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訴状を見たい、是非見たいぞ……

Posted on 3月 18th, 2008 in 倉庫 by apj

 YOMIURI ONLINEの記事より。

「授業なし・宴会だけ」に弁護士、一橋大と指導教授ら提訴

 一橋大大学院に入学した東京都内の佐藤文昭弁護士(34)が、指導教授の授業を一度も受けられなかったとして、同大と指導教授などに入学金や授業料計約239万円の返還などを求める訴訟を17日、東京地裁に起こした。

 訴状などによると、佐藤弁護士は2002年4月、同大学院国際企業戦略研究科に入学。修士論文の指導教授の授業を受けようとしたが、この教授は02~04年度に一度も授業を開かず、各学期の初めと終わりに宴会を開いただけだったという。その後も指導を受けないまま、今年1月に修士論文を提出したが、不合格にされたとしている。

 一橋大の話「訴状を見ていないのでコメントできない」

(2008年3月17日22時44分 読売新聞)

 一度も授業が無くて宴会だけか……。そりゃ普通は訴えられるわな。ってか弁護士を入学させてこんな指導は危険すぎるだろ(違。
 丸2年開講せずなんてのは、普通は体調不良で入退院といった状況しか考えられないが、それならそれで早めにフォローするものだし。第一この先生は宴会はしていたのだから元気そうだし。一体何をしていたのかが激しく謎。いや、何もしなかったのかこの場合は。

信じぬ者は救われる

Posted on 3月 17th, 2008 in 倉庫 by apj

 「信じぬ者は救われる」を菊池さんから献本していただいたのでコメントをいくつか。

 既にいろんなところで感想や書評が書かれているけど、この本は、ニセ科学を批判する本ではない。なぜニセ科学を信じるのかを考えるための本である。
 「ニセ科学、スピリチュアル、悪徳商法がつながっている」という見出しが30ページにあって、菊池さんの発言が

僕も、「どれがウソでどれが本当かもっと教えてほしい」と言われるんです。だけど、それを言ったって、言われたものについてああウソなんだとか、本当なんだって思うだけじゃないかという、そんな無力感があります。結論だけあればいい。

 これは、私も同じ事を感じてきた。水商売ウォッチングの方で実例を取り上げていて、それなりにパターン別になっているから、考える手掛かりになるはずなんだけど「ウォッチングで取り上げていない○○は信用していいのか」という質問がやってくる。その○○の宣伝を見に行くと、ウォッチングで取り上げている別の製品の宣伝文句と似通ったものが一杯出ていたりする。公開している議論を通して知ってもらいたいことは、議論の仕方や目の付け所であり、私は一つの例を示しただけだと思っていたのに、「正解が書いてあるはず」という誤解が後を絶たない。どうすれば、考え方が大事なのだということを伝えられるのか、いつも悩んでいる。
 私が、私のできる範囲でニセ科学を斬ってみせることは簡単なのだけど、それをそのまま受け入れてしまう人は、新たなニセ科学が出てきた時には多分また騙される。
 パターンの違うものに騙されないようにするには、悪徳商法への対処と同じで、「なぜそれを信じたのか」まで一度立ち戻り、各人が「信じてしまった自分」と徹底的に向き合う以外に解決策はないのではないか。でも、多分、それはとても辛い作業になる。誰だって「自分の経験は正しい」と思いたいし(そうでなければ不安になってしまうし)、「自分が信じたものは良いものだった」と思いたい筈だから。この「思いたい」を否定する作業が必要なのだとすると、ただ単純に正しい科学的知識を伝えるだけでは、その言葉は決して届かないだろう。
 弁護士の紀藤正樹は、人間が本来持っている力ではないものに頼る発想を「インスタント志向」と呼んだ。納豆で痩せようとか、水で健康になろうという悪徳商法系のニセ科学を信じることと、スピリチュアルに頼って癒しを得ようとすることは、両方ともこれに当てはまる。しかし、「インスタント志向」で有形無形を問わず商品を売り、売れれば勝ちという社会で暮らしていると、「インスタント志向」そのものの否定は極めて難しくなる。第一、科学(と技術)の側だって、人間が本来持っていない力をいかに理解して人間のものにしていくかという営みを行ってきた。「因果関係を見いだして信じる」ことが人間の基本仕様の1つであり、「インスタント志向」が今に至る文明の発展及び経済活動の基本なのだとすると、否定するのは多分無理で、この2つを間違って使わないように適切に制御するといった発想でないと対応できないのではないか。
 元々人間は、信じたい気持ちやインスタント志向を持っていたのだけど、そのままでは実現しないから、後付けで科学(とそれを利用した技術)というものを獲得して、本来の「気持ち」にとっては回り道をして実現してきた。人間の持ち物ではないものを獲得したプロセスを忘れたり、油断して楽な方を選ぼうとすると、この「回り道」をついはしょりたくなってしまって騙されるということなのだろう。
 「信じぬ者は救われる」というこの本のタイトルは、人間の基本仕様にストレートに言及しているものだと思う。明快な答えを期待しないで、一度読んでみてほしい。この問題について、今、明快な答えが提示されるとしたら、それは多分嘘だから。

