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信じる自由は内心の自由

Posted on 11月 18th, 2008 in 倉庫 by apj

 TAKESANさんのところのエントリー経由。lifecrack – Blogの「ニセ科学を信じることを許してはならないか?」について。

「ニセ科学を信じること」や「ニセ科学を信じることや、ニセ科学を信じている人を『まぁ、害がないなら良いんじゃないの』と許容すること」それらは許してはならないことなのでしょうか?

 向こうにもコメントを残して来たのだけど、こちらでもまとめておく。
 ニセ科学の害は、ニセブランド品の害と同種のものだし、向こうの例に出ている偽札の害とも同種のものである。つまり、他人に「流通させる」(結果として影響を及ぼすことまで含む)のがまずいのである(刑法の通貨偽造の話とはちょっと違うが、それはそれとして大雑把に言えばだけど)。
 だから、「信じる」が、あくまでも個人の内心のみにとどまっている限り、害が発生したとしても他人には及ばない。また、内心のみにとどまっているのであれば、第三者からは、その人がニセ科学を信じているかどうかがわからないため、批判の対象になることは考えがたい。
 しかし、信じているニセ科学の内容に基づいて何らかのアクションを起こせば、他人に被害をもたらす可能性が常にある。他人に話せば「流通」させたことになる。例えば怪しい治療法を優先して病気を悪化させれば、一番苦しむのは本人だとしても、周囲にだって影響は及ぶだろう。そして、アクションを起こせば、その人がニセ科学を受け入れているということを、第三者から認識することが可能になる。
 このように考えると、「ニセ科学を信じている(ことが第三者からわかる)」場合には、程度の差はあるとしても「害がない」とはならないだろうということがわかる。
 第三者の視点から見た場合、上に引用した言明はそもそも成り立たないのではないだろうか。


ここからは旧ブログのコメントです。


by 杉山真大 at 2008-11-53 07:43:53
よしりんを思い出しました

確かゴーマニズム宣言で、オウムの教義も小乗なら許容し得るものだけど大乗の段階になって問題点が露呈したという指摘をしていたんですよね。で、挙句の果てに秘密金剛乗に走って、サリンを撒き散らした・・・・・


by apj at 2008-11-34 08:29:34
オウムの場合は……

小乗仏教のままでいればせいぜいが個人の自殺
大乗仏教になってしまうと衆生の救済と称して大量殺人

ではないかと。
 もし、小乗仏教のままでいたとしても、ヘブンズゲートみたいな方に突っ走ったんじゃないかと。サリン撒くよりはマシかもしれませんが。


by ROCKY 江藤 at 2008-11-17 20:32:17
Re:信じる自由は内心の自由

仏教の小乗と大乗の関係は、「小乗仏教のままでいれば」とか「大乗仏教になってしまう」とか言ったものではないでしょう。


by apj at 2008-11-11 22:03:11
なった、というか変えたというか

なった、というのは確かに変ですね。
オウム側で教義の内容を変更した、という感じなのかな。


by かとう at 2008-11-05 00:40:05
オフトピ。

オウム真理教の教義の話でしょうか?
であれば、初期の頃は小乗で、後期に大乗になったと
言うようなことではないです。
神仙の会の頃あたりは解らないですが、オウム真理教と
しての教義は、小乗、大乗、密教(部分集合として、
杉山氏が触れている秘密金剛乗があります。)、キリスト
教等、全ての既存宗教の、「いいとこ取り(彼らの主観)」
をしてます。

ゴー宣自体途中までしか読んでなく、しかもほぼ忘れて
ますが、よしりん自身が、密教系の寺の子なので、小乗、
大乗、密教の区別はちゃんとついていて、オウムの過激
思想(ポアのあたりね)が秘密金剛乗の曲解だと指摘し
てました。

大乗を、
>大乗仏教になってしまうと衆生の救済と称して大量殺人
こんなんに言っちゃうのはだめですよ。

江藤氏の指摘は、オウムの教義の変遷の話というか、
仏教自体の話みたいに読めますけど、どっちの意図
でした?

念のため書いときますと、仏教で小乗から大乗への変化
は、キリスト教の宗教改革どころのレベルではなく、
がんばって例えるのならユダヤ教からキリスト教への
変化のレベルと考えていいものでしょう。
江藤氏のコメントはそういった指摘に読めました。


by apj at 2008-11-28 03:22:28
オウムがヒドイという意味ですので

>大乗を、
>>大乗仏教になってしまうと衆生の救済と称して大量殺人
>こんなんに言っちゃうのはだめですよ。

 済みません。私のコメントは杉山さんに対するコメントで、ゴー宣は見てないのでよくわかりません。
 また、普通の大乗仏教を貶める意味はありません。
 オウムが勝手な解釈や曲解やらこじつけやらで他人まで救うと言い始めた行き着く先が大量殺人だった、という意味です。

 気を悪くなさった方がいらっしゃったら済みません。


by 杉山真大 at 2008-11-46 05:39:46
自分が説明不足だったのかも

まず、小林氏はサリンを撒いた背景だったのは秘密金剛乗の発想(の曲解)であって、大乗がそうだとは言っていません。念のため。

ただ、オウムが持っていた密教や仏教・オカルティズムの都合のいいとこを教祖崇拝に置き換えてしまうってのは、そもそも神仙の会の頃からの問題であったという見解なんですよ。そういうのを小乗として内なるサークルで小ぢんまりとしてやる分には問題が無かった、でも矢鱈オカルト雑誌で取り上げられて布施するぞー修行するぞーと教勢を広めていくことで問題点が露呈した、というのが(自分の理解するところの)小林氏の論です。

その辺り説明不足だったのかも知れませんが。