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(SF)人類の存亡を賭けた……

Posted on 8月 7th, 2005 in 倉庫 by apj

 一月ほど前に友達に勧められたのがきっかけで、「エルフェンリート」のDVDを入手してこの週末に鑑賞していた。一気に全部見たので寝不足に陥った。進めてくれた友達の意見は、永井豪の「デビルマン」以来の感動モノだということだった。
 あんまり細かく書くとネタバレになるので思いっきり簡略化すると、ディクロニウスと呼ばれる新人類と普通の人類の戦いの話。ディクロニウスは頭に小さな突起というかツノがあって、目に見えないが数メートル以上伸びる数本の(非常に力が強い)手があって(だから念動力のようなものが使える)、知能が高い、とされている。この性質はウイルス(作中ではベクターと呼ばれている)で感染することで拡がる。人類としては、こんなのに支配されたり数が増えたりしてもらっては困るから、施設を作って閉じこめたり、力を発揮しない子供のうちに殺したりする一方、その力を手に入れようとする人たちもいるし人体実験の対象にする人たちもいる、という、ありがちな状況となっている。ディクロニウスの方は、ツノがあるために子供の頃から気味悪がられたりいじめられたりするのえ、その怨念と共に力が目覚めて、周りの人間を大量虐殺することになったりする。まあ、それだけでは話にならないわけで、作中では新人類を受け入れる役の人も出てきてドラマが展開する。
 確かに、人と人外の者の支配権争いという点では「デビルマン」のモチーフであるし、新人類が疎まれて人間社会に居場所がない状態で過ごすことになるあたりは、原作のデビルマンにも、デビルマンのムック本のどれかに出ていた演劇用の台本「不動を待ちながら」にも通じるものがある(不動とはデビルマンの主人公の不動明で、悪魔族なのに人間の味方をするという設定。この話のオチは、デビルマンの方は人類を救おうとするのに、人間の方が悪魔族をかばう同じ人間を差別したり嫌ったりして暴力で排斥しようとする、つまりは人間の心の方がよっぽど悪魔だったというもの)。
 こういう設定で書かれた広い意味でのSFがいくつか思い当たる。マンガでは、竹宮恵子「地球へ…」は、超能力を持つ新人類を旧人類が排斥し抹殺する社会の話だし、和田慎二「少女鮫」は、通常の人類より優れた能力をもつ人を発生させるウイルスをめぐる陰謀話である。星新一だか小松左京だか(それとも他の誰かだったか)忘れたが、カマキリの性質を持つ新人類発生をネタにした短編もあった。オス、メスともに旧人類より知能も高く身体能力も優れているが、繁殖行為つまりSEXのあと、メスがオスを殺して食べてしまうという本能を持っている、というもので、最初は猟奇事件だったものをよくよく調べてみたら別のより優れた人類の出現ということが判明し、さて法律で処罰するのか妥当かどうかという問題に直面するという……。まだ他にもいろんな作品があるだろう。
 この手の設定の作品にありがちだが、出てくる「人間」の一部にはかなり問題があって、度を過ぎたイジメをやったりしている。人間の方が一線を越えてイっちゃってる分、その反動で出てくる怨念もすごいことになり、結果、作品世界はスプラッタの連続ということになる。エルフェンリートについていえば、アニメーターがいい仕事をしたなあ、と思った。劇画調ならともかく、ラブコメか萌え系の絵を見せておきながら、首が飛ぶは手足はもげるは胴体は真っ二つになるはで、そこいらじゅう血みどろの殺戮シーンが第一話の冒頭から出てくる。アニメ絵とはいえこの手のシーンに弱い人は見ない方がいいかもしれない。ストーリーの方はちゃんと救いがあるし、人間の人間らしい部分もきちんと描かれているのだけれど。

 そういえば、阪大で、「サイエンス・フィクション 科学と物語の間」という講義(セミナー)があった模様。近くなら潜ってでもきいてみたかった。最も、「新人類誕生による軋轢」というテーマは、誕生のメカニズムの方を詳細に設定すると科学よりになるが、そちらが弱いとむしろ哲学的なテーマになりそうではある。