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シャープペンの芯についてのメモ

Posted on 5月 30th, 2008 in 倉庫 by apj

 シャープペンの芯の堅さの件。
 Fを愛用しているが、
・三菱UNI (2種類)
・Pentel Ain
は期待通りの書き具合。
 PILOT ENOは上の2つに比べると書いた感じが柔らかめになので、硬めが好きな私には今ひとつ。ってか、書いてみて、HBを間違って入れたのかと一瞬思った。

 なお、書いた感じを確認するときは、違うシャープペンに入れると握った感じや重さが違うためわかりにくいので、同じシャープペンで芯だけ入れ替えてチェックしている。
 あくまでも私がチェックした、主観的要素が入る書き具合の話なので、チェックする人は自己責任で……って1ケース200円の芯の話だからまあ気軽にテスト可能でしょう^^;)。

人を切り離さないことによるメリットを知りたい

Posted on 5月 29th, 2008 in 倉庫 by apj

十年や二十年では変わらないコミュニケーションのあり方を読んで。

【追記】このエントリーのタイトルは、より正確には「論と論者を切り離さないことによるメリットを知りたい」となるが、言及先の表現に則り、人を切り離さない~と書いた。

 まず、気になった部分について、本筋とは関係ないがツッコミを入れておく。

「fjを経験してきた私たちは、(政治系ブログの人たちなんかと比べて)一段上のステージに達しているんだ」という自負を感じた。

ステージといったものは多分存在しないし、上下というものもないから、そこで感じているものは多分幻ではないかと思う。従って、

だが、本当にそうか。

という問いは無意味だと思う。

 さて、ここからが本論。

政治批判系のブログでは「属人的な議論をしている(から程度が低い)」というのが、アカデミズム系の人たちの一部からなされた批判だった。

 アカデミズム系というのがが何を意味するかはっきりしない。誤解を避けるために改めて書いておくと、私が指摘したのは、「属人的な議論をしている」から、さっさと終わる筈の議論がいつまでも紛糾したままになっていて、内容や理解が深まってもいかないのではないか、ということである。程度の高低の話ではなく、議論の効率が著しく悪いということを指摘した。

そもそも私は、自然言語の性質上、書き手の人格と書かれたテキストを切り離すことはできないと考えている。

 という読み方が必要になるのは、文学の解釈において作家を理解する場合の話ではないのかと。

ところが、今回アカデミズム側にいるある方に、「あなたのやっているのは印象批評だ」と指摘したら、「私は印象で書いている」と返されてしまった。これには、「膝カックン」だった。ひとたび確立したはずの、アカデミズムの世界の人たちの「ネットにおける議論のスキル」というのももしかしたら形骸化してしまっているのではないか、そんな「印象」(笑)を受けたのである。

 アカデミズム系にいるある方とは一体誰のことか。具体例を挙げて特定してもらいたい。議論を発散させないためには、批判の対象を限定し、明確にする必要がある。
 現代文の試験問題の材料ならば「この文中の”今回アカデミズム側にいるある方”とは誰を指しているか」といった問いを作ることに意味があるかもしれないが、議論をしている最中に、設問のネタを残すような書き方をするのは、読者に余計な労力をかけるだけなので不親切である。また、このような書き方をすると、読んだ人のうち自分が「アカデミズム系にいるある方」に該当すると考えた人全てがそれぞれの立場で反論し得るが、その中には、筆者が本来狙った人以外による想定外の反論も含まれることが予想される。結果として議論は全く収束しなくなることがある。これは、既に、論宅mercaがやって(=ニセ科学批判者という括りで議論したため私やきくちさんが反論したが、批判対象はそもそも全く別の人だった)、混乱を引き起こしたのと類似の手法である。
 実際「アカデミズム系にいるある方」が文章中で特定されていれば、私が何かを書く必要があるかどうかは、読んで直ちに判断できた。実際にはそうなっていなかったために、長々とここでこうやって説明している。批判対象を特定しない書き方は、関係のない人にまで無駄足を踏ませる可能性を常に伴っているということを、少しは意識してもらいたい。

