触媒と酵素の身近な説明を試みてみる

 とらねこ日誌「酵素栄養学ってどこまで正しいの?」を受けて。
 触媒の説明がネックだという話なので、ちょっと試みてみる。ぶたやまさんのこのまとめを支援する目的なので、厳密性は欠くかもしれませんが、そのへんはご容赦と、もっといい説明があればご指摘いただけるとありがたいです。

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 私たちは(他の動物もですが)、いつも呼吸していて、ずっと息を止めていたら死んでしまいます。ずっと食べなくても死んでしまいます。
 呼吸するときは、空気中の酸素を吸って体の中で利用し、二酸化炭素を吐きだしています。だから、完全に密閉された部屋にずっと閉じこもっていたら、空気が二酸化炭素ばかりになって、酸素が無くなって、やっぱり死んでしまいます。
 生き物の体の中で起きていることは、化学反応です。今これを読んでいる瞬間も、たくさんの化学反応によって、体を作ったり、活動に必要なエネルギーを得たりしています。
 「化学反応」の原則としては、
○反応の前後で元素の種類や量は変わらない。組み合わせが変わるだけである。
○反応の前後で、熱を出したり吸収したりする。どれくらいの熱を出すかは反応の種類ごとに全部決まっていて、最初と最後の物質が分かれば全部でどれだけの熱の出入りがあるかが決まってしまう。
の2つだけ知っていれば十分です。これは、生き物の体の中でも同じです。

 では、ここで、体の中と外の「入り」と「出」に注目してみます。
 私達が食べているのは普通の食べ物です。炭水化物とかタンパク質とか脂質などが代表的な成分です。例を挙げると、ご飯・パン、肉・魚、バター・マーガリン・ドレッシングなどにそれぞれ対応していますね。
 私達は呼吸で二酸化炭素を出していますが、二酸化炭素を食べているわけではありません。二酸化炭素を食べることもないわけではない(炭酸飲料を飲んだ時とか)ですが、普段の食事が全て炭酸飲料だという人は居ないでしょう。
 この二酸化炭素はどこから来たのか考えます。
 炭素の移動に注目すると、二酸化炭素が出てくる元としては、食べ物しかないのです。食べ物はたくさんの炭素を含んだ成分からできています。デンプンや糖、牛や魚などの筋肉のタンパク質、脂肪分にも炭素が含まれています。
 トイレで排泄する分を考えると、食べたものの全てが二酸化炭素まで分解されるわけではありませんが、一部は二酸化炭素まで分解されてしまうことは確かです。
 では、体の外で食べ物から二酸化炭素を作ってしまう時とはどんな時か。それは、外から火で炙りすぎたりして食べ物を燃やしてしまった時です。ご飯でも肉でも、長い間加熱して水分が飛ぶと、やがて燃え始めます。勝手に燃えている時の温度は高いですね。触ればやけどします。他のものに燃え移れば火事になるかもしれません。
 すぐ上で化学反応の前後で熱の出入りがあって、それは物質の最初の状態と最後の状態で決まっていると書きました。食べ物→二酸化炭素、になるということは、食べたものの一部を体の中で「燃やして」いるということです。でも、私達の体温は36度くらいで、物が燃える温度にはほど遠いです。また、燃えるまで外から加熱するようなこともしていません。
 穏やかな温度で物を「燃やす」ことを可能にしているのが触媒です。触媒は生き物の中にもあります。生き物が自分で作る触媒は、物質としてはタンパク質の一種で、酵素と呼ばれています。
 触媒のはたらきは、
(1)最初にうんと加熱しないと起きない化学反応を、もっと穏やかな条件で進めることを助ける。
(2)放って置いたらなかなか起きない特定の化学反応が起きる数を増やす。
といったものです。
 (1)があるので、食べ物を消化するにあたって、高温にして燃やさなくても体温の36度くらいで分解できるわけです。また、デンプンやタンパク質を一気に二酸化炭素にしてしまったら大量の熱が出ますが、そうならないようにちょっとずつ熱を取り出しながら分解できているのは(1)に加えて(2)の性質も使っているからです。
 体の中の話ですから、余分な酵素をずっと持っていたのでは無駄になります。酵素は必要に応じて作られ、用が済んだら分解されて、最適な状態が保たれるように、体の側で調節しています。体の側でちょうどいいタイミングでやっていることですから、外から酵素を持ってきて何かしようとしても、ほとんど意味がありません。
 酵素が体の中でどんな化学反応を助けるのかは、酵素ごとに決まっています。何から何をつくるかが酵素ごとに決まっていて、それ以外のことはしないということです。もし、これが何も決まっていなくて、必要のない化学反応までどんどん進めてしまうようなことがあったら、体の中で毒物を作ってしまうこともあるかもしれません。そんな危ないことにならないように、体が必要な化学反応だけ選んで進めるようになっています。
 もう少し進んだイメージを持つなら、タンパク質の一種である酵素は、分子としては割と大きいものだと思ってください。二酸化炭素の数千倍から数万倍くらいのサイズで、酵素ごとに決まった形を持っています。この形が保たれていれば酵素として働きますが、温度や、酸性アルカリ性などの条件が変わると、形が保たれなくなって壊れてしまいます。こうなったらもう酵素としては役に立ちません。
 酵素の実体はタンパク質です。肉や魚もタンパク質です。もし、酵素を食べたとしても、体にとっては肉や魚を食べたのと同じことになってしまい、普通に分解されてしまうので、酵素として体内で働くことはほとんど無いでしょう。
 実は胃の中にも酵素はあります。ペプシンという名前がついています。この酵素はちょっと特別で、強い酸性の状態で働きます。胃の中は胃酸があって、だいぶ酸性が強いので、他の酵素がやってきても、働くことができずに分解されてしまいますが、ペプシンは大丈夫なのです。逆に、ペプシンをアルカリ性の条件においたら、全く働かなかったり、完全に壊れてしまったりするでしょう。