打ち合わせをしつつ戻る

Posted on 3月 14th, 2008 in 倉庫 by apj

 広島から山形に戻った。

 東京で一旦駅を出て、毛髪科学技術者協会の方と打ち合わせ。美容室向けのパーマ液等の毛髪用の薬剤を製造販売している会社の団体である。4月に講演を頼まれたのでいろいろと……。今回の依頼は、以前、東京理科大の市民講座で話をしたことがきっかけであった。真面目にやっている業者さんを力づける内容をお話できればと思っている。
 打ち合わせでいただいた資料の中に「QCP」という名前のミネラル液の宣伝パンフがあった。「声かけ核実験」の高尾博士による「元素転換認定商品」だそうで……。1リットル20000円のミネラルが入った水溶液で、これを使ってパーマ液などを調整せよということらしい。また、なぜか美容師さんに「液体の混合」が好きな方が多いのだとか。混ぜてお客さんに最適にする、という部分にこだわっておられるらしい。販売する側としては、混ぜなくて良いようにして出しているのだけど、という話。混ぜると大抵は性能が落ちるわけで「どうすればいいだろう?」と訊かれたので「いっそのこと、混ぜてから使うという製品を出してみては?」と言ってみた。混ぜる比率に多少幅を持たせて調整できるようにしておけば、美容師さんの混ぜたい気持ちを満足させつつ、混ぜてうまくいくパーマ液が出来上がるのでは、と思ったもので……。

 広島駅で、にしき堂のもみじ饅頭を購入。以前、にしき堂のパッケージのキーホルダーがあったが、壊れてしまったので、また買おうと思ったら製造をやめたのか、全くみかけない。そのかわり、キャラクターもののご当地キーホルダーが大量に並んでいた。無理にキャラクターものばかりにしなくてもいいのに……。

逆だった(?)わけだが……

Posted on 3月 13th, 2008 in 倉庫 by apj

 YOMIURI ONLINEの記事より。

横浜市大の論文審査、教授ら十数人にも院生から現金

 横浜市立大医学部(横浜市金沢区)の嶋田紘(ひろし)医学部長(64)の研究室で、学位取得の謝礼として現金の授受が行われていた問題で、嶋田学部長のほかに教授ら十数人が大学院生らから現金を受け取っていたことが12日、関係者の話で分かった

 同大の調査検討委員会も同様の事実を把握し、医学部全教員を対象に調べている。文部科学省は同日、事実関係の調査・報告を速やかに行い、再発防止策を講じるよう同大を指導した。

 関係者によると、学位取得を巡る現金の授受は嶋田学部長が消化器病態外科(第2外科)の教授になった1992年ごろから始まったとみられているが、2000年から05年ごろにかけて、少なくとも研究室の大学院生らの論文審査で主査や副査を務めた教授ら十数人が、現金を受け取っていた。額は10万円のケースが多く、一部だけを受け取るケースもあったという。

 横浜市大は05年に、理事長名で贈答の授受や饗応(きょうおう)接待を受けることを禁じる通知を教職員に出している。嶋田学部長はその後も謝礼の受け取りを続けていた。嶋田学部長は「謝礼を受け取り、預かったが、研究報告会や学位取得の記念品などのために、医局で積み立てて使い、個人として受け取っていない。しかし、金品の授受は誤解を受けるものと考え、医局長と相談の上、返還している」とのコメントを出した。

