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予防的に書くが、訴訟を嫌がらないこと

Posted on 1月 20th, 2008 in 倉庫 by apj

 黒猫亭さんのところで「反科学の情熱」という、ニセ科学批判批判を鋭く読み解くエントリーがあがった。ただ、書かれた時に、「私が既に告発を何回かされている」と勘違いしておられたようで、そのことについてコメントしたところ、違っている部分が速やかに削除となった。このため、元の黒猫亭さんの議論の流れが途中で一つ抜けることになってしまい、

社会闘争の次元に降りていくプロセスの理解において一過程見落としていたということですので、そちらのご考察を踏まえて、もう少し踏み込んで考えてみたいと思います。

とコメントされた。このことについて少し書いておく。

 これまでのところ、私はまだ刑事・民事ともに訴えられたことはない。ただ、「訴えてやる」と言われたことはある。製品の宣伝に使われている間違った科学を批判しただけでも、短絡的に「商売の邪魔をした」→「訴えてやる」と考える人は、まあ一定割合でいる。そういう人は、視野も考え方も短絡的であるからこそ、扱っている商品を間違った科学で飾り立てて平気で販売しているのだから、整合性はとれている。さらに、「訴えるぞ」と脅すと言うことをきくという人もそれなりに居るために、脅しが効果を発揮するということを既に学んでいたりする。ともかく、そういう短絡的なものの見方しかしない人のうち、本当に勘違いした人が訴えてくることも、まあ予想できる。
 私が批判した相手が意見を変えるだろうということは、特に期待していない。怪しい宣伝というのは、ネット上では複製による増殖をしているように見える。無知でか悪意でか、同業他社の宣伝を適当に持ってきて使っている人が相当居るということだろう。事業者として正しい情報を出そうなどということは最初から考えていないという態度が透けて見えている。こんな相手が、批判された位で態度を変えるはずがない。
 ただ、これからニセ科学言説が含まれた宣伝を見る人達、うさんくさいと思いながらも商品について検討している人達にとっては、科学的に正しい情報がわかれば、役立つこともあるかもしれない。
 怪しい宣伝を放置しておいたとしても、ただちにそれが科学として受け入れられることはないだろうが、その内容が本当かも知れない・調べるに値する何かがあるかもしれない、と思い始める人が出てくる。消費者がそう考えた場合は何らかの消費者被害につながっていくが、役人がそう思ってしまったら研究者の業界に直接影響する。どう見てもニセ科学なテーマがまともなテーマであると誤解されて補助金が出るいうことがあり得る。研究費のパイは有限だから、まっとうな科学とニセ科学が研究費のパイを奪い合う関係になりかねない。実際に、浄水器では全く意味のない遠赤外線効果に賞を出してお墨付きを与えた科技庁の例もあるし、全国各地で被害が発生して集団提訴となった節電器を推奨するコメントを出しているのは環境省である。こんな状況だから、批判する側だって、「訴えてやる」と言われた位で批判をやめる気は全くない。つまり、訴訟を無条件に嫌がったりしていたのでは、批判ができないことになる。

 利害が対立したときは、最終的には訴訟で決着をつけるしかない。他人の権利を侵害するものが全てダメかというとそんなことは無くて、正当な行為であれば不法行為責任を問われることはない。デマを流して店の売り上げを下落させれば不法行為とされるだろうが、近くに同種の店を開業して正当に競争した結果であるなら不法行為とされることはない。
 すると、科学的真実を述べて批判する時には、「訴訟になったとき、どこまでの表現ならば正当という判断になるのか」を常に考えることになる。下手な書き方や主張の仕方をして、科学的真実を述べている部分が不法行為認定されてしまったりすると、その後また別に裁判をやって判断をひっくり返すまでは、批判そのものが相当やりにくくなることが予想できる。
 ガイドラインとして、
・製品そのものに対する批判は試験をしてからでないとやってはいけない。
・公開された製品宣伝の内容については、誰が批判をしてもかまわない。∵一旦公表された表現内容については誰がどう批判しても自由である。
・批判の内容が、現行の科学に照らして妥当でなければならない。
・意見、論評の範囲を逸脱してはいけない。
といったことを基準としている。後は、個別具体的に表現内容を詰めながら、ぎりぎりの線を狙うのか安全側に振るのかというさじ加減をすることになる。紛争を発生させるよりも予防した方が、コストは安くて済む。
 当然、他人の権利を不当に侵害してはいけないので、誤爆してはいけないし、間違った内容を書いてはいけない。また、明らかな間違いについては速やかに訂正しないと、現実に提訴されて負けるリスクを背負うことになる。

