理学部停電

 勤務先の山形大学の理学部が明日25日停電になります。
学内サイトには接続できなくなりますし、メールの送受信もできません。こっちのブログはプロバイダなので影響ないです。
復旧は週明け月曜日午前中の予定ですが、午後にずれこむかもしれません。
停電後の常として、電源が壊れて動かなくなる、などといったことが起きることも予想されその場合はウェブサイトの復活はもっと遅れるでしょう。トラブル無く再起動できることを祈ってます。

ドライヤーの不当表示

 毎日新聞の記事、 Yahooニュース経由

<イオンドライヤー>家電大手4社、不十分な実験で効果宣伝
毎日新聞 8月23日(木)19時14分配信
 「イオン発生機能付き」をうたう高性能ドライヤーについて、家電大手4社が十分な実験をせずに髪の潤いや保湿の効果があると宣伝していたことが、東京都の調査で分かった。都は景品表示法の不当表示に当たる可能性があるとして、適正な実験をするよう業界団体に要請。4社はカタログや広告の内容などを改める方針だ。

 各社のイオンドライヤーは、電気を帯びた粒子を風と一緒に放出し、水分を髪に吸着しやすくする機能などをうたっている。価格は数千~2万円程度。製造大手のパナソニックによると「乾かすだけでなく、毛髪のケアも一緒にしたい」という消費者のニーズに応えて需要が伸び、11年度に国内で出荷されたドライヤー約580万台のうち約7割を占めるという。

 都生活文化局は1月、国内メーカー4社(パナソニック、シャープ、日立リビングサプライ、東芝ホームアプライアンス)の商品の広告表示を調査。その結果、全社の商品で効果を示す根拠となった実証実験の問題点が見付かった。

 ある商品は、冷風モードで20~30分かけ続けた時のデータを表示。1回5~7分、冬は温風モードを使うのが一般的な使い方とされており、実態に即していなかった。また、3社の商品は被験者が1人だけで、個人差の検証をしていなかった。イオン発生機能がない商品との比較をしていないケースも2社であり、ドライヤーの使用前後のデータだけで頭皮の脂の低減効果を強調するなどしていた。

 都は7月、メーカーや小売店でつくる「全国家庭電気製品公正取引協議会」に、十分な実験結果を得たうえで効果を表示するか、表示を変えるかするよう要請。4社はいずれも取材に対し、要請に従う姿勢を示した。パナソニックは「指摘を真摯(しんし)に受け止め、消費者に誤解がないように改善したい」、シャープは「次の機種から改善する」とコメントしている。

 都取引指導課の松下裕子課長は「メーカーの説明が足りない。誇大表示になっていないか今後も調べる」と話している。【柳澤一男】

 基盤教育で、マイナスイオン騒動を継続して取り上げているのだけど、毎回学生から「イオンドライヤーを買ったけど出されているのでしょうか」という質問が出る。その度に、「メーカー品ならドライヤーとしてはしっかり完成した製品だと期待してよい。放電方式でイオンを発生させているのなら、静電気防止の効果はありそう」と答えていた。
 しかし今に至っても実験不十分とは……。マイナスイオンなどというあやふやなものに乗っかって商売してしまう体質から抜けきらなかったということなんですかねぇ。
(さらに…)

うーむ別世界だ……

 エアコン故障で暑くて仕方ないので休憩にアイスを食べながらどーでもいいことを書いてみる。

 つぃった-のTLで紹介されてた「夏は…来る! 大黒摩季大先生がアラサー独女の心境を思いっきり代弁していて泣ける」というエントリーが、あまりに別世界でむしろ驚嘆したのでメモ。

 1994年だと私はそろそろアラサーの足音を聞いていた頃。つまり20代後半に入ったあたり。上記のエントリーの筆者木下さんよりは、歌の設定に近い年齢だったのだけど。

近頃 周りが騒がしい 結婚するとかしないとか……
社会の常識・親類関係 心配されるほど意地になる

 私が学位を取得したのが1995年で、これは歌が発表された翌年。この頃私が何をしてたかというと、博士課程のテーマが潰れてテーマ変更後間に合うかどうかで連日プログラム組んだり実験したりでてんてこ舞いで、結婚の文字すら頭に浮かぶことが無かった。