 一方、文科省はこの日、横浜市大の事務局長を呼んで指導するとともに事態の説明を求めた。同省大学振興課は「現金のやりとりは論外。なぜこのようなことが起き、どう立て直すのか、しっかり対応してほしい」と話している。
(2008年3月13日03時00分 読売新聞)

 医学臨床系の特殊事情だろうか。理学系、特に物理では、博士号を得るのに、教授に謝礼を渡すというのは聞いたことがない。
 私が最初の学位を得た時は、審査にパスした後で主査の先生が、研究室主催のお花見&食事会に誘って下さり、その研究室で無事学位を取った人に交じってお祝いをしてもらった。
 論文博士の審査に通った時は、審査の後、世話人になってくれた教授夫妻(=お茶大の冨永教授)が「お祝い」だといって大学前のレストランでお昼をごちそうしてくださった。
 もちろん、正規の授業料や大学の事務を通して納める審査料以外のものは支払っていない。
 両方とも、どっちかというと、記事とは話が逆なんですが……。

久しぶりの広島大

Posted on 3月 12th, 2008 in 倉庫 by apj

 午前中、目黒区立東山中学校で話をしてきた。建物はキレイだし、生徒さんたちの雰囲気も良かった。
 私の話は、普通に進学してもいろんな騒動に巻き込まれるとか、何をしたいかなんてやっていくうちにしかわかってこないとか、ニセ科学宣伝をしているあぶない商品がいろいろあるとか、悪徳商法によって販売されていることも多いとか、高校までくらいの理科の知識で危ないものを避けることが相当できるはずなので試験が終わったら忘れるんじゃだめだとか、いろいろ話をしてみた。今回は、出張ついでのボランティア講師(出張旅費が別件で出ていて、移動の途中の空いた時間に入れた)。
 酔うぞさんの話も面白かった。使いながら作っていくしかないというのは、それなりにネットと関わりの深い人でないと言えないのだろうなぁ、と思いながら聞いていた。学校でネットを使うということになると、どうしても、既にある物を使うとか管理するという発想になりがちなので。

 夕方、広島へ。久しぶりの広島大学。半年暮らしていた時と、周辺はそんなに変わっていない。キャンパス内の学士会館に宿泊できたので移動が楽である。適当に食事したり買い物したりして、明日の発表のスライド並べ替えやら新規製作やらをしないと……(中学校用スライド優先で準備したから、後回しになってる)。

法との付き合い方を教えてはどうか

Posted on 3月 7th, 2008 in 倉庫 by apj

法律と教育は、実は相容れない」を読んで。

 だから、生徒が「校則違反してるわけでないのに、なんで叱られなければならないのだ」と言い出してその主張が通ったり、先生が「きっちりと指導したいから、誰の目にもはっきりする基準を儲けてくれ。スカート丈は、何センチと決めた方が、だれにも公平で指導がしやすい」と言い始めたら、その学校は、教育機関でなくなってしまう。校則にしろ、スカート丈にしろ、「線引き」に判断をゆだねているからだ。

 「線引き」することが合理的で妥当かどうかの検証を怠たりさえしなければ、線引きしたってまったく構わないはずだ。基準を設けることがいけないのではなく、理由が説明できない状態で基準を運用することがまずいということだろう。どうも、問題提起がずれてしまっているように見える。ここは、線引きの意味を見失うな、と言わなければならないところではないか。
 また、「校則違反してるわけでないのに、なんで叱られなければならないのだ」と言われたときに、きちんと説明することが出来ないのなら、叱った方が多分何かを間違えている。

 共同体の維持は、明文化されない「不文律」が「常識」や「モラル」として遵守されているからできるのだ。判断基準の全てを法律や校則による共同体は、相当に住み心地の悪い社会になるだろう。なぜなら、構成員には、常識もモラルもないということだからだ。それで、人間が共同体のメンバーとして生きる上での常識やモラルの育成の役割を担っているのが公教育であったり、家庭教育だったり、地域社会だったりする。