だが、人間を切り離しての議論などできない、それが「政治批判系」の「水伝」批判派の何人かの主張だし、それには当ブログも賛成だ。

 それでは、人間を切り離さないことのメリットを知りたい。

 少なくとも、私が行ってきたニセ科学批判では、切り離すも何も論の中に人間など最初から存在しないし、人間そのものに言及するときは、例えば「主観的に因果関係を認めれば客観的に間違いでも信じる」といった、人間の仕様についての言及に限られていた。そういうやり方で議論をして、これまで、対象についての理解を深めてきた。人間を切り離した議論をすることのメリットの方は、はっきりしていると考えている。

 ニセ科学批判をしてきた経験から見ると、正月の水伝騒動はさっさと終わる筈のものである。一方が強固な水伝ビリーバーであれば継続的な批判が必要になることもあるが、今回は全くそうではなかった。ところが、水伝騒動が元の水伝ネタを離れたまま、時々ニセ科学批判に言及しつついつまでも終わらないのを見ると、議論から人間を切り離さないことのデメリットはあってもメリットが見当たらない。

 人間を切り離さないで議論することを支持するというのは1つの立場ではあると思うが、それなら、そのことによって得られるものが何かを示して欲しい。

 人間を切り離すとうまくいかないケースとしては、既にコメント欄の方で「文学の議論をする場合」(は作品と作者を切り離せない)というのが挙がっており、これについては私も同意する。ただ、この場合であっても、作品を議論している論者同士の間では、論と論者は切り離さないと解釈が水掛け論に終わりそうである。
 また、例えば、たんぽぽさんの文章を全て文学作品として扱うことにするのは、少々無理があると思う。

 水伝批判に名を借りて別のネタで対立している相手方を批判し続けるために役立つ、というのであれば、そういうことをしたい人にとっては、人間を切り離さないことがメリットであると言えるかもしれない。それならそうとはっきり言ってほしい。

 今回の議論を見る限り、論から人間を切り離さないことによって可能になったことは、
(1)論者にとって都合のよい読み方を読者に求めることで、論や表現の欠陥を隠す
 (実例:私がたんぽぽさんのエントリーについて批判を加えた時に、玄倉川さんが私に対して、”(書かれていない)たんぽぽさんのパーソナリティも理解すべきであると主張し、その際考慮すべきパーソナリティの内容は『「冷静」「時にシニカル」「割り切りのよさ」という個性』であると規定し、さらに、「それがある程度知的な大人が備えてしかるべき読解力だ」”と主張したという事実)
(2)相手の内心を勝手に推測し、そこから論を展開する
 (実例:たんぽぽさんのエントリーのうち、私が指摘した部分)
という、何らかのテーマについてまともに議論をし、そのことによってテーマに対する理解を深めようとした場合には、邪魔になりそうなものでしかなかった。

【追記で連絡】
 多分、このエントリ関連だと思うんですが、いただいたトラックバックを、たくさんのspamトラバ削除のときに間違って消してしまいました。心当たりの方はすみませんがもう一度送っていただけないでしょうか。

パスを探してくれてない?

Posted on 5月 23rd, 2008 in 倉庫 by apj

 IgorのXOP Toolkitを最新版の5.08にし、XCode3.0をインストールして、サンプルでついてきたXFUNCをコンパイル……は無事できて、できたXFUNCがMac ProのIgor Pro 6で使えることを確認。
 普段作っているXOPは、別のフォルダにまとめている。サンプルを丸ごとコピーして別のフォルダに入れてコンパイルしたら、ヘッダファイルが見つからないというエラーが出まくった。ツールキット付属のヘッダへのパスを見てないだけだろうということで、プロジェクトの情報(ビルド)→検索パス→ユーザヘッダ検索パスをダブルクリックし、付属のヘッダが入っているフォルダをD&Dして設定。
 さらに、libXOPSupport.aも探せなくなったので、プロジェクトウィンドウでlibXOPSupport.aを選んで、情報(一般)で、パス選択ボタンをクリックして、付属のライブラリを指定した。
 これで大丈夫かと思ったら
ld: library not found for -lXOPSupport
と言われて、gcc4.0が止まってしまう。
 プロジェクトの情報(ビルド)→ライブラリ検索パスに、libXOPSupport.aのある”/Applications/XOP Toolkit 5/IgorXOPs5/XOPSupport/Xcode”を指定したけどやっぱり認識してくれてないっぽい。
 後はどこを設定すればいいのだろう?