 で、まあ、結婚した方がいい、と私に向かって言う親戚の叔父さんが居たりしたんだけども。

 その叔父さんの所は、ちょっと前までヨメが家を出ていっちゃって別居中で、子供は祖母が育てている状態だった。そんな人に、結婚した方がいいって言われても、一体どうしてそう思えるのかが私にはどうしても理解できなかった。まさに「お前が言うな」状態。

 それでは、とまわりを見渡してみたら。

 夫婦仲は良かったがケンカも激しく、とっくみあいの弾みで打ち所が悪くてヨメさんが死んじゃった。
 60代に突入してから夫婦別居。ヨメは浮気。
 平凡な家庭にしか見えなかったのに、ダンナが死んだ通夜の席にとっくに成人した隠し子出現。
 田舎でそれなりにしっかりしたお家に嫁いだけど、嫁姑問題で子供連れて別居。

 どーすんですかこれ。

夏が来る きっと夏は来る 真っ白な馬に乗った王子様が
磨きをかけて 今年こそ
妥協しない アセらない 淋しさに負けない

 いやこの騒動、妥協したりアセったり淋しさに負けたりした結果とも思えないわけですが。
 結婚した時は皆さん平凡で幸せな家庭を築いて子育て、と思っていたはずです。でも4割くらいは失敗に終わっている。
 サンプルは私の身の回りだけなので、一般化はできませんけど。

 歌詞に共感なさった木下さんは

淋しさに負けない!!

 と書いておられます。ここがもう根本的に違う。負けるも負けないも、私の場合、そもそも淋しいと思ったことが無いので、世の中いろんな人が居るもんだなあ、と。

 一人でいることが淋しいと思う人でないと結婚しようとは思わないんでしょうねぇ。
(さらに…)

こんなメールが来ました

 こんなメールが来たので全文引用します。ただし、プライバシー保護のため、署名中の住所および電話番号は伏せ字とします。実名らしきものについては、ご自分で既に明らかになさったようですので、掲載しても問題はないでしょう。

 問題とされた私の発言はhttp://togetter.com/li/317480を受けてのものです。Twitter上で放射線についての大変に長いahare_asayaka氏とGoldenpiyo氏のやりとりがあった後、ahare_asayaka氏がGoldenpiyo氏の職場に電話でクレームを入れ始めたということがまず起きていました。

【追記2012/08/22】
Togetterが調整のため見えなくなってしまったので、まとめ内容と2012/08/16のコメントのスナップショットのpdfファイルをhttp://www.i-foe.org/kin_and_ahare_asayaka/index.htmlにて公開。

【追記】当初このメールはメールヘッダを全て一緒に公開していました。が、近藤氏から「プライバシーの侵害」という主張が行われたため、消してみました。

前略
関係各位 結城学長-小山学長代理-坂本理学部長-玉手理学部副学部長 殿 

天羽優子 山形大学理学部物質生命化学科准教授は、下記のツィッターログに示すよ
うに刑法231条に抵触する当方への侮辱罪を犯したと認識します。
「apj
2012年06月12日(火) 29 tweets  
 大学に連絡入れる阿呆がまた居たか。同類が多くて困るなw RT @Goldenpiyo: ほ
ほう。大学に迷惑をかけるとは。→ http://t.co/NAFpvI7V を見せて。
@ahare_asayaka: 議論をするに必要な、電話番号か電子メールアドレスを教えて欲し
いと要望
posted at 11:47:53」  
天羽准教授に対しては、別途告訴と損害賠償を求める所存ですが、ここでは大学組織
としての管理監督責任を問いたいと考えてます。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/tokureihou1.htmlにあるように
><教員について>
> 1.法律に定める学校の教員は、法令を遵守し、国民から負託された崇高な使命
と条件を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。そのために研究と修養に
励み、資質と能力の向上をはかり、専門性を高めなければならない。
> 2.教員は教育活動の全領域について、適切な指導と評価を受けるものとする。
>国や地方の公務員法には「信用失墜行為の禁止」等が定められており、このいずれ
かに違反した場合は懲戒処分できるのである。
 上記事例により、天羽准教授は法令を遵守してないことが明白です。また、国民か
ら負託された崇高な使命と条件を自覚しているか疑問です。
 学校教育法83条「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専
門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とす
る。」
 つまり、道徳的能力を展開させるとの教育目的に上述の天羽准教授の行為は反して
います。また、これを放置すると83条の目的に反して社会的なモラルハザードを拡大
させることも懸念しております。
 同第92条3「学長は、校務をつかさどり、所属職員を統督する。」4「副学長は、
学長の職務を助ける。」5「学部長は、学部に関する校務をつかさどる。」
 と教育目的を実現するための校務に関する責任と義務が記載されており、学長に教
員の統督責任があります。
道徳的能力の展開においては、倫理審査委員会等が組織され、その活動によって「教
員が適切な指導」を受けていなければならないと考えます。
そこで、山形大学においては”道徳的能力の展開”に関して各教員に対してどのよう
な措置をこうじているか教えてください。
また、本事件でその措置が有効であったかをどうかを役員会等で議論分析していただ
き、その反省に基づいてより有効な活動をしていただきたいと思います。
学内の自浄能力に期待しておりますから、崇高な理念実現のため、邁進よろしくお願
いいたします。