 これまでのところ、訴えてやるという脅しはあったが、私に対する直接の提訴はまだない。お茶の水大が訴えられている件は、他にたくさん書いてある科学に関する議論の部分ではなく、原告の商売がマルチ商法である旨指摘した部分で起きている(それはそれで、弁護士は普通はこんなもので提訴はしないと言い、裁判官はどこが名誉毀損か説明が要る、つまり読んだだけではわからないと言っている始末だが)。この状況を見ると、一応、上記の基準は、訴訟に対しては予防的に働いているようである。
 裁判所で勝てる範囲で書くということは、すなわち、普通の弁護士であれば提訴するのが難しい内容であることを意味する。むやみに訴訟を呼び込む内容を書いてしまうと、裁判に時間と費用がかかってしまって損である。ただ、訴えてやるという脅しはいつでもあるし、実際に訴える人も居るので、訴訟を嫌がるべきではない。

 ニセ科学批判をする側にとっての役立つニセ科学批判批判とは、上記のガイドラインの精度を高めるような内容のことである。言説に対してニセ科学というカテゴリーを立てることがケシカランといった種類の議論は全く役立たない。表現の内容が正当かどうかは、現在の科学水準に照らしてどうかで判断されるし、意見・論評の範囲かどうかとなると、今度は科学ではなく判例を調べないとわからない。

 これが、社会闘争へのプロセスとして黒猫亭さんが考えていた部分を埋めることに役立つかどうかはよくわからない。ただ、これまでこんなことを考えながらやってきたということを書いてみた。なお、こういったことを「社会闘争」と呼ぶのは私が持ち合わせていなかった言葉の使い方というかセンスで、私は単に「紛争」とだけ認識している。


ここからは旧ブログのコメントです。


by 技術開発者 at 2008-01-04 02:43:04
Re:予防的に書くが、訴訟を嫌がらないこと

こんにちは、皆さん。少し補足的に説明します。

例えば、Aさんはスーパーで買い物をする時に、買い物かごを使わずに、自分の私物も入ったバッグに商品を入れてレジまで運ぶという事をされていたとしましょう。たまたま、それを見かけたBさんがご近所で「Aさんが商品を自分のバッグに入れるのを見た。万引きしているのかしら」と話してしまい「Aさんが万引きをしている」という噂がたったとします。Aさんは怒ってBさんに「名誉毀損による損害賠償訴訟」をおこしたとします。さて判決はどうなるでしょう。

実のところ、結構予想が難かしいのですが、「真実相当性」の部分でAさんが負ける事もあり得ると思っています。

人は「悪いことをしない」だけでなく「悪いことと紛らわしい事もしない」という社会規範の元で生きている面があります。自分のバッグに商品を隠し入れてレジで支払わずにスーパーを出る万引きという窃盗があることは、社会通念的にかなり行き渡った概念ですから、それに紛らわしい行為をする以上それを見かけた人が「万引きかしら」と思われる事は充分にありえる事です。そのため、「万引きかしら」と言ってしまったBさんの言動のみを一概に不法行為とはしにくくなるわけです。

例えば、世の中に根拠の無いことを広告する「不実証広告」というものがあり、公取委などから排除命令をもらったりしているというのは、かなり行き渡った概念ではないかと思います。そのため、きちんとした学術論文に根拠がたぐれる様な商品の広告であったとしても、広告において、そのような根拠に向けてのリンクがたぐれない様な広告であったなら、「これも不実証広告ではないか」と疑われて当然であるわけです。本来、事業者というのは消費者よりも「厳しい規範性」を持つ必要があります。どうもそのあたりが、理解されていない気がします。


by com at 2008-01-20 08:30:20
Re:予防的に書くが、訴訟を嫌がらないこと

こんばんは。

技術開発者さんのコメント

>本来、事業者というのは消費者よりも「厳しい規範性」を持つ必要があります。どうもそのあたりが、理解されていない気がします。

に激しく同意。
「大手企業ではない」「零細企業だ」「がんばってやっている」etc.消費者を騙したときのいいわけとして、こんなのが多いですよね。

規模の大小にかかわらず、誠実であるべし、という考え方は、自分がもうけるためには何してもかまわない、に負けているような気がしますね。


by apj at 2008-01-23 09:40:23
Re:予防的に書くが、訴訟を嫌がらないこと

ふじさん、
 「本当は悪い物を実際よりも良く見せて、消費者を騙している」という行為をすることが「悪」で、「露悪的」とは、そのような行為をしている他の業者の宣伝と紛らわしい宣伝をすること、になります。逆でもなんでもありません。


by apj at 2008-01-40 11:32:40
Re:予防的に書くが、訴訟を嫌がらないこと

ふじさん、
違います。
1.根拠が無いのに根拠があるかのように見せかける宣伝Aをする
2.根拠はあるが、宣伝Aと見間違うような宣伝Bをする
です。
 1は不実証広告で優良誤認を引き起こします。
2も、外見が似ているために、消費者から見た評価はおそらく1とほぼ同じになります。
 1を批判するのは正当な批判です。2を批判することは、いわゆる誤爆ということになりますが、1と間違えられるような宣伝を敢えて行ったという業者側の過失も加味されるので、必ずしも誤爆の責任を問われるわけではないだろう、ということです。


by 技術開発者 at 2008-01-10 14:29:10
Re:予防的に書くが、訴訟を嫌がらないこと

こんにちは、皆さん。

 なんていうか、社会の「公平性」という事を考えてみて欲しいのです。皆さんの多くはたぶんまともな消費者として「万引きしない」だけでなく「万引きと紛らわしい行為もしない」という規範をもって生きておられるのだろうと思います。でもって、社会の「公平性」を考えるなら、消費者がそういう規範で生きているなら事業者も「不実証広告をしない」だけでなく「不実証広告と紛らわしい広告をしない」という規範で活動することで初めて同レベルのまともさになります。

