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他者性とか理解とか

Posted on 12月 12th, 2005 in 倉庫 by apj

きくちさんのblog経由で知った情報。茂木さんが水伝批判を書いておられたとのこと。日付は2002年8月だからかなり前になる。後半が興味深かったので引用しておく(改行位置を変えた)。

第二に、これはおそらく「水は語る」のような本を買って感動する読者の心性を考える際により本質的な問題になると思いますが、「他者性」への感受性が欠落していることです。
自分が善意を持っているから、あるいは何かを美しいと思っているから、他者もその感受性を共有して何らかの感応を示すべきだ、そのような世界は心地よいと思うのは、ファシズム的心性です。
相手が人間であっても、この意味での他者性の尊重は重要な倫理問題になる。ましてや、相手が水だったら、なぜそんなもんが自分と同じ感性を共有していると思うのか。
そのような心の持ち方は、世界の中には自分のことなど気にもかけない、絶対的に異質な他者が存在するのだという事実を許容できない、小児的心性と言えるでしょう。

 同じようなことを、蝉について考えたことがあったので、この話は納得しやすかった。
 夏場にうるさく鳴いてるあの蝉について考える。人間一般の基準をそのままあてはめた場合、「長い間土の中にいて、太陽のもとに出てきたと思ったら一週間か十日で死んでしまうなんて……」となりがちである。そのような内容の童話や漫画を見たことがある。しかし、蝉が土の中にいる時間>>>地上で過ごす時間、であることを考えると、蝉はオケラと同様にもともと土の中で過ごす生きものであり、つがいの相手を見つけるには土の中よりは地上の方が効率がいいから、最後の産卵のためにあの形態を取るのだ、と理解することもできる。そうすると、「地上に出てから一週間かそこらの命」から受け取るイメージが全く違ってくる。つまりは、人間の基準を他の生きものに当てはめて考えたって、ほとんど意味がないし、むしろ間違っていることの方が多いだろうということである。そして、蝉が本当はどう思っているかは、人間には永久に理解できまい。


ここからは旧ブログのコメントです。


by apj at 2005-12-37 01:32:37
Re:他者性とか理解とか

 茂木さんの指摘は参考になる。
科学リテラシーの授業のネタとして、文部科学省「こころのノート」の小学3,4年生用のものを取り上げている。使っているのは52ページから55ページまでの「植物も動物もともに生きている」という部分。菊の茎が折れたからティッシュペーパーで包帯をした話とか、「人々は古くから植物や動物と心を通わせながら生活することを大切にしてきました」と書いてあって、白鳥にえさをやっている写真・屋敷林に囲まれた農家・蜜蜂を飼う養蜂家、の写真の三連コンボが出ていたりする。理科で解決すべきことを道徳で解決しようとするな、と講義では教えているのだが、茂木さんの指摘の「他者性」ということを考えるならば、道徳としてもやっぱりこれは致命的にまずい。人間の側が心を通わせているつもりになっていても、そんなものは一方的な思いこみであって本当のところはわからないが、それでも自然(動物、植物)との関わりなしに人間は生きられない、ということを、まずは教える必要があるのではないか。その上で、どうすればうまく周りと折り合いを付けて生きていけるのかを考えて、どんな時に科学を使うといいのかも考えることになる。