追伸:「倫理綱紀向上のためのアクションは?」という質問にちゃんと回答していた
だけるようお願いします。
-以上-

名前:近藤 毅
フリガナ:コンドウ タケシ
郵便番号:■■■ー■■■■
住所:群馬県■■■■■■■■
電話番号:■■■■■■■■

 まず、引用された部分の発言について。
 仮に私の表現が侮辱的であったとしても、まだ誰にも告訴も提訴もされていませんので、侮辱罪かどうかはまだ確定していません。
 次に、私が問題とされた表現を書いた時点では、@ahare_asayakaさんが誰であるか判明していませんでした。プロフにも実名らしきものは書いてありませんでした。ブログ等へのリンクもありませんでしたので、@ahare_asayakaさんが誰であるかを知る方法は、手続きを踏んで発信者情報開示をかけるくらいしか手がなかったわけです。

名前が無かったことの証拠

 この画像は、昨日あたりに出したものです。夜フクロウというソフトによるもので、このソフトは発言を選んで「詳細」をクリックすると、発言者のプロフィールを出してくれます。この時点で、本名らしきものはありません。
 以前(Togetterのまとめがつくられた頃)見た時も本名らしきものは無かったと思います。
 ところが、上記メールが来た後で確認すると、「本名:近藤 毅」という情報がプロフィールに追加されていました。

!!$img2!
名前が追加されたスクリーンショット

!

 私を訴えるためにわざわざ本名の情報を追加したように見えます。いろいろ調べた結果、7月31日にはまだ本名と称するものが明らかでなかったらしいことがわかりました。

 判例によると、侮辱罪の保護法益は社会的名誉と社会的評価にあります。実名らしきものをご自分から進んで出さない限り、私が書いた内容が、「本名:近藤 毅」と結びつくことは無かったわけです。つまり、近藤氏なる人物は、もともと近藤氏とは結びついていなかった表現を、わざわざ本名らしきものを示して名乗り出ることで自身の社会的名誉・評価と結びつけたわけです。これは一種の後出しじゃんけんですね。

 自身の行為を追加することによって自身の社会的名誉・評価の変動を生じせしめるという方法が裁判所でどう判断されるか、私も大変興味がありますので、告訴と提訴を待ちたいと考えます。

 なお、大学に向かって私を告訴するとか提訴するなどと連絡した以上、もしこの先告訴もなされず訴状も届かなかった場合には、今度は私の方から近藤氏については「嘘つき」という評価を致します。その場合、近藤氏は山形大学に対しても嘘をついたということになります。まあ、上記のようなメールを送ったのですから、その程度のことは自覚しておられることでしょう。もし法的手続きをせずに放置するならば、近藤氏には、虚偽の事実をつたえて混乱させたという理由で大学に謝罪するよう求めることになるでしょう。近藤氏にとっても本意ではないでしょうから、まさかこのまま告訴も提訴もせずに放置などということはなさらないと信じます。親告罪は犯人を知って6ヶ月経過すると告訴できなくなる(刑事訴訟法235条1項)ので、近藤氏は大学にメールを送ったりして遊んでないでさっさと手続きを進めるべきです。

