学校」でもそんなに大きな問題はなさそうですよね。薬学部ほどの負荷にならない程度に設定すれば、院進学の人は院試対策でやった勉強がそのまま試験対策になる、という形にもできるでしょうし。


by と at 2005-12-50 03:59:50
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

国家資格については企業の側のチェックもあります。すなわち、薬学卒で薬剤師を持っていないと、たとえ研究職への就職であろうと、面接で激しく突っ込まれて他学部卒より却って不利になることもあるようです。おそらく、このようなことは国家資格があって当然という学部では同様でしょう。

大学評価については評価項目を相対化するような状態じゃないです。北大は旧帝大の中では最もお上に対し従属的ですが(^^;文科省の顔色を窺って、言われてないことまで先取りしようと躍起です。

法人化で高額機器の概算要求が全く通らなくなったという変化もあります。個々の大学の問題ではないので化学会のなかでも有機系の先生方が問題提起をしようと動いています。

だいたい「ゆとり教育」の時も、理念としては「考える力を伸ばす」ということで、現在高評価を受けている北欧の教育と近い方向性であったはずです。ところが、予算的・技術的手当てを全くせずにただ教科書の内容を減らし総合学習を学校側に丸投げしたおかげで、学力低下に似非科学授業とまるで良いところがなくなったわけです。

文科省はアイデアも予算もないのに形式ばかり(以下自粛

センター試験の説明を聞いてきたばかりなので、文科省の悪口ならいくらでも出ます(^^;


by katsuya at 2005-12-33 21:19:33
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

初めまして、

>「大学はあるレベルを満たしたまともな人材を供給すべきだ」と考えている企業

の担当者ではありませんが
まともな人材供給という点ではご存知かもしれませんが
日本技術者教育認定機構(JABEE)(http://www.jabee.org/)
が文部科学省(技術士一次試験免除)や
経済産業省とも連携して
実務教育の質の保証に取り組んでいますよ。
お近くでは
山形大学工学部物質化学工学科も認定されていますが
状況はいかがでしょうか?


by apj at 2005-12-34 02:45:34
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

 私は理学部なので、工学部の指導に関わるのは教養教育だけですね。工学部の事務からは、「いいかげんな成績判定」をしないようにチェックがかかっています。成績評価が「可」の人のレポートを事務に提出させられたり(当落の基準のチェック?)、半期分の講義の内容を紙に書いて出したりということです(あまりに休講が多かったりしないかのチェック?)。また、出席点は付けてはいけないことになっています。1/3以上欠席すると単位は出せないという規則があるので、学生にはそのことをしっかり言って、規定の出席日数を満たした人はレポートの採点対象となる、というふうにしています。
 じゃあ、これで無問題かというと、実は微妙です。教養の講義自体が、全学部対象のため、受講者の理科の知識の差が非常に大きいのです。理工系で2次試験に化学を課された学生と、文系で高校で化学を履修してない学生が同じ教室にいるわけです。このため、レベルの設定はある程度やさしくして、できるだけ考えてもらうようにしています。理工系だけなら、もうちょっと計算させたりといったこともできるのですが、今の状態でそれをやると文系の学生をほとんどたたき落とすことになってしまいます。文系の学生が理科を学ぶのは、生涯で私の講義が最後だということもあり得るので、別の意味で責任感じてたりもしますし……。
 こんなわけで、工学部の専門教育がどんなふうになっているかは、私の方ではよくわかりません(キャンパスが離れているので、さらに情報が伝わってこない)。技術士試験のような、業界ごとの標準的な基準があるなら、それに向かって人材養成する、という方向に進むのが一番確かでしょうし、工学部はそういうことがやりやすいのかな、とも思います。


by Tama at 2005-12-32 22:54:32
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

東大工学部っていうか教養学部の理Iで、2年ほど留年したやつです。15年前くらいになりますかね。
大半の科目が必修で、勝手にクラス分けされてこの枠でこの講師の講義を受けろと決められていました。必修は1つでも落とせば即留年確定、それでいて講師ごとの難易度差は結構大きく、「8割を不可にした」という伝説を持つ講師に当たった時は誰もが留年を覚悟したものです。
#私はその科目は合格したくせに他落としましたがw
必修じゃない科目を大量に取っていたので、取得単位数はトップクラスなのに2留、という稀有な経験をさせてもらったわけで。
工学部を卒業するときは単位ぎりぎりでしたね。なぜか農学部の単位を持っていたので、それで充足して卒業しました。

そんな経験をしてきたので、「出来ないやつは留年」があたりまえだと思っていました。「留年させるシステム」で、かつ「留年が少ない大学」というのが高い評価を得るべきだと思いますけどねぇ。そもそもシステム変えられたら、留年者数というのが評価の対象にならんだけのような。
#大学評価機構には個人名で意見出したっす。人事のやつに言ったら、「だから入社時の研修が大幅に増えた」という返事が。こっちはこっちで、それを自部門の成果として数えてるらしく・・・なんか悪循環っぽい。


by mk at 2006-01-29 20:38:29
Re:大学評価の基準が人材育成の邪魔をしている?

時機を逸した書き込み失礼いたします。
以前、大学評価・学位授与機構の評価に関わった経験があるので一言いわせてください。

 >「留年者の数が多いというだけでさんざんな評価をしてくる」のだ。理由は一切斟酌しない・・・
というのは誤解です。少なくとも、教育の質を落としてでも留年者を減らせばよい、などとは機構は言っていません。
(機構の定めた大学認証評価基準の5-3-2は「成績評価、単位認定、卒業判定が適切に実施されているか」です。)

ご指摘の「お達し」も、Tama氏の言われる「留年させるシステム」で、かつ「留年が少ない大学」を目指して欲しいと言いたかったのが誤解あるいは過剰反応されてしまったのだと思います。
(そう取られる書き方をした機構にも責任がありますが、(大学には悪いですが)大学のこのような反応には機構としても頭が痛いのではないでしょうか。)

というわけで、「人材の質を保証するような評価を」とクレームを出しても、機構としては「すでに考えている」で終わるのではないでしょうか。むしろ、そういう評価にするために、今の評価のここが悪い、ここはこうした方がいいという意見の方が意味があるのでは?

本当のところ、為すべきことを胸を張ってしていればいいと思うのですけれど、難しいですね・・・。