 「まともな事業者を誤爆してしまったら」という誤爆をおそれる発言に接するときに、なんとなく皆さんの言っている「まともな事業者」の範囲が「不実証広告をしない」のところに分岐点が設けられていて、「不実証広告と紛らわしい広告をしない」という規範は守られなくても「まともな事業者」に入れておられるように感じるわけです。自らが消費者として「万引きしない」だけでなく「万引きと紛らわし行為をしない」も規範に入れていて、紛らわしい事をうっかりして疑われた時に「あぁ、私が紛らわしい事をしたのが悪かった」と思う消費者であるなら、せめて同レベルの規範を事業者に求めても良いのではないでしょうか?


by 技術開発者 at 2008-01-47 18:43:47
Re:予防的に書くが、訴訟を嫌がらないこと

こんにちは、皆さん。連投で申し訳ないです。

>2であると思える場合は、消費者被害があり得ると批判する訳にいかない。

この部分について私なら「直接」という言葉を入れて表現しますが、ふじさんは「直接」という表現を入れておられないので、間接的被害についても「無い」とされているのだろうと判断します。

従って、ふじさんの判断は明確に「間違い」です。「万引きしなければ、万引きと紛らわしい行為をしても店に被害を与えない」というのは「直接的な窃盗被害」についてのみ成り立ちます。保安員の目が「紛らわしい行為」をする人に向くことで、真に窃盗を行う者への監視がゆるむなら、その紛らわしい行為をした人は間接的に窃盗を幇助する事になり、その結果として店に被害を与えることになりますし、その結果として、保安員の増強を招くなら、それは小売値の上昇につながり、その店で買い物をする他の消費者にも被害を与えることになります。

不実証広告と紛らわしい広告を出すと言うことに関しても同じ事は成り立ちます。不実証広告を摘発して排除命令を出す権限は公取委に与えられていますが、公取委は公的機関として税金で運営されています。「紛らわしい広告」を出す者は公取委の不実証広告の摘発に関する手間を増やし、摘発精度を低下させます。その結果として「同じ税金での効率の低下」を招いたり「同水準の効率の維持のための組織の増大による税金の使用の増加」を招くことになります。つまり広く納税者に間接的な被害を与えることになります。

社会規範というのは「相互利害」から派生する規範です。つまり「自分も盗まれたくないから、自分は盗まない。お前も盗まれたくないのだから、お前も盗むな」です。こういう直接的な相互利害から派生した規範が、高度に成るに従って、直接的な加害・被害の相互利害だけでなく、上で示したような「間接的な加害・被害」まで視野に入れることにより「紛らわしいことをしない」といった部分まで社会的規範が発達するのだろうと思います。

現代の社会に生きている皆さんを見ていると、ふじさんをはじめとして、先祖がそのようにして発達させてきた社会規範を「気楽に捨て去る」ことをされている様な気がします。


by 技術開発者 at 2008-01-26 21:57:26
Re:予防的に書くが、訴訟を嫌がらないこと

こんにちは、皆さん。

社会通念に照らして社会常識で生きていないふじさんと、これ以上、議論する気はありません。お読みの方へのメッセージとして書くなら、次のようなたとえ話になろうかと思います。

ある現象を記述する方程式を立てるときに、重要な項目を入れずに式をたてて、その式を「厳密に展開」して「どうだおれの数式展開は厳密だろう」と悦に入っている人を思い浮かべてしまいますね。

重要な項目というのは、ニセ科学批判をする科学者も、この社会の中で社会通念に照らして社会規範に従って生きている社会人であるという事です。この項目が抜けた方程式をどれほど厳密に解いても、現象の記述にはなりません。

実のところ、ニセ科学批判を議論していると、この「ニセ科学批判をする科学者・技術者も社会人である」という項目が抜け落ちた議論を展開される人に良く会います。


by apj at 2008-01-14 22:01:14
Re:予防的に書くが、訴訟を嫌がらないこと

ふじさん、
 何度か書き込みを拝見していたのですが、どうも基本的なところでの誤読や勘違いが多すぎる気がします。
 私のところに沢山書き込んでいただいても、誤解を訂正する作業ばかり増えて、エントリーについての議論がちっとも進まないのですが……。
 そろそろご自分でblogを作って議論されてはいかがでしょうか?