 言い忘れていたので追加。近藤氏は私の職場の複数の人間にメールを送り、条文まで示して天羽が侮辱罪を犯したと述べました。これは、職場における私の社会的評価を変動させる事実摘示です。総務部宛のメールは事務担当者の間を転送され、もっと多数の人間が目にしますので、近藤氏の発言は既に公然性があると考えられます。さて、私の発言の時点ではツィッターアカウントがahare_asayakaがどこの誰かは分からず、私の発言と近藤氏の社会的評価には関係がありませんでした。近藤氏は侮辱罪が成立する外見を作り出すために、本名と称するものを後から公開しました。この行為の責任については別途検討させていただきます。安易に大学にクレームをつけることのリスクを世に知らしめてそのような風潮を食い止めるということは、私が普段から目指していることの一つですので。まあ、近藤氏が告訴と提訴をきちんと行って結果を出せば話は別です。

 告訴についてはこれまでの経験から、書類を突っ込んで調書をとられて受理されるまでに最長で半年くらいかかっています。提訴については、訴状を書いて裁判所に出して送達されるまでに1ヶ月くらいですかね。余裕をみても三ヶ月といったところでしょうか。さっさと日程を明らかにしていただけるとありがたいですね。

【追記】
 まあ返事する必要があればしかるべきところがするんだろうなと静観してたら、宛先の一人である副学部長が個人的見解を返信してしまった。学内の関係各位宛のつもりで「教職員の私的な意見表明にたいして、大学が管理監督責任(近藤さんの表現)を負う必要はなく、また、管理監督を負うことは間違っていると考えています。」「本件については当事者間の訴訟等で解決をはかるべきであり、どのようなかたちでも所属機関が関わる問題ではありません。」などと書いたメールを送信したまではよかったが、Cc欄に書かれていた近藤氏の別メアドを消し忘れるというミスのせいで、近藤氏にまで送られてしまった。
 さすがに慌てて学内で上記メールを受け取った人に、そのまま返信するなと注意喚起する羽目になった。

 危機管理的な意味では、学内の連絡は学内のアドレス以外のものを入れない、という習慣をつけることが重要だろう。教職員のうち個人でgmail等を使っていて仕事でも使っている人がいるかもしれないが、秘密保持の面で問題が発生する可能性がある。また、yamagata-u.ac.jp以外のアドレスを含んだリストに仕事のメールを送るということが常態化すると、今回のようなケースで見落として意図せず外部にメールを送ってしまうという事故が生じうる。

【さらに追記】
 こっちのblogは近藤氏がアク禁ルールに引っかかってしまって見えないらしいのだが、もし本人からコメントがあったら議論せずに削除する(アメーバの方はコメント受け付けない設定)。また、紛争前提のエントリーなので全ての質問には答えないかもです。念のため。 (さらに…)

メモ:御用学者問題とニセ科学問題

「御用学者がつくられる理由」http://www.sci.tohoku.ac.jp/hondou/files/kagaku2011-9-1.pdfについて。

 書きたいことはいろいろあるけどEM菌の話が流れてそっちが先になったりして、考えがまとまらないのでメモ。そのうちちゃんと書く。

○上記の論考は科学と技術の区別ができていない。科学は自然の近似で、技術は科学を使って人に役立てるもの。研究費と知識の伝達以外の部分では科学は人間の価値判断とは本質的に無関係。ただ、どういう方針で観測事実を整理するか、という部分にその時代の恣意性は入り込む(人間がやる以上仕方が無い)が、それが精度の低下をもたらすならいずれ捨てられる。

○非専門家が自らの価値判断を反映して科学技術の意思決定を行う、ということについて、筆者は原発を想定しているようだが、この同じロジックを当てはめると効果のはっきりしないEM菌を教育現場で使うことも正当化されてしまう。また、臨床試験の根拠のない薬モドキや馬鹿健食を使うことを止められない。

○原発の安全評価を例にとっているが、御用でない原子力工学者を維持する努力を怠ったのは「市民」の側でもある。仕事と給料を与え続けない限り専門家集団は維持できない。
 で、結局、「市民側専門家」を担ぎ出して宣伝に荷担させることに成功しているのはニセ科学で儲けている人達ばかり、と……。

