名前呼びをめぐるあれこれ

 書き始めてから時間が経ってしまったのだけど。いろいろとひっかかることがあったのでまずは引用。

「がんばれニッポン」が控えめにした五輪熱」より。

 私は、フィギュアスケートの浅田真央選手を応援している。
 がんばってほしいと思っている。
 が、そう考えている一方で、彼女に対して、「真央」ないしは「真央ちゃん」と、名前呼びで語りかけるカタチの放送に、いまだに慣れることができないでいる。
 あれはアスリートに対する態度ではないと思う。

 安藤美姫選手は「美姫」と表記される。あるいは「ミキティ」と呼ばれる。
 この呼び方も私は好きになれない。
 安藤選手と、普通にそう呼んでほしい。

 スポーツメディアの中では、いつの頃からなのか、女子選手に対して、名字を省略することをもって「美人選手認定」とするみたいな、異様な風潮が定着している。
 名前で呼ばれる選手は、それだけ国民に愛されていて、親しまれていて、娘のように扱われている、と、そういうことになるようなのだ。

 で、私は、このマナーどうしても好きになれない。どうしてスポーツをパパ目線で見なけりゃならんのだ? ばかばかしい。

姫は城を出て母になる」より。

 もうひとつ、私が違和感を持つのは、

「美姫、出産していた」

 みたいな見出しの付け方だ。
 一人前の女性をつかまえて、「美姫」と呼び捨てにしている。
 そもそも、こんなデタラメな距離感で、マトモな記事が書けるはずがないのである。
 
 このこと(スポーツマスコミが、女子選手を下の名前で呼び捨てにする傾向=娘呼び)については、以前、当欄でも触れたことがある。

 私は、今回の安藤美姫選手の出産が、過剰に問題視されていることの背景には、この「娘呼び」が介在していると考えている。

 安藤選手は、25歳になる大人の女性だ。
 とすれば、誰と交際しようが、どんなカタチでいつ出産しようが本人の自由であるはずだ。

 なのに、その妊娠について、あれこれ言いたがる人が多いのは、結局のところ、これまで、長い間、われわれが女子選手に、「娘」としての役割を担わせてきたことの反作用なのだ。

 「浅田選手」、「安藤選手」ではなく「真央」「美姫」という見出しの付け方は、記事を書く人々が、彼女たちを「娘」ないしは「身内の子供」として扱っていることを意味している。

 整理部のデスクは

「いや、文字数を節約したいということで、他意はありませんよ」

 と言うかもしれない。
 しかし、私は信じない。他意は、明らかに、存在している。

 名前呼びの違和感というのは強烈にありまして。
 名前呼びされても許せるのは、親、兄弟、叔父叔母従兄弟などの親族(名前呼びしないとお互いに姓がかぶってるもんだから誰が誰だか混乱する)、あとは子供の頃からつきあいが続いている友達とか(つきあい始めた時からお互い名前呼びだから今更変えても)。それ以外の他人から名前で呼ばれると、どうも人間関係の距離感が狂った気がしていただけない。
 大学の体育会でも女子学生は名前呼びのところがあって、どうにも近寄りがたかったなあ。

 恋愛小説で、作中の描写が、男性は姓を記述女性は名前になってるのが多いのは、やっぱりなにがしかのジェンダーなんでしょうかね。