 さて、「酵素栄養学」についてごく簡単に考えてみます。
 生き物の細胞の中には、化学反応を助ける酵素は、いろんな種類のものが普通に存在しますから、肉や魚や野菜を食べても、その中に含まれる酵素も一緒に食べていることになります。それらの酵素は、肉や魚や野菜がそれぞれ生きていた時に必要だから作り出していたもので、人間が必要なものとは違っているでしょう。その大部分は、胃の中で分解されてしまって酵素としては働かないはずです。
 無事に胃の中を通過するものがあったとしても、その酵素の助ける化学反応が、その先の腸の中で人間が必要とする物に一致していなければ意味がありません。腸から栄養分が吸収されるときは、一旦バラバラに分解されて、アミノ酸という小さなものになってしまいますので、食べた時の酵素のままであちこちの細胞にたどり着くことはありません。
 酵素は、体の中の細胞の至る所にあります。どの細胞も、必要に応じて酵素を作り、活動に必要なエネルギーを取り出したりして、必要が無くなれば壊しています。細胞1個1個が都合に応じてやっていることですから、私達ができるのは、食べたり呼吸したりして、細胞が活動できる材料を外から与えてやることだけです。そのような材料は血液の循環によって体の隅々まで運ばれます。酵素のような大きな塊で運ぶことはできないので、一旦ばらばらにして、材料の形で運んでいます。
 酵素を選んで食べることに意味があるとしたら、
○胃酸の中を通過しても壊れなくて
○腸の中で起きている消化のどの反応を助けるのかがはっきりしている
場合に限られます。この二つを明らかにせずに、「酵素を食べると体に良い」を主張するものは、インチキと判断しても間違いないでしょう。

 酵素が消化管を分解する(予期しないはたらきをする)とか、必要な量作れないということもありますが、これは病院で手当を受けなければならない病気であって、健康法でどうにかするようなものではないです。