○科学というのは自然の近似なので、誰がやろうが近似の精度が一番高いものが良いとされる。複数のやり方があるように見えてもいずれは統合されるか、同じ事の別の表現であるという形で決着がつく。一方、技術であれば、ある目的を実現するのに複数のやり方が同時に存在しうる。

○訴訟は人間の間の紛争に決着をつけるためのものなので、常に科学が使えるわけではないし使うべきでもない。

○訴訟での因果関係の認められ方が科学のものとは違うということについては、たとえ必要な因果関係の立証が科学によらなければ真実がわからないものであったとしても、その立証を課すことが被害者救済を逆に妨げる結果になるから、立証を人工的に制限している。

○YesかNoかを語らせる誘導尋問、とあり、そのような尋問ばかり行われているように読めるが、尋問がすべて誘導尋問ではない。実際に法廷では、我々は実験結果を提出したし、弁護士の尋問も誘導尋問の割合の方がずっと少なかった。必要なら科学的専門性はチェックできるし、別の証人を呼ぶなどしてセカンドオピニオンを双方が出すことも可能。

○たとえば景表法や特商法の運用指針は、法が求める合理的な根拠について、科学・技術分野の研究の現状を踏まえたものを出すことを求めている。この部分では法と科学・技術はすでに共同作業をしている。

○核分裂反応も生成する熱も、何度でどの材料が融けるかも、科学としてはとうに決着がついている。そんな部分は揺るぎようがない。原発がこの先どれだけコケようが、原子核物理学の教科書が書き換わる理由にはならない。が、その知識を使って原子炉を作ろう、となると、作り方がいろいろあって、不具合が出たり事故が起きたりする。そういう不確実なふるまいは人間の工夫次第で変わる部分に依存して起きるし、いくら費用をつぎ込むかということでも結果が変わってくる。

○今回の事故で他人を御用学者と呼ぶ人に限って、非専門家の言うことばかり信じていてしかも主張の内容がかなりの割合で間違っているということをどう説明するのか。
 放射能防護を目的として米のとぎ汁室内散布に走った人が現実に居るわけで、専門家はその方法には何の意味もない上に肺炎や結膜炎などのリスクがあることを指摘したが、なかなか受け入れられなかった。こういうケースをどうするのかが上の論考からは見えてこない。多分、健康被害が出て裁判をすれば専門家が担ぎ出されて「リスクがあって広める側は当然伝えるべき」などと意見をして、場合によっては賠償が認められるのだろうけれども。
(さらに…)

インチキを教えることを正当化するな

DNDメルマガvol.469より。
 記事中に教師の発言として引用されたものがあまりにひどい。

「効果があるかって聞かれれば、比較検証していないのであるって明言はできない。ただ、自然環境の中でEMの効果を正確に検証出来るかって言ったら、それはEMの効果かもしれないし、他の効果かもしれない。そんな事僕たちが検証する立場ではない。学校としては、環境教育の一環としてやっていて、EMに効果があるかどうか云々よりは、子供たちの問題解決の力を養うというのが目的なんです。今教えている内容全て正しいか、科学的に検証したか、どうかって言われたら、そんな事を考えたら何も教育の教材に使えないでしょう。近隣に一生懸命やって下さっている善意の方々がいて、僕たちも何かしら環境保全の為にやらなければならないというところを子供たちに伝えたい。それだけですよ。それが違うと言われたら、教育自体の否定になりますから」と、慎重に言葉を選んだ。

 効果があるかないかはっきりしなくても、この教師は検証をする気はハナからない。効果が無かったとしても「子供たちの問題解決の力を養う」ことができると主張しているわけだが、そんなものを使って一体何の問題が解決するのか。効果があるとわかっているものと適切に使う、でないと問題は解決しないはず。
 善意が全てを解決するという妄想はとっとと捨ててもらいたい。

 ついでにこれは教師ではなく記事を書いた人の主張。

EMの効果かどうか、検証したのか、とか、アホらしいことをいきなり質問するだろうか。

進めてる側が効果なんかどうでもいいと思って居る代物を、何でありがたがって使わなきゃいけないわけ?
 EMによる清潔なプール、って写真まで出ているけど、掃除をしてるんならその効果とどうやって分離するのだろう。