 構成員に常識やモラルが欠けていても、全てを法律や規則で判断することにすれば、それなりに居心地のよい社会が出来そうに思うのだが……。それだけの緻密で多量のルールを決めて運用するという部分に、ノウハウが必要になるだろうけど。

 「それを学校でやっても良いことかどうかの判断」は容易い。「それ」を全てのメンバーが行ったときでも学校が機能するかどうか、である。

 全員が守らなくても学校が機能するような校則、つまり余計なものを定めていないかどうかの検証の方が先だろう。
 どうも、社会には、定めてあっても守る人が少なかったり、守らせる気もない規則が多すぎるように思う。車の制限速度は法律で決め、駅前に自転車を無闇に置くなというのは、条例あたりで定めているのだろうが、守られる率が少ないものである。つまり、規則を無視することが一種の文化になってしまっている。
 モラル、というかやった方が良いことの集まりがまずあって、その中で最低限これだけは強制力を持たせましょうというのが法で、その中間くらいにあるのがローカルな規則ということになるのだろう。生徒を共同体の一員として訓練するというのであれば、規則に頼らずモラルを教えよう、というのではなくて、規則をどう定め、どう適用し、どう改正するかというプロセスを教えないとまずいのではないか。

 法律も校則も、その共同体の成員が「最低限に守るべき事項」を明文化したものである。だから、「法律(校則)にさえ触れなければいいさ」「抜け穴を探せ」などということを全てのメンバーが言い出したら、その社会は共同体としての機能を失う。

 わざわざ、抜け穴を探すなどという面倒なことをしなければならないのだとしたら、規則が本当に必要かどうか、何故必要だったのか、変更してより良いものにできないかを考えてみた方がよい。それで、少々不便だけど守る利益がある、ということになれば、それでもかまわない。
 私が何故この話題にこだわっているかというと、中学校の時の制服について定めた規則について、未だに納得していないからである。女子の制服は、セーラー服で、スカート丈は大体決まっていて、スカーフはそのまま結ばず下に垂らせ、靴下は三つ折りにしろ、といったものであった。ところがこれが甚だ不合理なのである。制服の方は入学時の体格と入学後の成長分を見越して入学時に大きめのものを買うのだが、スカーフのサイズは1種類。身長にもよるが、結ばないと長すぎて、食事の時には汚すことが多かった。靴下の三つ折りも、夏場はそれでもいいのだが、冬の寒いときには延ばす方が合理的、というか気温に応じて調整するのが服の本来の役割の筈である。でもって、これを強制する教師の理屈が「中学生らしく」「服装の乱れから生活の乱れが始まる」といったものであった。ついでに言うと、いわゆる「不良がかった」生徒は、そのような規則は当然破りまくりである。
 常識的に考えて、女子生徒全員が靴下の三つ折りを止めたために学校として機能しなくなる、などということはあり得ない。スカーフを結ぶな、について、見てくれ以外の合理的理由をつけられるとしたら、後ろからスカーフを引っ張って首を絞められた時に危険だから(結ばず上衣のループに通しているだけなら引っ張れば抜けるから安全)というものだろう。
 このことから経験的に学べるとことがあるとしたら、次のようなことだろう。
・規則の根拠に合理性はない。
・規則とは誰かが勝手に決めるものである。
・作った側が真面目に守らせる気のない規則がそのままにされる。
・規則を守らなくても、実は大したことにならない。
 これでは、共同体の一員をつくる教育としては、逆効果でしかない。
モラルに頼って、規則の作り方や運用の仕方の教育をおろそかにしてはいけない。

生徒の中には、「オレだけだから良いだろ」ということが多い。じゃあ、「なぜ、「オレ」だけがしなくて(或いは、皆もしたいのに我慢していることをすることが)許されるのか」ということである。他の人の存在はどうなるのか。これは、公平や平等から外れる考え方である。

 「ルールがタコだから」と答えなければならない場合もある。あるいは、リスクを背負うのもオレだから、と答える場合もあるだろう。

しかるに最初から「外れること」を是認していたら、「外れる人」の割合がもの凄く増えてしまうだろう。ヒトは、もともと、個性、個性と連呼しなくても、したいことやしたくないことは個体によって大きく異なるものなのだ。