赤福餅入手

Posted on 5月 21st, 2008 in 倉庫 by apj

 神戸の裁判の帰り、新大阪駅から新幹線に乗ることになった。乗り換えに20分ほどあったので、新大阪駅で土産物屋を見ていたら赤福が入荷していたので、みんなで買って帰った
 昨年9月の口頭弁論で、新神戸駅で絵里タンと一緒に赤福を買って、暫くしたら日付偽装が発覚して営業停止になってしまった。2月頃に復活という話だったのだが、3月の口頭弁論の時はまだ神戸駅には無かったし、その後私が学会で立ち寄った新大阪駅にも置いてなかった。
 やっと安定供給されるようになったのか、今回は新大阪駅には置いてあった。新神戸駅には無かったのを見ると、総生産量は減ったということなのだろう。

冷凍冷蔵庫欲しい……

Posted on 5月 18th, 2008 in 倉庫 by apj

 5年ほど前に広島で買ったポータブルの冷蔵庫があるのだけど、その時は任期1年で引っ越す予定の上、学生向けワンルームの狭い部屋で暮らしていたので、邪魔にならないように外側が50cmの立方体の冷蔵庫を買った。ジュースや果物を冷やす程度には十分役立つが、製氷室(?)じゃなくて製氷皿置き場所は冷蔵庫の中で(つまり1ドア)、霜取り機能は無い。山形に越した時に買い換えるという手もあったのだけど、一応使えるしということでそのままになっていた。
 さすがに手狭だし霜取り機能も無いから霜付き放題で、その上ドアのパッキンの部分が劣化してきて密閉できなくなってきた。じゃあ思い切ってきちんとした冷凍冷蔵庫に買い換えるか、と家電量販店を見に行った。最近のはいろいろ機能がてんこ盛りで、家電製品市場が激戦区だというのはわかったんだけど……。私としては、別に自動で氷作ってくれなくてもいいし、ドアの数や引き出しばっかり多くても面倒なだけだし(観音開きってどういう冗談かと思った)、野菜用のチルドも要らない。それに、冷凍庫が引き出しだというのも今ひとつだし。木目っぽいなど高給家具調の外見も何だかなぁ……。白色は汚れがつきやすいから長く使うと見苦しくなるし。ということで、近くの量販店には「これなら買いたい」という製品が見当たらなかった。後はネットで下調べを詳しくするしかない。
 私が要求する仕様としては、そこそこ容量があって、外側も汚れがつきにくく拭き取りしやすいステンレスボディーで、冷蔵庫と冷凍庫それぞれ1ドアで、丈夫で長持ちなら良い。この条件で探したら、ホシザキの縦型業務用冷凍冷蔵庫が候補に挙がったorz。他社の業務用は奥行き80cmだが、ここのだけは65cmのものがある。ネット通販で値段を調べたら……メーカー希望小売価格976,500円、当社(=販売店)販売価格224,500円って一体どんな世界だよこれは。3割4割当たり前のビックカメラよりも激しい値引率って(汗)。定価をネットで調べる前だったからカタログを請求してしまったのだけど、どんな説明を書いたものが送られてくるか楽しみではある。
 他にもいろいろ調べたが、輸入物高級家電と分類される、値段高めの冷蔵庫も結構入ってきてることがわかった。買う人がいるんだ、と、ちょっと興味深い。まあ、確かに世の中にはセレブでリッチなおうちもたくさんあるからなぁ……。輸入物の方に、単純に冷やす機能に特化しているっぽい良さそうなものをいくつか見つけたが、貧乏な私には値段が高すぎて、割引価格でも買う気がしない。
 後は……仕様書通りに作ってくれる業者さんもあるようだが、飲食店を始めるわけじゃないので、あんまりそっちに凝るのはやめよう。