 他にもツッコミどころはたくさんあるけど、とりあえず一部だけ。

 比嘉さんの主張についてはここが詳しい
 著書で以前から万能を謳っているということはここにまとめられている

【追記】
 ちょっと長いの書いた。このエントリーの拡大版というか。
(さらに…)

ルールの成り立ちがそもそも違う

 「科学者とのコミュニケーションが痛いわけ」を読んで。

 科学哲学者の野家啓一氏は「パラダイムとは何か クーンの科学史革命」(講談社学術文庫)の中で、次のように述べる。「現実の科学者は基本用語の抽象的な定義から出発するのではなく、典型的な問題の解法を学ぶことによって具体的に仕事を進める。『力』や『化合物』といった用語の意味は明示的に定義されるわけではなく、そうした『標準例(standard examples)』を通じて文脈的に理解されるのである。(中略)そこにあるのは、『合意』や『一致』ではなく、むしろ『訓練』である。」

 調べる本が悪かったんじゃないの、としか言いようが無い。

 民事訴訟法について理解するのに法哲学の本の一部を見て知ったつもりになったって多分見当外れだろう。科学も同じで、科学哲学の本を見て科学を知ったつもりになてもやっぱり食い違う。

 引用された例についていえば、力については定義の仕方がいろいろある。物理学では物理用の間の関係性を記述する、しかも精度良く記述することを目指しているので、何を基本的な量とすれば見通しがよくなるかについては、様々な考察がなされてきた。その結果できたものが経験とも見たままともかけ離れたものになっていたりする。それでも、最後は自然の振る舞いを記述し予測できるかという部分でチェックするので、記述そのものについては合意も一致も訓練も必要ない。もっとも、チェックの技術については訓練が必要だし、「自然のチェックを受ける」ことには全員が合意している。
 化合物については、岩波の理化学辞典を見れば定義が出ている。化学の基礎になるのは元素の周期表で、化学操作で元素の単体にわけることができるかどうかで判定している。これが明示的な定義でないなら、何を明示的な定義だというのだろう。

誤解を恐れずにいえば、法律家は、「適正手続き」を大事にする。「適正手続き」とは、情報(証拠)の提供と共有、それに対する評価と十分な議論、一つずつ合意を積み上げていくプロセスのようなものであるが、適正手続きを踏んでいることが、その法システムの答えの正統性の源であり、法システムが出した答えが「真実かどうか」は二の次だ(法のシステムが導いた結論にエラー=誤判=があることは織り込み済み、というわけだ)。

 有斐閣の法律用語辞典で「適性手続」を引くと、デュー・プロセス・オブ・ローに飛ばされ、そちらを見ると、

アメリカ憲法修正五条(「何人も…適性な法の手続によらずに、生命、自由、又は財産を奪われることはない」)、同一四条(「州は、何人からも、適性な法の手続によらずに、生命、自由又は財産を奪ってはならない」)の規定(適性手続条項)による。当初は手続的保証の文脈でとらえられていたが、一九世紀末頃からは実体的正義の保証の観点からもとらえられるようになった。日本国憲法三一条についても、同趣旨と解する説が有力。

とある。
 適性手続の解釈の変遷についてのまとめはこちらが詳しい。

 科学者は反対だ。何より結果が「科学的に正しい」ことが最優先で、「適正手続き」は二の次だ。科学の知識も科学者内部での合意形成という側面はあるのだろうが、「科学的に正しい」答えは、たぶん、適正手続きからは出てこない。

 そもそも、裁判手続の目的は人間の間の紛争の解決であって、自然が従っている規則を調べることではないのだから、違って当たり前である。
 もっと言うなら、ルールの決め方自体が全く異なっている。いくら殺人事件が増えたからといって、法規範を議論するときに「現実に合わないから人を殺していい場合の制限をもっと緩めましょう」とはならないだろう。しかし、自然科学は、自然の振る舞いに合わせて人間の側が近似したルールをどんどん変えて、精度を上げていく。自然と突き合せてチェックするから、科学者内部でいくら合意を形成しようが自然現象を記述できなければそれは精度がわるい記述方法ということになり、著しく精度が悪ければ誤りとして捨てられる。
(さらに…)