 そうであるなら、他の人の存在は考えることに、常に意味があるとはいえない。その「オレ」が何かをしたとして、他の人がやりたいことはそれとは別の何かになるはずだからである。
 どうも、前の方に書かれていることとうまくつながらない。具体例が無いので、非常にわかりにくい。

 どんな社会を作りたいかというところから、絶対にしなければいけないこと(法定される)と、した方が良いことと、しない方が良いことが出てくる。余裕があるときに、このつながりに立ち戻ることさえできれば、普段は線引きで判断のコストを下げるというのも有りだろう。
 法と教育が相容れないとは私は考えない。むしろ、線を引いたり引かれたりという経験をすることで、法やルールとの付き合い方を学んだ方が有益である。

【追記】
 石田さんのトラックバックを参考にして、大事だと思うチェックポイントを1つ。
 改正手続きが明示されていない規則は欠陥品であり、規則と呼べる代物ではない。
 構成員にわかりやすく手続きが示されていれば、その条文内に全てが書かれていなくてもよい。「規則制定改廃の手続き○条による」とか何とか書いてあればOK。もちろん、手続きの中身が民主的であることは必要条件である。

日経サイエンス4月号、の議論の続き

Posted on 3月 6th, 2008 in 倉庫 by apj

 元エントリーは「日経サイエンス4月号」。期待していた議論が、くだらない理系文系ルサンチマン論争でどこかにすっ飛んだので、仕切り直しをする。
 最初にコメントをくださったkaeyさんが、次のようなメールをくださった。メールを題材にしてエントリーを上げることを快諾してくださったので、以下に引用する。

 4月号の『似非科学と非寛容』を一読して心に浮かんだのは、ニセ科学が跋扈するのはなぜかという疑問です。
 これについて記録を調べたり、具体的な事例を集積したり、きちんと調査研究したわけではないので、概論的なことを評論的に述べるしかありません。
 理由はひとつではないでしょう。怪しげな摩訶不思議やニセ科学跋扈の原因として沢山考えられる中で先ず私に思い浮かぶのは、科学が人類に害悪を及ぼしたり、被害を受けた人々が追及したその原因が科学技術であった事実ではないかということです。
 例えば、広島や長崎に投下された原子爆弾や近代戦争に使われた最新兵器・工場排水によって引き起こされた水俣病やイタイイタイ病・シックハウス症候群・ シアン化カリウムやアジ化ナトリウムによる毒物中毒事件・茨城で起きたICOの臨界事故・アスベスト問題などなど。人々に甚大な被害が出て大事件になり、 人々によく知られるようになった出来事では、人体に危害を加えた直接のものが化学反応や物理反応になっています。このような事件を引き起こした主体は人 (人為というやつです)ですが、一般人々は「科学」が凶器になって人に襲いかかったという印象を持ちます。実は科学そのものではなく、科学に基いた技術が 生み出したものがそうなっているのですが。「科学」とひとくくりにされがちです。
 その印象からさらに「科学」≈「生命を脅かす凶器になることもある」≈「生命を脅かす凶器になる」≈「凶器」という風に印象が進んでしまうと、科学が悪いものになってしまいます。 科学は人間が自然界を理解したり役立つものを得るため方法だったりする、中立的なものなのに、「悪いもの」という風に修飾されてしまいます。科学の本質をあまり理解していない人は、このような印象に流される場合もあるでしょう。
 そうするとその極端な反動として、非科学的がものが「善いもの」という価値観も生まれて来るでしょう。宗教団体が作るパンフレットなんかによくある絵 は、いろいろな動物や人が田園風景の中で仲良く暮らしているというもの(私には胡散臭い)で、そこに科学技術を象徴するような事物は出てきません。科学と 離れたところに理想の楽園があるかのような印象を与えます。
 以上のように、科学が人類にもたらしたいい面を忘れ、悪い面だけがことさら記憶に残った結果、科学を毛嫌いする風潮が生まれ、それが怪しげな摩訶不思議を受け入れる素地になっているのではないかと思います。しかしながら、多くの人がそのような考えに陥っているという訳ではありません。飽くまでそのような 風潮があるというだけの話です。
 そして、人々が「こうあって欲しい」という希望をかなえるのに、摩訶不思議だけでは十分ではないときにニセ科学が使われるのではないでしょうか。つまり、都合のいいところだけ科学的検証の方法論を利用するのです。科学をよく理解できない人には、科学的であることとそうでないことの区別が明瞭ではありません。また、いくら科学は怖いと思っても、現代の日々の生活で科学技術の恩恵を受けていない人はないのですから、自分に都合のいいところでは科学を受け入 れます。
 私は、科学や技術から生まれてきたよい点と悪い点をきちんと捉え、それに関わった人間活動を踏まえてきちんと分析し、それを啓蒙することが、このような 風潮を消すために大切ではないかと考えています。

