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補習とかレポート採点とか

Posted on 8月 9th, 2006 in 倉庫 by apj

 本日は午後から補習。一番ついていくのが大変そうが学生は、高校で数IIIも数Cも物理もやっていないという、三連コンボ状態。「山形大は入るのは易しかったが……」と言うから、「そりゃ入るのが易しくても大学の教育内容は他と変わらないのだから、高校でやってない分大学で勉強してもらうしかないなあ」と言っておいた。ちょっと話をしていたら、何だか英語も大変そうだったので、「2,3年で必修の化学英語があるから、今からでも旺文社の原の英標やっとけ」とアドバイスした。化学英語のテキストにしても、その後ゼミで読む論文にしても、構文とれなきゃ死ぬわなあ。
 しかし、高校の授業を選択制にして骨抜きにした阿呆は一体どこのどいつだ?理系に来るのに数IIICが手つかずなんて冗談ではない。じゃあ英語や国語に力を入れて教育したのかというと、どうもそうでもないらしい。そもそも履修できないカリキュラムが組まれているのでは、学生に責任はないわけで、やっぱり高校の責任だし、そんな骨抜きを可能にする制度を作った文部科学省の責任だろう。

 昨日がレポート締め切りだったので受講者156人のクラスのレポートを引き取ってくる。大学のロゴ入りの封筒にはおさまらず、手提げ袋に入れられていた(汗)。
 で、こういう状況を見るにつけ、一昨年だか参加させられた「FD合宿」に腹が立つ。魅力ある授業作りとかなんとか言って、グループで討議させると、当然、教員何人かがかりで少人数の学生を指導するような講義案が出てくる。ところがこっちは、一人でマスプロ授業せよということになっているわけで、泊まりがけで合宿までした意味はまるで無い、ただの無駄である。新しい講義のアイデア出しのために教員を拘束するんなら、それに参加した教員にはちゃんとそういう仕事をさせろよな。その気がないなら、形だけのFD合宿なんか意味がないからやめてしまえ。それでもやるっていうなら、受け持ってる講義の規模別に教員を集めてアイデア出しをさせろ。20人から30人の小規模のクラスと、150人超えるようなクラスでは、双方向の授業で学生を参加させて云々っつったって、同じにいくわけがない。いかに効率よく学生に知識を伝えるかとか、いかに学生の興味を持続させるかなんて、規模を考慮せずにできるわけがないだろ。そのへんを無視して延々合宿をやってるってことは、ひょっとして「合宿することに意味がある」とお偉いさんが考えているからですか?