おうちをBフレッツにした件

Posted on 5月 17th, 2008 in 倉庫 by apj

 住んでいるアパートに、だいぶ前からBフレッツマンションタイプが来ているのを知ってはいたのだが、モバイル環境だけでも何とかなるので手出ししていなかった。しかし、先日、OSのオンラインアップデートにコケた挙げ句にシステム再インストールをするハメになるということが起きて、さすがにブロードバンドでないと厳しいこともあると実感したので、工事の申し込みをした。まあ、ウィルコムの料金が多少値下がりしたし、プラン2のマンションタイプは安いので、両方使ってもいいかという気になったことが大きいのだけど。
 で、本日午後に工事で無事開通。RJ11のケーブルが短かかったので、新しいのを近くの量販店に買いに行ったりしたが、一応安定して動いている。
 最初、Macからうまく認識しないっぽかったが、一回リスタートした後、「インターネット接続」の「接続」ボタンをクリックすると認識された。ただ、接続にいく前には「Ethernetケーブルが接続されていない」と、ケーブル断線を思わせるようなメッセージが出るので、一瞬、ケーブルかボードの不具合を疑った。
 当たり前だけど、速くなると非常に快適である。システムアップデートがさくさく済むのが嬉しい。

実は水伝はニセ科学以外の部分が多いのではないか

Posted on 5月 15th, 2008 in 倉庫 by apj

 「本当に「なぜいつまでも水伝?」なんです」を読んで。
 水伝(とりあえず代表としてこれを選んでみる)は、ニセ科学として批判しなければならない部分はごく一部でしかなくて、それよりもニセ科学を利用して人の間の意思疎通を阻害するという効果が甚だ大きいことが問題だという部分が、他のニセ科学とは異なっている。だから、ニセ科学の代表例として水伝を選ぶのはあまり適切ではないかもしれない。
 他のニセ科学の例としては、「アガリクスでガンが治る」「○○水でアトピーが治る」といった悪徳商法系のものや、古くからある「相対性理論は間違っている」(←こう主張する人の理解力が足りないだけ)といったものがある。これらのニセ科学が効果を及ぼす射程範囲は、自然現象に限られる。ガンやアトピーが治るという現象は、人の体に起きるだけで、自然現象の一つに過ぎない。相対性理論が間違っているといって別の理論を主張しても、その中身はやっぱり自然現象を記述するという範囲に留まっている。自然現象のみを射程とするニセ科学は、信じている人を説得するのは困難かもしれないが、別のものを提案するという形での対話であれば可能である。「アガリクスよりももっと効く××を試してはどうか」という話は、それが間違っているか正しいかは別として、相手の土俵での対話のために出すことは可能である。
 しかし、水からの伝言をいい話だと思う人というのは、「アガリクスでガンが治る」を信じる人とは根本的に違っている。水結晶が言葉に影響されるとか、それが実験操作により顕微鏡写真で見える、といったあたりについては、科学を装うが科学ではないので明白にニセ科学である。問題は、「水に言葉の使い方(や音楽の良さなど)を教えてもらってそれで良しとする」態度の方にある。
 もし、水からの伝言をいい話だと思う人が、「面倒な人付き合いなんかもううんざりだ。人に対して何を言うかを決めるのに、いちいち相手のことなんかかまっていられないし気にするつもりもない。水が教えてくれるなら楽だし面倒もないから、私はこれからあなたたちに対して発する言葉にについては全部水に訊くことにする」と主張し、各自が自分の手持ちの水に向かってひたすら語り続け、自分以外の他人の方は一切頓着しないという、コミュニケーション不在の荒野をひたすら作り続けるというのであれば、事の善し悪しはともかく筋は通っている。
 ところが、水伝をいい話だと思う人達に限って、「他人にどういう言葉を使うか私は気にしているのだ」と思い込んでいる。これは凄まじい自己欺瞞である。その上、この欺瞞性についてその本人はまるで無頓着であるという特徴がある。他人の方を全く見ないで水に向かってせっせと話しかけておいて、「私はあなたとお話ししていますよ」と主張するような人とは、普通に考えればコミュニケーションは不可能である。「いや、あなたが話しかけてるそれ、人じゃなくてただの水だし」としか言いようがない。
 ニセ科学の中でも、効果の射程が自然現象に留まる種類のものは、人のコミュニケーションそのものまで破壊はしない。効果の射程が「他人を正面から見ない」ものである場合は、人と人との関わりそのものを破壊することになる。

 このような見方をするならば、「アガリクスでガンが治る」「○○水でアトピーが治る」という主張と、「ありがとうと叫べば琵琶湖がきれいになる」という主張は、規模が違うだけで同種のものであるといえる。いずれも間違っているしそもそも科学ではないし、まともな医学の手柄を横取りするとか、計画を立てて湖の浄化に努力した住民の手柄を横取りするといった弊害はあるが、言及の範囲は自然現象に限られているからである。
 「道徳のあり方を水に決めてもらう」と「血液型性格診断(A型の人はこんな性格、と分類しようとする)」は、他人をきちんと見ないようにし向けるという点で、同種のものになる。ニセ科学を手段として使い、その結論が他人と正面から向き合うことを避けるものになっている言説は、むしろカルトが使用する言説に近い。人間関係に何らかのフィクションや妄想を導入するからである。