 やっと本筋の議論に戻ったという感じです。まずは、メールを紹介させていただきます。意見交換はコメントの方で……。

郷里の珍味、養殖成功

Posted on 3月 5th, 2008 in 倉庫 by apj

 MSNサンケイニュースの記事より

初の養殖ニゴロブナ水揚げ 琵琶湖、フナズシ向け
2008.3.5 12:10

 琵琶湖独特の食文化、フナズシを安価に提供しようと、滋賀県安土町の女性が天然ものの激減で高騰している原料のニゴロブナの本格的な養殖に成功、町内の養殖池で初の水揚げが始まった。池は、かつて湖だった場所で水田を掘削。昔の琵琶湖に近い環境で薬品などを使わず育てるため、天然のニゴロブナと同等の品質が確保できたという。水揚げしたフナはコメと混ぜ合わせて塩漬けし、11月にフナズシとして完成。「天然もの」の約半値で出荷する予定だ。
 これまで成功例がなかったニゴロブナの養殖に挑戦したのは大島正子さん(45)。農家を継いだ大島さんが平成9年、試行錯誤の末、養殖法のめどが立ち、地元企業の支援を受けて18年に養殖・加工・販売会社「飯魚(いお)」を立ち上げた。今年、ようやく本格的な出荷の態勢が整った。
 養殖池の面積は2.7ヘクタール。今年は約1ヘクタール分で育てたニゴロブナを水揚げする。激減の主な原因とされる外来魚やカワウがいない環境に加え、エサだけでなく池に自生するエビやアカムシで育った養殖魚はかつての天然ものに近いという。
 水揚げ作業は、普段は1.6メートルある水深を50センチほどまで下げ、底に集まったニゴロブナを網で捕獲。スシ用の20センチ以上のフナを選別し、いけすに移した。「初の水揚げ」を聞きつけて見物に訪れた滋賀県モロコ・フナ養殖研究会のメンバーは「ものすごい数だが、どれも生きがいい。土がええんやろな」などと感心しきりだった。
 水揚げは今週いっぱい続けられ、来週から地元の漁師が伝統的な手法でフナを漬ける。2トンの出荷を見込んでおり、販売価格は20センチ前後のフナズシで2000~3000円程度を予定している。

 フナ寿司は、いわゆる寿司を想像すると間違いで、ぬかみそ付けのぬかの代わりに米を使い、キュウリやナスビの代わりにフナが入っているという、つまりは「フナの米漬け」で、滋賀県の珍味である(なれ鮨という)。発酵させて作るので、独特の香りのする酸っぱい魚になる。食べる時は、米を全部取り除いて、フナを切って、醤油や薬味をつけて食べる。好き嫌いが分かれるが、好きな人はトコトンはまるらしく、郷里では、フナを買ってきて普通の漬け物同様に、家に樽を用意して漬けている人もいる。最近では、フナが品薄になってしまったため、中サイズのフナ寿司でも買うと一匹3000円ちょっと、大型のものだと5000円ほどしていた。料亭で出してもらうともっと高いだろう。養殖が難しいので値段が下がらないということだったが、今回、養殖に成功したのであれば、もう少し手頃な値段で手に入るようになるかもしれない。
 外来種が原因でフナが減ったというのは事実で、琵琶湖もブラックバスに悩まされている。外来種だっておいしくいただければみんなが採るから減るだろうということで、ブラックバス鮨は既に試験製造が行われた。しかし、サイズが大きいので、きちんと発酵するまでにフナの倍の時間がかかる上、味の方は淡泊すぎて物足りないそうである。従って普及はしていない。