暖をとる(笑)

Posted on 5月 14th, 2008 in 倉庫 by apj

 ここ2,3日寒さがぶり返している。運悪く、越してきた年に買った安物電気ストーブが完全に故障。自転車通勤なので、夜帰ってくると手先が特に冷えている。手袋は洗って片付けてしまった。帰宅して、エアコンを入れても、手先がなかなかぬくもらない。
 仕方がないので、PowerBookの電源を入れて、本体とキーボードの温度が上がるのを利用している。つまりこのようにblogのエントリーを書いていると、指先が温まる。何だか用途を根本的に間違っている気もするが……。
#というかその昔、コンピュータ用のエアコンが効きすぎて寒いのでディスク装置に抱きついて暖をとっていたのとどう違うのかと……orz。

 それはともかくとして、5年使ってきた自宅用メインマシンのPowerBook G4 Titanium 15インチの動作が本当に不穏になって(しばらく使っていて温度が上がると断続的にキーンと音を立てるようになり、その音がしている間はディスクアクセスが止まるっぽい)、セカンドマシンのPowerBook G4 Aluminium 12インチでしのいでいる。以前、Titaniumの画面が全く出なくなり、修理を待つ1ヶ月以上の間、パソコン無しでは過ごせないので小型のものを急遽買ったのだった。
 OS9が動く環境を外せなかったりするので、1台はきちんと動くG4(OS 10.4.x)を持ってないといけないのだが、そろそろMacBook Proの買い時かなぁ。ディスクも大きな容量のものにしたいし、Windowsで動かしてみたいソフトもあるし。

いくつかメモしておく

Posted on 5月 13th, 2008 in 倉庫 by apj

 モトケンさんのページより、curiousjudgeさんのコメント

表現行為によって「世間という見えない相手の気分」を害したことを理由に、解雇などの現実的不利益を受けるおそれがある、というのでは、そもそも「表現の自由」の名に値しません。

 全く同意。
 もう一つは、小倉弁護士のこのエントリー。 

「誰が言ったかではなく何を言ったかが重要だ」として匿名である自分を肯定してきた人々こそ,「誰が言ったか」を過剰に重視する「職場電凸」に抗議の声を上げるべきだったと思うのですが,そういう方は少なくて,実際には,要約すると「実名や肩書きを明示する奴らは邪な意図を持っているのだから,肩書きを明示したことに対する私的制裁を加えられるのは自業自得だ」というあたりで落ち着いてしまうところが,日本のネットの匿名さんたちの議論の限界かなという感じがします。

 何かちょっとずれてるような。瀬尾氏の件は、限界云々ではなく、「誰が言ったかではなく何を言ったかが重要だ」として匿名である自分を肯定してきた人々に対しても「踏み絵」になっている(極端なケースの方が踏み絵としては使える)。そのような主張をした人のうち、青山学院大学への電凸を知っていてそれを批判しなかった人達は、主張に一貫性が無いことがバレた以上、その主張に説得力が無くなったいうだけの話ではないかと。
 「風のはて」のこのエントリー

1. 専門的な情報を発信する場合、職種等の属性情報が記されるのは有益。
2. 所属を明示しているからと言って、問題発言の処理をその所属組織に要求するのは有害。
3. 専門外の話はコテハンか名無しでやれ。
4. ネットっていう言論のフィールドにいるんだから、相手が実名だろうとネット上で片つけようぜ。
ってところです。特に4番目については、匿名同士の議論ではネット上で片付ける他ないのに、相手が実名だと所属組織巻き込むってのはアンフェアだろう。たとえ議論の応酬がきつくなっても、相手が言論のフィールドに立っている限りは、そこで戦うべきだと思うんですよね。

3.のの補足として、コテハンか名無しでやるときは、完全に別世界別キャラとしてやる、という注意が必要かと。コテハンと実名を同じ場所に登場させたら、今度は自作自演だと突っ込まれるわけで。