 こんなことを書いていたら、小学生の時、5年生になると理科の授業でフナの解剖実習があるときいて、心待ちにしていたのを思い出した。結構楽しかったのを覚えている。それをきっかけに、理科教材の解剖器具セットを買い、夏休みのイベントの鮎つかみ取り大会に持っていって、食べる前にしっかり内部を見てからおいしくいただいた。

中学校で話をします

Posted on 3月 4th, 2008 in 倉庫 by apj

 3月12日に東山中学校で話をする予定。この春卒業する生徒達に、世の中いろいろ危ないモノがあるという話をしてほしいということで、酔うぞさん経由で依頼が来たので引き受けた。午前中に、私と酔うぞさんで話をする。
 ダイエット法やマイナスイオンが怪しいとか、テレビを疑えといったことを易しく言ってみる予定。後は、人生は予定通りにも予想通りにもいかないとか、勉強はずっと続くとか、そういう話も盛り込んでおこうかと。
 高校生相手は去年やったけど、中学生は初めてなので、どうしたものかと思案中。

日本システム企画株式会社について情報を募集します

Posted on 3月 3rd, 2008 in 倉庫 by apj

 日本システム企画株式会社(NMRパイプテクターを販売)が、宣伝に際して天羽についてどのように言及しているか、情報を募集します。

 経緯は次の通りです。

 ここ数年、この会社関連で「売り込みを受け、マンション管理組合の一部の人が熱狂的に進めようとして困っている」という相談がなぜか多いのです。ウェブでとりあげた他の会社は殆ど何もなくて、ここばっかりです。不思議に思っていたのですが、どうやら、この会社は宣伝に際して天羽の名前を出しまくっているため、ネット検索した住人の方が連絡してくるということのようです。そこで、天羽について一体何を吹聴しているかを知りたいので情報を募集します。
 できれば書面になっているものがありがたいです。出所がわかるものが欲しいです(何年何月頃、何県何市のマンションで……くらいまで。)。
 オフィス宛に送って下さると助かります(990-8560 山形市小白川町1-4-12 山形大学理学部 天羽優子 宛)。

 私に対する言及であれば、私には知る権利があると思います。

 とりあえず確認がとれた範囲では、次のようなセールストークを行っている模様です。
○「天羽が勝手にお茶大のウェブサイトを利用していて、処分された」←事実無根。お茶の水大のサイトは、冨永教授が置けと言ったから置いているだけ。また、処分された事実はない。
○「天羽は無職である」←実際には山形大学理学部物質生命化学科准教授(この主張は、突っ込めばすぐに引っ込めるらしい) 。無職ということにした方が、会社の宣伝上都合が良いのかもしれません。
#まあ、無職に近い状態も長かったので仕方ないかもしれませんが、もうそろそろいいでしょう^^;)
○「天羽は延々と営業妨害している」←2001年の1月から2月にかけてのやりとりの公表と対応のみ。あとは、クレーム第一号としてたまに言及している。数年にわたってあちこちから私のところに問い合わせが来るようなセールスを延々続けているのは会社の方である。というか、会社が私の名前を出し続ける限り、普通の人なら「ホンマかいな」と思って私に問い合わせしてきて、結果として私がいろいろ説明する羽目になるわけで。

【ご注意】売り込みを受けた方へ
 セールス内容を怪しんで天羽の名前をちょっとでも出すと、それだけで、その人だけ説明会の時に資料がもらえなかったりということがあるようです。暫くは天羽の名前を出さずに黙って話を聞いておいて、登場する研究機関の名前や研究者の名前が実在するか、その研究者がどんな人でどういう状況で登場するようになったのか等について裏を取る方が、より正確な情報が得られると思います。 ぶっちゃけ、私の名前は既にNGワード扱いされてます。また、ここで情報収集中と書いたことで、今後は会社が資料を回収しようとするかもしれませんので、ご注意ください。